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| 私は趣味や身近な出会いを通して外国の言葉や文化などにふれる機会があります。 海外生活の経験は全くありませんが、ここに書き残すことで、日本と日本以外の国のことに興味を持ってくださる方が増えていけばいいと思います。言葉も文化も時の流れとともに変化します。ここに書いてあることが今この時点ではどうなのか、そういうことも疑問に思ったら、インターネットで色々調べてみてください。そんなきっかけになってほしいです。2005.3.6 |
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| 各国のあいさつ | |||
| 韓国語 アニョンハセヨ(おはよう、こんにちは、こんばんは) アニョィゲセヨ(さようなら 見送られる人) アニョィカセヨ(さようなら 見送る人) アニョィチュムセヨ(おやすみ) トマンナヨ・トマンナプシダ(またね) コマスミダ・カムサハムニダ(ありがとう) |
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| 英語 Good morning (おはよう) Good afternoon(こんにちは) Good evening(こんばんは) Good-bye., bye, take care(さようなら) See you See you later(またね) Thank you ,Thanks(ありがとう) |
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| マライ語(マライ語にはインドネシア語と共通する言葉があるとマレーシアの友人から聞いたことがあります) Selamat pagi セラマパギ(おはよう) Selamat Tenga Hari セラマテンガハリ(こんにちは) Selamat Petang セラマペタン(こんばんは) Selamat Malam セラママーラム(おやすみ) Selamat Jampalagi セラマジャンパラギ(さようなら) Terimakasih テリマカシィ(ありがとう) |
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| フィリピン語(タガログ語) Magadang umaga マガダングウマガ(おはよう) Magadang hapon マガダングハプン(こんにちは) Magadang gabi マガダンガビ(こんばんは。おやすみなさいは言わない) Mabhay マブハイ(お元気で) Salamat po サラマポ(ありがとう) |
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| スペイン語 Buenos dias ボエノスディアス(おはよう) Buenos tardes ボエノスタルデス(こんにちは) Buenos noches ボエノスノーチェス(こんばんは) Gracias グラーシアス(ありがとう) Hasta la vista アスタラビスタ(またね) Adios アディオス(さようなら) |
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| ロシア語 ドーブラーェウートラ(おはよう) ズドラーストビッチェ(こんにちは) ドーブルイベーチェル(こんばんは) スパシーバ(ありがとう) ダスビダーニャ(さようなら) |
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| イタリア語 ボンジョルノ(おはよう、こんにちは) ボナセラー(こんばんは) ボナノーテ(おやすみ) グラッチェ(ありがとう) アリベデルチ(さようなら) |
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| 中国語(普通語) ニーツァオ(おはよう) ニーハオ(こんにちは) ワンシャンハオ(こんばんは) ツァィチェン(さようなら) |
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| ベンガル語 ノモシュカール(おはよう、こんにちは、こんばんは) ドンノバドゥ(ありがとう) コダーハフェーズ(さようなら) |
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| 日本語と発音の似ている韓国語をみつけました | |||
( )の中は韓国語の発音 |
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| 案内所(アンネソ)胃(ウィ)温度計(オンドケ)家具(カグ)歌手(カス)教育(キョユク) 高速道路(コソクドロ)地震(チジン)首都(スド)信号(シノ)新聞(シンムン)趣味(チュミ) 土地(トチ)雰囲気(プンウィキ)余暇(ヨカ)など..... |
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| 英語の職業名称の変化(女性が社会進出するようになったため) | |||
| 会社員 businessman -> business person 消防士 fireman -> fire
fighter 警察官 policeman -> police officer 郵便配達人 postman -> mail carrier 販売員 salesman ->sales person など |
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| E−mailやチャットで使われる英語の略語 | |||
| ASAP (as soon as possible) できるだけ早く BK (because) なぜならば BBL (be back later )BRB (I'll be right back) またすぐに戻るよ CUL(see you later) それではLOL(Loughing out loud)大笑いだよ LTNS(Long time no see) お久しぶり MYOB(Mind your own business)よけいなお世話だよ IC(I see) わかったよ TNX,TY(Thanks,Thank you) ありがとう WB(Welcome back)おかえり TTYL(Talk to you later) |
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| エモーティコンズ(絵文字) | |||
| :-) 幸福、うれしい :-( 悲しい :-|| 怒っている :-o わー :-* キス 8-) めがねをかけている :@ えっ |
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| その他 | |||
| ハロウィーンとは (アメリカの友人から聞いて) もともとアイルランドの古代民族のお祭り。子ども達が主役。かぼちゃに顔を彫って作るちょうちんはジャックと呼ばれる。さまざまな仮装をした子ども達が「トリック オア トリー」(いたずらされるのとお菓子くれるのとどっちがいい?)と言いながらご近所を回ってお菓子をもらう。玄関にあかりのついている家は「ハッピイハロウィーン」と挨拶してお菓子を渡す。 袋の中はお菓子でいっぱいになって子どもたちは大喜び! |
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| サンクスギビングとは(アメリカの友人とアメリカに住む日本人から聞いて) | |||
すべてのものに感謝する日。親戚や兄弟、姉妹が集まり、七面鳥やマッシュ ポテトを食べる。七面鳥はパサパサしていておいしくないが、グレービーソースやクランベリーソースをかけるとおいしいとか・・・グレービーソース(アメリカに住む日本人と、ボスニアに住む日本人から聞いて) 豚の油が主に使われていて、どろどろしている。甘い。豆のソースの味によく似ている。クランベリーソース アメリカのマサチューセッツ特産のクランベリー(ブッシュの中で育つベリー)を材料としているソース。甘い。 |
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アメリカ(冬のクリスマス)ミドルスクールの先生のメール、本人の了解済み一般的には家の中にクリスマスツリーを飾ります。(日本と同じです) |
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| 韓国の正月 無線の友だちから聞いたものです。 韓国は、今でも旧暦で正月をする家庭が多いそうです。正月は日本と同じく最大の行事ですが、違いは元旦を迎えると、ひとつ年をとるということです。(日本も昔はそうでした) 民族大移動といわれるくらい、この時期は日本でもたくさんの人びとが故郷へ帰りますが、韓国も同じです。ソウルに住む友達は実家が田舎のため、いつも渋滞する高速道路を使ってくたくたになって帰郷すると話していました。小さい子どもを連れている場合に苦労するのは、全く日本と同じです。 元旦の朝、韓国ではご先祖さまにごちそうをお供えします。そして、ご先祖さまの前で額を床につける礼をします。その祭祀の後で、お正月のあいさつをします。 伝統的な服装を着ている人も多いようです。それから、子どもたちはいちばんの楽しみであるお年玉をもらいます。 韓国では、トックと呼ばれる薄い餅やマンドゥ(ぎょうざ)の入ったお雑煮のようなスープや、祭祀用に準備された料理などを食べるようです。日本では料理の準備といえば、やはり女性が中心になってやりますが、その点も同じだそうです。 「セーヘ ポック マーニ パドゥーセヨー」というあいさつをします。新しい年に幸せでありますようにという意味です。 日本と韓国は、言葉にも共通点が多くみられるように、しきたり、食べ物などにも似ているところが多くみられます。また、最近、日本では昔からのしきたりよりも、若いひとの感覚にあったお正月をやる家庭が増えていますが韓国も同じようです。なんだかさみしい気もしてきますが... 中国東部の都市に住む中学生のメールより 本人の了解済み 太陽暦の1月1日は1年のうちで特別な日。1日から3日まで休日。 でも、中国人にとって旧暦のお正月のほうが大事です。グォニャンハオ(明けましておめでとう)と 1日の0時を合図にみんなであいさつをします。1日から7日まで休日です。 1日に友人の家へ。2日に祖父母の家へ。3日にお客さんを家に招待します。3日間ずっと爆竹を鳴らしつづけます。 アメリカに住む中国人のメールより 本人の了解済み 旧暦のお正月のほうが大事です。年賀状を交換したり、お寺などへ参拝します。親戚が集まったり、 友達と遊んだりします。子どもたちは赤い袋に入ったお年玉をもらいます。 マレーシアに住む中国人のメールより 本人の了解済み 太陽暦のお正月は友達に会ったり、パーティをします。やはり、旧暦のお正月が大事です。 アメリカ、ミドルスクールの先生のメールより 本人の了解済み 一般的に大晦日のパーティ(New Year Eve Party)に出かけ、新年を迎えるとキスを交わします。 我が家の新年の過ごし方は、いつもと少し違っていました。 年末から主人と長女はテキサスへ大学対抗フットボール戦を観に行っていました。私と次女だけが家で新年を迎えました。 大晦日の夜外にアイスクリームを食べに行ったり、テレビゲームを楽しんだりしました。そして、0時の時報を合図に外では爆竹が鳴るのが聞えました。 オーストラリア、無線の友人のメールより(70歳くらいの人です)本人の了解済み 私は大晦日の夜、テニス友達と一緒に森に行き満天の星を眺めながら今年を振り返りました。そして、すがすがしい気持ちで新年を迎えました。 |
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| 無線の友人の紹介 本人の了解済み 中国のTianjin(天津市)にZ君という中学生の友だちがいます。私のことをいつもMom(おかあさん)と呼んでくれます Z君の家族は、共働きをされているご両親と彼の3人家族です。 最近の中国の発展はめざましく、大都市ではパソコンが普及しています。天津市は、中国の4大都市といわれる北京、上海、天津、重慶……そのうちのひとつです。 Z君の家にもパソコンがありますが、他の都市に比べると普及率はまだまだだと話していました。 昨年、Z君の家にTV局が取材にやってきたそうです。インターネットを利用して勉強に励む中学生として紹介されたと喜んでいました。勉強が大好きでお手伝いもきちんとできるなかなかりっぱな子で、パソコンをさわるのは1週間に一度だけ!ケータイとかパソコン漬けの日本の子どもたちが聞いたらびっくりするのではないでしょうか。 天津市について簡単に説明します。 すでに書きましたが、4大都市のひとつで貿易、経済、工業中心の都市です。人口は約1000万人。面積は約11000平方キロメートル。北京から120km東に位置しています。 日本と同じように四季をもっているのは興味深いことです。 経済発展はめざましく2001年4月現在では、GDP(国民総生産)成長は全国1位でした。 文化、歴史的にも古く京劇や昆劇、曲芸等の発祥の地といわれています。 (注)昆劇……中国の古典演劇といえば京劇が有名ですが、他にもいろんな演劇のかたちが存在するそうで、その中のひとつが昆劇です。 Z君が、日本のみなさんにぜひ天津市を紹介してほしいと写真を送ってくれました。なかなか中国のことを知る機会の少ない私たち日本人です。ここを訪れてくださったみなさんのために紹介します。 Hai He川、He Ping Road、市内にあるビル(生活に必要な物はなんでもそろいます)、Z君のおかあさん、Z君とおかあさんの順序です。 2002年3月 |
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| 「近い国、韓国」 | |||
| 今回日韓で開催されるワールドカップサッカーを機に、今まであまり知らなかった韓国の様子がTVでもよく紹介されるようになりました。でも、それだけではなかなか分からない部分もありますので、私の経験から韓国とはどんな国かを、皆さんに少しでも伝えることができたらと思います。 *あなたは何才ですか?* 無線を始めて間もないころの話です。スケジュールQSO(時間、周波数を決めて交信すること)をしていた韓国の局(私より一つ年下の男性です)がいました。毎日、毎日「あなたは何才ですか?」「あなたは何才ですか?」と尋ねられるたびに、「若いならともかく、言わなくてもいいのに」という日本人の感覚で、「恥ずかしいですよ。言えるような年じゃないですよ」と答えると、「どうしてですか?○○才?それとも○○才?……」 この質問は約一週間続きました。どうしても言わない私、とうとうその友だちはあきらめてこう言いました。「○○○さんは、じゃあ僕の妹ですよね!」と自分を納得させるように…… あとで知ったことなんですが、韓国は年功序列がはっきりしている国で年令を確認することでそこから付き合いも始まり、親しくなっていくということでした。 *言葉づかい* 韓国では、自分より上の人に対しては敬語を使うのが基本となっているようです。また、興味深いのは、男性同士で相手が年上なら「ヒョン(お兄さん)」、女性同士で相手が年上なら「オンニ(お姉さん)」、年下なら名前で、たとえば「タロウ」というふうに呼んでいることが多いようです。 それから会社で上司を呼ぶのに、日本なら「社長」、「部長」、「課長」と言いますが、韓国では「社長様」、「部長様」、「課長様」と言います。もし取引先から電話があった場合、日本なら「ただいま社長はおりませんが」という謙譲語を使うのに対して、韓国では「ただいま社長様はいらっしゃいません」と尊敬語を使うのです。 *韓国式の握手* 無線の友人と初めて会ったときのこと。握手をするのにふつうに手を差し出した私。すると、友だちは左手を胸の下に添えてぎゅっと握ってくれたのです。 これもあとでなぜそういう握手なのかが分かりました。両手で、あるいは左手を右肘の下か胸の下に添えて握手をするのが韓国式。なかでも、左手を胸の下に添える握手は一番丁寧であるということでした。あたたかく心のこもった親友の握手でした…… *韓国の女性の肩に手を乗せて微笑む友人* 国内の無線の友だち(男性)が、韓国を旅行し撮った写真の一枚。その人が韓国の女性(友だち)の肩に手をのせて微笑んでいるではないですか!日本ならいい年をしたおじさんがそうするのは不自然と思うのですが、韓国では「スキンシップ」がとても大事なのです。「あなたは何才ですか?」と尋ねたあの友だちも、旅行先で体をぴったりくっつけて、奥さんと仲良くラクダに乗っている写真を送ってくれたことがありました。夫婦のそんな写真も恥ずかしがることなく送るのが当たり前のようです。 *ごまかさないこと* 韓国だけではなく、外国の人と話をしているとよく「宗教はなんですか?宗教についてどう思いますか?」「戦争についてどう思いますか?」「私の国についてどう思いますか?」などいろんな質問を浴びせられます。ふだんそういう会話に慣れていない日本人は、笑ってごまかしたり話題をそらしてみたりすることが多いようです。でも外国の人は、必ず自分の意見をはっきりと言います。 私も外国の人とお話をするときは自分の思っていることをきちんと伝えるようにしています。ときどき深く追求されますが、一生懸命に話せば話すほど信頼してもらえるようになります。 これからは、日本人も相手の国や人々を理解するために、自分の考えを「はっきり」と伝えるようにしなければならないといけないと思います。そして、相手の国の言語をひとつでも、ふたつでも会話の中に入れるとコミュニケーションがとてもスムーズにいきます。 **韓国の民族衣装** 最後に私の持っている韓国の民族衣装を写真で紹介します。無線の友だち、KOさんとKIMさんからいただいたものです。大人用と子ども用、いずれも色彩がとても鮮やかです。大人用のチマチョゴリを着てみたことがありましたが、ふぁーっと裾が広がり動きやすい民族衣装です。 2002年5月末 |
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| ホストファミリー体験 昨年2002年秋、我が家ははじめてホストファミリーの体験をしました。 申し込み 実は2001年、息子が中三の時通っていた中学に、亀岡市の姉妹都市、アメリカオクラホマ州のスティルウォーター市「教師・生徒短期派遣交流事業」の受け入れ校の順番が回ってきました。そして、ホストファミリーの募集があったのです。以前から子どもと自分のためにもこういうすばらしい経験をしたいと思っていましたので申し込みました。その当時の子どもたちは、というとしぶしぶだったかもしれませんが。2人の生徒に対して、私の家族を含めて6家族が受け入れることが決まりました。 スティルウォーター市とは (位置と自然)アメリカオクラホマ州にあります。平野が広がり緑の多いところです。 (姉妹都市)亀岡市と姉妹都市盟約を昭和60年11月に締結。大学と大学関係者が人口の半分を占めています。 (産業)コースター、ボート、服などの製造業 テロによる交流事業の中止 ホストファミリーの説明会もすみあとわずかで来日という時に、あの世界を震わせたニューヨークテロ事件が起きてしまいました。もちろんその年の交流事業は中止となってしまい、提出した家族の写真も学校から戻ってきて大変なショックを受けました。 ミドルスクールの先生とメール交換 このことをきっかけにして、私はその引率予定だったA先生とメール交換を始めました。そして1年という時間があっという間に過ぎていきました。 交換事業の再開 A先生から、去年選ばれていた生徒2人(現在8年生)に新しく2人(7年生)が選ばれて、合計4人の来日が決まりましたとメールで連絡がありました。たしか2002年6月ごろでした。アメリカの人々の気持ちの中にもようやく希望がわいてきたころです。 もう息子は高校一年となっていました。ですから当然私たちはホストファミリーとして手を挙げる権利もないはずだと思っていました。 ホストファミリーに選ばれる ところが2002年夏の終わり、中学校からなんとか協力をしてほしいと電話が入ったのです。 4人を2週間受け入れするには、それぞれの家族の負担を考えてどうしても8家族は必要のようでした。しかし、なかなか集まらなかったそうです。親がいいと思っても生徒がいやだというケース、生徒と母親に気持ちがあっても父親がいやだというケース、お年寄りのいる家庭で話し合いがうまくいかなかったケース。 我が子の世話だけでも大変なのに、英語が話せなかったらうまくいくはずがないじゃないかとか、共働きをしているからそんな心の余裕ないなど、学校側がたくさんの家庭に声をかけても、このように断わられた理由はさまざまだったと聞きました。 最終的には、7年生の男子はあるファミリーが2週間引き受けることになりました。女子は1週間ずつふたつのファミリーが引き受けることになりました。8年生の男子B君は、前半を我が家の近くのファミリーが、後半は我が家にと決まりました。B君は去年私たちが引き受ける予定でしたので学校側の配慮を大変嬉しく受け止めました。8年生の女子も前半,後半それぞれをふたつのファミリーが引き受けることになりました。つまり4人の生徒に対し7家族が協力しました。 家族の反応 「ホストファミリーを頼まれたけどどうする?」と聞くと、家族全員の反応は、意外にあっさりとしたものでした。「お母さん、家族がひとり増えたっていいんじゃない?大して変わらないよ」と言われ、即学校へオーケーの電話をしました。その頃、我が家には長女とお婿さんと生まれて間ない孫が同居していました。一年で子どもたちの考えがこんなに変わろうとは思ってもいませんでした。 受け入れ側の心構えと不安 学校では、教育委員会の担当の方も呼んで、昨年同様受け入れる側の心構えというものをお話ししてくださったり、細かいところまで私たちの疑問、不安点についていろいろ答えていただきました。 *心構え お客さんではなく、家族のひとりとして扱う。 。 *私たちの不安 1)好ききらいもあるようだが食事のメニューはどうすればいいのか? 2)食事の量が分からない。 3)生徒の具合が悪い時にはどうすればよいか? 4)子どもと同じ部屋にしてもよいか? 5)お風呂はどうすればよいか? 6)洗濯物はどうすればよいか? 7)生徒が電話をかける場合の電話の支払いは? 8)休みの日にはどこに連れていけばよいのか?などなど…… *市や先生方からのアドバイス 1)できるだけいろんなメニューを少しずつ出してほしい。好きなもの、きらいなものは個人の紹介の紙に書いてあるものを参考にしてほしい。しかし、あまり気にしないでそれぞれの家庭のいつものかたち、方針をくずさないでやってほしい。 2)いつもの通りでいい。 3)アメリカの医療費は高いので、ほとんど市販の薬を用意しているはず。具合が悪そうな場合、言葉が通じない時はまず中学の先生に連絡をするか、市の通訳の方へ電話をして本人の状態をつかんでほしい。できるだけゆっくり家で休ませてほしい。 4)ぜんぜんかまわない。ベッドでも布団でもどちらでもよい。わざわざ新しいものは買わなくてもよい。かなり大きな荷物を持ってくるので、その保管場所を確保してほしい。 5)日本語が読めないので温度設定は適温にしておく。日本風に浴槽に入るかもしれないので、体を洗って入ることを教える。日本人は、家族が同じ湯を使うので入浴後栓を抜かないように教える。入浴時間は本人の希望を聞いておく。 6)汚れものを出すかどうか分からないが、出す場合はここに入れておいてほしいと最初に伝える。 7)アメリカでプリペードカードのようなものを買い、その暗証番号をつけて電話するから家の電話代に請求がくることはない。 8)学校側でも案があるのでそれに参加してもらってもよい。京都や奈良の観光地もいいが、亀岡の案内でもよい。例えば亀岡市内の大学の学園祭、華道展、あるいはいつもいくスーパーマーケット、カラオケ店、ボーリング場など。ふだんの日本の生活を見てもらうのもよい。 アドバイスと実際との違い *アドバイス こんなアドバイスもありました。アメリカでは、朝食は生のジュースを飲む人が多いし、飲む量、食べる量は日本人より多い。また、よほどプライベートな時間でないかぎりドアを閉めておくことはない。それからトイレのロックをしないのが普通なので、日本人がすぐに部屋のドアを閉めたり、トイレにロックをするのは不思議らしい。 *そこで私はメール交換を続けてきたA先生にこのことを聞いてみたのです。 すると…… 「確かに本人のプライベートな時以外は、私たちは部屋のドアを開けたままにしておきます。でも、トイレという空間は、プライベートなところなので、私はロックをしますよ」 「アメリカ人全員がアメリカのテレビドラマのような食事をしているわけではないです。ドラマは何でも大げさに表現しています。また、今回選ばれている生徒たちは、細い生徒ばかりだし、ダンスを習っていてダイエットをしている女子生徒もいます。皆さんと同じ量で大丈夫です。」 *私たちは、ふだんいろんな情報からその国の平均的な部分しか見ていないのに、それが全てだと思い込んでいるということを知りました。どこの国にもいろんな人がいていろんな家庭があるのが当り前なのです。このことを受け入れ前に学べたのは、ひとりの外国の生徒を1週間預かるという点で、非常にラッキーだったと思っています。いっぺんに緊張がとれたような感じがしました。 来日前のミドルスクールの先生 A先生からは来日が迫るにつれて、ちょっとした不安でさえも、親友の私には何でも書いてくれるようになりました。もちろん、私もそういうメールのやりとりをしながらホストファミリーの準備をするのが楽しくて仕方がなかったのです。 亀岡の中学の国際交流委員により制作されたビデオを見たのだが、トイレが自分たちのものと少し違うので……という内容もありました。 それは、たぶん、「ウオシュレット」のことだと思うのですが、見たことも使ったこともないそういうトイレをうまく使えるのだろうか?と不安になったようでした。また、「紙はどこにでも備え付けてありますか?」ということまで書いてありました。 そこで,私は、日本の各家庭によってトイレの様式は違うことや、お店のトイレにもいろいろな様式のものがあること、ほとんどの場所で紙が備え付けられているので大丈夫であることを伝えました。アメリカでもこのタイプのトイレが少しずつ使われるようにはなってきたようですが見たこともない人もたくさんいるようです。 来日 *スケジュール 10/22 関空着。亀岡市内のホテルに一泊 10/23 亀岡市内見学。亀岡市役所内の教育委員会表敬訪問。ウェルカムパーティー ホストファミリー宅へ 10/24 京都市内見学。亀岡祭り見学。市長表敬訪問 10/25 中学校へ初登校。姉妹校訪問 10/26 学校側が用意したプラン、マツタケ狩り、栗拾い、バーベキューなどに希望者は参加 10/27 各ホストファミリーとともに過ごす 10/28 中学校へ登校 10/29 中学校へ登校。ホストファミリーの交替 10/30 中学校へ登校 10/31 中学校へ登校 11/1 中学校へ登校。亀岡市主催送別会 11/2 学校側とあるホストフアミリーの方のご協力によるプランへの参加。希望者のみ 牧場で牛乳パックを利用した紙漉き体験、バターづくり体験など 11/3 各ホストファミリーとともに過ごす 11/4 各ホストファミリーとともに過ごした後、夜亀岡市内の宿泊先の温泉ホテルへ 11/5 市役所でお別れのあいさつ。関空出発 初対面 10/23、亀岡市役所の玄関に市役所職員の方々や学校の先生方と一緒に並んで拍手で迎えたあの瞬間は、 一生忘れられないものとなりました。なぜなら、私はこれから預かる交換留学生と会えただけでなく、テロ事件以来ずっと交流を続けてきたA先生に会えたのですから。教育委員会へ表敬訪問という緊張の時間でさえも私の心は一年間を振り返る余裕がありました。部屋を出て次のスケジュールへのほんのわずかな時間に、先生が私のところに駆け寄ってこられ「ほんとうにいろいろありがとう」と声をかけてくださいました。 ウェルカムパーティー 立食パーティー形式で歓迎会が行なわれました。交換留学生の名前とホストファミリーの名前が次々に呼ばれ前に出ました。私たちファミリーは留学生から「コスモスの花束」を受け取りました。亀岡にはすばらしいコスモス園があり多くの観光客で賑わいます。そこで摘んできたコスモスだったのです。 *B君の体調不良 さっきまでにこやかに話をしていたB君が急に席を離れたので大変心配をしました。しかし、しばらくすると元気を取り戻したようでほっとしました。アメリカから12時間ほどかかるフライトの間、緊張と興奮で睡眠不足だった彼は気分が悪くなったようです。私たちは1週間我が子として預かるわけですから、これからほんとに大丈夫なんだろうかと少しだけ不安になりました。 参観日(presentation) 10/29ホストファミリー交替の当日、彼らの授業を参観してみました。交換留学生たちがA先生のヘルプのもと、 スクリーンに映し出されるスティルウォーター市の風景、産業、ふだんの生活、学校や教育制度について英語で紹介し、日本の先生が通訳していくというものでした。この授業は全学年全学級で行なわれたそうです。 *教育制度はアメリカの場合、州によって異なります。派遣事業の延期の間に7年生は「ジュニアハイスクール」の8年生に進級。日本で言えば中学生に相当するのです。でも、こうした教育制度のわずかな違いにどなたも気がついていらっしゃらないことがとても不思議でしたので、私は来日前にA先生にメールで伝えました。以下はオクラホマ州の教育制度です。 教育制度 幼稚園(Kindergarten)5−6歳 小学校(Elementary School)6−11歳 1年生 6−7歳 2年生 7−8歳 3年生 8−9歳 4年生 9−10歳 5年生 10−11歳 中学校(Middle School & Junior High School)11−15歳 ミドルスクール 6年生 11−12歳 7年生 12−13歳 ジュニアハイスクール 8年生 13−14歳 9年生 14−15歳(freshmenともいう) 高校(High School)15−18歳 10年生 15−16歳(sophomoresともいう) 11年生 16−17歳(juiniorsともいう) 12年生 17−18歳(seniorsともいう) *高校までは入試はなく、生徒は1学年ごとに規定の成績を取れば進級できます。つづく。。。 (しばらくお待ちください。。。このように書いたままほったらかし。どれだけ経ったことか。しかし、今でも書けない理由があります。ホストファミリーに一度選ばれてからNYのテロ事件がありました。そして、この交流が成功した翌年の春には、こちらの中学生がアメリカへ行くことが決まっていました。ところがその一日前にも世界的な大きな事件が起こり、再び延期されたのです。争いやテロというあってはならないものが未だに起こっています。刻々と変化する世界情勢。こういうときこそ民間レベルでの交流を活発にして、世界中が平和であることを望み、知恵を出し合って仲良くしていかなければならないと思っています。 ショックから立ち直れない私。いつかはこの続きを明るい気持ちで書いてみたい。2005.3.5) |
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| バングラデシュ人民共和国 先日亀岡で花と緑のフェスティバルが開かれました。会場に入るとJICA(国際協力事業団)によるバングラデシュ人民共和国の紹介ブースが私の目に飛び込んできました。国名は聞いたことがありますが、どこにあってどんな国なのかほとんど知りません。東パキスタンから独立したことだけは覚えていましたが…… そこにはJICAの日本人スタッフの人たちと民族衣装を着たバングラデシュの男の人たちが4、5人いました。 まずは日本人スタッフの説明で国の位置を確認。地図で言えばインドの右にあります。 国名「バングラデシュ人民共和国」 1971年12月16日、東バキスタンから独立 総面積 144.000平方キロメートル 居住可能地域 133.910平方キロメートル 人口 1億3340万人 世界有数の過密国 首都 ダッカ 公用語 ベンガル語(国民の85%が使用) その他の言語 ビハリ語、ヒンディー語、ウルド語、英語 「ベンガル語」↑の各国のあいさつに三つだけ書いておきました。簡単なあいさつがブースで紹介されていました。表音文字。左から右へ書いていく。 宗教 イスラム教 88.3% ヒンズー教 10.5% その他 1.2% 産業 農業中心 主食 米(細長くバサバサしている) 気候 亜熱帯モンスーン気候 雨季と乾季がある。ベンガル湾に面しているためサイクロン(台風)の被害を受けやすい。高波が6mに及ぶことがある。 非識字率 男47.1% 女69.5% 1人当たりGDP(国内総生産)が364ドルの最貧国 貧富の差が激しい。一応教育が受けられるようにはなっているが、貧しさのため学校に行けず働く子どもの数が多い。配布されるはずの教科書も子どもたちの手元に届かず、途中で本屋に売り飛ばされることが多い。 *ブースでバングラデシュで日常使われているお鍋や、椰子の実で作られた楽器、バングラデシュの子どもたちが作ったという民芸品を見せていただきました。 私のフルネームをベンガル語で紙に書いていただきました。アラビア文字のようにも見えます。「生まれて初めてベンガル語の文字を見ました。とてもすばらしい言語ですね。」と話しかけると、バングラデシュの男の人が大変喜んでくださって、名前の下になにやら書き始めたのです。そして、私の手をひっぱって日本人スタッフのところに行き耳うちをされました。JICAの方からそれは「●●●●●●さんへ、バングラデシュを代表してありがとうこざいます」と書いてあるそうですよ、と言われびっくり! ほんのちょっとしたひと言がこんなにも喜んでいただけるなんて思ってもいませんでした。そこで私は、「これは私にとって宝物です。一生大事にします」とお礼の言葉。 プライベートの話になり、「子どもさんは何人ですか?」と聞かれました。「もうみんな大きいんですよ」と言うと、その方も「私にはふたりの子どもがいます。長男は医者。次男は大学生です」と。そして、名刺までいただいて、「ぜひ私たちの国に来てください」と言われました。どういうお仕事をなさっているのですかと聞こうとしたらJICAの方から、「この人は政府のお役人さんですよ。えらい方なんですよ」と言われ、またまたびっくりしてしまいました。そんな人たちとふつうに会話をさせていただけたなんて本当にラッキーでした。 彼らの顔だちは私たちがよく知っているインドの人たちと同じように見えました。民族衣装もほとんどよく似ているように思います。 ブースではバングラデシュのクイズもあり私の主人がトライしました。2問間違えたようですが、いろいろ質問をしたり、交流をしていたからなんでしょうか、好きな民芸品をどうぞと言われて「刺繍の壁掛け」をいただくことになりました。どの民芸品も日本のものとは大違いで安っぽい。どこかに落ちていたかのような針金がひもの代わり、裏には安物の紙のテープが貼られていました。きっと学校に行けない子どもたちがこういう仕事をしているのだと思います。 短い時間でしたが、ふだんはほとんど話題にもならない小さい国のことを知る機会となりました。最貧国であることも知りました。また、JICAの活動は「青年海外協力隊」ぐらいしか知りませんでしたが、40歳から69歳が参加できる「シニア海外ボランティア」や他にもいくつかのボランテイア活動があることも教えていただきました。 私たちひとりひとりにできる「国際協力」も幅広いものがあるようです。体験したり、知識を深めることも含まれています。私もこの機会にもう一度何ができるか考えてみたいと思いました。 写真はいただいた政府のお役人さんの直筆、刺繍の壁掛け、パンフレットです。 2003年5月 |
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| 韓国の青年 韓国の25才の青年が、東京の日本語学校での一年間の勉強を終え、帰国する直前私の家に遊びに来てくれました。社会に出てしまうとゆっくり日本語の勉強ができなくなるという理由で、大学の勉強をあと半年残しての留学でした。 東京の生活 大学生だから親のすねかじりで勉強をしたのかとばかり思っていたのですが、●●●新聞の寮に入り毎日朝刊と夕刊の配達、そして集金をして学費と生活費を稼いだそうです。その寮は外国人ばかりで自炊と聞きました。同じ日本語学校に通う友達もたくさんいたようです。 日本のイメージ 寮生活でも毎日異なる国の友達と接していた彼から聞いた話です。『ヨーロッパのある国から来た留学生が学校の教科書で勉強した日本は武士の時代。日本人はいつも着物を着ていると思っていたようで、現実は全く違うのでびっくりしたらしいよ』……信じられないようなことですが、世界には現代の日本がうまく伝わっていないところもまだまだ結構あるようです。 *三泊四日、まるで最初から私たちの家族のような青年でした。そこで、私は1日中思いつくことは何でも質問してみました。「日本はこうなんだけど、韓国ではどうなの?」と。どんな質問にも丁寧に答えてくれた彼に感謝です。以下紹介します。 年の数え方 赤ちゃんがお母さんのお腹にいる間もひとりの人間だから誕生すると1才。そしてお正月が来るともうひとつ年をとります。もし、その子が2002年11月生まれなら今2才というわけです。もちろん、赤ちゃんの場合は生まれて何ヶ月という表現もするそうです。彼は別れる直前にこう言いました。「僕は今日本にいるから25才だけど、韓国に帰ったら27才ですよ」と。 父親 時代の流れで韓国でも親子関係が変化しているのではないかと思っていたのですが、「ご両親へのおみやげは買わないの?」と聞いた時に「いや、僕は何でも衝動買いをするし、無駄遣いをするので、父から絶対買ってくるなと言われているのです。だから何一つ買ってないんですよ」……一つくらい買っていったら喜ぶんではないだろうか?それが親に対しての気持ちではないだろうか?と思ったのですが、父親の言葉には絶対に従わなければならないという韓国的な部分をかいま見ることができたような気がします。 長男 日本では、家を継ぐのは長男という考えは時代とともに薄れてきているようですが、韓国では「長男だから」という意識はまだかなり強いと感じました。「僕は長男なんです。帰ったらみんなのために頑張らなければなりません」と言った言葉が印象的でした。 本貫 同じ名字がとても多い国です。よく聞くのが、「キム、パク、イー、チェ、チョン」の五つの名字。これは「五大姓」と呼ばれていて韓国の全人口の半分くらいを占めているそうです。そうなると、例えばキムさん同士が会話をする場面も当然多くなるというわけです。 そこで同じ名字だった場合「本貫(ポングァン)はどこですか?」とたずねるそうです。 「本貫」とは始祖の出身地。「本貫」と「名字」が同じだと法律上は結婚できないそうです。戸籍にも「本貫」が記載されるほど重要だそうです。このふたつを聞くだけで、名家の出身だとか、先祖のことまで分かるということです。 お墓(山所=サンソ) 最近は火葬も増えてはいるがまだ土葬が多いそうです。また、墓地というのは「山」だ聞きました。亡くなると故郷のサンソにご先祖さまと一緒に眠るのが主流。経済的に余裕があれば「一山全部」を買って墓地にする人もいます。 暖房 昔からどこの家でも「オンドル」という床暖房です。都会のマンションでもどこでもオンドルだそうです。冬床暖房で室内温度が上がりすぎてクーラーを使ってしまうこともあるとか…… ベッドか布団 ベッドで寝ることを好む人もいれば床の上に布団を敷いて寝る人もいます。 入浴 昔は日本のように湯船につかることがあったそうですがほとんどの家はシャワーを使って入浴します。しかし、韓国の人も温泉好きであちこちの温泉地は賑わいます。 ワカメスープ ワカメスープを誕生日に飲むという話は6年ほど前無線の友達がよく話していましたが、今でも韓国では必ず誕生日にワカメスープが出てくるようです。 のり巻き 日本でいう「巻きずし」です。日本でも昔は何か行事があると必ず母親は朝早くから巻きずしを作っていました。運動会、遠足には必ず入っていました。彼が子どものころ、といってもそんなに昔ではないのですが、やはりお母様は必ず作ってくださったそうです。ごはんは日本のように酢を入れる人もあれば入れない人もいます。具は卵焼き、ソーセージ、タクワン、ほうれん草など。 遊び(日本でも都会の子はするかどうかわかりませんが) 靴を放り投げて天気を占うのは日本。韓国では、靴が落ちた方向へ向かっていくという遊び。 大きな葉っぱがあれば、手を握りしめたかたちで、その輪になった部分に葉っぱをのせて「パーン」と音を鳴らせて遊ぶ。日本と同じです。 草むらで草を束ねて友達をひっかけたり、穴を掘って落して喜ぶ。これも日本と同じです。 手の甲に水滴を垂らしてフッと吹いて水の飛ぶ方向へ歩いていく。 大学進学 彼が我が家に遊びに来る数日前、テレビで韓国の過熱する大学進学熱を取り上げていました。その通りだと知ってびっくりしました。 彼が高校生の時も、朝7時から夜7時まで授業。そのあとお弁当を食べて11時まで補習。それから塾に行って帰宅するのは0時とか1時だそうです。テレビの画面には塾の送迎バスで渋滞が起きている様子が映し出されていました。 ところで、大学、大学といってもそこにはどうしても「お金」が必要になります。 会社が負担する学費 ある程度大きな会社だと、高校時代もかなりの額を父親や母親の勤める会社で負担してくれるようです。彼の場合もそうで、現在お父様はご病気で介護が必要なため、お母様がおひとりで働いていらっしゃるのですが、彼と弟さんの大学の学費を会社が7割ぐらい負担していると聞きました。 *どんなことにも興味を持って明るい笑顔で私たちと接してくれた韓国の青年。 こんな手紙を置いていきました。 「ママ、パパ。大変お世話になりました。本当にありがとうこざいます。短い時間でしたが、私にとっては最高の時間でした。一生忘れられない思い出になると思います。」 京都は竜安寺、金閣寺、西陣織会館、二条城。また、兵庫県篠山市の歴史美術館や武家屋敷屋敷などを案内しました。写真の一枚目は竜安寺、二枚目は金閣寺です。 2003.6 ![]() :結婚していた彼 昨年のいつごろだったでしょうか、彼から「ママお久しぶりです。僕はあれから大学で残りの勉強をして、 長い間つきあってきた彼女と結婚しました。でも、就職はなかなか難しいです。さらにコンピューターの勉強を続けています。」 と連絡がありました。日本語が達者で大学も卒業していますが、それを生かす仕事、会社へ就職するのも大変なようでした。 あの頃は、まだ日本人が韓国の歌手に興味を持っている話はほとんどありませんでした。私の家族も最近は韓国ドラマに夢中です。ここに書いてきたことを日本人の多くがドラマや歌手を通して自然と理解してくれることを願う私です。 2005.3.5 |
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| 韓国旅行(2006.3.9−3.1) | |||
| 韓流ブームの最中に旅行 主人と2人新婚旅行以来の海外旅行。行き先は最初から韓国と決めていました。なぜなら無線の友人たちととチャットで出知り合ったあの青年に会いたくなったからです。 |
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