デス博士の島トークショー他

◎最近のお仕事 『興 行師たちの映画史』(青土社)サ ポート・ページもあります。
『ケ ルベロス第五の首』(ジーン・ウルフ 国書刊行会)勝 手に広報部も(勝手に)よろしく。
『ア ヤックスの戦争』(サイモン・クーパー 白水社)を翻訳しました。第二次世界大戦とユダヤ人の運命とサッカーに 関する本です。はっきり言って、ニッチです。
『輝 く断片』(シオドア・スタージョン 河出書房新社)で中編を二編翻訳しています。キモメン文学の金字塔ですよ。
『宇 宙舟歌』(R・A・ラファティ 国書刊行会)を翻訳しました。
『デ ス博士の島その他の物語』amazon(ジーン・ウルフ 国書刊行会)で中編を一編翻訳しています。

『た まもの』(2004年度ピンク大賞受賞)の音声コメンタリーにいまおかしんじ監督、林由美香さんと一緒に参加しています。まだ御覧になっていない方は、是非林由美香さんの姿を見てあげてください。


2/17(金)
 麹町に角川映画に出かけてマスターズ・オブ・ホラーの試写。なんか会議室に椅子おいただけ、みたいな試写室。トビー・フーパーの『ダンス・オブ・ザ・デッド』と三池崇史の『インプリント』。三池はあまりにも三池的な作品で、出来としてはまるっきり酷いんだけど一点突破的な迫力があってどうにも目を離せなくなってしまうという。いやもう、すごい映画です。凄いことは誰にも否定できまい。
  フーパーはなんか変な編集とかしてたけど、あれ、なんか今風にしたかったのかな?

 夜は阿佐ヶ谷でポルの会。二次会では新宿に出て、勢いで中原昌也を呼び出して始発まで飲む。つうか、オレは人を呼び出しておいて途中寝てました。目が覚めたら中原は酔っぱらいの人の相手をしていたのでした。
2/18(土)
 洋泉社で打ち合わせ。まだまだ前途遼遠だなあ。
2/20(月)〜21(火)
 たまには親孝行もしようと思ったので、水上温泉の旅館に行ってきました。でも旅費込みで往復一万円ポッキリなんだけど。激安過ぎだけど、宿はなかなか良かったです。  常磐線の特急で行くんだけど、自由席はガラガラなのに、指定席だけが(ツアー客なので)満員だったから笑った。

 息つく暇もなくそのままトビー・フーパー取材。無理言って、記者会見の後にインタビューさせてもらいました。どうしても平山夢明さんがフーパーに会いたいだ ろうと思ったんで、この日にしてもらったんです。あと滝本誠さんも来たんで、ますますもってわけわからん取材に(笑)。アマンダ・プラマーも来ていた。付きあってるらしい。 やるな爺さん。ひょっとしてオヤジの代からの付き合い? 和気藹々と歓談ののち、記者会見に来ていた中原らも加えて軽く飲む。
2/22(水)
 本日はゴミ鍋@Loft+1。今回は平山夢明さん監督のウェブ・ムービーを焼いて持ってったんだけど、なぜか音声が出なくて往生した。まだまだiDVDは謎が多 い。ていうか、結局すべて無料のソフトの寄せ集めでやろうとするところに無理があるわけで、Final CutとToastを買えばすべて解決するような気がしないでもない。
 wmvファイルからのコンバートが簡単確実に出来たらいいんだけどな〜
2/23(金)
  『ブロークバック・マウンテン』やっ と見る。もう二度も試写に出かけて、そのたびに断られて、これが三度目の正直。ついに一般試写に入れてもらった。普段のオレのポリシー(来る者は拒まず、 去る者は追わず)からははずれているんだけど、なんか見ないわけにはいかなくなって大変な苦労をして見てしまった。で、その甲斐があったかと言うと ……微妙ですな。まあアカデミー賞向きの映画ではあります。
2/24(土)
 久しぶりに上野オークラ。『巨乳未亡人 もっと激しく(ねっとり妻おねだり妻 不倫妻またがる)』、『べんり屋熟女〜変態性癖24時』の二本を見る。
  ご贔屓、山崎邦紀監督作品を見に行ったんだけど、最近、オークラに行くのは山崎監督の新作のときだけのような気がしますな。いかんいかん。 で、その作品はというと、なんかもひとつ盛り上がらないんだよな〜このところ、浜野佐知監督に提供している脚本の方が山崎監督向きで、自分で撮ってる本の 方が浜野監督向きって気がしてならないんだよな…

2/27(日)
 シネマヴェーラ渋谷に出かけて『次郎長三国志・海道一の暴れん坊』!!!!!

 その後バウスシアターに出かけて爆音レイトで『Let's Rock Again!』
 実は監督のディック・ルードというのは昔の友達なのである。というか、某友人宅に半年ばかり居候していたというほどである。あのころはいろいろ大変だっ たんだけど、その後ちゃんと更正し、レッチリの日本ツアーでバックステージ映像を撮るとか行ってライヴに呼んでくれたことがあったりもした。フジロックで ジョー・ストラマーが来日したときにも同じようなことしてたんだなあ。どうせならジョー・ストラマーに呼んでくれれば良かったのに。
 これ、完成したにもかかわらず、権利関係でクリアできてない映像があったとかで一度発売中止になったりしたのだ。そういう間抜けなところがまたディックらしいというかなんというか……
「押しつけられたものじゃなくて、自分で音楽を探しに行け!」とジョー・ストラマーは言うわけだけど、なんか一人でラジオ局まわりしてる姿に、涙が…
 いろいろ昔のことを考えながら見てたら、ちょっとセンチな気分になってしまった。ついパブに入ってビールを一杯……
3/2(木)
 フィルムセンターでダグラス・サークの『思ひ出の曲』見る。他愛のないコメディなんだけど、ものすごくエロチックだったり(ガラス張りの透明な浴槽とか、ハート型のエプロンをつけたメイドとか)、素晴らしくスムーズなつなぎとかあって、本当に凄いな〜と見入る。
  中原昌也とか佐々木浩久監督とかが来ていたのでお茶する。
3/3(金)
 文芸坐で『ALWAYS三丁目の夕日』を見る。久しぶりに頭に血が昇った。これ作った奴、殺す!と誓う。以下mixiに書いた長文を転載。
 さて、この映画ですが、ともかくすべてをセリフで説明します。盲人向け副音声みたいな映画で、目をつぶっていても話が全部わか るわけです。だからこの何も起きない話で2時間15分もあります。ふざけんじゃないよ!『オトナ帝国』はたった3分の回想シーンで、ここにあること全部 語ってたよ!

 どんなに酷いかというと、こんな具合です。作家志望の吉岡秀隆はとやかくあって子供を預かることになります。ウザがってるんですが、ようやく心が通じあ いました。そこに子供の実の父(会社社長)があらわれます。「わたしは10年ほど前にこれの母を妾に囲っておりましてね…まああの女にはも う未練はないですが、わたしの血のつながった子をこんな場所で、あ、いや、血のつながった子供にはきちんとした教育を受けさせたいのですよ」(本当にこう いうセリフなのです)
 で、吉岡は子供を愛してるんだけど、貧乏だから、ここは身を引こうと思います。家の前には黒塗りのベンツが止められており、子供を乗せます。子供が吉岡 からもらった万年筆を取り出します。すると父親は見とがめていいます。「そんな三流のものは必要ない。おまえはこれからはすべて一流のものだけを使うよう にするのだ」(本当にこういうセリフなんだよ!)と言って、無理矢理万年筆をもぎとり、車のドアを開けて、外までついてきていた吉岡に渡します。
 車は出ます。呆然と見送る吉岡。家に戻り、万年筆を見つめます。すると机の上に紙があるのに気づく。子供が、その万年筆で書き残した手紙です。吉岡が読む。手紙のカット。吉岡の顔。吉岡立ち上がる。家から走りだす。角を曲がって車を追う。そこで手紙の内容が、子供の声でナレーションで入るのです。「…ぼくはおじさんと一緒にいたときがいちばん幸せでした…」だが車はもう消えてしまった。バタと倒れる吉岡。だが、そこで顔をあげると、そこには行ってしまったはずの子供が!
(場内感涙)

 頭がクラクラしてくるわけですが、これだけのカット、全部要らないんですよ。吉岡と社長が話している場面。車の外で吉岡が立っていたら窓からぽい、と万 年筆が放り投げられる。万年筆をひろった吉岡がとぼとぼと家に帰っていく…とくしゃくしゃの手紙をつかんで走り出してくる。以上3カットだ けで話はすべて説明できるんです。すべてが無駄。冗長のきわみ。

 しかし、ぼくが一番許せなかったのはそこではないのです。堤真一がひどい演技でやってる自動車修理工がいるんですが(ちなみにその妻役の薬師丸ひろ子は良かったです)その役名、なんと鈴木則文というんですよ!
 ふざけんなてめえ。ケツの穴から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろうか。だいたいこれ東宝映画で、中身は松竹で、則文なんの関係もないだろうが! ウンコぶっかけるぞこら!
 去年のうちに見ていなかったのが残念だ。見てたら思う存分悪口言えたのに。
3/4(土)
 神田三省堂でジーン・ウルフ『デ ス博士の島その他の物語』発刊記念トークショー。今回は山形浩生くんを招いて、久しぶりにトークしてみました。たぶん京フェスでやった「おかま対談」以来だな〜
 トーク自体はいろいろ段取りを考えていったんですが、なんか入場で慌てていて台無しになっちゃいました。ダメじゃん。例によってとっちらかったトーク ショーになっちゃったんで、ちゃんと言いたかったことを喋れたかどうかたいへん心もとないところ。「癒しとしてのフィクション」ということに関して、終了 後、複数の人から突っ込まれたんで、どうやらそこんところが説明不足だったっぽい。

 つまり、『デス博士〜』のフィクション世界は、少年タッキーにとって癒しとして機能している。この件についてはたぶん異を唱える人はいないんじゃないか と思う。で、これは実はアイランド博士と同じなのだ。アイランド博士は中にいる人たちの精神状態にあわせて変化する存在で、中の人々に合わせた物語を紡ぎ あげている。でも、人間はいつまでもアイランド博士の中には居られない。いつかは癒されて、イグナシオのように、外へ出ていかなければならないのだ。
 『デス博士』を読んでいる「あなた」は、アイランド博士によって癒された人のはずだ。だから『デス博士』を読んで、そこにかつての自分を見るのである。それが「癒し」ということだ……

 というようなことを言いたかったのだった。あと、『死の島の博士』が実は「ファウスト」を下敷きにしているので、あの物語でアルヴァードが救われ、血の しみが拭われるとしたら、ジェニーのクローンである娘(永遠に女性なるもの!)によってでしかない、というのを言っておくのを忘れた。

 三次会ではカラオケに行って6時過ぎまで歌いまくり(というか怒鳴りまくり)。5時過ぎくらいから中原昌也のスイッチが入って絶唱してました。あー楽しかった。
Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / kiichiro.yanashita@nifty.com