日本人として生まれて憧れの大軍師たちミステリー好き吾亦紅日記(累積版)

 

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【No.26】イラク人質事件意識調査
2004年4月18日(日)

本日の産経新聞7面に、「イラク邦人人質事件」に関する意識調査結果が掲載されていました。結果は次のとおりでした。
(産経WEB上での調査。回答者数 31295人)

●退避勧告が出ているイラクに入国した行動は適切だったか

 YES → 6%  NO  → 94%

●犯人側が要求した『自衛隊撤退』を拒否した政府の姿勢は評価できるか

 YES → 93%  NO  → 7%

政府の姿勢に賛意が多いのは、産経新聞の調査だからかと思い、朝日新聞の調査結果も調べてみました(2004.04.17付朝刊)。

●今回、自衛隊を撤退させなかった政府の方針
 正しかった    73
 正しくなかった  16
 その他・答えない 11

 ●今後の自衛隊派遣
 派遣を続けるべきだ 50
 撤退すべきだ    32
 その他・答えない  18
   
 <調査方法> 朝日RDD方式で千人目標の電話調査。対象者の選び方は無作為3段抽出法。有効回答数は820件で、回答率は48%。

朝日新聞が行なった調査では、政府の方針を支持する割合は、産経新聞の調査よりも低いものの、73%と過半数を大きく上回る数字でした。

昨日の夜、放映されたTBSの「ブロードキャスト」の調査結果でも、政府の方針を支持するは、朝日新聞の調査結果とほぼ同じくらいでした。ただし、支持すると答えた人の半数以上は、「結果がよかったから支持する」と答えていて、もし人質が今回のように無事解放されていなかったら、政府の方針に反対と答えていたと推測されます。

とはいえ、日本人の大半は、実際に、政府の方針を支持すると回答しているわけです。すでに国政選挙を通じて、国民は左翼主義に「NO」を示していますが、今回の調査を通じて、国民大半の意識と左翼主義的一部マスコミの唱えていることとの乖離がここにあらためて露呈されました。この結果を見て、これまで反日的、反政府であった一部マスコミが、今後どのような態度をしめすか注目していきたいと思います。

左翼主義者は、かくのごとく「圧倒的少数派」にすぎないのに、マスコミと教育現場が、左翼主義者に牛耳られているといういまの日本の状況は正されなければならない。

人質の家族の言動に不快な思いをした一週間でしたが、意識調査を通じて、大半の日本人はまともな感覚をもっているのではないかと認識できたのは収穫でした。

<付記>

さきほどの朝日新聞の調査では、「米国のイラク政策には71%の人が「評価しない」と答え、今年1月の63%から増えた。「評価する」は1月の21%からほぼ半減し、12%となった。」というのもありました。

【No.25】イラク人質事件
2004年4月14日(水)

 イラクで人質になっている三人の日本人の家族の声明が、産経新聞(2004年4月13日付)に掲載されているのを読んで、ものすごい違和感を感じました。家族が、異国の地で人質となり、精神的にも肉体的にも大変な状況にあるのだろうとは思いますが、それでも変だと言わざるを得ない。この人たちは日本人なのだろうかと首をひねってしまいました。

(アルジャジーラ放送により「拘束者三名の二十四時間以内の解放」という報道を確認して)
「言葉にできないほどの安堵感を感じています。われわれの家族の解放に尽力いただいたアルジャジーラとイラク・ムスリム・ウラマー協会をはじめとする世界中の仲間に対して心からの感謝をささげますと同時に、あらためてこのような混乱を招いたことをおわびいたします。(中略)
  引き続きわれわれは自衛隊の即時撤退とイラクからのすべての武力の廃絶を訴え続けます。即刻の停戦を求めます。
 同時にわれわれは継続してイラクをはじめとするアラブ諸国の皆さまとともに平和な社会を目指したいと考えております。
 また、解放の速報以前にワールド・オファーより配信された「怒り」「わが国の自衛隊もこのために派遣されているのです」という表現を配信前に削除することを要求しました。削除することができないなら放送の中止を求めました。
 繰り返します。われわれは継続してイラクをはじめとするアラブ諸国の皆さまとともに平和な社会を目指します」

人質解放に尽力してくれたと感謝している対象が、「アルジャジーラとイラク・ムスリム・ウラマー協会をはじめとする世界中の仲間」になっていますが、解放に最も尽力しているのは日本国政府ではないでしょうか?確かに、日本国政府の危機管理能力は全面的に信用できない部分もありますが、日本国政府が発行するパスポートがなければ、海外では日本人の生命が保証されないにもかかわらず、日本国政府をないがしろにしている態度に疑問を感じます。また、「平和宣言」をすれば、平和が訪れるという楽観的な錯覚に愕然としました。力のバランスによって平和を保つという国際社会の常識とあまりにもかけはなれています。

とにかく、なんともいえない「もやもや」した気持ちにとらわれてしまいましたが、同じ日の「産経抄」を読んで、少しすっきりしました。家族の態度に「違和感」を感じているのは、私だけではないみたいです。いまは、国民の意識変革も問われているように思われます。

さて、この事件について、主要新聞社の社説を読み比べてみました。
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm

産経新聞と読売新聞は、「人質事件と自衛隊撤退とは分けて考えるべきだ」、「テロに屈しない」という主張で、日経新聞もこれとほぼ同じような論調になっています。朝日新聞は、

「人質解放への手掛かりをつかみかねている日本政府としても、停戦の継続と米軍の行動の自制を米政府に強く迫るべきである。それが事件解決への環境づくりになるはずだと考えたい。
 小泉首相と会談したチェイニー米副大統領は、人質事件の解決への協力を表明した。首相は「米国の大義と善意を確信しており、だから支持してきた」と述べたというが、イラク情勢の悪化を防ぐことが人質解放につながることをきちんと伝えたのだろうか。(2004.4.13)」

と、矛先を他国(米国)に向けて、自立した国家たる日本のあり方についての主張が見えません。毎日新聞の論説は、何を主張しているのかさっぱり理解できませんでした。

【No.24】日本国、そしてアジアの行方
2004年1月4日(日)

昨年末、ようやくスリランカを訪問することができました。スリランカに友人がいて、15年くらい前から、「一度、行かねば」と思いつつ、無為に年月を過ごしていました。

スリランカで一番印象に残ったことは、仏教が人々の生活に根づいていることでした。日本でも、葬式などで生活に根づいている部分がありますが、スリランカでは、信仰の対象として、生活の一部に定着しているようでした。日曜日にコロンボにある寺院を訪れた時、白い制服に身を包んだ子どもたちが大勢いて、日曜学校で仏教の教えに耳を傾けていました。そして、寺院のまわりには、大勢の人々が参拝にきていて、そこかしこに熱心にお経を唱えながら、お祈りをしている人々がいました。多くの一般の人々の眼が、素朴で純真に見えるは、仏教を心の底から信仰しているからなのだろかと思いをめぐらしたりしました。私の友人も、日本で交友があった時から、言葉の壁を越えて、一番心の許せる存在でした。

次に、印象的だったのは、長くこの国の首都であったコロンボの街並の貧しさでした。今回の訪問で充分、コロンボの街を見学することはできませんでしたが、それでもこれでは近代的国家とはいえないのではないかというほど、建築物が整備されていませんでした。むしろ、英国の植民地時代の方が、英国人の手によって建物が整備され、街が活発だったのではないかと憶測したりしてみました。英国による植民地時代のなごりは、一流ホテルのレストランの従業員の洗練されたマナーに見ることができました。

この国は、ある意味で、英国植民地時代の遺産によって、成り立っている部分(紅茶やスパイスの産地、リゾート地、英語による高等教育など)があり、もし英国の植民地になっていなかったら、現状から推測すると、もっと近代化が遅れていたかもしれません。さらにもし、この国が、英国ではなく、日本に統治されていたならば、街並も鉄道・道路など交通機関も、教育制度、産業などもいまよりもっと発展していたかもしれないとも考えてみました。

シーギリヤロック

 シーギリヤロック

しかしさらに、島の中央にある、いわゆる文化三角地帯を訪れ、歴代の王朝が遺した建造物などを眺めていると、この国の民族が文化的に決して劣っているわけではないことを認識することができました。断崖絶壁の山の頂上に王宮があったというシーギリヤロックから地上を見下ろしてみると、美しい水路が見えました。これだけのものを短期間に築造するだけの技術とシステムをもつことができた民族なのだと、いにしえの姿に思いを馳せたりしました。

これまで、スリランカの旅行記を書いてきましたが、私がここで述べたいことは、これからの日本とアジアの行方です。台湾出身の評論家、黄文雄さんが、日本による植民地支配が良かったと評価する根拠は、日本に統治された国々のその後の発展にあるという趣旨のことを書かれていたと思います。実際に、日本に統治された台湾と、英国に支配されたスリランカを訪れてみて、その両者の違いについて考えざるを得ませんでした。支配される側の民族の優劣ではなく、その国を支配する人間(支配される側と同じ民族であるなしにかかわらず)の志の高さとそれが実際にはたらくシステムによって、その国の行方は左右されるのではないかと思います。

私は、明治生まれの大叔母に、小さい時から「国家百年の計」ということを教わってきました。当時の私は、食糧の備蓄と教育ということがまず頭に浮びましたが、その後、いろいろな教えを受け、もっとグローバルで壮大なビジョンが浮かび上がってきました。先の大東亜戦争は、白人の植民地支配からの解放という人類史的に重要な意味をもった戦いで、それを一国で遂行しようとした日本は敗戦により我が身は衰弱してしまいましたが、結果的にその目的を果たすことができました。

次の使命は、偉大な精神文化を引き継ぐわれわれアジアの国々が大同団結し、白人たちと対等な地位を築きあげることです。そのために、日本人は、かつての日本人のように誇り高い民族とならなければなりません。いかに私たちの祖先が、アジアの国々のリーダーとしての自覚をもって、志高くアジアの国々の発展に尽してきたか、楊素秋さんの『日本人はとても素敵だった』を読んで、ぜひみなさん知ってください。

【No.23】『日本人はとても素敵だった』2003年12月28日(日)

「台湾はとても親日的」と言われていますが、そう言われてもどうして親日的なのか、いままではピンと来ないところがありました。しかし、楊素秋さんの『忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景ー日本人はとても素敵だった』(桜の花出版)を拝読し、ようやく理解できたように思います。

かつての台湾の人たちは、「日本人」として教育を受け、「日本人」としての感性をもっていたのです。楊素秋さんの世代の台湾の人たちのお話を伺っていると、いまの私たちよりも日本の歴史、日本の文化に詳しく、まさに日本の伝統的精神を生きているという感じを受けます。以前、台湾人のおじさんが、日露戦争時に活躍した日本人の軍人、秋山好古・真之兄弟について語っているのを伺った時、この方がまるで自国の英雄について語るように話をされていたのに驚きました。「えっ、日本人そのものじゃないか!」と大変な衝撃を受けました。「私も駆け寄っていって、この方といっしょに話をしたい!いっしょに日露戦争について語りたい!」という衝動に何度もかられました。異国の地の人と思っていた人から、このようなお話が伺えるとは思いもよりませんでした。

前回、「グローバルな日本人」という文章を書きましたが、これは、日本人の感性を持つ人が、いまの日本の国土の外にも存在していたという認識からも来ています。民族は違っても、ひとつの国の国民として、かつて運命を共にした人々がいたということを、いまの日本人はもうほとんど知らないこととなっていると思います。ましてや、日本人として教育を受けた台湾、朝鮮などの他の民族の人たちが、「日本人はとても素敵だった」と尊敬の念を抱いてくれているなど、想像もできないことでしょう。でも、本当に、そのような方たちが存在するのです。そして、本当に、かつての日本人は尊敬に価する民族だったのです。

どんなに歪んだ歴史教育でいままで洗脳されていても、日本統治時代を生きたこの台湾の女性の生の声を読めば、それまでの歴史認識をあらためざるを得なくなるでしょう。頭ではなく、心が、自分の日本人としての感性がそれを受け入れざるを得なくなるんです。そこに、否定することのできない歴史の真実があります。

『忘れ去られようとしている日本国という名を持っていた台湾人の心象風景ー日本人はとても素敵だった』(桜の花出版)

【No.22】グローバルな日本人 2003年12月1日(月)

私が、ものごころがついてからというもの、「日本人というのは日本のことしか考えていない。世界というものを知らない。井の中の蛙だ」というようなことを言われていたような気がします。日本人の島国根性というような言われ方もしていました。それで、すっかり私は、日本人ってそういうちっぽけな国際感覚の欠落した人種なんだなと思い込んでいました。

しかし、幕末から大東亜戦争敗戦に到るまでの日本人の足跡を追ってみて、これまでの日本人観が誤っていたことに気づきました。少なくとも、敗戦以前の日本人には当てはまらないということを知り、目から鱗が落ちるような思いがしました。

戦前の日本人というのは、自分一国さえ平和でいれば安心だなどと考えてはいませんでした。自国の安全は自分たちで護るという気概を持ち、さらに自国の安全保障のために、政情不安定な隣国の政治に、首を突っ込み、口を挟み、手を差し伸べ、そのために、あげくの果てには、大陸の超大国(清国・露国)との戦いに挑んでいきました。

帝国主義時代というのは、白人がアジア人種を搾取し、日本人も白人をまねてアジアの地を植民地化し、同じアジア人から搾取しようとしたという負の面ばかりがいつも強調して語られます。でも本当にそうなんでしょうか? 台湾・朝鮮・満州の地をなぜわれわれ日本人が領有あるいは積極的に関与することになり、そこで何を行なおうとし、実際に行なってきたのか、いま一度理性的に見つめ直してみたいと思います。

いま「国際化」ということがよく言われ、海外の情報もいまの方が速く、しかも大量にはいってきているのかもしれませんが、国際感覚は、よきにしろ悪しきにしろ、さまざまな人種が東洋の地に入り乱れていた戦前のほうがあったのではないかという気がします。いや、生存のために持たざるを得なかったといえるでしょう。大陸や太平洋の広い地域を治めていた戦前の日本人はいまより間違いなくグローバルだっただろうと思います。

【No.21】第43回衆院選 2003年11月10日(火)

第43回衆院選が終わりました。日曜日の夜は、衆院選の速報番組を観るために、ずっとテレビの前にはりついていました。それにしても、刻一刻と入ってくる投票結果に気持ちを集中したいのに、民放各社の番組は、ゲストを呼んで、話をしたりしてうっとおしいので、途中で、NHKにチャンネルを変えてしまいました。

この選挙速報の時というのは、ふだんマスコミに登場しない議員の消息が確認できるので、ここぞとばかりチェックします。またこの時くらい、政党の勢力状況が把握するのにいい機会はないので、つい夢中になってしまいます。

結局、自民・公明・保守新党の連立与党の「絶対安定多数」という結果になりましたが、自民党は公示前の議席より10議席失い、保守新党にいたっては、5議席失って、1桁台の4議席となり、昨日、解党・自民党への合流が報じられました(共産党・社民党の凋落ぶりについては、何をかいわんをや)。

一方、民主党は、政権奪取には遠く及びませんでしたが、都市部を中心に躍進し、比例代表では、自民党を抜いて、第1党となりました。これは看過することのできない点です。自民党の小泉総裁は大いに危機感を抱くべきでしょう。

いまマスコミでも騒がれていますが、日本の政治もいよいよ「二大政党の時代」が到来するであろうと、期待がますます高まってきました。いまやがたがたになってしまっている日本のバックボーン(国家としての理念)を再建するためにも、政権担当能力をもつ大人の政党としての野党の成長が望まれます。

 

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