| 参 考 |
築山古墳の北側に位置する丘陵の頂上に築造された円墳で、児童公園の一部として保存されており、以前は「児童公園古墳」と呼ばれていましたが、2002年の調査で「かん山古墳」と呼称が変更されました。二段築成ですが、雨で表土が流された際に一段目上部で6本の円筒埴輪列が露出しました。「大和高田市遺跡分布調査報告書」ではこの埴輪列をたどると北部分が大きく崩れているように思えるとされていますが、北側に前方部を持った帆立貝式古墳ではないかとの意見(改訂大和高田市)もありましたが、2002年の範囲確認調査で円墳であることが確認されました。築造時期は、出土した埴輪から5世紀前半には遡るとされています。二段築成の墳丘の上部は人為的に盛り土され、下部は地山を削り出していました。
墳丘に葺き石はなく、テラスに円筒もしくは朝顔形埴輪が立てられていました。
ほかに盾や家形埴輪の破片が出土しているので、器財埴輪も立てられていたようです。 |