中山道六十九次 日帰り夫婦旅 その五

吾妻路D 鴻巣宿から熊谷宿

3月22日(火) 晴れ



前回同様、8時51分南千住に乗るため、やや早めに家を出る。天気予報通り、昨日 の雨が嘘のような、良い天気になった。陽気も暖かい。通勤時間にかちあって、会社に向かう 人たちの流れに逆らいながら駅にむかう。喜多さんは昨夜の雨の名残りの水溜まりをよけて、 逆に「うん」を着けてしまい、やたら気にしている。やっじっじ、「うん」が付いたのだから 今日は良いことがあるよ。9時04分上野発高崎行きに無事乗車、車内はがらがらだった。 北鴻巣駅に10時ジャスト到着した。



帰宅の時とは逆の道で、線路沿いに箕田追分を目指す。北風が強いが、暖かな陽気に助けられて気持ちが良い。22分、追分到着、丁度駅の出入り口の反対側に位置するので、やたら回り道だった。


今日はここから旧中山道を歩くことになる。東京から直接来ればこの追分を左に進むわけだ。そこに案内板やら地蔵堂が建っていた。

  

10分ほど行くと吹上町に入る。
ほどなく高崎線の線路沿いになり、第四中仙道踏み切りを渡って左折、路地角に新しい地蔵堂がある。なんでも娘の目の病を治してもらったお礼の地蔵堂とか。

 

道なりに行くと国道17号に合流、吹上駅を左手に見て少し行くと「本町」の交差点にでる。ここを左折すると旧道っぽい道になる。旧道らしく曲がりくねった道は、やがて高崎線に突き当たり歩道橋で向こう側に渡る。歩道橋の下に間の宿(あいのしゅく)吹上の案内板があった。歩道橋の上から見ると旧道が鉄道に分断されているのが良く分かる。斜め先の続きの旧道を10分ほど行くと右手に榎戸堰公園があらわれる。

 

11時半だ、ここまでひたすら歩いてきたので、最初の休憩をとる。小川沿いに作られた、小さいが綺麗に整備された新しい公園で、トイレもあり、あずま家にはベンチもあって、小川の向こうには熊谷堤も遠望でき、素晴らしい眺めだ。
なにより、びっくりしたのは白鳥が二羽、ゆうゆうと羽を休めていたのだ。雌と思われる一羽は、川岸に座り込んでまるで卵でも温めているかのごとく動かず、雄とおもわれる一羽は悠然とあたりを泳いだり、「うんち」をしたりしていた。しばらく休んでから、土手を目指す。

 

土手下に「しゃべるな地蔵」として名高い、権八地蔵の祠がある。
ここから熊谷堤(久下の長土手とも言われる)が旧中山道だ。
久下橋のたもとで土手を下るまで4キロある。土手の上は北風がものすごい、が「うん」が付いたお蔭か今日は暖かくて助かった。
冷たくはなかったが、それでも歩くのは大変だ、強い北風に逆らって、北に進むのは大変だった。ただ土手には春の草花が乱れ咲いていて、疲れを癒してくれる。
タンポポ、菜の花、をはじめ、名も知らぬ野草が群生していて目を楽しませてくれた。河原の枯れすすきも見事だった。

  

 

昭和22年9月キャスリーン台風の時に、この土手が決壊して東京も大被害を受けた。その決壊場所に記念碑や説明板が建てられていた。やっじっじも覚えがあるが、あの時の決壊場所がここだったとは、感無量だ。12時をまわっていて、空腹を感じるが土手の上ではどうしようもない。土手沿いに大きなマンションが立ち並んでいるが、店らしきものは見当たらない。土手の中腹に座り込んで、お菓子やお茶で一服して、先を急ぐことにした。


1時、遠くに久下橋が見えた。東海道大井川に架けられた蓬莱橋に、とても良く似た橋だが規模は小さい。それでもこの橋は蓬莱橋と違って車が通る、それも一台づつ、いや車専用の橋だった。手前に近代的な大きな橋が建設中だったので、ちかじか車はそっちの橋を渡るようになるのだろう。今の久下橋が観光用に歩行者専用の橋になればいいな。久下橋を左に見て、やっと土手を下ることが出来た。「みかりや跡」の説明板をみて熊谷市街に入ってゆく。
 

街中には風はなかった。右に八丁の一里塚跡の小公園があり、左にホテルサンルート熊谷(takaoさん御一行利用のホテル)があり、秩父鉄道の踏み切りを渡り、新幹線のガードをくぐり、高崎線の踏み切りを渡って、十字路を左折して駅に向かう。
ただし、ここは真っ直ぐ17号道路まで行って左折するのが、中山道です。やっじっじは空腹のためと、目標の八木橋デパートが駅前にあるという勘違いから左折してしまったのです。いくら探しても八木橋デパートは駅前には無く、しかたなしに路地裏のお蕎麦やさんに入って昼食を取る事にしました。14時になっていました。やっじっじは天重、喜多さんは天ざる、コーヒー付のボリュームのある食事でした。テンプラの海老も大きかったし、美味しかった。
八木橋デパートが駅前ではなく17号沿いにあることも分かり、一休みして食事も済んで元気も出てきて、春の日の入りも遅いということで、籠原駅まで行くことにしました。市内を通り抜け17号に出ても目指すデパートの建物が見えない、道行く人に聞いてみたらずっと先のほうだとの事、地図では駅の近所のように書いてあったのに。

 

しばらく歩くと落ち着いた店のガラス戸越しにダルマが目に入った。おもわず中に入る。このダルマは南部の三春ダルマとのこと、1200円の値段も気に入って、お土産に求める。ご主人との会話の中で、我々が中山道を夫婦旅している話になり、びっくりしたご主人が「今コーヒーでも入れますから、一休みしていってください」との話、お言葉に甘えて洒落た椅子に腰を下ろす。

 

このお店は西洋アンチークのお店で、よく教会で見かけるステンドガラスや、古風な西洋の照明器具やら、日本の民俗工芸品など色々あった。わざわざ蛍光灯を消して、色ガラスに映るシャンデリアの灯りも見せていただいた。やっじっじより年上かなと言っていたが65歳とのこと、数年前に奥さんを亡くして、「商売のほうも道楽半分ですよ」などと言っていた。もともと銀座の西洋アンチーク店に勤めていたとかで、我々が浅草と聞いて、当時外国のお客さんが、異口同音に浅草は楽しいと言っていたなど、話に花が咲いた。喜多さんが一緒に歩いているのが羨ましいのかな、無理をしないで続けて下さいとも言っていた。
20分ほども話をしたかな。お店の名前は「工芸」さんでした。

 

なお暫らく進むと向こう側角に、やっと八木橋デパートが見えました。
旧中山道はこのデパートの真ん中を抜けているのです。入り口に旧中山道跡の石碑もありました。
熊谷名物の五家棒(ごかぼう)を買って裏から出ると、目の前に一番街商店街のアーチがあり、この商店街が旧中山道です。ずうっと、この商店街を歩き、右に熊谷慈恵病院をみて再び国道17号に出ます。

 

国道をしばらく歩くと左に秩父道道標が三基たっています。そして熊谷警察署の大きな交差点にでます。角に東京から68キロの標識が立っていました。4時です。


その少し先、角に梅林堂という和菓子屋さんのある三叉路を左に入る道が旧道です。その先右に大きな木が立っています。新島の一里塚です。樹齢300年という大きな欅です。元々は左右二本あったのですが現在一本だけが残っています。




すこし先に「従是(これより)東南(とうなん)忍領(おしりょう)」の境界石が立っています。旧道は又17号に突き当たりますが、ここは歩道橋で渡ります。行田近くで鉄道に分断されたように、ここでも旧道は、国道に分断されているのが歩道橋の上から良くわかります。
ひたすら旧道を歩いてゆくと、熊谷玉井団地に出ました。団地といっても高層団地ではなく、分譲団地です。新しい住宅が整然と並んでいます。この辺は昔は玉井邑(たまいむら)といわれ、おそらく広大な畑だったのでしょう。右手に庚申塔や地蔵堂などが一角を成していました。17時近くになっています。

  
 
思ったより籠原駅は遠く、日も傾きはじめてきました。ほどなく籠原駅にでる交差点にきて、先がみえて一安心です。自動販売機でお茶を買って立ち飲みして一休み、17時10分無事籠原駅に到着しました。帰宅時間は19時半でした。

歩数 37000歩  距離 18・3キロ 時間7時間(食事、休憩一時間位)

雨上がりのお蔭で、風が強かったのに、ほこりが立たず歩きやすかった。暖かかったのも幸いした。強行軍の割りには、疲れなかった。

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