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| 『この空は君のもの』(2002.5.14) |
| 僕の育った町には、シンボルとなる山があった。規模は小さい(標高1900m程度)ものの、河口湖あったりから見る富士山の様な、そんな感じだろうとおもう。実際その山は別名“蝦夷富士”と呼ばれている。
小学校の校庭からはその山の全景が望むことができた。空は、それだけでは何処まで広いのかわからないけれども、向こう側の山という対象を得ることで、空間の大きさをとても心地よく感じる事ができ、僕はこの「大きな景色」が大好きだったのだが、家の窓からはそれを見ることは出来なかった。その窓から山が見えるはずの方角には、目の前に4階建てのビルが建っていて、すっぽり山を隠している。「あのビルが、昔平屋だった頃には、ここからもよくみえた」と父がいつだったか教えてくれた。 城下町に代表される日本の歴史的都市の特徴のひとつとして、城壁を持たなかったことが挙げらる。ヨーロッパの歴史的都市が、外周部に城壁を持ち、その内部のみを「都市」としてその他の非都市領域から明確に分離していたのに対して、日本の都市は多くの場合、都市とその他を分離するような形での城壁を築いて来なかった。 このことは、一般に石と木という建材の違いによって説明される「ヨーロッパの都市は高層、日本の都市は低層」という図式の歴史的な都市形成要因の一端をも担っていると考えられる。人を砂粒、都市の城壁をバケツとして考えるみよう。バケツにいれた砂はバケツの縁をこえてうずたかく積み上げられる。今度は、その砂をバケツから土の上に移してみる。低い砂山ができた後、さらにその上に注がれる砂は高くは積み上げられずに外へ外へと押し流されていくだろう。高い山をつくれずに広がっていく砂山、それが日本の都市形成であったといえる。 城壁によって内部で拡張せざるを得なかったヨーロッパの都市は、上方向へ建物を高層化することで都市の人口増加を吸収してきた。一方で、面積的に制約のなかった日本の都市は、水平に都市が拡張する。 都市の人々はこの違いによって何を得て、何を失ったのだろうか。 高さ方向を無視して考えると、一方が得て、もう一方が失ったものの一つは「地」、すなわち土地である。ヨーロッパの都市は、城壁外の土地を都市にしないまま保持することができ、日本の都市は、都市の拡大が同時に非都市地域の縮小を意味していた。そして、一方が得て、もう一方が失ったもののもうひとつは、先に削除した高さ方向の「天」、すなわち空である。平屋、あるいは2階建てが主流であった日本の都市住民にとって、玄関先のすぐ手の届く先に空はあったに違いないが、ヨーロッパの都市住民にとっての空は、おそらく各都市の広場の上に広がるパブリックなもので、日本の都市でみられる“軒先の空”とは大きな異なっていただろう。どちらも都市の人々にとって平等に与えられたもの(実際に手を触れられない空が全ての人々に平等であるのは当然であるかもしれない)だが、その現れ方は対極にある。 現代のニューヨーク・マンハッタンに広がる摩天楼。道路から見上げる空は一本の線に過ぎない。ここもまた、「地」を得て「天」を失ったかつてのヨーロッパの都市と同じ形態を見せている。セントラルパークの上のパブリックな空もまた、ヨーロッパ的だ。ただし、現代のニューヨークに城壁はない。ニューヨークに限って言えば、島であるマンハッタンが川という自然の城壁によって区切られているが、他のアメリカの大都市、ニューヨークと同様に「天」を失った摩天楼をもつシカゴやロサンゼルスは、そのような境界すら持っておらず、あまりに広大な大陸の小さな一点に場を占めている。現在、都市計画が見えない境界線で都市を区切っているのだろうか。あるいは・・・。理由は様々にいえるだろうが、これらの都市をつくっていった人々(恐らくヨーロッパ出身の人々)がヨーロッパ的な観念を持って都市を建設したことは確かである。そこでは、かつてのヨーロッパの城塞都市の数十倍(数百倍?)になった都市面積に比例して数十倍の高さになった“都市”が屹立している。 とはいえ、新宿副都心も似たようなものじゃないかいう声が聞こえてこなくもないが、明らかに違う。それは高さの問題ではなくビルの間隔だ。単純に、地震大国日本と頑丈な岩盤の上に建つアメリカとの建築法規上(隣棟間隔の規制)の違いといえなくもないのだが、あれだけの高さがありながら、大した隣棟間隔もなく立ち並ぶアメリカの高層ビル群の下を歩くとき、その圧迫感をよしとするにはそれだけの理由があるはずだ。その一端を、“「天」を失った都市の歴史”にあると考えたい。 人間には元来「アラクノフォビア(閉所恐怖症)」と「アゴラフォビア(広場恐怖症)」という2つの本能があると何処か(確か池澤夏樹のエッセイのどれか)で聞いたが、高層ビル群の下という「閉所」を建設し、それに恐怖することなくそこで過ごすためには、やはりそういった「閉所」に慣れるべくして慣れてきた歴史があったはずである。ヨーロッパ的な都市には、「アラクノフォビア(閉所恐怖症)」と「アゴラフォビア(広場恐怖症)」に慣らされてきた都市住民の歴史があり、逆に、日本の都市に公園や広場が少ないのは、日本の都市住民がいまだに「アゴラフォビア(広場恐怖症)」を克服できていないからだと、言えるのではないか。 ま た一方で、日本の都市住民は「アラクノフォビア(閉所恐怖症)」をも克服していない。「閉所」に関しては、日本の都市はそれを克服するには充分な歴史を持っているのではないか、と思われるかもしれない。江戸期でも長屋等の狭小住宅が多く、近年でもまだ「ラビットハウス」と言われるような住宅事情の日本ではあるが、しかしその狭さに反して“空”は“軒先の空”として常に個々人の手の中にあった。都市的レベルでは、“空=広い空間”に接続し、決して「閉所」ではなかったのある。 「アラクノフォビア(閉所恐怖症)」や「アゴラフォビア(広場恐怖症)」といった極限に身を晒さない所作というのは、極めて日本的ではないか。 ・・・だからというか僕は、あの4階建てのビルのせいで圧迫感を感じており、僕の育ったあの町の、あの窓から、あの大好きな景色がみたいのです。
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