最近の日記
2009年7月5日(日)
昨日土曜日は夏休み山行の足慣らしのために丹沢の大岩沢へ行った。
今日、玄関の軒下のツバメの巣で雛が頭を出していた。
2009年6月7日(日)
我が家の玄関の軒下にツバメが巣を作った。卵を温めているのだろうか。
家庭菜園のジャガイモをほぼ全部掘り出した。大きいものが多い。

2009年5月31日(日)
家庭菜園のジャガイモが一部枯れ始めたのでそろそろ収穫時かと思い1株分だけ掘ってみた。予想外に沢山出来ていた。まだこの10倍以上畑の中には出来ているはずだ。早速粉ふきいもにして食べた。おいしかった。
2009年5月10日(日)
家庭菜園でジャガイモをつくっているのだが、大分成長し花が咲いた。携帯電話で撮ったのだがピントが今ひとつだ。6月頃の収穫が楽しみだ。他に空豆も作っておりすでには大分収穫した。
2008年10月11日(土) ハナミズキの枝にしがみついているカエルくん。表情に少し余裕が見られる。なんとか生き延びているようだ。
2008年9月21日
ウッドデッキの隙間から顔をのぞかせているカエルくん
大分やせた感じ
2008年9月7日(日)
我が家のハナミズキにカエルがいた。どこから来たのだろう。木の色と似ている。
2008年7月12日(土)
夕方は集まりがあるが、日中はのんびりできる休日だ。
体を動かすために自転車に乗って大賀蓮を見に行った。きょうはきれいに花が咲いていた。
太古の昔の種の発芽に成功したというものだ。高貴な感じのする花だ。
蓮を見た後は花見川サイクリングコースを走った。1時間半ほど走って家に帰り、早速ビールを飲んでしまった。
2008年3月2日(日)
一週間経ってしまったが、先週の日曜日(2/24)新車が来た。今までハイラックスサーフに乗っていたが、燃費が悪いので一回り小さいエクストレイルにした。
ハイラックスサーフはほとんど高速道路だけでも8.6km/lしか走らなかった。エクストレイルは10km/l以は走りそうだ。
ラゲッジスペースやシートに泥が付いても洗ったり、水拭きできるのが嬉しい。
昨日の晩はテレビで「それでもボクはやっていない」を見た。
2007年11月11日(日)
自転車の空気入れでフレンチバルブ用のもののパッキンがだめになってしまったので、パッキンの交換部品を探したがなかなか見つからなかった。今までのポンプヘッドとは別のものでクワハラのヒラメ ポンプヘッド横カムというのが評判が良いようなので、通販で購入してみた。手持ちのポンプに取り付けて使ってみたら大変使いやすい。カンカンに空気を入れた自転車に早速乗ってこよう。
2007年3月18日(日)
風が強かったので自転車には乗らず散歩をした。春なのでどこかにつくしが出ていないか探したら、少し見つかった。
2007年1月20日(土)
私の住まいから遠くない千葉県市川市に東山魁夷記念館があることを知り、散歩がてら行ってみた。
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京成中山駅を下りてみてびっくりした。
そこは法華経寺への石畳の長い参道だった。
狭い道なのに両側から車がは入って来る。
法華経寺は境内が広く、五重ノ塔まであって立派な寺だ。
東山魁夷記念館への道しるべを見失ってしまい、
かなり遠回りをしてたどりついた。
もともと散歩のつもりで来たのでちょうどよかった。 |
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東山魁夷記念館はこじんまりとしていたが、新しい感じの
白い石造りの建物だった。
「冬の詞」という通常展が行われており27点の絵画が展示
されていた。
雪の山の斜面など何の変哲もない風景を題材に
芸術作品を作り上げている事に感心した。
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帰りにまた道に迷い、ぐるっと回って出だしに戻ってしまった。
山で迷ってぐりっと回ってしまうことをリングワンデリング
というが、まさに同じ状態だった。
工事中の道路の交通整理のおじさんに二度、
同じ方向から会った時には不気味な感じがした。
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2006年11月4日(土)
世の中は3連休。私は2連休。山へ行ける状況ではないので自転車に乗って体を動かすことを心がけた。
ネット上で調べものをしていたら、偶然「
千葉県の戦争遺跡」というページにたどり着き、近くに「支那囲壁砲台」というのがあることがわかった。
中国の家屋を模して演習用につくられたそうでコンクリート製の建造物だ。
場所は東習志野で、近くに中学校と体育館があるというのがヒントだ。早速自転車で探しに行った。
幸い見つけることができた。民家になっている。軍用鉄道の名残の並木道も近い。
下の写真は「
千葉県の戦争遺跡」から拝借したものだが、この写真は軍用鉄道の方から撮影されたものだと思う。
2006年7月9日(日)
昨年のこの日は鈴木貫太郎記念館へ行った。今日はどこにも行けないがネット上で良い文章に出会った。
政策研究センターのHPに掲載されていた
伊藤哲夫氏の講演録だ。
2006年7月1日(土)
私の散歩用の自転車はフラットハンドルだったが、やはりドロップハンドルの方が慣れているので、前から取り替えたいと考えていた。
それに関して一番障害になるのがデュアルコントロールレバーの変更だ。昔の自転車はギヤチェンジのレバーとブレーキレバーは別々だったので
ハンドルやブレーキレバーの交換は簡単だったが、今の自転車は一つのレバーでブレーキもギヤチェンジも担当している。
構造が複雑で値段も高い。左右で18700円した。ちょっとした自転車が買えてしまう値段だ。あとハンドルとステムとハンドルテープを一括購入た。
昨日届いたので今日仕事から帰って、早速取り替え作業をした。フロントディレイラーの調節が難しい。なんとか走れるようになって、試運転をしていたら
雨が降ってきた。 |
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2006年6月25日(日)
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毎年6月から7月ころクチナシの花が咲いている。
今年は遅いなと思っていたら、今日最初の1輪が咲いた。 |
2006年2月11日(土)
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昨年11月頃女房殿にこれと同じ赤い自転車を購入したら
自分の分も欲しくなり12月頃このような白い自転車を購入した。
ブリジストンのCA700という自転車でタイヤは700x28Cという大きさ太さである。
最近はこのようなロードレーサーとランドナーの中間のような自転車を
サイクロクロスと呼んでいるようで、舗装道路のチョイ乗り用である。 |
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私はその他にランドナーと呼ばれるタイプの650x38Aという
少し太いタイヤの付いた丸石のtouring masterというのも持っている。
学生時代からずっとペダルにトウクリップとトウストラップを付けて乗っていたので
何も付いていないペダルでは物足りない。
トウクリップが付いていると踏むだけでなく引き上げる力が加えられる。
最近のロードレーサーのペダルは専用の靴とはまるようになっていて
トウクリップは使われない。
トウクリップは競輪用の部品として残っている。
昨日、上の写真の自転車もペダルを交換しトウクリップを付けた。
ペダルは三ケ島製。
トウストラップは皮製でトウクリップより高価だ。 |
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今日は新しいペダルとトウクリップの感触を楽しむため、
花見川サイクリング道路を午前中二時間ばかり走ってきた。
帰ってきたらのどが渇いてビールを飲んでしまった。
消費したカロリー以上のものをあっという間にとってしまった。 |
2005年11月19日(土)
表参道へ姪の個展を見に行った。
2005年10月25日(火)
20年以上前から使っていた鍋の柄が取れてしまった。合成樹脂が熱でもろくなったようだ。
先日丹沢の伊勢沢に行ったとき下山時に杖代わりに使っていた木を鍋の柄にしようと思って持ち帰った。
今日削って鍋に差し込んでみた。握り心地は良いが、少し柄が自己主張しすぎかもしれない。
2005年7月9日(土)
今日は記念すべき50回目の誕生日だ。
以前から読み始めていた半藤一利の”聖断”という本を読み終わった。終戦時の総理大臣だった鈴木貫太郎と昭和天皇について書かれた本だ。鈴木貫太郎は日清日露の戦争を海軍で戦ってきた人で、昭和天皇の侍従長もしていたそうだ。戦争は終わらせるのも大変なようで、下手に終戦を言い出すと、血気盛んな青年将校たちがクーデターを起こしかねない。戦争は終わったが国がバラバラになってしまったのでは後に国を再建することもできない。軍部を押さえ込み終戦に漕ぎ着けたのは鈴木貫太郎と昭和天皇の力が大きかったようだ。もう少し終戦がおくれたら、北海道はソビエトに盗られていたかもしれない。

鈴木貫太郎の記念館が千葉県野田市関宿にあるので、早速バイクで行ってみた。同じ千葉県なので身近に感じたが、自宅から85kmも離れていた。千葉県は広い。



大変小さな建物で、入場無料。”聖断”の表紙に使われている『最後の御前会議』の原画を見ることができた。また天皇や各大臣の署名の入った
終戦の詔勅も展示されていた。
見応えのある記念館ではなかったが、鈴木貫太郎の墓参りのつもりで行ったので満足した。
2005年3月10日(木)
今日は東京大空襲の記念日だ。60年前の3月10日、アメリカ軍は東京下町の一般市民に対し焼夷弾を用いた無差別大量殺戮を行った。犠牲者の数10万という。広島の23万人、長崎の13万人に迫る犠牲者数だ。よく『戦争の悲惨さ』を後世に語り継がなければいけないというが、本当に語り継がなければいけないのは、なぜ戦争をしなければならない状況になったか、ということだと思う。悲惨さだけを語り継いだのでは戦争はなくならない。現に大東亜戦争以来日本は戦争をしていないが、日本を戦争に追い込み、日本に原爆を2発も落とし、東京大空襲を行ったアメリカは何もとがめられずに、現在でも同じ調子であちこちの国に戦争を仕掛けている。毎日新聞の余禄に興味深いことが書かれていた。東京大空襲を立案指揮したC・ルメイ少将は部下に『負けたら我々は戦争犯罪人だ』と語ったという。戦後彼は戦争犯罪人として非難されるどころか、航空自衛隊創設に貢献したとかで日本政府から勲章を与えられたという。空襲の犠牲者が聞いたらさぞ不愉快に思うことだろう。
私は現在、『大東亜戦争への道』という本を読んでいる。明治維新後、大東亜戦争までの歴史が事細かにかかれていて、感心することが多い。
今日はヘレン・メアーズの『アメリカの鏡・日本』という本を探した。原作は昭和24年にアメリカで出版されたが、日本ではGHQによって出版差し止めになっていた。メアーズ女史は、大変な日本通でGHQで働いていた。大変公平な見方で日本が戦争へ追い込まれていった経過を解説している。インドのパール博士に通じるところがある。いい本はなぜかすぐ絶版になっていて入手困難である。古本で注文した。アメリカで原作も絶版になっており、英語の古本も注文した。
2004年9月24日(金)
23日と24日に休みをとり、どちらかで谷川岳のヒツゴー沢へ行こうと思っていた。22日の夜出発しようとしたが、天気予報がどんどん悪い方へ変わって行ったので中止することにした。24日もだめだと思っていたのだが、23日の夕方の天気予報は急に良さそうな見通しを発表していたので、23日夜(20:20)に急遽出発した。時々小雨が降っていた。所々濃い霧も出ていた。関越自動車道の赤城高原PAニ23:00過ぎに到着。車の中で寝た。水上の道の駅や、谷川温泉の無料駐車場で車中泊をする手もあるが、トイレの清潔さや売店のことを考えるとPAの方が快適だ。24日朝4:00起床し朝食を食べ、出発。谷川温泉の無料駐車場に5時前に着いた。まだ真っ暗だったので30分位横になった。この駐車場のトイレはかなり不快だ。タンクの水でながせるようになっていたようだが、水がなくなり、何人分かのオミヤゲが残っており、蚊がたくさん居た。靴下の上からも刺してきた。あわてて車に戻り、キンカンをぬりまくった。急に明るくなってきたので急いで準備をして5:50出発。小雨がぱらついていたが、午前中は降水確率20%と比較的良いはずだった。大きな岩の表面がつるつるしていて、滑ったらイヤだな、と思っていた矢先、しりもちをついた。二股まで80分かかった。沢の水量も多いようだったので、その少し先、岩にプレートのついているところで沢用の足回りに変えた。それまで毛糸の靴下を履いていたのだが、靴下に蛭がついていた。靴下を脱ぐと血がでていて、くつしたの上から食いつかれていたことがわかった。もう一方の靴下にも1匹ついており、靴下を脱ぐと出血した。蛭は靴下の網目の中に頭を突っ込んでおり、取り除くのに苦労した。ヒツゴー沢ははじめ伏流になっていると書かれているものがおおいが、この日はしっかり水が流れていた。少し遡行するとすぐにF1が出てきた。これを登るとすぐ逆くの字といわれているF2だ。ずっと小雨が降り続き、この先どうしようかと迷っていたが、F2の水量がかなりおおそうで、高巻くにしても周りの岩が嫌な感じに濡れていたので撤退することにした。F1の上にハーケンが打ってあり、これを支点にして懸垂下降した。行きにぬめった岩で滑ったので、帰りはずっと沢靴のまま歩いたが、蛭が盛んに足元にまとわりついて辟易した。ネオプレーンのスパッツとニッカの間に吸い付いていた奴は退治したが、時々立ち止まって足元を調べると、靴のあたりから上へ這い上がってこようとしている奴が2〜3匹ついていた。払っても払っても別の奴が付いてきた。車に到着して着替えるときにも良く調べた。スパッツの中にも1匹入っていたし、ズボンの腰の辺りにも着いていた。長袖シャツを着ていて、すそはしっかりズボンに入れていたので腹や背中には付いていなかった。家に帰って靴を洗っていたら蛭が2匹出てきた。今回は雨だったので蛭が多かったのかもしれないが、次回は蛭対策をしっかり立てて行きたいと思う。ネット上
(ヤマビル研究会)で、蛭避けの薬や、蛭殺しの薬も手に入りそうだ。

谷川岳ヒツゴー沢F1の手前

ヒツゴー沢F2逆くの字の滝
2004年8月31日(月)

抹茶を飲む道具を買いたいと前から思っていた。昨日家内がついに抹茶と茶筅と茶碗を買ってきた。早速やってみた。なかなかうまい具合に泡が立たないが、味はまあまあであった。
夜NHK教育番組の視点・論点を見ていたら、興味深い話をしている人がいたので、誰だろうと思いながら最後まで話を聞き、字幕に名前が出るのを待った。藤原正彦という御茶ノ水女子大の教授であった。何か著書があったら買おうと思い早速インターネットで調べると、なんとあの新田次郎の次男だそうだ。
「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトに掲載された松原耕二のライフライブラリーというページに興味深い対談がでていた。
無断で少しだけ抜粋させていただく。
「そのアングロサクソンが中心になったイラク戦争を、 日本が支持したことについてはどう思いますか」
「歴史的に見てもこれほどひどい戦争はない。 でも日本は、消極的ながら人殺しを支持しなくてはならなかった。
北朝鮮がこういう状況であるかぎりは仕方なかった。 歴史はその時になると、 ひとつしか選択肢がなくなる。
日米開戦も、私が首相だったとしても宣戦布告したと思う。 石油を止められ、アメリカ国内の資産を凍結までされた。
ここまでくると攻め込むしかなくなる。 負けることがわかっていてもです。 そうなっちゃいけないということです。
だから前もってちゃんとしておかなければならない。 問題は真のエリートがいないことです」
「私が首相だったとしても宣戦布告していたと思う。」と明言しているところがすごい。
専門は数学らしいが、新田次郎の息子なら人物は間違いないだろうと思い、早速本を2冊注文した。
2004年3月29日(月)
大分前から読んでいた『パル判決書』をやっと読み終わった。上下で1600ページくらいだ。パル判事については少し前にも書いた。太平洋戦争後、東条英機ら25人の日本の指導者を裁く東京裁判で、11人の判事のうちただ一人無罪を主張した人物だ。戦争中、捕虜や一般市民を虐殺した恥ずべき罪を犯した兵士も多くいたが、そういう人たちはBC級戦犯として死刑など十分に重い刑罰を受けている。総理大臣や外務大臣などA級戦犯として起訴された人たちは国際法を犯しているところはなく無罪だというのである。パル判事は法律だけでなく歴史を実に丹念に調べ上げており、アメリカから経済制裁を受けて八方塞がりになった日本が開戦に踏み切らざるを得なかった状況もやむをえなかったと述べている。日本の指導者たちの中には、無差別大量殺人を指揮したものはおらず、アメリカの大統領の方が明らかに原子爆弾という無差別大量殺人兵器の使用を指令しており罪が重いといっている。
パル判決書は東京裁判では時間がかかるという理由で朗読が省略された。実際、多数派の判決も朗読だけで1週間たっぷりかかっている。パル判決書はイギリス、アメリカ、日本で正規の印刷物として刊行されることは禁止され、戦後かなりの時間がたってインドで英語版が出版された。日本語の本は訳文が読みにくい部分も多いが、パル判事の仕事に感謝する気持ちを込めて敢えて読み通した
原爆記念碑に『あやまちはもうくりかえしません』とかかれているのをパル判事が見て、原爆犠牲者に捧げる言葉ではないと憤慨したそうだ。日本国民は戦後アメリカの占領政策ですっかり洗脳され、自分の国を悪者だったと思いこまされているが、イラク攻撃や経済制裁にみられるアメリカの強引な態度などを見ていると、実はアメリカが相当な悪だと思えてきた。いままで自分たちが一方的に悪かったと思いこまされてきたが、この本を読むと我々の祖国日本について卑屈になる必要はないと思えて救いを感じる。
2004年3月21日(日)
昨日は午前中に車のオイル交換をして、午後はビデオ屋から”SWAT"と”壬生義士伝”を借りてきて、立て続けに見た。どちらもまあまあ楽しめた。
今日は昼にビーフンを食べ、午後から近くの実籾公園まで散歩をした。桜が少し咲き始めていた。天気予報では明日は東京周辺で雪が降るかも知れないという。
2004年1月25日(日)
東京の『ちひろ美術館』へ行って来た。岩崎ちひろという人を知らない人もいるかも知れないので、念のため絵はがきもスキャンしておいた。
25年も昔に亡くなった人だが、今でもいろいろなところでこの人の絵に会うことがある。私は
2001年夏に北鎌尾根の縦走をした後、安曇野にあるちひろ美術館に立ち寄って感銘を受けた。東京のちひろ美術館へもいつか行こうと思っていて、今日家族を連れて行って来た。美術館の広さも展示している絵の数も安曇野の方がずっと勝っているが、こじんまりとした美術館でのどかな日曜の昼を過ごした。


2003年10月4日(土)
ネットサーフィン中ひょんなことから「パール博士の日本無罪論」という本を知り、早速、インターネット上で注文をしようとしたら、絶版になっていた。古書検索のサイトで検索したらたくさん出てきたので、価格設定の適当な本屋を選んで注文した。注文したあと「パール判事の日本無罪論」と1字違いの題名で文庫本が出ているのが分かり、こちらも注文した。古書の方が先に到着した。戦後教育を受け太平洋戦争は日本の侵略戦争だったという教育を受けて来た我々が是非とも読んでおきたい本である。日本が戦争に踏み切らざるを得なかった歴史的背景など、インド人の学者が実に詳しく分析している。それにしてもアメリカは許せない。日本に原爆を落としておきながら、何ら反省やお詫びもなく、最近では国連決議に背いてイラク攻撃の暴挙に出た。国連決議に違反した国を厳しく罰する法がなければ世界の平和は守れないだろう。

2003年8月17日(日)
昨日、沢登り用に防水デジカメを買った。ソニーのCyber-shot
U。控えめな200万画素で、軽量、コンパクト。はじめは変なデザインだな、と思いながら、他に防水デジカメで気に入ったのが無かったので買ってきた。家でいじっていると、なかなか愛嬌のあるデザインに思えてきた。
今朝、散歩の時にもって出てみた。大きさ、重さが気にならず、持ち歩くのが楽しい感じ。

2003年6月16日(月)
このホームページの海賊版を作っている人があっちこっちへメールを出しているので、多くの人に迷惑をおかけしている。
しかしそのおかげで、善意の人たちと知り合えた。


去年は枇杷の実が2個だけ実ったが、今年は20個位実った。でも葉がみんな落ちてしまい、この先どうなってしまうのか心配だ。
2003年3月15日(土)
きのうワイルドスワンの原書を漸く読み終わった。数年前に日本語で読んだのだが、今回英語で読んでみた。
辞書を引き引きで、3ヶ月かかった。
中国人の書いた本だが原作は英語である。
日本語訳の方は中国で使われている難しい漢字表現が使われているので、場所によっては英語の方が分かりやすいところもあった。
内容については以前書いたのでここには書かないが、時々読み返してみたい本である。
電子辞書が壊れたので、1グレード上の物を買ってきた。今度のはリーダーズ英和が入っている。

金華ハムを買ってから、金華ハムのチャーハンを繰り返し作っている。今日で3回目だ。
金華ハムは味が濃いので、かなり少量を切り取り細かく刻むのが良いようだ。
蒸したり茹でたりしないでそのまま刻んで大丈夫だ。ネギと金華ハムだけでも十分に美味しくできるが、卵を入れればもっと美味しい。


先日コーヒーロースターと生豆を買った。電気で一度に100グラム位の豆が焙煎できる物を2万円位で購入したあと、
陶器製の急須のような形のロースター『いるいる』を別のサイトで見つけ、残り7個というのに惹かれて買ってしまった。
こちらは2000円位だったと思う。
電気で焼くものが13分位かかるのに対し、陶器のものは一度に焙煎出来る量は少量だが4分で出来る。1杯分ずつでも焙煎出来るのがメリットでもある。
コーヒー豆は炒っているとはじけてくるので、口が小さくなっているが、柄の部分が中空で端から取り出せるようになっているのがミソだ。
はじめで焙煎したものは深炒りしすぎ、次は浅炒りすぎて、ひいてみたら”きなこ”みたいになってしまったが、3回目からはうまく焙煎できるようになった。
私はコーヒーに関して、さほどうるさい方ではないが、自分で出来ることは自分でやってみたいという気持ちからやっている。
因みに、コーヒー豆は生豆で買った方が長持ちするそうで、保存状態がよければ1年以上持つという。
生豆は焙煎すると目方が軽くなり、かさが増える。
このところ、1杯分ずつ焙煎して楽しんでいる。
2003年3月5日(水)
金華火腿(金華ハム)というのが中国の食材にあり、相当美味しいらしいということを『おいしんぼ』か何かで読んだことがあった。
ふとしたことから金華ハムが気になりだし、WEB上で探してみたら、最近輸入出来るようになったということであった。
金華豚という頭と臀部が黒い豚の腿の部分を1年間かけて熟成させたもので、腿一塊り4キロで35000円位で売っている。
皮や皮下脂肪の部分から良いスープが取れるらしい。これを入れたチャーハンも良さそうだ。
500グラムの小売りのものがあったので注文したら今日届いた。
週末にチャーハンでも作ってみようと思う。今日はコーヒーロースターも注文してしまった。


皮の部分に『金華火腿』の”金”の字の焼き印が見える。
2003年2月23日(日)
私が現在住んでいる場所から大学生時代住んでいた寮の跡地まで歩いて30分位なので時々散歩に行く。
寮の名前は
人生希望寮といい、旧陸軍の兵舎だった建物だ。
兵舎の配置図や写真など無いかとWEB上で探していたら、旧習志野郵便局の隣の八幡公園が、旅団司令部跡でそこに記念碑などがあることが分かったので行ってみた。

現在希望寮跡地には県営住宅が建っている。寮の跡地には何回も散歩に行っているので特別の感慨は無い。


八幡公園(騎兵旅団司令部跡)煉瓦の門柱が残っている。右は習志野騎兵旅団発祥の地の記念碑

ロサンゼルス・オリンピックの馬術大障害の優勝者で硫黄島で戦死された西中佐をご存じだろうか。
西中佐の事は城山三郎氏が『硫黄島に死す』に書いているが、習志野の騎兵旅団に所属されていたそうだ。
2002年11月11日(月)
リンドバーグの”The Spilit of St.Louis"という本を大分前から読んでいたが、ようやく読み終わった。リンドバーグはニューヨークからパリへ初めて大西洋横断飛行を成功させた人だが、
単独飛行だったので33時間不眠不休で飛行機を操縦していたのが一番大変だったようだ。英文で500ページもある本だが、うんざりするような長い飛行時間が味わえるような気もする。
2002年11月4日(月)

枇杷
去年枇杷の花が初めて咲き、花の数はわずか2つか3つだったが、今年はたくさん咲いた。今年実った枇杷は2個だけだったが、来年は10個位は実りそうだ。
我々の業界はそろそろ忙しくなる季節である。世の中は3連休だが、私は先週の木曜日に出勤したら日曜日まで帰れなくなった。
睡眠不足であった。昨日の日曜日に良く睡眠をとり、体調を整えた。今日は午前中1時間ほどサイクリングをし、午後は1時間ほどウィンドサーフィンをしてきた。
今、リンドバーグの本を読んでいるが、大西洋単独横断飛行は睡魔との戦いであったようだ。
2002年8月31日(土)
今日は仕事も休んでのんびりした。まず朝8時半〜9時半までサイクリングコースをサイクリングしてきた。
昼は鯨のたれを焼きビールを飲んでそうめんを食べた。その後昼寝。
起きてみると少し風が吹いてきたので近くの検見川の浜へ行きウィンドサーフィンを1時間程した。
帰りに海浜幕張のモンベルに寄って沢登り用のザックを購入。
家に帰って夕食の餃子を焼いた。我が家の餃子はおおきいフライパンに丸く並べて焼きそのままお皿にひっくり返す。
ピザみたいになって面白い。写真の左の皿は2個程食べてしまった後だ。右はえび餃子。
明日は丹沢の沢登りをしてくる予定。
急に仕事が入ったりしなければ理想的な2連休の過ごし方になるはずである。
2002年6月23日(日)
我が家のクチナシの咲き始めて1週間後の状況。

以前日本語訳で『クワイ河収容所』という本を読み、感銘を受けたので、原書を探した。amazon.comで探してもすでに絶版になっており、中古本を苦労して手に入れた。
今それをのろのろと読んでいるが、原作の方は日本語訳にはない挿し絵が入っている。

2002年6月16日(日)
あまり記録を付けていないので1年分すぐ遡れるのだが、昨年もちょうど6月16日にクチナシの花が咲いた。左の写真が朝で右が夕方。
桜の開花が2週間も早かったから、クチナシの開花時期も狂うかと思っていたが昨年と全く同じ日というのは不思議なものだ。


今日はついでにホットサンドを焼く道具と、ホットサンドの写真を乗せておこう。
これは以前、テレビ番組でホットサンドの事を報じていた時に欲しくなって、インターネットで調べて購入したもの。
最近は電気で焼く物が多いが、これは火にかけるタイプで屋外でも使える。

2002年5月27日
我が家の玄関前で育てている枇杷に実が2つ成っていてそのうちの一つはかなり黄色くなってきていた。
左の写真は5月19日に撮った物で、まだまだと思っているうちに、今日になって鳥につつかれてしまった。
鳥に食われた方を向こう側に向けて撮った写真が右。鳥につつかれた1つを家族3人で分けて食べてみたが、以外にも美味しかった。
貴重な体験だった。
2002年3月17日(日)
午前中は穏やかに晴れていて、久しぶりに自転車に乗って花見川サイクリングコースを走った。花見川は行政区の名前にもなっているくらいのもので、やっぱりりっぱだ。多少ゴミが多いのは目をつぶるとして、植物や動物が豊かなのがうれしい。菜の花の咲く横を走っていくと、そのうち砂利道になる。川には鴨や鷺のほか名前を知らない野鳥が魚を食べていたり、亀が甲羅干ししていたりする。私はここで亀に会うとほっとするのだが、今日は100匹以上の亀がおり、ちょっと多すぎた。自分も自然の中の一員だと感じると心が和む。
帰りは向かい風になり少し、風が強くなってきたのを感じた。家に帰り昼食を食べ、午後からは近くの検見川の浜へ行ってウィンドサーフィンをした。
2002年3月3日(日)
先週、曾野綾子氏の『生贄の島』という本を読んだ。この本の存在を知ったのは、2月15日大阪へ出張した時だ。贅沢して乗ったグリーン車に備え付けの雑誌の記事に、誰かが女子大の講義の時にこの本の読書感想文を課している、と書いていたのを読んで、是非私も読みたいと思った。大阪の本屋で探してみたが見つからず、このときはアーネスト・ゴードン氏の著作の訳本『クワイ河収容所』というのを買って帰りの新幹線で読んでいた。
帰ってからインターネットで『生贄の島』を探してみると、数社から出版されているがどれも絶版になっていることが分かった。それでも在庫があるかもしれないと思い、丸善や紀伊国屋へ注文してみたが入手できないと返事が来た。”現場監督さん”のBBSで”えび”さんが古本の検索サイトを紹介している文を読んでアクセスしてみたら、日本全国の古本屋の中で4軒在庫があることが分かった。私が買ったのは昭和45年に出版された初版本で、30年も経っているのに比較的きれいに保存されていた。内容は、ひめゆり部隊として後世に語り継がれている、沖縄戦で野戦病院などに動員された女子学生の惨劇を綴ったもので、曽野氏は大勢の生き残りの人たちから綿密に取材し、事実を書き残すことに努力している。この本を読んでいる途中で、95年の映画『ひめゆりの塔』をビデオで見直した。
2002年2月14日(木)
2000年7月にインターネットで買った”In
the Heart of the Sea"という本を、しばらく寝かせて置いたのだが、最近読み始めて、今日読み終わった。
内容はメルビルの「白鯨(Morby Dick)」の題材になった、捕鯨船Essex号の遭難と乗組員の生還までのいきさつが、資料を丹念に調べて書かれており大変興味深いものだった。「白鯨」の話は、捕鯨船が白鯨に襲われたあたりで終わりだったような気がする、実際は鯨に体あたりされて遭難してから、ボートに帆をかけて90日以上漂流してから救助されている。今回私はこの本を読んでいる途中で、電子辞書を買ったが、辞書引きの能率が大幅に上がった。私の買った電子辞書はカシオの”EX-word"というもので液晶画面が大きく、語句の説明文が一度に16行も表示できる優れ物で、いくつも意味のある語を調べる時には大変便利だと思った。
amazon.comにErnest Gordonさんの”Through
the Valley fo kwai"を注文しているのだがなかなか反応がない。Ernest Gordonさんは、太平洋戦争中、旧日本軍の捕虜になり、「戦場に架ける橋」の題材になった、泰緬鉄道のクワイ河鉄橋の難工事に従事した経験があり、終戦後は牧師になっていた。毎日新聞の死亡記事で知った。
2001年11月17日(土)
またまた植物の話題だが、8年位前に娘が食べて出した枇杷の種を植えたところ、ぐんぐんそだっていることは以前にもここに書いたが、
今日初めて花が咲いているのを見つけた。来年の初夏には枇杷が実るのか、楽しみだ。

2001年11月6日
10月28日(日)に我が家で作ったお米を炊いて食べた時の写真を掲載しておこう。
わずか2粒の種籾からこんなにたくさんのご飯ができた。調味料の瓶に入れ、割り箸でつついて精米を試みたが、ほとんど玄米ご飯であった。
3人で少しずつ分けて塩をかけて食べた。おいしいと好評であった。

2001年10月27日(土)
『バケツで稲作り』もいよいよ、収穫、乾燥を終え、脱穀の段階にはいった。米粒をかぞえたら2300ほどあった。これをすり鉢に入れゴムまりでこすって脱穀する。まだ途中だ。
日曜には炊いて食べるつもりだ。
インターネットで注文した
ミッシェル・ペトルチアーニさんのCDが届いた。今回購入したのは、”Trio
in Tokyo"と”playground"の2枚。ペトルチアーニさんは、先天性の骨の疾患で身長が1メートルもなく、体重も確か30キロ以下だったと思う。ビル・エバンスさんと並び称せられる”叙情的”ピアニストで高校時代の友人のたくきよしみつ氏に教えられてから気に入って聞いているが、残念ながら私がペトルチアーニさんを知ったのは彼がすでに他界してからであった。99年1月36歳の若さであった。
今日届いた盤はどちらもすばらしい演奏である。何回も聞いてしまった。
JAL123便の墜落事故の真相を追求した『疑惑』という本を読んだ。テレビの報道では圧力隔壁の破壊が原因ということに落ち着いていたと思うが、どうやら自衛隊の標的機が衝突したらしい。
2001年10月14日(日)
下に『バケツで稲作り』の写真を掲載したのでその後どうなったか報告しておこう。この写真は9/27に撮ったものだが、わずか二粒の米粒からできたとは思えないほどりっぱに実った。
もうじき収穫である。どんなに少ない量でも容器を考えて炊いてやろうと思っている。
この”稲”や以前に写真を掲載した”枇杷の木”などを眺めるために木製の丸イスをキットで買ってきて組み立てていたのだが、今日は外に常置してもいたまないようにニスを塗った。
2001年7月9日(月)
昨日夕方散歩がてら本屋へ行き三浦綾子著の『塩狩峠』を買ってきた。この本を手に取ったのは全く偶然であった。
昨日のうちに半分以上読み、残りを今日読んだ。
私はキリスト教徒ではないが、自分の誕生日にこのような示唆に富んだ本が読めたことに、何か神の力のようなものを感じた。
本の紹介は
こんな本読んだへ。
2001年6月23日(土)
無線用のアンテナをまた買ってきた。
今日買ったのは21MHz用のV字ダイポールアンテナと144MHz用の5素子八木アンテナと430MHZ用の9素子八木アンテナだ。
全部取り付けたら電波基地のようになった。満足。早速北海道の人と交信した。
赤字で示したものは以前からのもので、青字で示したものが今回追加したもの
2001年6月16日(土)
銚子の名産物に『ぬれ煎餅』というのがある。私はケーキよりも煎餅が好きな方だが、煎餅といえばぱりっとしているのがあたりまえと思っていた。
『ぬれ煎餅』をはじめて食べたとき、素直に美味しいと認めたくなかったが、だんだんおいしさが分かってきた。今日久しぶりに食べたがやはり美味しかった。
銚子や醤油の産地で醤油の味にはこだわりがあるようだが、『ぬれ煎餅』というのは煎餅を一度焼いてからたれにつけているそうだ。
千葉県下ではあちこちで買えるし、インターネットでも買える。
『ぬれ煎餅』HPへ
我が家の前のクチナシの花が今日開花し始めた。これから1ヶ月くらい楽しめそうだ。
娘がバケツで育てている稲もすくすく伸びている。



バケツで栽培中の稲
2001年6月3日(日)
昨日、日本映画『ホワイトアウト』をビデオで見た。以前から見たかったのだが、なかなか借りることができなかった。細かいことを批評する人もいるだろうが、私は素直に楽しめた。
雪にとざされた黒部ダムを舞台にしたアクション映画、日本版ダイハードといった感じだ。
それから昨日は昼間に少し時間があって、バイクで東京湾観音へ行って来た。三浦半島側からは望遠鏡でみても見えないかも知れないが、見晴らしの良い高台に高さが56メートルもある観音様が立っているのは壮観だ。近くでみると観音様の作りはおおざっぱであるが、中に入ることが出来、観音様の頭の部分にまで登ることが出来る。
初夏のひとときを楽しんだ。
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