『映画「指輪物語」雑感』(2002.3.3)
『ン/韓国語のリズムとビート(1)』(2002.4.30)
『ン/韓国語のリズムとビート(2)』(2002.5.2)
『この空は君のもの』(2002.5.14)
『“群像系”ドラマ(1)基礎編』(2002.5.31)
『“群像系”ドラマ(2)詳細編』(2002.5.31)
『“群像系”ドラマ(3)応用編』(2002.5.31)
『“群像系”ドラマ(4)おまけ』(2002.5.31)
『通過旅行』(2002.9.4)


『ン/韓国語のリズムとビート(1)』(2002.4.30)
 いつだったか、TVかラジオで「韓国ではダンスミュージックが人気です」というコメントを聞いた。
 それは、大学の研究室の調査旅行で韓国を訪れた直後(1999年の後半)ぐらいの時期だったと思うのだが、そのコメントがどういった文脈で僕の耳に入ってきたのかは、もう記憶の中で霞んでしまって定かではない。でも、はっきりと覚えているのは、その時「ああ、確かに韓国の街角で流れていたのはビートの効いたダンスミュージックだったなあ・・・」と頭の中でカチリと何かが噛み合ったような感じがしたことだ。
 それからしばらく経って、今度は「韓国語はラップに合うんですよ」という言葉を耳にした。その時も、僕の頭はカチリと音をたてた(あくまで比喩的な意味で)ように思う。当時は、J-POPに対してK-POPという括りで韓国のポピュラーミュージックが日本でも紹介されだした頃で、こうしたコメントも韓国の音楽の流行を語ったものであったのだが、僕はここに「韓国(文化)」のではなく、より狭義で、より即物的な文化「韓国語」の影響があるのではないかと思った。
 ダンスミュージックとラップ、それはどちらもビート(あるいはリズム)が強いジャンルであると言える・・・

 さて、言葉でリズムを表現しようとするとき、もっともポピュラーな言い回しは“タンタタタン”というような言い方ではないだろうか。これは別に“テンテケテン”でも“チントンシャン”でも構わないのだけれども、その中で共通する言葉が“ン”である。口をつぐむ(息を止める)“ン”が、他の音の流れをそこで遮ることで、リズムというものが表現されている。
 この日本語の“ン”に相当する音が、韓国語には3つもある。発音記号では“n”“m”“ng”と表わされるこれらの“ン”は、韓国人にとっては当然明確に区別される音であるわけだけれども、母国語の音の数が世界的に見ても極端に少ない日本人の耳には“ン”あるいは“ム”に聞こえる。(例えば、キムチのムは、母音のない“m”音で、正確に言うとムよりもやや“ン”に近い)こうした言葉の中でリズムを発生させる“ン”音の多い韓国語は、必然的にリズミカルにならざるを得ない。
 ただ、そういった意味でリズミカルと言えるのは、なにも韓国語だけではない。お隣の中国でも、同様に“n”“ng”音が区別されていて、日本人から見るとリズミカルな言葉であるといえる。ここで韓国語と中国語を隔てているもの、それは、音のイントネーションの違いである。韓国語は、日本語と同様に比較的抑揚が少ないのに対して、中国語のイントネーションの乱高下はすさまじい。大学時代、中国語のクラスをとっていた僕は、発音練習と称して、奇声のような高い音や、発音するだけで吐いてしまいそうな低い音を何度も発声させられた。そういった多彩なイントネーションを持った音の組み合わせによる中国語は、それ自体で既にメロディをもった歌であるとも言えてくるのであるが(これは多分に日本語からみてという視点においていえることである)、対する韓国語は、極端に言えば抑揚のない低い音で構成される。(僕は、日本語の標準語に対する方言(例えば、東北弁)の感じに韓国語は近いように思うのだが、韓国にももちろん方言があって音の高低は様々だろうから、単純に定式化できる話ではない)
 先に、「リズム」ではなく、「ビート」が強いという言い方をしたダンスミュージックやラップが韓国語と親和性があるのはこの点においてである。曲の表層でメロディを掻き鳴らすギターではなく、その背後で曲の進行の基底をなすベースのような重低音、それが韓国語なのだ。だからこそ、リズムがあるのにメロディが希薄なラップが韓国語によく合うのであり、逆に言うと、中国語があたかもそれ自体で歌のようであるように、韓国語はそれ自体で既にラップなのだとも言える。
 一方のダンスミュージックは、そのラップ(韓国語)にいわゆる歌としてのメロディを与えた際に生まれる音楽であると位置づけることができる。この場合、音楽の中にあらわれる韓国語の特徴の比重は重低音よりも“ン”がつくりだすリズム感の方が強くなる。


『ン/韓国語のリズムとビート(2)』(2002.5.2)
そんな言語による特定の音楽ジャンルとの親和性を確かめられないかと思い、韓国語の曲を聴いてみたりもしたのだが、韓国語の曲だけを聴いて判断するのは、ちょっと主観的すぎるような気がする。それが日本語で歌われたときにも同じように感じられるかもしれないという可能性は否定できないからだ。そもそも、「言語による特定の音楽ジャンルとの親和性」などということをはっきり示すためには、様々な言語、様々な音楽ジャンルの膨大な量の曲を比較しなければいけないのだけれど、せめて同じ曲を日本語と韓国語で聴き比べることができれば、楽器、あるいは音楽そのものとしての言語のきこえの違いがいくらかでも認識できるのではないかと思う。  実は、日本語と韓国語で聴き比べにもってこいの曲がある。
 最近の日本と韓国といえば、日韓共催のW杯がすぐに思い浮かぶのではないだろうか。このW杯のテーマソング『Let's Get Together Now』が、日本語と韓国語で歌われているのだ。(今回、この文章が(1)と(2)に別れているのは、このCDをレコード店に聞きに行ってから後半の文章を書こうという意図した、ということにもある)
 ここからは、個人的な感想めいたものになってしまうのだけれども、『Let's Get Together Now』日本語バージョンと韓国語バージョンは、アレンジやコーラスを含めてバックトラックは全て同一にも関らず、全く違った印象を受ける。確かに、メインヴォーカルをとっているアーティスト自体が違うという要因も少なからずあるだろうとは思うのだが、日本語と韓国語の語感の違いもまた明瞭に現れているように思う。韓国語バージョンで(日本語として)“ン”にきこえる音に注意してきいてみると、その数はサビの部分では笑ってしまうほど極端に多い。ただ、全体の印象としては、なにか物足りない。突き抜けないというか、盛り上がりに欠けるように感じる。これは、アーティスト個人の力量や歌唱法の問題だけではなく、歌詞(言語)のもつ語感にもその原因を求められるのではないか。ダンスミュージックでもラップでもないこの曲では、「韓国語のビート」は活かされることなく、むしろ抑制されているかのようだ。
 このとき一方で僕は、いままで一度もそのように思ったことはなかったのだけれども、日本語がうつくしいと思った。『Let's Get Together Now』の日本語バージョンは、韓国語バージョンに比べて、なぜかとても彩りゆたかな音としてきこえてきたのだ。もう何年も前にニュース番組にゲスト出演した、ギリシャの第一人者という歌手の女性が「ギリシャ語は、日本語と同様とてもうつくしいことばなので・・・(歌 うにはよいことばだ)」と言っていたのを僕は、よくわからないがそんなに日本語はすごいのかと、ぼんやりときいていたのだが、どうやらそれは本当なのではと思い始めた。子音で終わる音の少ない日本語は、ことばがはっきりしていて「キレがいい」と感じられるのかもしれない。

 結局、これで韓国語とラップやダンスミュージックの親和性が示されたわけでもないのだが、例えば“フランスといえばシャンソン”という印象は、“フランス語はシャンソンに合う”、あるいは“フランス語の語感がシャンソンを生んだ”とも考えられるわけで、音楽と言語との親和性の関係を考えると、世界がボーダレス化しても明瞭な境界線がなくなるだけで、地域(この場合言語圏)ごとのムラは、言語が無くならないかぎりは変わることがないと言えるのかもしれない。

(W杯まであと1カ月ということで、『Let's Get Together Now』は、各外資系レコード店で試聴できない店はないはずなので、試しに聴いてみて下さい)