羊蹄山滑落事故報告

山をやって来て、今回ほど腹立たしい事は無かった。
人に対してではなく、勿論、自分への怒りが収まらない、、、という感じで実は自分が許せない。
許せないけれど、きっとまた山に向かう私を仲間は許してくれるのだろうか。
大切な山仲間の命を、結果的に危険に晒してしまった己の稚拙さ。

隠そうと思えば隠せるけれど、それは私の望む所では無いし、同じ轍を踏む人間が少しでも減って欲しい。
だから、敢えて書くならここでしょう、、、と「怒れる」にUPする事にした。
今、松葉杖をついて、あたしは生きている。生きて美味い酒と美味いメシを喰らっている。
命はキラキラして、掛け替えの無いものだと、自分の幸せを噛み締めている。

命を賭けて、、、というより瞬間、何より体が真っ先に動いて私を助けに来てくれた仲間がいてくれたお陰で
私はここに存在出来る。私が出来る恩返しはなんだろう?今は何も出来ない。
滑落の現場でも私は無力だった。山は恐い。怖いけれど、優しくて、、、山をやっている人間も、、、皆、優しくて厳しい。

HYML(北海道の山ML)に報告をUPした後も様々な意見が行き交った。
私は、それらを真摯に受け止めて、自分の経験を決して美化する事無く、そのまま報告する事で、
山を通じて知り合った(これから知り合う)人達全てに、この事故を報告し続ける事で罪の払拭を謀りたいのかもしれない。
でも、仲間さえも危険な目に遭わせた、、、、という事実は消えないと思う。一生消えなくて良い。

 

羊蹄山で滑落しました。場所は墓地の沢ルートの最上部で傾斜が最もキツイ場所。40度近く感じました。
斜面が一番、斜度を増していた場所です。標高は1550m付近から1440mに掛けてと仲間の報告にあります。
標高差110m、距離にして約180mと思われます。転倒が滑落に結び付いた最大の原因は、着ていたウェアにあります。

レインウェア。

つまり人為的な原因です。自分の起こした事故です。
以前にも春や秋の羊蹄山はつぼで何度も登っており単独だったが故か、用心深い私は《危ない》と感じる場所では、
絶対にレインウェアは脱いでいました。でも、今回は何を考えていたかというと何も考えていませんでした。

事故、、、とはこういうふうに起きる事もあるんですね。一番、御粗末な原因だと思います。
頭の中から、危機管理がポカーンと抜ける瞬間です。
よくいえば魔が差した。生きているから言える台詞です。何故、脱がなかったか?と聞かれれば、答えがないんです。
単純に「濡れるから」とか言っていた気がします。

そして上部の斜度。斜度に慣れたとはいえ自分でも腰が引けていたのが分かりました。
私は高所恐怖症です。スキーも、子供の頃から親しんできていますし、コブ斜面でも悲鳴や雄叫びと共にかっ飛んで行くタイプですが
先が見えないような、、、ダイブするような感覚の斜面では、落ちる気がして恐くなってしまうのです。
札幌近郊のスキー場でも斜度28℃レベルが精々でした。

でも、事故の直前、私は羊蹄の釜の中を滑りました。結構な斜度があったにも関わらず、普通に滑れたし
その数日前には、旭岳の裏旭のクラスト&シュカブラ斜面なんかも滑れるようになって根拠の無い自信があったんだと思います。
でも滑り始めた羊蹄山は思った以上に急だった。

事故は11時過ぎ、上部でスキーで単純に転びました。最初は止まると思っていました。
見ていた仲間もそう思っていたそうです。

エッジをかけて、止めようとしましたがスピードが出だして板を軸に頭が下に向きました。
最初に「あ!」と思った瞬間です。後ろ向きに転がったのは、ザックの重さに引きずられたのだと思います。
体制を立て直そうにも板が邪魔してままなりません。

そうこうしているうちに、頭がまた上に来ましたがその瞬間、板が引っかかりゴロンと転がりました。
多分この時だと思います、同行の小山さんと角田さんが「まずい!」と思ったそうです。

私は、、、というとこの時、足をひねりました。痛い。瞬間、「折れた?!」と思いました。
一瞬、気持が萎えたけれど折れてはいないと滑り落ちながら自己確認。諦めちゃダメだと自分に言い聞かせました。
同じようにまた引っ掻けると骨折するかも、、、、と足を上げました。
小山さんが「足を上げろ!」と叫んだそうですが私には全く聞こえませんでした。

足を上げた瞬間に腹ばい状態になった為に一層レインウェアの低摩擦が要因になってスピードが増したんだと思います。
次に頭が上を向いた瞬間にストックで制動をかけようとしましたが腕がホルダーに通っているので、
片手で必死に外しました。死に物狂いで、雪に差しましたが雪質はザラメ。
刺さるわけもないし、所詮ストックです。全く止まりませんでした。

顔の前で、ストックに引っ掛かれた雪が上がって行くのがはっきりと見えるんです。
自分では、本気で“ブッ刺す”という感じでストックを刺していたつもりですし、斜面をなぞるというより、角度を立てて、
本気で抵抗したつもりでした。それでも体に引き寄せ様とすると、自分の体重やら落ちて行くスピードに負けて、体から腕が離れてしまうんです。

また頭が下を向き出した時、下の斜面が本当に良く見渡せました。
登って来た時の記憶で、暫くは何もない景色が頭の中に浮かび、(このまま行ったら死ぬな)と一瞬頭を過りました。
一番弱気になったのはこの時です。まだ、考える余裕もあった訳です。
でも、頭から落ちたら本気で死んじゃうかもしれない、、、。不思議と恐さはありませんでした。
頭から?足からなら助かるかもしれない。逆を向こう!

そこで、ストックだったか手で抵抗すると頭が上を向き、この時初めて、小山さんと角田さんが凄い勢いで私を追いかけて
来ているのが見えました。(し、、、死にたくない!)2人を見た瞬間、そう思えて、初めて叫びました。「止めてぇぇぇっ」
(二人は、あの斜面を殆ど直滑降だったそうです。じゃないと追い付かないぐらいに最期の方はスピードが出ていたそうです)

つぼで下山していた登山者の一名も、ザックを放り投げて傾斜線の方へ駈け寄って来て下さっていたそうです。
(止まったのを見届けて、その場を去ったそうですが御礼が言いたいです)

最初に角田さんがタックルして下さったそうですが回転して角田さんが上になる格好で2人とも頭を下にした状態で滑り、
今度は小山さんが下から入り込みスキーのエッジで雪面に抵抗して下さったそうです。

小山さんの足は、ガンガン、バウンドして弾かれ(止まるかのか!?)と不安になったほどだそうです。
(事実、小山さんのダイナスターの靴とディアミールは相性が悪くて「外れたどうしよう!」と思ったそうです)
3人でダンゴになってからも30メーターぐらい滑ったらしいです。全く止まる気配がありませんでした。
自分では、もう何もなす術がありませんでした。

(どうしよう、私のせいで2人も巻き込むなんて)絶望的な気分になった瞬間、、、角田さんが
「大丈夫!止まるから!止まる!絶対止まるから!!!」と叫ぶのが聞こえました。
この声に本当に励まされました。多分、この時も私は「止めてぇっ!」と叫んでいたんだと思います。(記憶が定かではありません)
時間が凄く長く感じました。
(でも下から支えていた小山さんは心底、本当に止まるんだろうか、、、、と不安で一杯だったそうです)

ゆるゆるとスピードが落ちてきたのが分り、最後にやっと何とか止まり、角田夫人と熊さんが下りてきて
ガチガチに絡まった3人をバラシテくれました。板やらストックやらが、凄く複雑に絡み合っていて、
解く、、、という感じだったんです。

小山さんが、真っ先に体の事を聞いて下さいましたがこの時点では何ともなく「大丈夫」と応えました。
ただ「少し膝をひねったかも」と。

自分で泣くかと思ったけど、ショックで涙も出ず震えも出ませんでした。
なんでか判らないぐらい冷静な気分でしたが、逆に動揺していたんでしょうね。
でも、さすがにスキーで下りるのは恐くてつぼで下りる事にしました。

角田さんが、スキーを持って斜度が緩む所まで下りて下さいましたが、どこまで下りても恐くて、
何度かスキーを履きましたが自分で腰が引けているのが判りました。曲がる度に、キックターンの度に、転びました。

「やまちゃん、荷物没収」と角田夫人が私のザックを担いで下さり角田さんが夫人のザックも担いで、
私が空身で滑り出してからようやく感覚を取り戻して、700メーター付近で自分で荷物を担いで滑り出しました。

単独じゃなくて、本気で良かったと思いましたし、一緒に行ったのが、スキーのエキスパートの小山さんと角田さんで
良かったと思います。じゃないと間違いなく死んでいました。

その日の夜の宴会で「同じ所を同じように滑れるか?」という質問に「絶対に無理だ!火事場の馬鹿力」と小山さんは笑ってましたが、
まぐれで出来るワザではないと思います。

林道を、スキーを持って歩き出してから膝が思ったより痛い事に気付きました。車が見えて、前島さんが来るのが見えました。
下山中も、「墓地の沢の終点は墓地だし、そのままお墓なんてシャレにもならないね〜」なんて言っていたのを思い出して
皆で墓地でラーメンを食べながら「お墓に入らなくて良かったね〜」なんて冗談を言ってましたが、滑落の瞬間を思い出したら
本気で恐さが蘇り、ここで初めて少し泣きました。

生きていて良かった。私よりも、助けに来て下さったお二人が生きている事に、そして一緒に自分も、生きている事で
今はただ感謝の気持ちで一杯です。大袈裟じゃなく、小山さんと角田さんに貰った命だと思います。
あそこで止めて頂けなかったら間違いなく死んでいます。滑ったのが他の誰かだったら、、、私には助けられなかったでしょう。

下山後、すぐに膝に湿布とテーピングしましたが内側にひねると激痛が走るため、翌日に倶知安厚生病院に行きましたが、
いらした医師は整形外科は専門じゃないらしく、取り敢えず固定という事でももから足の裏までギプスされました。

お恵さん、そして突然の電話にも関わらず病院の情報を親切に教えて下さった城田屋さんも、有り難う御座いました。

レインウェアじゃなかったら止まったか、、、は正直分りませんが、あそこまで加速はしなかったと思います。
加速していなければ、止まれたか、、、も正直分りません。また、どこでも滑れるようになった!という自己過信が
今回の事故の要因のひとつだと思います。
滑れても止まる技術がなければ、行ってはいけない場所があるという事を命を賭けて学びました。

一人で死ぬならまだしも、人の命を危険に晒してまで学ぶなんてとんでもないけど、
生きている事に今程感謝する事はありません。
滑落は簡単には止まりません。
私には、早過ぎた羊蹄山だったのできっと神様が天罰を下したのだと思います。命だけは今回、勘弁してやる、、、と。

また、山行部隊が二つに分かれたのも要因のひとつでしょう。つぼ足組が、別に登っており、食材を分担したが故
(メインの肉やら缶詰、鍋なんかがこちらが担いでいたので)何がなんでも行かなきゃ!というのが
正直あったと思います。でなければ、「御免!」で、下りていたかもしれません。前日は別口で危ない事件がありましたんで。

でも、私は反省はしても、懲りません。もっと修行を積んでから、絶対にいつか再戦したいと思います。