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3月に入ってから、天候が不順で寒く、風も強くて出足がとまっていた。 昨日から天気も定まり、日中は春らしくなってきたので今日、ふたたび中山道を歩き出した。「駅すぱーと」で上尾10時で検索したら8時51分南千住と出た。それにあわせて家を出た。ところが上野駅でまごまごして、あと二三段でホームというところで電車は出て行ってしまった。おかげで27分待ち、9時30分上野発、上尾駅に着いたのは10時5分だった。
![]() 最初に見えたのが武村旅館で、この旅館は昔の紙屋半兵衛という旅籠の名残だそうです。なかなか趣きのある建物で旅籠当時の面影を残した現役の旅館です。(上右) ![]() その少し先に稲葉本店という魚屋さん、隣が南栄というお茶屋さん、ともに昔の建物で旧街道の名残を感じます。その少し先にも蔵造りの旧家が残っていました。ならびに桶川宿本陣跡があり、冠木門が立っていて、現在修復中、奥に旧本陣の一部が残っているとかで、完成が望まれます。 ![]()
宿外れの交差点に「中山道桶川宿」の新しい道標が立ち、一休みできるようになっていた。桶川宿は優しい街だった。このあたり三軒茶屋という地名もあり、昔は雑木林の街道沿いに二軒か三軒の家があったと思われる。ほどなく北本市に入る。 二ツ家の交差点を過ぎたあたりで、お腹が空いてきたので、早めに昼食をとるべくファミレス風のお蕎麦やさん(サガミ)に入り、天おろしそば を注文、美味しかったが軽すぎた。お店をでたのは12時10分だった。
![]() ここは間の宿で、かって鴻巣宿はこの地にあり、桶川と近すぎるという事で今の地に移転したらしい。元宿場があった場所というので元宿、鉄道が引かれ駅が街の北に出来て北本宿、市制がしかれて北本市と変遷していったとか。 本宿の交差点に新しい道標がたち、案内板や休憩所ができている。 しばらく行くと右手に大きな石屋さんがあり、その手前が多門寺、その先に天神社があった。天神社の参道に紅梅白梅が今を盛りと咲いていたので、入ってみたら奥は多門寺と一緒になっていて、神仏混合の名残を見ることができた。休憩所もあり、昼食が軽かったので持参のアンパンとお茶で小腹を満たし一休みする。参拝の際「解脱(げだつ)」の小雑誌があり、ここは解脱会の所縁の地らしい。そう言えば前側に解脱の霊園という公園風の場所があった。 多門寺には「むくろじ」という樹齢200年の大樹があり県の天然記念物に指定されている。(下中)) ![]() ![]() その先、左に北本駅をみて尚行くと「ステーキ ドン」のある交差点にでる。ここを街道から離れて左折、高崎線の踏み切りを渡り線路に沿って右折して暫くすると、左の畑のなかを民家にむかう細い道があり、その奥に馬室原一里塚跡があった。 昔の中山道はこのあたりを通っていたらしい。わかりずらい入り口に、わかりずらい道しるべがあった。小塚の上に登れるようになっていて、上ってみると立派な一里塚跡の石碑が立っていた。わずかな高さだが見晴らしは良い。 ![]() 線路沿いの道をしばらく行き、ふたたび旧道に戻った。ほどなく鴻巣宿にはいる。ぽつんぽつんと古い造りの家が見え始め、左に広田屋さんという大きな人形屋があった。この町は古くから人形の町として知られ、旧家屋も残っている。近年また盛んになって、街灯にも「人形の街鴻巣」の、のぼりが下がっていた。吉見屋さんという店は「雛屋歴史資料館」となっていたので一寸入って見せてもらった。 ![]() 本町交差点の先、左奥に、勝願寺の入り口らしきものが見えたので入ってゆく。勝願寺はなかなかの大寺で奥が深く、入り口の山門から長い参道をゆき突き当たって右折する所に二王門が立ち、その奥に本堂がある。
![]() ![]() ここで面白いものを見た。本堂の前に狛犬があった。それも親子連れの狛犬だ。お寺に狛犬も不思議なら親子連れの狛犬も見たことがない。これも神仏習合の名残か。 ![]() 本堂の脇に小松姫(真田幸村の兄、信行の妻)の墓もあった。小松姫は優れた女性で色々な話が残っている。また百地蔵の塚もあった。珍しい塚だ。 境内にはお年寄りが三々五々集っていて、喜多さん曰く、「末永く付き合う場所だものね」だと。 旧道にもどり鴻巣駅を左に見て進むと、土蔵造りの家も数軒見かけた。さらに右に鴻(こう)神社がある。鴻巣の総鎮守で、鴻巣の由来や神社の由来が書かれていた。 ![]()
さすがに喜多さんは疲れきっていた。 |