悔い
- 「瑠美さんは十分にやったじゃない」と言われても心に悔いが残った。それは喪失感でもあったし、後悔のような感情でもあった。最期の日々、母が苦しんでいたのに、私は忙しない毎日を過ごし、側にいてあげられなかったことが辛かったのだ。
(藤原瑠美著 残り火のいのち 在宅介護11年の記録 p.208)
- 母には何もしてやれないまま死なせてしまった。その悔いの気持ちを、父に対しても残さないようにしたつもりだ。けれど、それ以上の悔いが残ってしまった。
(末次鎮衣著 介護記録:家族のきずな p.178)
空虚
- 介護が終わったなら、「ああ、これで終わった!」と叫ぶだろうと思っていた。しかし、父に死なれてみると、・・・身軽になりすぎて空虚である。
(佐江衆一著 老い方の探求 p.162)
くたくた
- 保健所の精神相談にも三回行ったが、うつ病でも痴呆でもないと言われる。しかし、現実はめちゃくちゃだ。どうどうめぐりで義母に振り回される毎日だ。これが病気でないのなら、いったい何なのだ。もうくたくただ。
(小菅もと子著 忘れても、しあわせ p.29)
口がひん曲がる思い
悔しくて情けなくて
- <娘>はとうとう感情の糸が切れ、悔しくて情けなくて涙が出た。・・・心のなかで<娘>は何度母を責めたかしれない。ひとしきり母を責めると、今度は、・・・なんて私は、情のない悪い人間なんだろうと、自分を責め始めた。
(森津純子著 母を看取るすべての人へ:在宅介護の700日 p.119)
- 人間が記憶を失っていくと言うこと、そして失うことによって錯乱し人格をも失ってしまうことが、どんなに不幸なことか。父の死後、十年目を迎えてなお、いまだに父の死の悲しみから抜けられないで居ることも、その残忍さのゆえであろう。私はかつて人の死に対して、これほど深い悲しみと悔しさに駆られたことはない。
(佐藤早苗 アルツハイマーに克つ p.129)
悔やまれた
- 今はもう怒りを忘れ、ただしんしんと湧く悲しみを抱いて、僕は小径を歩いていた。病気の妻に向かって、無慈悲な言葉を浴びせたのが悔やまれた。
(上林暁 聖ヨハネ病院にて p.474)
悔やんでいる
- 不安な気持ちを受け止めてあげられず、可愛そうなことをしたと悔やんでいる。
(呆け老人をかかえる家族の会編 痴呆の人の思い、家族の思い p.149)
- 「最初から(がんと)知っていたほうがよかった」と言われたとき、・・・申しわけのないことを、取り返しのつかないことをしてしまったと、悔やむばかりであった。
([岡村佐一,] 岡村幹著 砂の宴 p.80)
- 私は母をいわばペテンにかけて連れ出したことをくやみ、また母がすぐに察して聞きわけたことを一層つらく感じていた。
(阪田寛夫 土の器 p.137)
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狂おしいほどの寂しさ
- 病室の長椅子で寝る夜を、もう何度か過ごしていたけれど、その晩の狂おしいほどの寂しさや喪失感は、今でも忘れることができないでいるよ。
(窪田洋子 パパからのプレゼント p.111)
苦しみ
- 介護者は、じぶんが介護によって受けている苦しみを、他人の言葉で翻訳されるのをけして快く思わない。それがどんなに親しく心を寄せている者であっても。
(倉本四郎著 介護レッスン p.305)
- これから起こるかもしれない、とてもおそろしいことを考えると、悲しみと苦しみで、何もできないでいました。
(えずみなお著 回復室Bのドア:夫が末期ガンになったとき p.32)
- もし志摩がダウン症ならば、私は自分が死ぬその瞬間まで、この苦しみは終わらないのか。
(小田ゆり あなたが生まれて p.89)
苦労が報われる喜び
- 言葉もよく分からず、すべて意図の手を借りての生活だが、時々感じられる感情面、母らしさを見出すと、介護する私にとって、苦労が報われる喜びである。
(呆け老人をかかえる家族の会編 痴呆の人の思い、家族の思い p.93)
グロテスクな物
- いまの母は人間からグロテスクな物に変わり始めている。
(阪田寛夫 土の器 p.121)
ケア
激怒した
懸念
- 一旦病を得た妻を擁して、行路を思えば、懸念は果てしなかった。しかし、七十日ぶりに、妻を家に迎えることを思えば、胸がときめいた。
(上林暁 名月記 p.444)
原因
- 私は里子を襲った突然の病気は、彼女が私と一緒になったことが原因になっているのではと考えたりした。
(伊集院静 乳房 p.53)
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嫌悪感
- もういやだ。なんて卑劣で無礼な年寄りなんだ。舅が私の視野に入ると嫌悪感でおぞけ立ち、吐きけがするほどになった。
(門野晴子 老親を棄てられますか p.94)
限界
元気になっていく
- 付き添っている私たちみんなが何となく元気になっていくのは不思議なことでした。付き添いの引き継ぎのために、ほんの十分言葉を交わすメンバーの人とは、初対面から、長年の友人のように素直に話ができるのも驚かされることでした。
(関丕著 光のなかの生と死 p.30)
- その場で用を足してしまう姿を目の当たりにすると、元気な頃の父の姿とだぶって悲しくなります。・・・このまま、状況が深刻になっていくことを考えると、どこかで、父の死を願ってしまう気持ちがよぎることもあります。
(本田桂子著 娘から父・丹羽文雄へ贈る朗らか介護 p.71)
厳粛な緊張
- 失禁であった。・・・三和はこの一瞬、奇妙な凱歌をともなう厳粛な緊張をおぼえた。それから、いいようもない優しさにひたされてゆく自分を感じた。
(真野さよ 黄昏記 p.112)
後悔の念
- 母の側にいてあげられなかったことを思い出すと後悔の念に苦しんだ。
(藤原瑠美著 残り火のいのち 在宅介護11年の記録 p.209)
- 残された妻や子供たちは極度の疲労と後悔の海の中でもがいた。後悔は父に対して最高の介護ができなかったことに多雨する自責の念であった。
(佐藤早苗 アルツハイマーに克つ p.8)
幸福と 呼ぶ
- うなされて 目醒めた夫は 「手をきったんじゃない?」 私に向かって 真剣に言う
今の私にとって 最高のぜいたく 心を込めた 温かいこのいたわり
自分勝手な行動を 朝から 番までしていても ふっと こうした言葉をいわれると
この世の常識を 押しつけてはすまないと思う・・・
この世的な常識の外に 生きているのを 私はあえて 幸福と呼ぼう
せめて 言葉だけでも 彼のために そして私のために 幸福と 呼ぶのだ
(小泉文子著 ほかに何ができたろう:アルツハイマー患者の在宅看護日記 p.198)
昂揚
- (乳がん手術が終わった直後の妻を見て)私はこの妻とともに喜び勇んで生き抜かなければならない。急に気持ちが昂揚する。
(外村繁 澪標 p.311)
股間
- 俺にはできない。日に幾度も、母のあの躰と股間を見られない。馴れればできるのか。しなければならない・・・。
(佐江衆一著 黄落 p.195)
後光
- 後光が射している・・・と私は不意に思った。六十になる息子に躰のすべてを曝した、死の近づいた母の顔のあたりに、ぼんやりとかかる丸い暈光が、私には見えた。
(佐江衆一著 黄落 p.195)
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後光が射す
- (妻の入浴時)一層痩せ細り、骸骨のようだ。それでいて、その体から後光が射すように感じられたのは、五十年も私のため、自分を棄て、尽くしてくれたためであろう。
(耕治人 どんなご縁で p.574)
小言
- 小言ばかり言いたるひと日と思いつつ熟寝の夫の枕をなおす
(進藤てる子著 歌集 伴に生きて p.67)
心が痛い
- (買った手袋)可愛くてよく似合う。和ちゃんも嬉しそうに両手を広げてオレに見せる。「ありがとうございました」。オレの心は夕立状態。そして、あんんでもっと早くからこういう関係になれなかったのかと、心が痛い!
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.88)
- 正直言って疲れました。どんなにがんばっても父がよくなることはありません。どこまで続くかわからない介護。心は痛みっぱなしです。
(本田桂子著 娘から父・丹羽文雄へ贈る朗らか介護 p.57)
心が壊れていく
心が通じた
- 主人も自分自身のコントロールができず、「辛いんだなあ」と判り、はっとしました。主人と心が通じた一瞬でした。
(呆け老人をかかえる家族の会編 痴呆の人の思い、家族の思い p.55)
心の鏡
- 私が笑えば笑い、私がにこにこすれば、にこにこし、私が涙をながせばながし、私が痛みで苦しんでいると息を止めて顔をしかめているのを見ると、どうしても、側にいてやりたいのです。妻はもはや私の人生の半身ではなくなりましたが、私の心の鏡になりました。できるだけ側にいて妻を安心させてやりたいと思っています。
(若年痴呆家族会編 若年痴ほう患者家族のたたかい:語り始めた家族たち p.90)
心の葛藤
- 死にゆく親へ、もっと心やさしく振る舞うことができたはずなのに・・・。死なれてみれば、だれしもそう思うであろう。しかし、介護中の、愛憎こもごもの心の葛藤もまた真実である。その心の葛藤があったから、自分の老い方について、介護を経験しない人よりは多少深く見つめることができたように思う。
(佐江衆一著 老い方の探求 p.192)
孤独
- 母が呆け症状を起こすのは、まぎれもなく寂しいとき、疎外感を抱くとき、私の怒られたとき、拒否されたとき、極度の屈辱や曲の不安のとき、・・・たぶんぼけと孤独は、一体をなしているような気がする。だから治せるのである。
(大石邦子著 この生命を凛と生きる p.55)
- 私は 通い合うものの なにひとつない 人を後ろに感じて
虚しい 孤独におそわれる
私の背には 憎悪だけがあるのだろう
やるせない 哀しみ
いくら反省しても 私の背に残る憎悪は 消えないだろう
(小泉文子著 ほかに何ができたろう:アルツハイマー患者の在宅看護日記 p.131)
- 三年間の痴呆の父との生活の中で、私はまったく孤独であった。社会から置き去りにされている。忘れられている。そう、思えてならなかった。その中で、何かを訴えたかった。それが、短歌であった。そして、私は救われた。
(末次鎮衣著 介護記録:家族のきずな p.182)
- 私は、どんな痴呆も、その原因は、孤独にあると確信しています。(大石邦子)
(いきいき編集部編 親の介護が私を変えた:いつかはやってくる 第一集 p.204)
- 自宅で介護しているときは、世界中で自分一人が痴呆老人と向かい合っているようで、たまらない孤独感だった。
(荒木由美子著 覚悟の介護 p.183)
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こともあろうに
- 「しっかりしてください。お母さまともあろう方が、ボケないでくださいよ」と私は懸命に叫ぶ。ボケという言葉のたびに私は涙をこぼした。あんなに聡明だった母がこともあろうにボケるなんて。
(高野悦子著 母:老いに負けなかった人生 p.91)
ごめんね
怖い
壊れていく
混乱状態
困惑
- (大学の講義のために二日の旅から帰って)ホームに帰り着くと、自室の扉をあけるときに覚える開放感と、泣きやまない赤ん坊ににたところのある大供(ママ)をかかえ込む困惑との、ふたつの感情を同時にもち扱うのである。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.167)
- 終焉も間近に、衰弱して動かなくなることを希まれる病人がここにいる。永別が迫り、惜しまれるのではなく、一層の衰弱によって周囲に安泰をもたらす生がある。三和は自分もまた衰弱をねがう1人に違いないことに収拾のつかぬ困惑がつのり
(真野さよ 黄昏記 p.198)
罪悪感
- 家内を呆けさせたことに対する罪悪感は、私がH医大病院で、苦痛の日々を送ることで、いくらか薄らいでゆく気がする。
(耕治人 どんなご縁で p.592)
さいなまれ
- (万引きをした時)私は激怒した。絶望視ながら足を踏みならし、相手の両肩をわしづかみにしてぶんぶんゆさぶった。・・・結婚いらい覚えたことのない種類の絶望に、わたしという存在の全部をうちのめされ、さいなまれ、いっそ翼を得て飛び去ってしまいたい思いに駆られた。心の中で大泣きに泣いた。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.48)
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先が見えない
叫びたくなる
- (散歩をしていると)その不安でたまらないといった声の調子は、歩いていて私のこめかみにピリピリ響き、多分末端の血管の血流を荒くする。冷静であるべき盲導犬といえども、大声で叫びたくなる。「いいから、黙ってついてくるんだ。」と。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.16)
支えてくれた
- 「介護の闇」のなかでもがいていた私を一番支えてくれたのは、やはり同じように心の中に大きな「影」を感じ、「闇」に捕らわれて苦しんだりもがいたりしながらも、一生懸命に生きていた人たちの姿だった。
(森津純子著 母を看取るすべての人へ:在宅介護の700日 p.234)
サタン
- サタンも細部にひそむのかもしれない。・・・そのサタンの招待を脳の磁気映像に白く浮き出たH字形の空白部にありと知らせてくれる。原因は確かにそれであろう。しかし結果として人の世界に現れたとき、それはサタンとなる。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.63)
悟り
- 自分の生活を犠牲にして限界を超えるまで介護した者は、内心ほっとし、満足を感じ、自らの老いの生き方と死に方を考える。老親の介護を精いっぱいした者のみが到達する世界、大げさにいえば悟りといえるかもしれない。
(佐江衆一著 老い方の探求 p.124)
- こちらも自然体でゆこうと一種悟りの境地に至っている。
(佐江衆一著 老い方の探求 p.141)
寂しさ
- 同じ肉体で同じ顔貌をしているのに、中身だけが変わっていくのだ。それを身ながら手のうちようもない寂しさと恐ろしさは、体験した者でなければわからないだろう。
(佐藤早苗 アルツハイマーに克つ p.153)
淋しく
寒気を感じて
- (父の異食行動に)私は全身に寒気を感じて、つかみ所のない不安に襲われた。
(末次鎮衣著 介護記録:家族のきずな p.47)
残念
- 父が好きなように暮らせることだけを、ずっと考えてきたのに、施設に入ることで、その自由度を奪ってしまいました。かえすがえす残念でしかたありません。
(本田桂子著 娘から父・丹羽文雄へ贈る朗らか介護 p.116)
幸せ
- 最初の頃は阿修羅のような顔付きでこなしていた介護も、慣れてしまえば楽しい蜜月ともいえる日々にもなる。・・・なにはともあれ人生の終わりにあたって、こういう形でほぼ半世紀になる男女二人の血肉化した結びつきが確認できたということは、負け惜しみでなく幸せなことであったといえる。
(大庭利雄著 終わりの蜜月:大庭みな子の介護日誌 p.)
- 孤軍奮闘していたころの私とはもう違っていた。私はひとりぼっちではなく、私を受け止めてくれる夫や家族や、仲間がいた。そして、私たち家族を支えてくれるボランティアさんや近所の人々がいた。疲れも、ストレスも癒してくれる人々にめぐまれ、私自身のしあわせも感じられるようになったのだ。
(小菅もと子著 忘れても、しあわせ p.216)
- あんなにきれい好きだった家内が、と思い、情けない気がしないでもないが、幸せな気持ちが湧いた。その気持はだんだん強くなっていった。・・・小水が清い小川のように映った。
(耕治人 どんなご縁で p.)
- (妻が失禁をして)あんなにきれい好きだった家内がーーと思い、情けない気がしないでもないが、幸せな気持が湧いた。その気持はだんだん強くなっていった。
(耕治人 どんなご縁で p.583)
- 「医者として、これ以上しあわせなことはありませんでした」
(中部博 いのちの遺伝子:北海道大学遺伝子治療2000日 p.231)
自我が丸ごとむき出し
叱りて
- 老母すでに在らざるごとしころ伏して眠れるものは小さきぬけがら
老い呆けし母を叱りて涙落つ 無明無限にわれも棲みいて
(斉藤史 歌集 ひたくれなゐ p.675-676)
- 叱られて眠れる夫の手を握る明日から叱らぬわれでありたし
(進藤てる子著 歌集 伴に生きて p.70)
自己解放
- 利雄もみな子に対して、わざと聞こえるようにため息をつけば、それは自己解放になるような気もする。しかし一方では、それは絶対に彼女に聞かせてはならないため息だとの抑制も働く。
(大庭利雄著 終わりの蜜月:大庭みな子の介護日誌 p.59)
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地獄だよ
- 今日もとうとう三回も滝野のうんこを拭いた。「あーいやだ、いやだ。地獄だよ」浅子は、そうひとりで声を出して言った。
(鈴木早苗著 滝野 p.154)
- やえの入院以来、三和たちは意外に多くの人々から、同種の病人について知らされた。ある老婆は、・・・ある老人は・・・また別の老人は、・・・似たような話はいくらもある。それぞれに地獄図であり、家庭は修羅場になる。そして、これら地獄は薄められた形でならば、老人すべてのものである。
(真野さよ 黄昏記 p.190)
- それぞれに地獄図であり、家庭は修羅場になる。そして、これら地獄は薄められた形でならば、老人すべてのものである。
(真野さよ 黄昏記 p.190)
- (夜中、排尿のため起こされる)「オイ、オイ」という小さな声が、なにか地獄からの呼び声のように聞こえることもあります。
(河野磐, 河野都 二人三脚泣き笑い p.223)
自己嫌悪
- 哀しさが腹立たしさとなって、ポンポンいい放ってはみても、なんら気は晴れず、むしろ自己嫌悪に陥ってゆくばかりだった。
(大石邦子著 この生命を凛と生きる p.54)
- 失望、怒り、哀しみ、喜び。そして、独身で子を持たない私が生まれて初めて母に感じ取った”愛おしさ”。人間のもつ感情すべてをさらけだし、時には憎み、時には愛と惜しみ、アンビバレンツな深層心理の矛盾ばかりと葛藤しながら介護してきた。・・・神経戦とは私の場合、自己嫌悪との闘いということになる。・・・実の母を怒り、罵倒する。そんな私が情けなく、自己嫌悪という津波が次から次へと襲ってくる。
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.1)
- 今朝はやはり和ちゃんを怒ってしまった。・・・すっげえ自己嫌悪。
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.8)
自責の念
死にたいような寂寞たる思い
- それでも疲れると、母につらく当たり、やさしくできない自分に苛立ち、母も私も、死にたいような寂寞たる思いの前に、涙を流してしまう。
(大石邦子著 この生命を凛と生きる p.76)
- (ああ、死にたい)死んで、お詫びするしかない。
(小田ゆり あなたが生まれて p.105)
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自分がいや
- イライラしている自分に気づき、またそんな自分がいやだった。・・・なのにどうして、私はこうも義母につっけんどんで、やさしくできないのだろう。
(小菅もと子著 忘れても、しあわせ p.206)
自分のためだった
- 彼女はしかし、はた目には献身的にうつり夫もいちどは感謝してくれた看病が、半ば自分のためだったことをいまでははっきり知っていた。際限ない自責と悔恨へひき込まれるのが迫くて、精いっぱい償ってせめてもの赦しを得ようとして、看病に全力を傾けたのだった。
(岩橋邦枝 伴侶 p.182)
自分を追い込んで
- いっそ、あの苦しんだ三月の中旬に逝ってくれれば、こんな思いはしなくてすんだのに・・・。そこまで考えてしまう自分が恐ろしくなった。そう考える自分の中の「影」の部分が許せなくて、まずまず自分で自分を追い込んでいった。
(森津純子著 母を看取るすべての人へ:在宅介護の700日 p.155)
自分を責め始めた
- <娘>はとうとう感情の糸が切れ、悔しくて情けなくて涙が出た。・・・心のなかで<娘>は何度母を責めたかしれない。ひとしきり母を責めると、今度は、・・・なんて私は、情のない悪い人間なんだろうと、自分を責め始めた。
(森津純子著 母を看取るすべての人へ:在宅介護の700日 p.119)
- (息子のがんを知って)お母さんは息苦しくなるほど自分を責めた。「これからつらい治療が待っている。息子をしっかり支えなくては」といくら自分にいい聞かせても受け入れられない。反対に逃げ出したい衝動にかられた。
(宮本雅史 「電池が切れるまで」の仲間たち:子ども病院物語 p.138)
充実した気分
- 夜寝るとき、母が「長い間有り難うございました」と言う。淑子が「・・・みんなおばあちゃんが長生きしてくれるのを喜んでいるのだからね。・・・」というと「ふーん」と嬉しそうに聞いていた。こんな時、本当に充実した気分になる。
(安森敏隆 介護・男のうた365日:大学教授の介護日記 p.164)
醜見せて
- 老いしから人は寂しき醜見せてそこに居直るよりせんもなし
(斉藤史 歌集 ひたくれなゐ p.585)
障害
- 障害という名の荷物は亜也の体の一部分だけであって全部ではないんだよ。病気の亜也、障害をもつ亜也、ではない。主語は病気、障害ではなく、亜也が主語であることを忘れてはいけないよ。・・・障害との闘いはこれからも続くけど、人生は闘いではない。楽しみや喜びを味わい、哀しみや苦しみを乗り越えて自分を成長させていく。その過程をどう生きるかが人生だよ。
(木藤潮香著 いのちのハードル:「1リットルの涙」母の手記 p.70)
衝撃を受け
- 妻の発病以来、更に私の発病以来、更に遡って先妻の死以来、私の神経は衝撃を受け続けた。
(外村繁 落日の光景 p.451)
ショックである
- 高齢者によくある症状(もの盗られ妄想)だと聞いてはいたが、実際に自分の父親にその徴候が現れると、やはりショックである。若いときからけっして他人の悪口はいわず、いつも穏和な笑顔が交換を呼ぶ人だった。その父が、と思うと情けなくなる。
(高橋和夫著 老いが老いを介護するということ:高齢夫妻の老親介護奮戦記 p.99)
息絶えてくれ
- 際限なく私の大切な時間を奪っていくこの老人(父)が、いっそこのまま息絶えてくれればいいのにという思いが、一瞬頭の中をよぎった。罪の意識などなかった。ただ、そんなふうに思う自分が哀れだった。
(高見沢たか子著 親と再び暮らすとき:家族で父を看取る p.153)
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人格の崩壊
人生は終わってしま
- 今の私には、また、これkらの私にも、父以外には何もない。希望もないような気がした。このまま、自分の人生は終わってしまうのだろうか。・・・そう思うと、だんだん頭に角が出てくる。しかし父には、あくまでも優しくしなければならない。そういう時は、他の人に横先が行ってしまうのだ。
(末次鎮衣著 介護記録:家族のきずな p.80)
新鮮な思い
死んでくれたら
- 父と母が死んでくれたらと願う気持ちが脳裡の片隅に浮かんでくる。
(佐江衆一著 黄落 p.175)
- 介護する妻と私の家庭は火宅だった。私は真剣に妻との離婚を考え、心の片隅では母の死を願ったほどである。
(佐江衆一著 老い方の探求 p.100)
- 肉体的疲労よりも精神的疲労感と重圧感は、介護した者でないとわからないと、誰もが訴えている。心の暗がりでは、老親の死を願っている人が多い。
(佐江衆一著 老い方の探求 p.171)
- 治る見込みがあるのかないのか分からない嫁はんに振り回される、こんな状態が一体いつまで続くのか。この先、どうなるんや。嫁はんが死ぬまで続くのかと思うと、「早よ死によったらええのに」という気持ちになっってきたんです。・・・すると「死によったらええのに」の思いは吹き飛び、えらいことを思てしもてすまんかったと自分を恥じ入りながら反省し、一日でも長生きしてやと思い直すのでした。
(江村利夫 夫のかわりはおりまへん:前高槻市長の介護奮戦記 p.103)
- その場で用を足してしまう姿を目の当たりにすると、元気な頃の父の姿とだぶって悲しくなります。・・・このまま、状況が深刻になっていくことを考えると、どこかで、父の死を願ってしまう気持ちがよぎることもあります。
(本田桂子著 娘から父・丹羽文雄へ贈る朗らか介護 p.71)
- 今まで抑えてきたものが一気に吹き出して、めちゃくちゃおしりを叩いて言いました。「あんたなんか死んじゃいなさいよ。・・・
(金井ユカリ著 四歳でリセットされた娘 p.33)
- 私はまた、寿美のために今後経済的な苦労をするのかと思うと、急に億劫な気分になってきた。・・・死んでくれれば助かるという実感に強く捉われた。と同時に、そういう気持ちが自分のどこかにあったことにはじめて気がついて、われながら厭な気分になった。
(近藤啓太郎 微笑 p.206)
- これからいつまでこんな暮らしが続くのかという絶望感で一杯だった。茂造が死んでくれたらどんなに楽だろう。そんな考えに罪悪感も後ろめたさも、もうなかった。
(有吉佐和子 恍惚の人 p.214)
- 正直に告白するが、私は時に、虐待をしている。志摩なんて、死んでしまえばいいのに。
(小田ゆり あなたが生まれて p.200)
- いらいらして、「もう、あなたなんか、はやく死んじゃいなさいよ」と思わず叫んでしまい
(河野磐, 河野都 二人三脚泣き笑い p.221)
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心配
- 龍平がついに自分から話をしたかと思うと、ものすごいうれしさと同時に不安が一気に押し寄せてきた。そこから感染している事実が回りに知られてしまうのではないかと、心配になる。
(川田悦子 龍平とともに:薬害エイズとたたかう日々 p.84)
救われた
すべなし
- 病室の隅に双膝抱くわれを汝は怪しまめすべもすべなさ
手を束ね傍看るごとくおろおろと黙せる我を詰りてくれよ
座りてはをりかぬればぞ立ち上がり苦しむ汝をわれは見おろす
(吉野秀雄 寒蝉集 p.105)
成長させてもらった
背筋に冷たいものが走った
- (骨折して退院の際医者から)「一言で言って、「特別養護老人」です」と言われた。背筋に冷たいものが走った。
(グレーフェ(あや)子著 ドイツの姑(はは)を介護して p.225)
切ない気持ち
絶望感
- 「すると、死にたい人間のために、われわれはヒイヒイ汗を流しているわけか」「そうらしいね」無表情に兄はいった。私の未練の糸は、そこで切れた。・・・悲鳴にちかかったのではないだろうか。思い返してみても、私は、そのとき、はじめて絶望感というものを味わっていたような気がする。
(倉本四郎著 介護レッスン p.302)
- (万引きをした時)結婚いらい覚えたことのない種類の絶望に、わたしという存在の全部をうちのめされ、さいなまれ、いっそ翼を得て飛び去ってしまいたい思いに駆られた。心の中で大泣きに泣いた。
(上村達夫 夫婦が試されるとき:アルツハイマー病の妻と生きる p.48)
- これからいつまでこんな暮らしが続くのかという絶望感で一杯だった。茂造が死んでくれたらどんなに楽だろう。そんな考えに罪悪感も後ろめたさも、もうなかった。
(有吉佐和子 恍惚の人 p.214)
責む
- 叱るわけわからぬ夫に声荒げ詮なき事とまたわれを責む
(進藤てる子著 歌集 伴に生きて p.7)
憎悪
- 私は 通い合うものの なにひとつない 人を後ろに感じて
虚しい 孤独におそわれる
私の背には 憎悪だけがあるのだろう
やるせない 哀しみ
いくら反省しても 私の背に残る憎悪は 消えないだろう
(小泉文子著 ほかに何ができたろう:アルツハイマー患者の在宅看護日記 p.131)
喪失感
- 「瑠美さんは十分にやったじゃない」と言われても心に悔いが残った。それは喪失感でもあったし、後悔のような感情でもあった。最期の日々、母が苦しんでいたのに、私は忙しない毎日を過ごし、側にいてあげられなかったことが辛かったのだ。
(藤原瑠美著 残り火のいのち 在宅介護11年の記録 p.208)
- (延命措置の人工呼吸を施した日)病室の長椅子で寝る夜を、もう何度か過ごしていたけれど、その晩の狂おしいほどの寂しさや喪失感は、今でも忘れることができないでいるよ。
(窪田洋子 パパからのプレゼント p.111)
耐え難い
- アルツハイマー患者は他の病人と違って、介護者に対してまったく配慮も遠慮も感謝もなく、日に日に野蛮になっていくのだから家族はたまらない。理屈では理解していても、時には耐え難いこともある。
(佐藤早苗 アルツハイマーに克つ p.103)
- 「和ちゃん。叩いて悪かったのお。ゴメン。」「ゴメン言うなあ私のほうじゃが。迷惑かけてスミマセン」耐え難いほど切ない。
(野田明宏著 アルツハイマーのお袋との800日:中年オトコの介護奮闘記 p.137)
助けてくれ
- 活発だった母の頭の中がだんだんこわれていく。美しかった母の、考えられないような異常行動が増えてくる。だれか助けてくれ!と叫びたい心情が続いた。
(村西省司著 母を背負いて:介護を通して半生を思う p.2)
叩いた
- わたしは、そんな滝野を許せなかった。どうして、飲んだなら飲んだと言わないの、と怒鳴り、滝野を叩いた。滝野は叩かれても飲んでないと言った。逆上して滝野を怒れば怒るだけ哀しくなるのだった。
(鈴木早苗著 滝野 p.77)
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楽しい
試される
- 失禁であった。ついに来るべきものが来た。・・・三和はこの一瞬、奇妙な凱歌をともなう厳粛な緊張をおぼえた。それから、いいようもない優しさにひたされてゆく自分を感じた。・・・三和は戸外の洗濯場で、生まれて初めて、母親のものを洗った。そしてその事が少しも厭わしくはなく、むしろ今こそ、限りなくやえをいとおしく思う気持ちに、涙ぐんでいた。三和は長い間、この時に怖れ、賭けていた。この時に自分が試されるのだと思っていた。
(真野さよ 黄昏記 p.112)
短歌
血が通ったと思い
- 最後の頃には、私を「お母さん」と呼んでくれました。子供に還っていたのでしょうが、はじめて血が通ったと思いました。そして、目に見えない大きな物を残してくれたと感謝する日々です。
(呆け老人をかかえる家族の会編 痴呆の人の思い、家族の思い p.106)
痴呆
- 痴呆が進むということは、ひょっとしたら、だんだんと現在にもどることができなくなるということではないだろうか。義母は現在と過去を行ったり来たり、ときにはごっちゃになったりしながらも現在にもどってくる。そして今を生きている。・・・ひとりの時が多ければ多いほど、そして人とのかかわりあいが少なければ少ないほど、痴呆はすすむのではないだろうか。
(小菅もと子著 忘れても、しあわせ p.175)
長期戦
- 老人ケアは、・・・一年、二年、あるいは五年、十年とかかる長期戦です。
(耕治人 どんなご縁で p.166)