愛がない

   夕張岳
   ここは、それは素晴らしい花の宝庫でオンシーズンには写真家が大挙をなして
   訪れる事もあり、それはそれは賑わってる山ですが、、、残念な事に盗掘の跡が数知れず、
   登山道の脇には痛々しいえぐられた箇所が後を絶ちません。

   私が、山での携帯電話の所持を真剣に検討しだしたのも、
   「盗掘者を発見した時、携帯があれば、即通報出来て非常識な輩を捕まえられる」というのが
   きっかけでした。
   じゃなきゃ、基本的に山でわざわざ携帯を使う必要は“私的”には皆無です。
   (持ってれば、ツイ使ってしまいますけどね。) 
※現在は仕事柄必要不可欠となってしまいましたが、、、、。

   聞いた話では、普通の主婦が小屋の床の3分の1を埋め尽くす程の植物を
   採掘して警察に引き渡された事もあるそうです。(
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   山の花は、山にあるから美しい。そういう事が理解できない奴は是非、登山から
   足を洗って欲しい、、、と切に願います。
   山の花の美しさに魅せられたなら、何度でも足を運べば良いんです。

   例え、それが希少価値の有る花ではなくとも、摘み取られたり、踏み付けにされていい
   なんて、、、そんな訳がないじゃない!
   だから、理解できない人にはこういう例えをします。

   「貴方が摘み取ろうとしている花は、貴方の大切な、、、今は亡くなった方の生まれ変わりかもしれない」
   宗教的な話しになりますが(私は無神論者です、念の為。敢えて言うなら、古来の日本の文化、、、
   インディアンに近い、八百万の神々“全ての自然の中には神がいる”説を信じてるかな??)
   私は人の生まれ変わりを信じていて、しかも生前、縁の有る方の所に
   何らかの関わりを持って生まれ変わる、、、可能性が高いと信じてます。
   だから、摘み取られそうになってる花というのは、摘み取る側に“縁”があるかもしれない。

   花も悲鳴を上げるんですね。ちゃんと、耳を傾ければ、、、
   そういう声が聞ければ、自然は優しいし厳しい、、、というのが本の中のセンチメンタリズムではなく
   自分の実体験として体に刻まれるのに、、、と日々、残念でなりません。

   人は他の命を奪って生きています。
   人だけではなく、全ての生き物は同じです。同じハズなのに、自分だけの利益・不利益で
   他の命を奪うのは、悲しいかな人間だけなんですね。
   サボテンに感情がある、というのは一般に良く知られている話ですが
   毎日、同じ環境で育てた植物も、片方は「可愛いね、綺麗だね」と育てれば元気に綺麗に
   片方には、「お前は可愛くない、枯れてしまえ」と怒鳴りつければ本当に枯れてしまうのです。

   まるで人間と同じではありませんか!人間と同じなんです。
   なのに、どうして自分が人間だというだけで他の生き物を勝手に摘み取れるのでしょう。
   声がないから?では、貴方の舌を引っこ抜きなさい。
   声を失ったからと、貴方の命を誰が奪う?

   自分が生きる為に、他の命を喰らう。それは罪ではなく本能でしょう。
   最低限度の生き物としての常識の範疇でしょう。
   でも、山に登ると言う行為は?そこに私達の餌はない。
   でも、登る。私も登る。それは、もしかしたら、、、もしかしなくても罪かも知れない。
   だから、良く私が言ってる台詞に繋がるのです。【歩かせて貰っている】、、、、と

   愛がなければ、、、山は歩く必要がない。何故、貴方は山に登る??