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晴れ渡った青空の下、街道歩きで始めての、夫婦旅ならぬ親子旅を経験することになった。 「やっじっじ」「喜多さん」プラス「やっちさん」の三人旅である。ゴールデンウイーク後半の三日間は天気が良いとの予報に、何の予定もない「やっちさん」が、なにを思ったか突然、街道歩きに同行しても良いと言い出し、それではと言うことで、娘も楽しめるコースを選ばなければとの親心から、三つばかりコースを先に飛ばして、自然も豊かで変化に富み、かつ距離も短いこのコースを選んだ。これは正解だった。 朝の弱いやっちさんは前夜から泊り込みで準備万端怠りなし。 |
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7時15分家を出発、南千住から上野へ、8時14分の上越新幹線「たにがわ」で高崎9時04分着、信越本線に乗り換え9時40分、西松井田駅に到着した。高崎を過ぎてから窓外の景色ものどかになり、山々も大分近づいてきた。
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駅でトイレをすませ早速歩き始める。駅前通りを直進、すぐに中山道に出る。左折してしばらくすると右手に最後の松井田城主大導寺政重の墓がある補陀寺がある。その先で旧中山道は国道から別れて左の細い道に入ります。旧道らしい「よしず」を張ったお店があったり、道祖神が立っていたりして、車も少なく歩きやすい路です。 ![]() やがて信越本線の線路につきあたり線路沿いの道になると、正面に妙義山が大きく、その奇怪な山容を見せます。道なりに踏み切りを渡ると一段と景色は広がり、碓氷川を挟んで凸凹した妙義山がせまります。珍しい二十三夜塔や庚申塔が立っていました。
上信越自動車道の高架の手前、五料の信号で18号線を渡り(信号の手前で強引に渡ったほうが、旧道に直進できる、ただし車が途絶えた所を見計らって慎重に) 再び旧道を進むと、見え隠れに前の方を歩いていたご婦人が左の畑に入っていった。随分長い間一緒に歩いていたので、もしかしたら旧街道歩きの仲間かと思っていたのに。 家並みが少し続き今日の最初のポイント、五料茶屋への入口の案内が左に、右手に高札場跡の標識があり、右路地奥、線路の向うにそれと分かる塀に囲まれた白壁のお屋敷が見えた。
線路を渡って正面が「お東」と呼ばれるお屋敷で、塀にそって左に「お西」と呼ばれる同じ造りのお屋敷がある。五料茶屋本陣は正式には本陣ではなく、参勤交代の大名や公家が、碓氷の関所を前にして休憩したり、旅装を整えたりする為の施設だったようだ。代々中島姓の二軒が二人名主制度をとっており、村役宅をかねた同じ造りの屋敷を土地の人が「お東」「お西」と呼び分けてきたようです。 入り口は「お西」のほうで、写真を写していたら、庭仕事をしていたらしいおばさんが、飛んできて「ご覧になりますか」。両家の建物は文化3年(1806年)に焼失、同年に再建された197年前の建物だが近年大分修復したらしく、しっかりした造りだった。両家とも中を見学できる。 ![]() まずはお東のほうから見学、土間に馬小屋が並んでいて、喜多さん「木曾の家と同じ造り」と感心、大きな板の間には囲炉裏がきってあり、ここは下級武士の休み所か、座敷のほうは、表の間、次の間、上段の間と格式高く、廊下も畳敷きだ。やっちさんは裏手の便所まで見てきたようだ。 ![]() 庭に面して縁側があり妙義山を借景として雄大な感じがする。 ![]() 「お西」も同じ造りだが、二階に上がれるようになっていて、また庭の敷石が熊手で筋目が入れられていて見事だった。特別展として五月人形展をしており、多数の幟、兜や武者人形が展示されていた。なかでも武田人形は、異彩を放っていた。首をひん曲げたような、変な格好だった。 ![]() 「お西」は裏庭も趣があったが、両家とも本陣ではないので宿泊設備はなく、小さくまとまった感じだった。一巡りして、のんびり縁側で休んでいる母娘の姿は、ちょっぴり絵になる。モデルが良いからだとは「やっち」さんの言葉。 ![]() 五料茶屋を後にして、再び旧道の坂を登り、信越線の踏み切りを渡ったあたりから一段と急になる。この坂を丸山坂と言い途中に、双体道祖神や庚申塔などが立っていた。
![]() ![]() 信越本線の鉄路に突き当たり、最初の小さな踏切(本来はこの踏み切りを渡った先に旧街道は繋がっていた、今はこの踏み切りでは向こう側に出られない)は見過ごし、次の高墓踏み切りの手前に、碓氷神社の鳥居があった。社殿は高い石段の上にあったので、下で参拝して踏み切りを渡り、国道を渡って先に進む。 ![]() 本当は最初の踏み切り地点まで戻って、旧道に入らなければいけなかったのだ。やっじっじはすっかり失念していて、先に進んでしまい、途中で慌てて戻って旧道に入ることができた。旧道は再び18号に合流するが、その手前、ケヤキの木の下に「足跡石」があり、そして谷を挟んで星穴岳がある。説明板によると百合若大臣(伝説上の人物)が従者とここで力比べをし、強弓を引き絞って向かいの山に矢を放った。踏みしめた石に靴跡が残り、山に穴があいた。これを見た従者も路傍の石を投げつけると、やはり山に穴が開いたと言うのです。たしかに石に靴跡が穿かれています。ためしにやっじっじが靴を合わせてみたらぴったりでした。案外小さな足です。(右下の写真に靴跡あり) ![]() さて向かいの山に穴が二つ開いているのか?、三人はあれがそうだ、いやあれじゃないと、喧々諤々。しばらく騒いでいたら、近くの家の方が寄ってきて、「穴を探しているのですか、今日は霞んでいて良く見えないけど向こうの山の、あの辺ですよ」と方向違いの遠い山を指差す。「ちょっと待ってください、今写真を持ってきますから」しばらくして雪景色の写真を持ってきてくれた。「たしか良く写っていた写真があったのだけれど、見当たらなくて、これじゃ良く分からないけれど、この辺に星のように見えるんですよ」と指差す。しばらくして、星のように見えるというヒントを貰ったやっちさんが、「あ 見えたよ、あれだ」やっじっじもなんとなく二つ見つけることができた。良かった良かった。ヒントをもらって、写真まで頂いて本当に有り難うございました。 国道に合流、下横川の信号で国道を横断して、しばらく旧道を行くと横川駅に到着した。予定の12時を少し回っていた。予定では「おぎのや」で釜飯と思っていたのだが、釜飯は持って帰って夕飯にという事で、喜多さんとやっちさんは「てんぷら蕎麦」やっじっじは「海老天そば」を注文、お茶と一緒に「あんころ餅(力餅?)」が一つ。お蕎麦はさすが本場、美味しかった。 ![]() 1時、おぎのやを出発、右 小高い場所に碓氷関所跡があり、石段を上ってゆく。関所跡は門があるだけだが、門そのものは当時のものが一部使われていて、格式がある。資料館(閉館中)の前にお辞儀石があった。通行手形を差し出し、この石に両手をついてお調べを受けるのだそうだ。
関所を後にカーブした道を下っていくと、廃線になった信越本線のアブト式鉄道跡の踏み切りにでる。複線の一本は砂利道になり、遊歩道になっていた。道は下って行き18号と碓氷バイバス、旧道との分岐になり、旧道は西小学校の裏手をまいて行く。この辺から急坂(薬師坂)になり、坂の途中に薬師湧水口があったが水は枯れていた。遠くに上越自動車道の高架が見えると、坂本宿の入り口だ。高架を超えると、左に坂本宿、下の木戸が復元されていて、真っ直ぐな一本道の先に刎石山(はねいしやま)がでんと聳えている。 ![]()
碓氷峠はあの山を越えて行くのだ。坂本宿は碓氷峠の麓の宿場であり、江戸から17番目の宿場だ。街道沿いには、出梁の家も多く見られ、脇本陣も残っている。やっちさんが「ほら、あの瓦には名前が入っているよ」と教えてくれて、あわてて写真に撮る。やっじっじも家並みが斜行しているわけ、昔は道の真ん中に水路があったなどと、俄知識を振りかざす。来る前からこの1400メートルの直線道路、だらだらの上りを気にしていたのだが、ツバメが飛んでいたり、屋号の一覧表があったり、旧家も多く、苦もなく上の木戸、八幡さまに到着です。入り口に芭蕉句碑がありました。
さて、今日の予定はここまでだが、メガネ橋まで行くか、予定通りここから帰るか相談です。旧街道はメガネ橋を上から見下ろすしか出来ないので、やっじっじも内心行ってみたいのです。どっちにしても帰りは横川駅まではタクシーのつもり、やっちさんも、喜多さんも行くというので衆議一決、メガネ橋まで行くことになりました。 境内に可愛い蛙がいて、こんな山の中にと二人は大騒ぎです。 ![]() 入るときには気がつかなかったが、入り口に双体道祖神が二基あり、狛犬も変わった顔をしていた。国道をしばらく進み旧道への別れを左に見てしばらく行くと遊歩道との交差にでます。横川から来ている廃線跡の遊歩道です。 かって長野に行くとき幾度か通った信越本線アブト式のレール跡を歩けるなんて思いもしませんでした。さきほど歩いた梨の木の路とも一味ちがう、これはこれで素晴らしい遊歩道です。勿論登りの坂道ですが、歴史ある赤レンガのトンネルを幾つも潜り抜け、橋を渡り、目に染みるような新緑の間を、点在する満開の山桜を眺めながら、軽い汗をかき気持ち良い風に吹かれて、まさに至福のひと時でした。
![]() そしてメガネ橋に到着です。3時でした。橋の上を歩くので橋そのものは見えません、がその眺めも素晴らしかった。その先のトンネルは通行止めで、ここから階段で下におります。200万個の赤レンガで造られた4連のアーチ橋はあたりの新緑にマッチして、その高さ、雄大さ、歴史を感じさせる色彩美、近代文化遺産に指定されただけのことはあります。 ![]() 「どうする、この路を横川まで歩いて戻る?それともタクシーにする」 すかさず、やっちさん「タクシー」 喜多さんは「え、もったいない、歩いたほうが気持ちいいよ」 やっちさん「・・・」あきれた顔をしていた。 初めてにしてはやっちさんも良く歩いた。さすがに少し疲れてきたのだろう。10分ほどして迎えのタクシーがきた。「どちらから」「松井田から歩いてきました」「夫婦で中山道を歩いているのですが今日は娘も一緒で」「今日は天気も良いから、軽井沢まで行けたのに、もったいなかったね」11日には安政遠足が今日歩いた旧中山道を安中から峠の先、熊野神社までの距離で行われるとか、いつもテレビでは見ているが此処で行われていたんだ。そういえば「碓氷関所まつり」のノボリと一緒に「安政遠足」のノボリもそこここで見かけたっけ。 なかには「かごかき」の仕度で走って「かご」を投げ捨ててゆく奴もいるとか。かごを担いで峠を上るなど、考えただけでぞっとする。 ![]() 横川駅3時53分発乗車。高崎4時35分、上野5時22分着、 上野で出ようと思ったら乗り越しとかで出られず、南千住へ出て帰路につく。新幹線が上野着なのに、なんで出られないのか、途中下車の筈なのに。 歩数 25800歩 帰ってから食べた釜飯はいつもの味だった。 |