日本人として生まれて憧れの大軍師たちミステリー好き吾亦紅日記(累積版)

 

Top Page

日露戦争年表

日本は、軍事大国、帝政ロシアに勝ち、アジア民族の国家として初めて列強国の仲間入りをしました。日露戦争の勝利は、当時、欧米列強の植民地となっていたアジア諸国の人々に大いなる自信を喚起し、帝政ロシアの圧制に苦しんでいたロシアの周辺諸国にも歓喜をもたらしました。日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊に完勝した東郷平八郎・連合艦隊司令長官は、日本のみならず、世界の海戦史上に惨然と輝く英雄として、いまなお尊敬を集めています。

開戦前、帝政ロシアは、満州を占領し、さらに朝鮮半島をも侵略しようとしていました。喉元に匕首(あいくち)を突き付けられた日本は、ロシアとの外交交渉により、事態の打開をはかろうとしましたが、日本の国力を軽視していたロシアはそれには応じず、やむなく国交断絶、開戦へと突入しました。超大国との戦いに踏み切った新興国、日本がいかに、薄氷踏むがごとき思いを持って、国家存亡のために戦ったか、そして最後には外交努力によって、いかにこの戦いを終息させたか、後世の私たちが先人の姿を振り返ってみることは現在においても大いに意味のあることだと思います。

注目のサイト「大和魂」が開設されました!

年月日
海軍
陸軍
軍令部長:伊東祐亨
参謀総長:大山巌(開戦時)
参謀次長:児玉源太郎 (開戦時)
明治37年(1904年)
2月4日
国交断絶と開戦を決定(緊急御前会議)
2月5日
近衛師団、第2師団、第12師団に動員令
2月6日
連合艦隊(第1・第2艦隊、東郷司令長官)、旅順口、仁川に向けて佐世保港出港
2月8日
先遣隊、仁川港上陸
2月9日
仁川沖海戦(第4戦隊)
2月9日
旅順攻撃(連合艦隊主力)
2月10日
宣戦布告
2月14日
旅順攻撃(連合艦隊主力)
2月23日
第一回旅順口閉塞作戦
第1軍先鋒(第12師団)、仁川上陸
第1軍主力(近衛師団、第2師団)、宇品港出港
ロシア旅順艦隊にマカロフ司令長官就任
3月27日
第二回旅順口閉塞作戦。広瀬武夫少佐、戦死
4月12日
マカロフ司令長官戦死
5月1日
鴨緑江渡河作戦(第1軍・黒木軍司令官)
5月3日
第三回旅順口閉塞作戦
5月5日〜13日
第2軍主力、塩大澳上陸
5月15日
戦艦初瀬と八島触雷沈没
5月26日
南山攻略戦(第2軍・奥軍司令官)
5月30日
大連無血占領(第2軍)
旅順攻略のため、第3軍編成(乃木軍司令官)
6月15日
得利寺戦(第2軍)
6月23日
旅順艦隊、旅順港出港(ウィトゲフト司令長官)

6月26

旅順要塞攻略(第3軍)

6月30日
独立第10師団に後備歩兵第10旅団を加えて、第4軍編成(野津軍司令官)
満州軍総司令部編成(大山巌総司令官、児玉源太郎総参謀長)。参謀総長は山県有朋、参謀次長は長岡外史が引き継ぐ。
7月15日
大山と児玉、大連上陸
7月25日
旅順要塞攻略(第3軍)
8月7日〜24日
第1回旅順総攻撃(第3軍)
8月10日
黄海海戦(旅順艦隊、惨敗)
8月14日
蔚山沖海戦(第2艦隊、ウラジオ艦隊を壊滅)
8月24日〜9月4日
遼陽会戦(第1、第2、第4軍)
9月19日〜23日

第2回旅順総攻撃(第3軍)

10月8日〜17日
沙河会戦(第1、第2、第4軍)
10月15日
バルチック艦隊、リバウ港出港(ロジェストヴェンスキー司令長官)
10月26日
第3回旅順総攻撃(第3軍)
11月16日
第4回旅順総攻撃(第3軍)
11月30日の翌日
児玉源太郎、第3軍司令部到着。203高地攻撃指揮
12月5日
203高地占領
明治38年(1905年)
1月1日
旅順陥落
1月25日〜28日
黒溝台の戦い(秋山支隊、第8師団)
2月20日〜3月10日
奉天会戦(第1、第2、第3、第4軍、鴨緑江軍)

4月21日

講和条約大綱、閣議決定
5月1日
樺太作戦開始(第13師団)
5月27日〜28日
日本海海戦(バルチック艦隊、撃滅)
8月10日
第1回講和会議(米ポーツマス)
9月5日
講和条約調印
10月14日
講和条約批准

*赤字は政府の動き(内閣総理大臣:桂太郎、外務大臣:小村寿太郎、海軍大臣:山本権兵衛、陸軍大臣:寺内正毅)

 

Copyright 2003 Yamatonadeshiko All Rights Reserved.