◎今月のお仕事 『子供の森・完結編』(もりしげ オークラ出版)に解説を書きました。子供は読まないように。犯罪だから。
〈メンズクラブ〉12/10売号よりファビュラス・バーカー・ボーイズ連載。いつまで続くか?(笑)
代々木公園で世紀末マシーン・サーカス。すなわちSRLの日本公演に出かける。十重二十重の人混みで何も見えませんでした(同様多数)。モッシュピットで鍛えた人混みにまぎれて最前列に出る技をひさびさに駆使して前方にもぐりこむも、前から2列目くらいじゃないと何も見えないんじゃな……いちばんおもしろかったのが帰り際に木にはさまっているのを救助されている人だというんだから何をか言わんや。入場者3000人ということだが、たぶん1割くらいは知り合いだったろう。帰り際、山形に会うが一瞬ではぐれる。
しょうがないんでその後は渋谷で例によって女の子をいっぱいはべらせて酒池肉林。残念だったね山形くん。
まあイブでもあることだし、妻と一緒にフィルムセンターへ出かける。ホークス特集で『バーバリ・コースト』。場内は満員。映画と結婚した人たちが……映画はどうでもいいものだった。ホークスもかなり流して作った作品らしい。まあこういうこともあるね。
10時BOX東中野へ。恒例の秘宝オールナイトである。今年は映画作品がどうも弱かったような気がしたんだけど、その分サービスしようとしたせいで喋って喋って喋りすぎたかも、みたいな。なんせ2本目のはじまる時間にははや始発が動いていたというほどだ。ちなみにイベントとしては秘宝ベスト10発表と来年公開作予告編集。それにバカ映画ゴングショーが用意されていた。
予告編集では『発狂する唇』の佐々木監督が来てくれたのでミニ・インタビュー。三輪ひとみ嬢は「いや、楽しかったって言ってましたよ。まあ、何やってるのか気づいてなかったのかもしれませんけど」という暖かいお言葉をいただいた。
バカ映画ゴングショーには中野貴雄監督が京都テレビでやってる番組のアシスタントをやってるマキちゃんが来てくれた。中野監督にコスプレやらされたりわけわかんないビデオ見せられたりするのが楽しくてしかたないという奇特な女の子で、中野監督「リサ・マリーに会ったティム・バートンのような気持ちです」と感涙しきりとか。作品では『ゴジラ2000ミレニアム2』が笑えた。行方不明になったあるゴジラマニアが残したビデオが一年後に発見された……って代物なんだけど、中ではミニラがカメラに向かって「エメリッヒ監督ごめんなさい。全部わたしが悪かったんです。あんなに悪口ばかり言って。まさか東宝がこんな映画作るとは……」とか言ってるっていう……しかしグランプリははるかに要約不能なバカ映画『宇宙人の旅日記』にさらわれてしまったのだった。
なんやかやあって終電で帰る。来ていただいたみなさま、どうもありがとうございます。また来年……あるのか?
その後大森、さいとう、小浜、三村で早稲田へ。トーキングヘッズの打ち上げである。大森といろいろ話す。二次会では手料理をたらふくご馳走になり、終電ごろ帰宅。
『ミーハーサッカーコミック2』(真野匡、カトリーヌあやこ、なかはら桃太 メディアファクトリー)いただく。ありがとうございます。
夕刻、洋泉社へ。編集部の悩み相談員。はたから見れば楽しいだけに見えるだろうが、やっぱりオペレーション・メイハムによってボブは死んじゃうわけだし、現実をフィクショナイズするのもいろいろたいへんなのである。まあ、なんとかなるだろう(いつもこればっかだなあ)。『モンスター・メイカーズ』(STUDIO28 洋泉社)をおみやげにもらって帰宅。
別にそれとは関係ないんだけど山形の『新教養主義宣言』読了。山形のことは昔からパク人のプロテクターのような奴だ、と思っていた。海外SFファン以外には意味不明のたとえだが、プロテクターというのはラリイ・ニーヴンのノウンスペース・シリーズに出てくる宇宙人で、とっても頭がいい。銀河でいちばんくらいに頭がいいんだけど、超光速駆動は発明できなかった。なぜかと言えば、相対性理論に抵触するからそんなものできるはずがないってことが考える前からわかっていたからなんだ。
で、山形なんだけど、昔からすごく先読みの利く奴で、それにはほとほと感心していた。なんだけど、その一方であまりに先読みができてしまうもんで、他の解が存在する可能性をあまり探りたがらないってところがある。たとえば蓮實総長の文章について、直接的に答えを出さないために迂回しているんだ、と山形は書く。それはたしかに真理なんだけど、それと同じくらい迂回そのものを楽しんでいるところもあると思うんだな。そこが蓮實の倒錯なんだよね。もちろんそこをばっさり切り捨ててしまうのが山形の最大の魅力なんだけど、でも、なんか怪力乱心を語らずってよりはその存在そのものを認めてないような感じがつきまとっていたのだよね。
でも本としてみると、やっぱりそういうことを考えてる部分って余計な感じがする。山形ってやっぱり本質的に非文学的人間なんじゃないか。具体的には書評の一部だけど、落としてしまった方が本としてすっきりするんじゃないかなあ。