イアン・ブラディ&マイラ・ヒンドレー


沼の向こうへ
沼地に連れていって
浅い墓を掘って
ぼくをそこに埋めて
−−ザ・スミス『サファー・リトル・チルドレン』

 イアン・ブラディと出会ったとき、マイラ・ヒンドレーは19歳のデブの処女だった。ブラディは空威張りだけが得意の青白きインテリだった。『わが闘争』を原語で読んでいるブラディに、ヒンドレーは夢中になった。二人の初めてのデートは映画だった。『ニュールンベルク裁判』だ。ブラディの好きな映画だった。ブラディはナチに関するものには目がなかった。ヒトラーを信奉し、自分がヒトラー並の超人だと信じていたのだ。
 ヒンドレーはブラディの好みに合わせて自分を変えていった(あなた色に染まってく〜)。最初は相手の為でも、そのうちそのこと自体がおもしろくなっていく。途中からは、どっちがどっちを引っ張っていたのかなんて忘れてしまう。二人組の殺人者というのはそういうものである。ヒンドレーは髪をブロンドに染め、皮ブーツをはいてタフな外観を身につけた。“ベルゼンの雌犬”ことイルマ・グレーゼ(ダイアン・ソーン主演の“イルザ”シリーズのモデル)を気取ったのだ。ブラディはヒンドレーをバイクの後ろに乗せ、「マイラ・ヘス」と呼んだ。
 ブラディは自分こそは天才であり、周囲にいる人間はすべて愚か者のウジ虫だと信じていた。サディストである自分の楽しみのためになら、人を殺すことなどなんでもなかったのである。二人はマンチェスター近郊の小さな町に住んでいた。1963年ごろから、マンチェスターで何人かの子供が行方不明になった。1963年7月、16歳のポーリン・リードが消えた。11月、12歳のジョン・キルブリッジが行方不明になった。1964年6月、12歳のケネス・ベネットが消えた。リードとベネットについては、生きているかどうかすらわかっていない。だが次の犠牲者、10歳のレスリー・アン・ダウニーの場合は、死に方まではっきりわかっていた。二人はすべてを記録にとっておいたのだ。
 ダウニーはクリスマスのお祝いに出かけるはずだったが、そこをブラディとヒンドレーに誘いこまれた。家でダウニーは服をはぎ取られ、ポルノ写真を撮られ、りょう辱を加えられた。その合間を縫って、二人は写真を撮り、カセットにその模様を録音した。『陽気なサンタ』の曲をバックに「やめて、おねがい」「うるさい。こいつをそこに入れろ」という言葉が交錯するこのテープは、英国の裁判史上もっとも陰惨な証拠品になった。聞かされた陪審員は次々に気分を悪くして、裁判の続行まであやぶまれたほどだ。
 すべてが終わると、彼女は殺され、マンチェスター北部のサドルワース沼地に埋められた。彼女とジョン・キルブリッジの死体は、後の捜索によって発見された。ブラディとヒンドレーはテープを聞き、写真を眺めて殺人の顛末を思い出して、悦に入っていたらしい。夏の夜にはキャンプに出かけ、死体を埋めた場所の上にテントを張って星空を眺めた。
 ここに至っても、ブラディとヒンドレーは満足ということを知らなかった。二人は今度は仲間を増やそうとしたのだ。ターゲットはヒンドレーの義弟デヴィッド・スミスだった。ブラディはスミスに向かって「人を殺すのなんか簡単だ」と嘘ぶいた。自信満々の義兄に、スミスも畏敬の念を抱くようになった。あとはきっかけだけだ。そこでブラディはスミスの前で殺人を実演してみせることにした。共犯者になれば、後は思うがままだろう。
 犠牲者として狙いをつけられたのは17歳のエドワード・エヴァンズだった。ヒンドレーは巧みにスミスを現場に引きずり込んだ。そこではブラディが血まみれになりながら手斧をふるって少年を殺していた。指紋が残るよう、わざわざスミスは手斧を持たされた。しかし、殺人について想像するのと、実際に経験するのとはまったく別問題である。スミスはすっかりビビってしまい、警察に通報した。

●マイラ・ヘスの肖像


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / PDE01513@niftyserve.or.jp