愛情
- 布団の裾を捲ってみると、炬燵の火に温められた尿の臭が、むっと鼻を覆った。不意に、懐かしい襁褓の臭のやうな愛情が、胸を鳴らして湧き起こった。・・・妻の汚れ物洗ふ私には、もう先刻のやうな不安の翳は消えてゐた。これだけは子供達にもさせられぬ、私の今日からの仕事だと、染み染みと思はれた。
(外村繁 夢幻泡影 p.220)
アイデンティティーの分断
- いまはただ定時に食べて、不規則に排泄する機械でしかない。妻のアイデンティティーはある中間の時期を挟んで、その前とあととで完全に二分されてしまった。それはまた配偶者である私のアイデンティティーの分断でのあった。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.68)
頭がこわれてしまう
- 昔、自分たちを可愛がってくれた滝野と今の滝野が別の人のように思われるのだった。頭がこわれてしまうということは、そういうことだと思われた。
(鈴木早苗著 滝野 p.80)
哀れさ
- 怒鳴った直後には病人の哀れさが一層増して、怒りが悲しみと憐れみにとって代わる。みな子が風邪をひいたり、不調を訴えると利雄もとたんに不幸になり不機嫌になる。病人が不調のときには介護人はより一層やさしくあるべきなのに、病人の苦しみは自分の苦しみになってしまう。
(大庭利雄著 終わりの蜜月:大庭みな子の介護日誌 p.175)
- お墓参りの昼食のとき、ざるそばの食べ方がわからず、何度教えても間違える様子が哀れでならなかった。
(米山公啓著 医者がぼけた母親を介護する時 p.99)
- (ショートステイに行くように言うと)ききわけのないだだっ子みたいになっている父が、さすがに哀れだった。
(松下竜一著 ありふれた老い:ある老人介護の家族風景 p.36)
- (もの忘れや思考力の低下が見え始めて)尊敬していた父が哀れに見えた。
(佐藤早苗 アルツハイマーに克つ p.20)
- これがかつての大黒柱であった人の、安らかな眠りを守る品々かと思うと、老いて呆けることのあわれが身にしむ。
(敷島妙子 おじいちゃんが笑った:ボケても人間らしい最期を p.10)
- ボケがかなりよくなって、失禁も少なくなって自分でもよろこんでいた矢先に、連続失禁で、われながら情けなく、世話をかけた息子夫婦の手前、からからと笑うことで、その体裁の悪さをまぎらせたのかもしれないのだ。だとしたらその心情にはあわれを感じる。
(敷島妙子 おじいちゃんが笑った:ボケても人間らしい最期を p.105)
- で渋る尿を力ずくでもしぼり出そうとするそのもがき方のすさまじさは、こっけいを通り越して痛々しく哀れでならない。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.104)
- 際限なく私の大切な時間を奪っていくこの老人(父)が、いっそこのまま息絶えてくれればいいのにという思いが、一瞬頭の中をよぎった。罪の意識などなかった。ただ、そんなふうに思う自分が哀れだった。
(高見沢たか子著 親と再び暮らすとき:家族で父を看取る p.153)
- 私はこのときはじめて父を哀れに思ったのである。住み慣れた場所を確保しようと懸命に画策する八十一歳の思いを、なぜ察してやらないのか。
(上坂冬子 一度は有る事 p.127)
- 四十二年の秋、わたしは十三年来ともに暮らしてきた母を喪いました。脳軟化症でした。当時、この病気はまだどれほども世間にしられてはいず、その無惨に衝撃をうけないではいられませんでした。いとおしく、忌まわしく、哀れにつらい重いが脳裏を去らず、様々に解釈をこころみるうちに、いつか小説らしいものの構想に移ってゆき、好みが熟れるようにして、この作品は成りました。翌四十三年のことでした。」(あとがき)
(真野さよ 黄昏記 p.)
- 私の語りかけ(母の死について)に、じっと聞き入っている妻は、ふだんよりもとてもおとなしく、それだけに、私は弘子が哀れでなりませんでした。
(内藤聡著 ある日突然、妻が痴ほう症になった:在宅介護十五年の軌跡 p.74)
- 妻を介護する、あるいは夫を介護する。在宅介護は、哀れ風前の灯火となった相手を支えてやろうという気持ちがあるからこそ続けられるものではないか。
(内藤聡著 ある日突然、妻が痴ほう症になった:在宅介護十五年の軌跡 p.106)
- (排尿カテーテルを入れた時)若い娘がその処置をする時の恥ずかしさに耐え、自然の排尿を断念せざるを得なかった心境を思うとたまらなくなる。・・・何とも哀れでならなかった。
(木藤潮香著 いのちのハードル:「1リットルの涙」母の手記 p.136)
- 水道の蛇口閉めつつ忘れましゆく夫があわれでならぬ
(進藤てる子著 歌集 伴に生きて p.27)
- 私は死を目前にした寿美が殊更哀れでならなかった。寿美に対して横暴な良人だった自分にも、強い悔恨があった。
(近藤啓太郎 微笑 p.43)
- 勝ち気な性質だけに、却って一種のマゾヒズム餓鬼名興奮状態にあったのではないか、とも思はれなくもない。妻が哀れでならない。
(外村繁 落日の光景 p.438)
- 形骸のような人間を妻と呼んで、ただ一人いたわり傅いてやらねばならぬ自分のさだめを、我ながら哀れと思うばかりである。
(上林暁 聖ヨハネ病院にて p.483)
- (家事を起こしそうになり)身体がふるえ、いきなり家内の顔を殴った。・・・家内が哀れになり、私の気持ちは鎮まった。
(耕治人 天井から降る哀しい音 p.558)
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憐れな状態
- 俺はお前から離れたとしても、この庭をぐるぐる廻っているだけだ。俺はいつでも、お前の寝ている寝台から綱をつけられていて、その綱の描く演習の中で廻っているより仕方がない。これは憐れな状態である以外の、何者でもないではないか。
(横光利一著 春は馬車に乗って p.406)
憐れみ
- 利雄は癇癪を起こし、リハビリをさぼるな、などと怒鳴ったりする。・・・怒鳴った直後には病人の哀れさが一層増して、怒りが悲しみと憐れみにとって代わる。
(大庭利雄著 終わりの蜜月:大庭みな子の介護日誌 p.175)
安堵感
- その心臓が、やっと休息できる。そう思うと、私の心には悲しみより先に安堵感が広がった。
(藤原瑠美著 残り火のいのち 在宅介護11年の記録 p.9)
- すべてが終わったとき、私の心は悲しさよりも、母がようやく楽になったという安堵感と、やれる限りの介護をやったという一種の開放感で占められていた。
(森津純子著 母を看取るすべての人へ:在宅介護の700日 p.201)
- 妻の死後、妻を偲んで何度か涙を流した私だが、妻が息を引き取ったこの時涙は出なかった。それは、妻の死の悲しみより、辛い闘病にピリオドを打った妻に「よく頑張った。やっと楽になったナ」という、妻が苦痛から解放された安堵感の方が勝っていたからだろう。
(西家洋治 告知せず:天国の妻へラブレター p.)
言い過ぎ
- 言い過ぎを夫に詫びつつ汲むコーヒーミルクの渦がゆっくり廻る
(進藤てる子著 歌集 伴に生きて p.138)
怒り
- 優しい言葉をかけるか、それが怒声に急変するか、実に紙一重の違いでしかないのは分かっているのだが、やはり怒りの動作になってしまうことが多い。弱い身の彼女にはどんなに辛いことだろうか。
(大庭利雄著 終わりの蜜月:大庭みな子の介護日誌 p.181)
- どうしてあんなに激越な怒りに駆られたものだったか。いまになっても、よくわからない。
(倉本四郎著 介護レッスン p.152)
- 私もどうにも情けなくなって叩き返した。ムチャクチャに叩きたくなった。私の中の怒りの無視をどうしてもコントロールできなかった。
(小泉文子著 ほかに何ができたろう:アルツハイマー患者の在宅看護日記 p.135)
- (医師の対応への怒りで)ひと騒動すんだ後、私は悲しくて一人でワァーワァー泣いた。・・・病院生活は、亜也にとっては生活の場である。病状が重症であればなおさら、生活だけでも安定させなければならないと思う。医療の根元はそこから始まるのではないだろうか。・・・この事件当時の綾野不安でおののいた姿を思い出すだけで、今でも怒りをおぼえる。
(木藤潮香著 いのちのハードル:「1リットルの涙」母の手記 p.92)
- セキをコンコンしながら起きてくる敬祐を見て激しい怒りを覚えました。
(金井ユカリ著 四歳でリセットされた娘 p.25)
- また悪い状態に引き戻される。どうしようもない不安の入り口に再び押し戻されたことへの怒りは、言いようのない形で爆発してしまいました。
(金井ユカリ著 四歳でリセットされた娘 p.25)
- 頭の中にものすごい怒りが生まれ、大声で泣き叫ばずにはいられない衝動を覚えました。
(金井ユカリ著 四歳でリセットされた娘 p.55)
- 自分に対する憤りと、見えない何者かへのどうしようもない怒りがこみ上げて、拳を握り続けた。
(伊集院静 乳房 p.71)
- 物食はむ力もつきし汝が膳をいきどほりもちて我はむさぼる
(吉野秀雄 寒蝉集 p.105)
- (うつ病で)元気のない妻を見るのは耐えがたかった。・・・妻の暗い顔を見ていると、なんとも言えない怒りがこみあげてくる。ときには荒げた声をぶつけた。
(村井国夫, 音無美紀子 妻の乳房:「乳がん」と歩いた二人の十六年 p.138)
- 自分の息子の命を守ることができなかった親としてのいたらなさに、怒りと悲しみで泣き出してしまった。
(川田悦子 龍平とともに:薬害エイズとたたかう日々 p.28)
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憤り
- 自分に対する憤りと、見えない何者かへのどうしようもない怒りがこみ上げて、拳を握り続けた。
(伊集院静 乳房 p.71)
- そんな様子を遠くに眺め、私はやり場の無い憤りを感じました。優れた医療技術がありながら、大金を掻き集め、大騒ぎをして患者を外国へ送り出す。
(梶原早千枝著 ふたたびのいのち:「心臓移植の街」、大阪府吹田市発 p.104)
- (妻の精神の病に)何者にとも知れぬ憤りのために、心が亢ぶっていた。それは、人生その者に対する憤りのようでもあれば、彼自身の運命に対する憤りのようでもあった。
(上林暁 名月記 p.426)
生きるのが嫌に
- 人格そのものが変わってきている、というより、何とも説明のしようもない惨めさだ。それでいながら自負心のようなものだけが残っているのだから悲しい。私も生きるのが嫌になった。
(小泉文子著 ほかに何ができたろう:アルツハイマー患者の在宅看護日記 p.87)
- その頃の私は、夫の痴呆に、大きな打撃を受けていて、生きていくのが嫌になっていた。夫を憎んでいたと思う。・・・私自身の心の動きが、鏡のように相手に伝わっていくので、大変な時期だった。
(呆け老人をかかえる家族の会編 痴呆の人の思い、家族の思い p.21)
異常
- 痴呆患者に調子を合わせて毎日問答を続けていると、気持ちが滅入り、不安感が湧いてくる。自分も同じように異常になっていくような気がするからである。
(佐藤早苗 アルツハイマーに克つ p.96)
いじらしくて哀れ
- (お結びを作ろうとして)左手を右手で何とか動かそうとする姿がいじらしくて哀れだ
(大庭利雄著 終わりの蜜月:大庭みな子の介護日誌 p.189)
- 自分の相手もして欲しいのだろう。私の仕事をじゃましてはいけないと思い、寂しい気持ちを我慢しているのがとてもいじらしかった。
(呆け老人をかかえる家族の会編 痴呆の人の思い、家族の思い p.28)
意地悪
- 便器の前でだいぶてこずった。こんなことがあると時間はくうし、いらいらするしで、かなり修行を積んだつもりの私も、はしたないことだけれど腹が立ってきた。それでつい、じいに意地悪をしてしまった。
(敷島妙子 おじいちゃんが笑った:ボケても人間らしい最期を p.158)
痛々しく
いたましさ
何時終わりがくるか判らない
- 私はこの母親を朝から晩まで介護し、そして、私も生きていた。それは、世間でよく言われるように、何時終わりがくるか判らない、不安で手さぐりの毎日であった。・・・終わりは突然にやってきた。
(鈴木早苗著 滝野 p.221)
一体感
- こうして介護の生活に入ると、・・・これは単なる夫婦や男女の関係ではなく、完全に同体化してしまった感がある。このような一体感は、たとえあと三十年生きても、互いに健康であったならば味わえない感覚だろう。
(大庭利雄著 終わりの蜜月:大庭みな子の介護日誌 p.167)
いとおしく
- 「この人は病んでいても立派にプライドを持っている。それがある以上、大丈夫だ」こう思ったとき、母を一層いとおしく感じた。
(石川牧子著 お母ちゃんが起きられなくなった:パーキンソン病との七年間の闘い 東京仙台遠距離介護記 p.)
- いとおしく、忌まわしく、哀れにつらい重いが脳裏を去らず、様々に解釈をこころみるうちに、いつか小説らしいものの構想に移ってゆき、好みが熟れるようにして、この作品は成りました。(あとがき)
(真野さよ 黄昏記 p.)
- 失禁であった。ついに来るべきものが来た。・・・三和はこの一瞬、奇妙な凱歌をともなう厳粛な緊張をおぼえた。それから、いいようもない優しさにひたされてゆく自分を感じた。・・・三和は戸外の洗濯場で、生まれて初めて、母親のものを洗った。そしてその事が少しも厭わしくはなく、むしろ今こそ、限りなくやえをいとおしく思う気持ちに、涙ぐんでいた。三和は長い間、この時に怖れ、賭けていた。この時に自分が試されるのだと思っていた。
(真野さよ 黄昏記 p.112)
- 失望、怒り、哀しみ、喜び。そして、独身で子を持たない私が生まれて初めて母に感じ取った”愛おしさ”。人間のもつ感情すべてをさらけだし、時には憎み、時には愛と惜しみ、アンビバレンツな真相心理の矛盾ばかりと葛藤しながら介護してきた。・・・神経戦とは私の場合、自己嫌悪との闘いということになる。・・・実の母を怒り、罵倒する。そんな私が情けなく、自己嫌悪という津波が次から次へと襲ってくる。
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.1)
- やはり和ちゃんを怒ってしまう。・・・(怒った後)数分後、和ちゃんはオレの手を触ってくる。ニコニコしながら。「なんなら和ちゃん?しかられたばあじゃろうが」「いつもその後、優しゅうしてくれるが」切なくも、愛おしい。
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.47)
- オレはといえば、腹が立つことは多いけど和ちゃんといたい。素直に愛おしい。
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.137)
- 脳を冒された人間がこんな豊かな情感を持ち、かつそれを愛する人に伝える術を自然に身につけている。私はこの事実に驚き、嬉しくかつ愛おしく、妻の肩をしっかり抱いてやりました。
(内藤聡著 ある日突然、妻が痴ほう症になった:在宅介護十五年の軌跡 p.3)
- ウンコにまみれながら、「殺せ」と泣き叫ぶ母の姿を見た瞬間、この母が可愛そうで、愛おしく思う気持ちがわき起こり、それまでの母に対する介護の姿勢を反省しました。・・・この母を本当に幸せにしてあげたい。幸せな感情を味わわせてあげたい。心からそう思いました。
(呆け老人をかかえる家族の会編 痴呆の人の思い、家族の思い p.151)
- 主人が無力な病人になって行くほどに、昔のように対等で生きてきた時には持てなかった愛しさが日増しに強くなるのですから不思議なものです。
(ねじめ正一著 二十三年介護 p.162)
- (痴呆の母がやきもちを焼くのに)妻はふみちゃんをいとおしいと思った。
(安部才朗著 みっちゃんとふみちゃん:痴ほう症の母と過ごした家族介護の日々 p.56)
- 私は、自分一人では何ひとつすることのできなくなってしまったママが、ほんとうにいとおしくなっていた。
(飯野真澄著 マイ・ディア・ママ:在宅介護 愛の日々 p.135)
- おんなの起伏を、ゆっくり遂げた、ちぶさの歳月がいとおしい
(齋藤恵美子 最後の椅子 p.63)
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忌ま忌ましい
- また彼の病状が進んでいるのだろうか。夢と現実とを混同するなどという生易しいものではない。・・・しゃべり続ける言葉のもつ意味が、不思議な魔力で私を包む。こんなことに巻き込まれてはならないと思うのだけれど、忌ま忌ましい。
(小泉文子著 ほかに何ができたろう:アルツハイマー患者の在宅看護日記 p.49)
忌まわしく
- 四十二年の秋、わたしは十三年来ともに暮らしてきた母を喪いました。脳軟化症でした。当時、この病気はまだどれほども世間にしられてはいず、その無惨に衝撃をうけないではいられませんでした。いとおしく、忌まわしく、哀れにつらい重いが脳裏を去らず、様々に解釈をこころみるうちに、いつか小説らしいものの構想に移ってゆき、好みが熟れるようにして、この作品は成りました。翌四十三年のことでした。(あとがき)
(真野さよ 黄昏記 p.)
嫌だった
- 心のなかで腹をたてながらも私は、笑顔で手を振りながら出かけた。そのとき、偽善者ぶった自分のなかの「影」の存在が私は一番嫌だった。
(森津純子著 母を看取るすべての人へ:在宅介護の700日 p.158)
- 一度だけならともかく、毎日のように喧嘩になってはいやな思いをさせられた。
(グレーフェ(あや)子著 ドイツの姑(はは)を介護して p.277)
- かっとなって滝野を怒ったあと、必ずひどいことをした自分がたまらなく嫌になって落ちこんだ。
(鈴木早苗著 滝野 p.134)
- こんなとんでもない嫌みを言っている私がいる。自分が本当にイヤになる。
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.19)
- 私はまた、寿美のために今後経済的な苦労をするのかと思うと、急に億劫な気分になってきた。・・・死んでくれれば助かるという実感に強く捉われた。と同時に、そういう気持ちが自分のどこかにあったことにはじめて気がついて、われながら厭な気分になった。
(近藤啓太郎 微笑 p.206)
癒された
- まず、人は痴呆になると無欲になる。私は母の純真さにどれだけ癒されたかしれない。・・・母が発散する癒しの力は衰えなかった。
(藤原瑠美著 残り火のいのち 在宅介護11年の記録 p.45)
嫌になった
- 優介に対するもどかしさもありましたが、自分の根気のなさ、力のなさに嫌になったこともありました。
(坪倉優介 ぼくらはみんな生きている p.86)
イヤラシイ
- ただ、ひどく淫らで、だらしない事態が発生しているという印象だけが強烈だった。そんな事態にあってさえ、英語で助けを呼ぶ兄を、わけもなくイヤラシイと感じた。
(倉本四郎著 介護レッスン p.160)
異様なもの
イライラ
- イライラしている自分に気づき、またそんな自分がいやだった。・・・なのにどうして、私はこうも義母につっけんどんで、やさしくできないのだろう。
(小菅もと子著 忘れても、しあわせ p.206)
- 介護で大切なことは何かと聞かれれば、忍耐と愛です。私は怒らないよう、どれほど努力したことか。イライラして愚痴をこぼしたことも何度もありました。
(内藤聡著 ある日突然、妻が痴ほう症になった:在宅介護十五年の軌跡 p.181)
いら立ち
- 医者として寝たきりの入院患者を診ているときには一度も抱いた覚えのない憎しみに似た感情。これはなんだ。・・・この自制できぬいら立ちはなんだ。
(南木佳士著 家族 p.24)
- できたことができなくなるのは一緒にいる者にとっってもつらい。私は、ついいらだって命令調になることもあったが、それは失敗だった。
(田沼祥子文;田辺順一写真 フォト・ドキュメント いのち抱きしめて:在宅介護13年 p.81)
- 一歳五ヶ月にもなって、という思い出少々イラ立ちを覚えました
(金井ユカリ著 四歳でリセットされた娘 p.20)
- あいつのいい方は拒絶と自己否定が同居する。それはときに人の神経を逆なでする。たしかに同情は否定できない。しかし、それだけではなかった。「人間の関係ってそんなものか」私はいら立ちを抑えることができなかった。
(清水哲男著 死亡退院:生きがいも夢も病棟にある p.39)
- そういう中で、私自身、いらだち、悲しみ、そして反省の繰り返しでした。・・・優介に対しても厳しくなったり、優しくなったりの繰り返しです。
(坪倉優介 ぼくらはみんな生きている p.141)
受け入れてもらって
- 自分を受け入れてもらっている・・・!相手がそんな実感を持った時、痴呆症の混乱期の諸症状は改善されるのではないか。医学的な根拠はないが、私は介護を通して何度もそんな思いを持った。
(藤原瑠美著 残り火のいのち 在宅介護11年の記録 p.51)
- 毎日、心静かに幸せそうに暮らす最近の父を見ていて、このアルツハイマーという病気は、介護の仕方ひとつによって、凶暴にもなれば穏やかにもなるのだということを、身をもって知ることができました。・・・たとえ、おかしなことを言っても、本人は正しいことを言っているつもりなのですから、反論せずに受け入れてあげれば暴れようもありません。
(耕治人 どんなご縁で p.89)
受け止めて
- そうだ、直そうと思うのではなく、今できること、感じることをそのまま私が受け止めてやればよいのだ。そして、その感性を一日でも長く維持できたらいいのではないか、と感じた。
(小菅もと子著 忘れても、しあわせ p.116)
薄気味悪くなる
うちのめされ
- (万引きをした時)私は激怒した。絶望視ながら足を踏みならし、相手の両肩をわしづかみにしてぶんぶんゆさぶった。・・・結婚いらい覚えたことのない種類の絶望に、わたしという存在の全部をうちのめされ、さいなまれ、いっそ翼を得て飛び去ってしまいたい思いに駆られた。心の中で大泣きに泣いた。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.48)
美しい
- 石けんで洗われてゆく家内が、涙でかすんだ私の眼に、この世ならぬ美しいものに変わってゆくように思われた。
(耕治人 どんなご縁で p.575)
恨み
- 人は他人に尽くしすぎて、その人のために自分が犠牲になったと思うとき、相手に恨みを持つようになる。私は仕事に忙しかった。結婚の準備を優先して、母のターミナルケアに時間を割けなかったが、それで良かったのだ。私は自分に言い聞かせた。この辺で悩むことを打ち切ろうと思った。
(藤原瑠美著 残り火のいのち 在宅介護11年の記録 p.215)
恨めしかった
- 僕は辛かった。妻が病気名ばっかりに、こんな辛い思いをせねばならぬかと思うと、僕は自分の怠慢を棚に上げて、妻が恨めしかった。
(上林暁 聖ヨハネ病院にて p.481)
嬉しかった
嬉しく
えたいの知れぬもの
- 何ぞ是の冬のさむさよわけ理解ぬ老母とわが界とすでにことなる
(失明の母の老碌いよいよ進む)
老不気味 わがははそはが人間以下のえたいの知れぬものとなりゆく
まぼろしの誰と語り手ゐる母かときに声なく笑ひなどする
(斉藤史 歌集 ひたくれなゐ p.700)
笑み
- 介護施設で働く人たちは、たいてい笑みを絶やさない。・・・彼らの努力には素直に感心してしまうのだが、善男にいわせればあれほどタチの悪いことはないそうで
(佐川光晴著 家族芝居 p.96)
延々と続く
- いつになればもとの優介に戻るのだろうと私を焦らす日々は延々と続く気がしました。
(坪倉優介 ぼくらはみんな生きている p.113)