ピーター・キュルテン Peter K殷rten


 ピーター・キュルテンが五歳のとき、ロンドンにジャック・ザ・リッパーが現れた。キュルテンは、大きくなったらジャックのような立派な人間になろうと思った。だけどまだ、大人の女は手に負えない。しょうがないから友達を殺すことにした。九歳のとき、二人の友達とボート遊びに出かけたキュルテンは、隙をついてひとりを川に突き落とした。もう一人が助けに飛びこんだので、頭を押さえつけて溺れさせた。
 ピーターは十三人兄弟の上から三番目だった。妹たちがちょうどいい実験台になった。父といっしょに妹を犯し、首を絞めたりして遊んだ。犬にマスターベーションを施すのも楽しかった。休日には牧場に出かけ、羊や、豚や、山羊を犯した。なかでも羊を犯しながら殺すのがよく、デュッセルドルフ近郊ではキャトル・ミューティレーションが流行した。十四歳のとき、盗みで逮捕されて二年間監獄につながれた。牢屋で本物の犯罪者たちに会って、まだまだ甘いとピーターは反省した。誓いをこめて彼は入れ墨をする。以後、牢屋に入っていないときは、ピーターは暴行、放火、強姦、殺人を繰り返した。
 一九一三年、十三歳の少女を強姦して殺したのが最初のセックス殺人だった。キュルテン自身はとくにロリコンではなく、抵抗できない弱者として少女を選んだにすぎない。真性のサディストだったキュルテンは、男女手段を問わず、出会った者はかたっぱしから殺して快感を得た。二一年、やはり男を殺して前科もちの中年女と会ったピーターは彼女に恋をする。得体の知れない乱暴者に警戒感をいだいた彼女だったが、「結婚しないと殺す」と言われたのでしぶしぶ承諾した。彼女に対してだけはキュルテンはサディスティックな衝動を抑え、正常な性行をした。
 一九二五年からデュッセルドルフの恐怖がはじまった。ほとんど毎週のようにキュルテンは犯行を繰り返した。手口はナイフ、ハンマー、絞首とさまざまで、犠牲者は男女幼児とでたらめ。殺さなかった場合もあったが、快感は同じだった。死体を燃やしてみたこともあったし、死姦もやってみた。ある日曜日、彼は小間使の少女を襲った。強姦されながら、彼女は「もう死んじゃいたい」と泣いた。「よし、わかった」とピーターは言ってナイフで刺した。しかし彼女は死ななかったうえ、強姦もされてしまった。
 恐怖は続いた。だが、ひょんなことから、殺さずに帰した娘に家を知られてしまった。これでおしまいだと悟ったピーターは、夕食前に妻に自分が”デュッセルドルフの怪物”だと告げ、密告して賞金を得るようにうながした。彼女が孤独で貧乏な老後を恐れていたので、老後のたくわえになるだろうと思ったのだ。妻が信じなかったので、ピーターは自分の犯罪についてこと細かく語った。妻は夕食が食べられなかった。ピーターは妻の分までたいらげた。
 一九二九年、妻の密告にもとづき、ピーターは逮捕された。最期の願いは、ギロチンにかけられるとき、自分の血がごぼごぼ流れる音を聞きたいということだったが、残念ながらこれはかなえられなかった。
 これがフリッツ・ラング監督作品『M』(31)のもとになった”デュッセルドルフの怪物”事件のあらましである。映画が作られたのはキュルテンが処刑されたその年で、これが”エクスプロイテーション・フィルム”として企画されたことをはっきり示している。しかし、だからこそ、事実から映画への変更点がラングのイマジネーションをはっきり示しているとも言える。まず、老若男女みなごろしのサディストは、映画では気弱なロリコン青年に変えられた。映画では警察のきびしい捜査に根をあげた暗黒街の面々が犯人さがしに乗りだし(これは現実どおり)、見つけた犯人をリンチにかけようとする。ピーター・ローレ演じる気弱な犯人は、無実だ、法の裁きを受けさせてくれと哀願するが、誰ひとり聞く耳を持たない。あわや殺されんとするところ、警官隊が救出(!)にかけつけてめでたしめでたし(どのみち死刑だけど)。
 すぐわかるように、ラングの映画ははっきり犯人の視点に立っている。ローレが背中にM(殺人のM)の字を書かれ、追われる有名な場面などは完全にM側視点の演出だ。ラングは自分の中に悪魔がいることを認めている。その上で、正義の側に立った人間たちのマス・ヒステリーを告発するのだ。実際、そうでなくてMと自分を同一化させることができるだろうか。『M』にオマージュを捧げながら、無邪気に被害者づらをしてみせる『影と霧』(92)のウディ・アレンとはずいぶんな差だ。アレンは自分の内なる魔に気づいていない。もちろん、今作ったら、だいぶ違った映画になるかもしれないが。
 なお、ラングの生みだしたロリコン殺人鬼はその後昭和の終わりの日本に転生し、連続幼女誘拐殺人事件を起こした。俗に言う”M崎くん”である。彼は、今度はメディア時代に生きる人間の内なる魔を告発したのである。正義の側に立つ市民たちは、彼をさいなみ処刑せんとした。自分にもMの字が書かれていることを知ろうともせず。

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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com