18【ヒッティング】
「我々は12時間後この『オペレーション・ホットハリケーン』を実施致します。」
米国大統領であるハードナーが、定例記者会見でこう高らかに作戦名を謳い上げている時、
東部方面特殊部隊・第三中隊は、その長かった待機任務から解き放たれようとしていた。
「こういったネーミングって誰が思い付くんでしょうね?」
「ああ、確か専門の部署が有るって聞いたぞ。」
ディスプレイに映し出されたニュースを見ながら、彼らは自分の荷物をまとめ始めていた。
「皆そのままで聞け!中隊長より訓辞が有る!」
岡島はそう言ってマイクを近藤に譲った。
「24時間の待機ご苦労であった、幸運にも我が第三中隊はこのミニ・ペンタゴンを無事出ることが
できる。本来なら36時間の自由時間が与えられる筈であったが、皆も知っての通り、南太平洋では
米軍の第七艦隊によるボギー1“イセ”へのオペレーションが実施されようとしている。
よって、我々東部方面特殊部隊も状況“イエロー”が発令された。残念ながら是により第三中隊の休暇は
12時間に縮小される。
今後は、20分以内に集合出来る範囲での所在に留意するように!以上!!」
こうして、ようやく第三中隊の24時間が終わりを告げた…筈であったが。
「新入隊員の袴田及び仁科2等陸士の両名は、残るように。」
その言葉で二人の足が止まった。
「…は?」
「両名には是より、新人研修の受講を命じる。」
狐に摘まれたような顔をした二人に、岡島が冷酷にこう告げた。
「受講拒否は認めん!」
だがその顔には意味ありげな笑みが浮かんでいた。
「岡島、貴様は二人を先に連れて行け。俺は本部に報告書を提出していく。」
近藤はそう言い残すと、東部方面特殊部隊本部のある建物へと向かって行った。
「さあ行くぞ!ぐずぐずするな!!」
先任曹長の声に命じられるまま、二人はカーキー色のワゴンに乗り込んだ。
「近藤2等陸尉、入ります。」
近藤はそう申告しながら目の前のドアを開いた。
「第三中隊、本日12:00時、24時間待機任務を終了致しました。待機中の異常無し、自傷事故無し。」
「…、ああご苦労さん。」
近藤の前のディスクに座っていた男が、彼の報告書を受け取りながらそう答えた。
「本来なら36時間の休暇だが、状況が状況だ。申し訳無いが、よろしく頼む。」
「は、了解しております。ただ、例の研修は予定通り実施致したいのですが。」
「…第三中隊恒例の新人研修…か。あまり好ましい慣習では無いが、致し方有るまい。
しかしこの状況下だ、なるべく短時間で終わらせる様に徹底してくれ。」
男は溜息まじりにそう許可を出した。
「ありがとうございます、では。」
近藤は敬礼をすると、部屋から出て行こうとした。
「そうだ、どうですたまにはご一緒に参加致しませんか?依田部隊長。」
「いや、遠慮しておくよ。自分はその手の“研修”は苦手でね。」
「そうですか、部隊長にも“命の洗濯”が必要かと思われますが…。その気になったらいつでも仰って下さい。」
「ああ、ありがとう。考えておくよ、それより近藤2尉、妙な噂を耳にするぞ。
講師にはあまり入れ込むな。」
「あ、いや…申し訳有りません。失礼します!」
近藤は慌てて踵を返そうとした、その時一人の男が依田の部屋に飛び込んで来た。
「どうした?副長。」
「は、市ヶ谷よりの緊急連絡です。」
「なんだ?状況に変化でも有ったのか?」
「米軍の原潜が“イセ“をロスト(失探)しました。」
「なんだと!!」
「これは、どういう事だ!」
サウザンドの艦長、レイモンドはソナー室からの報告に目を剥いた。
つい先刻までその巨体の位置を確実に捉えていたソナーが、突如見失ったと言うのである。
いや“見失った”と言うより正確には、イセの発する音源が消えたのであった。
潜水艦は元来“目”でなく“耳”で敵の位置を知るのである。
エンジン音、スクリューの回転音、様々な機械音等々、それらの音源を音紋として相手を特定し捕捉するのであった。
しかし今、アンノンであるイセはそのあらゆる音源を消した。
「この辺りに、温度躍層は有るのか?」
「水温感知ワイヤーでは確認していません。」
航海士の一人が水温センサーのディスプレイを睨みながら答えた。
温度躍層、海水温の差が産み出す音の反射層である。この水域に入ると音が探知されなくなる事は
潜水艦乗りにとって常識であった。
「動力を止めたのか?」
それは、意図的にサウザンドの追尾を振り切ろうとする意志の現れである。
レイモンドは今度はこちら側が捕捉されている事を恐れ始めた。
「ソナー、アクティヴを打て!敵を探知しろ!!」
ピン!
艦首から探査音波が射出され艦内には独特の高周波の音が響いた。打ち出された先に敵が居れば、
即座に音波が帰ってくる筈であった。が、
「アクティヴ、感有りません!!」
ソナー室から悲鳴のような声が聞こえた。
「潜舵下げ角一杯!機関全速!取り舵回頭180度!」
サウザンドは狂ったように降下を始め、その傾斜を保ったまま素早く回頭していった。
「深度600!回頭180度完了!」
「面舵一杯180度!深度800へ!!」
艦はジェットコースターの様に右に左にうねりながら、深く深く潜航していった。
「くそったれ!“クレージー・イワン”をこんな所でやる羽目になるとはな。」
レイモンドは発令所の手摺りにしがみ付きながら次々とターンの指示をしていた。
「ロシアの原潜乗りの苦労が判りましたね。」
この過激な回頭運動は、かつてロシアとアメリカの原潜が世界中の海底で鬼ごっこを繰り広げていた時、性能に劣るロシア原潜が、アメリカの原潜を振り切る為開発した戦術の一つであった。
追尾してきた原潜の鼻先でこのターンを行うと、アメリカ艦は衝突回避のため急停止するか、方向転換を
余儀なくされる。その時生じるスクリューからの泡が破裂し大きな音を立てるのである。
静粛性に優れたアメリカ艦を探知するには、その一瞬を捕らえるしか無かったのであった。
今、まさにサウザンドとイセはその鬼ごっこを行っているのであった。
「ソナー、近くに居るはずだ逃がすな。」
繰り返される回頭運動で艦首のソナーは全方位を探索する事が可能となる。
クレージー・イワンのもう一つの御利益である。
レイモンドはその御利益に賭けた。
「…あ、待って下さい。…いま感有りました!」
よし!彼は決断を下した。騎兵隊が駆け付けるのを待っていてはこちらが危ない。
ゴングは既に鳴らされたのである。
「方位測定!魚雷発射準備!」
「方位…う、上?本艦の頂上すぐです!!」
「なんだと?!…」
|
ガ・ガァーンンン!! |
次の瞬間、サウザンドの艦体は大きく揺れレイモンド達は床に叩きつけられた。
原子炉は自動的に緊急停止され艦内の照明が消えた、やがて非常用電源に切り替わり
薄暗い明かりがともされた。
「一体何事が起こった?各部被害状況を知らせろ!」
副長に支えられ起きあがったレイモンドは、この状況を一刻も早く把握しようとしていた。
「艦首ソナー室及び魚雷室異常なし、浸水有りません。」
「原子炉制御室、異常なし。」
「各部損傷認められず、異常なし。」
それらの報告にレイモンドは、一息ついた。
だが、敵はどこに居る?今度はこちらが攻撃する番である。
その時上部外郭を押し潰すような音が響いてきた。
「艦が沈降しています。現在深度850、870…900。」
繰舵員の悲痛な声が聞こえてきた。
「メインタンクブロー!沈降を止めろ。」
圧搾空気がタンクに送り込まれ海水を吐き出した。だが、
「止まりません。深度950。」
「なんだと、艦体に異常が無いのに?どういうことだ。」
ギギィ…
また、外郭から異音が聞こえてきた。それはまるで何かが外郭に爪を立てているかの様な音であった。
「…まさか…。」
レイモンド達は背中が冷たくなるのを覚えた。
艦はアンノンに覆い被さられ、その外郭には両側から触手が伸びガッチリと押さえ込まれていた。
サウザンドはその質量に耐えきれず、深く深く沈んでいくしかなかったのであった。