中山道六十九次 日帰り夫婦旅 その四

吾妻路C 上尾宿〜桶川宿〜鴻巣宿

3月12日(水)快晴


3月に入ってから、天候が不順で寒く、風も強くて出足がとまっていた。 昨日から天気も定まり、日中は春らしくなってきたので今日、ふたたび中山道を歩き出した。「駅すぱーと」で上尾10時で検索したら8時51分南千住と出た。それにあわせて家を出た。ところが上野駅でまごまごして、あと二三段でホームというところで電車は出て行ってしまった。おかげで27分待ち、9時30分上野発、上尾駅に着いたのは10時5分だった。



朝のうちは寒かったが次第に暖かくなり、澄み切った青空のもと勇躍歩き出す。旧道に出て上尾の商店街を桶川をめざす。なんの変哲もない商店街に不動尊らしき石像を見る。




宿場はずれと思われる四つ角に「彩の国平成の道標」や屋根瓦の乗った案内板が立っていて、屋根瓦にはちゃんと鐘馗(しょうき)様が乗っていた。昔の上尾宿の旧家には良く鐘馗(しょうき)様の像が乗っていたらしい。




この先桶川に入るまでの道は、最悪の道だった。でこぼこの歩道、びゅんびゅん飛ばす車、自転車まで子供を乗せて歩道を飛ばしてゆく。takaoさんご一家、良くぞこの道をボギーを押して歩いたなあ。
北上尾駅近くに新しく出来たショッピングセンターがあり、その一角だけが別世界になっていた。桶川駅が近くなってから、やっと昔の風情を感じる建物がちらほら見え出した。

 
 
最初に見えたのが武村旅館で、この旅館は昔の紙屋半兵衛という旅籠の名残だそうです。なかなか趣きのある建物で旅籠当時の面影を残した現役の旅館です。(上右)

 

その少し先に稲葉本店という魚屋さん、隣が南栄というお茶屋さん、ともに昔の建物で旧街道の名残を感じます。その少し先にも蔵造りの旧家が残っていました。ならびに桶川宿本陣跡があり、冠木門が立っていて、現在修復中、奥に旧本陣の一部が残っているとかで、完成が望まれます。

 

宿外れの交差点に「中山道桶川宿」の新しい道標が立ち、一休みできるようになっていた。桶川宿は優しい街だった。

このあたり三軒茶屋という地名もあり、昔は雑木林の街道沿いに二軒か三軒の家があったと思われる。ほどなく北本市に入る。

二ツ家の交差点を過ぎたあたりで、お腹が空いてきたので、早めに昼食をとるべくファミレス風のお蕎麦やさん(サガミ)に入り、天おろしそば を注文、美味しかったが軽すぎた。お店をでたのは12時10分だった。

 

ここは間の宿で、かって鴻巣宿はこの地にあり、桶川と近すぎるという事で今の地に移転したらしい。元宿場があった場所というので元宿、鉄道が引かれ駅が街の北に出来て北本宿、市制がしかれて北本市と変遷していったとか。
本宿の交差点に新しい道標がたち、案内板や休憩所ができている。

しばらく行くと右手に大きな石屋さんがあり、その手前が多門寺、その先に天神社があった。天神社の参道に紅梅白梅が今を盛りと咲いていたので、入ってみたら奥は多門寺と一緒になっていて、神仏混合の名残を見ることができた。休憩所もあり、昼食が軽かったので持参のアンパンとお茶で小腹を満たし一休みする。参拝の際「解脱(げだつ)」の小雑誌があり、ここは解脱会の所縁の地らしい。そう言えば前側に解脱の霊園という公園風の場所があった。
多門寺には「むくろじ」という樹齢200年の大樹があり県の天然記念物に指定されている。(下中))

 


その先、左に北本駅をみて尚行くと「ステーキ ドン」のある交差点にでる。ここを街道から離れて左折、高崎線の踏み切りを渡り線路に沿って右折して暫くすると、左の畑のなかを民家にむかう細い道があり、その奥に馬室原一里塚跡があった。
昔の中山道はこのあたりを通っていたらしい。わかりずらい入り口に、わかりずらい道しるべがあった。小塚の上に登れるようになっていて、上ってみると立派な一里塚跡の石碑が立っていた。わずかな高さだが見晴らしは良い。

 

線路沿いの道をしばらく行き、ふたたび旧道に戻った。ほどなく鴻巣宿にはいる。ぽつんぽつんと古い造りの家が見え始め、左に広田屋さんという大きな人形屋があった。この町は古くから人形の町として知られ、旧家屋も残っている。近年また盛んになって、街灯にも「人形の街鴻巣」の、のぼりが下がっていた。吉見屋さんという店は「雛屋歴史資料館」となっていたので一寸入って見せてもらった。

 

本町交差点の先、左奥に、勝願寺の入り口らしきものが見えたので入ってゆく。勝願寺はなかなかの大寺で奥が深く、入り口の山門から長い参道をゆき突き当たって右折する所に二王門が立ち、その奥に本堂がある。


 





ここで面白いものを見た。本堂の前に狛犬があった。それも親子連れの狛犬だ。お寺に狛犬も不思議なら親子連れの狛犬も見たことがない。これも神仏習合の名残か。







本堂の脇に小松姫(真田幸村の兄、信行の妻)の墓もあった。小松姫は優れた女性で色々な話が残っている。また百地蔵の塚もあった。珍しい塚だ。


境内にはお年寄りが三々五々集っていて、喜多さん曰く、「末永く付き合う場所だものね」だと。
旧道にもどり鴻巣駅を左に見て進むと、土蔵造りの家も数軒見かけた。さらに右に鴻(こう)神社がある。鴻巣の総鎮守で、鴻巣の由来や神社の由来が書かれていた。

   
旧中山道はこの先の加美の三叉路を左折してゆく。ここからは旧街道らしい道になった。歩道こそ無いが、車が急に少なくなり歩きやすくなった。街道歩きはこうでなくっちゃ。珍しいものにも沢山出会った。まずは踏み切りを渡って直ぐの、小さな八百屋さんで、喜多さんは美味しそうだ、安いからと「乾燥芋」を二袋、ビニール袋にいれてブラブラ。右手にあったご立派なお屋敷、見れば表札に「**邸」とある。自分の家に邸はないだろう、それとも**邸が御名前か。

しばらく行くと「利際来屋」の看板、ガラス戸の中に達磨さんやポストが並んでいる、張り紙があり「このダルマに清酒三升はいります」おもわず覗き込んだら、ご主人が出てきた。「ポストもなにか入るのですか」と聞いたら「別に何ということはないけど鍵は架かるようになっているよ」との返事、なるほど大きな貯金箱だ。
しばらく行くと本物の赤いポストがあった。郵便やさんが、如雨露(じょうろ)で水をかけている、そのあと洗剤を吹きつけタオルで拭き始めた。あまりにも珍しい光景に写真を写そうと思ったが、車が邪魔をして撮り損ねた。残念。


ほどなく氷川八幡神社に着く。今日は北鴻巣駅から帰ることにして最後の休憩をとる。4時近い。まもなく中宿橋を渡る。流れている川は武蔵水路と言い、東京オリンピックの時、水不足解消のため利根川から東京へ送る水を引いた水路だ。

水量の多い流れの急な川だった。橋を渡って右折、左手先に北鴻巣の駅が見えた。そのまま行ったら行き止り、散歩の女性に聞いたら手前の橋を渡り返して、踏み切りをわたり線路に沿って進むのだそうだ。やっと駅に着いた。

北鴻巣駅4時25分発東海道直通に乗車、車中うたた寝をしていたら「次は池袋」なんとこの電車は赤羽の次は池袋だった。あわてて池袋下車、
山の手線で上野に出て南千住5時45分 帰宅は6時を過ぎていた。

歩数 35630歩 距離 16,5キロ

さすがに喜多さんは疲れきっていた。

中山道5へ  中山道目次へ