| 昭和1へ 昭和40年〜63年 平成へ |
1965年
昭和40年 |
4/23 国鉄が経営権をサンケイ新聞とフジテレビに譲ることを発表。
5/10 新球団「サンケイ・スワローズ」が誕生。
7/26 新人選手に対する契約金の最高額が毎年決められ、新人選手と契約するためには、必ず関係者で構成する選択会議を経ることになる。
9/30 翌年度から外人選手は1球団2名までと決まる。
11/5 日本シリーズで巨人が南海を破りV9へのスタートとなる。
11/17 第1回選択会議が行われる。 |
1966年
昭和41年 |
1/7 サンケイはニックネームを「アトムズ」に改称。
5/11 実行委員会において選択会議を年2回開催することに決める。 |
1967年
昭和42年 |
12/17 広島は球団名を「広島東洋カープ」に改めると発表。 |
1968年
昭和43年 |
9/18 甲子園での阪神−巨人戦でバッキー投手のビーンボール気味の投球に王選手が抗議、バッキー投手につめよったことから両軍選手が入り乱れての乱闘となり、巨人の荒川コーチとバッキー投手がなぐりあう。
バッキー投手は右手を、荒川コーチは額を負傷、両者とも退場処分となったが、この間グラウンドに空き缶などを投げ入れたファン4人が検挙される。 |
1969年
昭和44年 |
1/18 東京オリオンズと株式会社ロッテの業務提携、名称は「ロッテ・オリオンズ」。
10/7 西鉄は同チームの永易将之投手が暴力団と関係し、公式戦で敗退行為をしていたため、シーズン終了を待って解雇を決定したとの報告。
10/10 巨人の金田正一投手は対中日戦で通算400勝を達成
11/28 コミッショナー委員会は永易将之投手を我が国球界初の永久追放処分にすると発表。
11/30 巨人の金田正一投手が現役引退を発表する。 |
1970年
昭和45年 |
1/7 サンケイ・アトムズはチーム名を「ヤクルト・アトムズ」に変更。
4/1 永易将之投手が「八百長試合に他の選手も関係している」と語ったテープがテレビで放送される。
4/11 コミッショナー委員は、永易元選手をコミッショナー事務局に呼び事情聴取する。
4/23 田中勉、高山勲の元選手と藤縄洋孝選手がオートレースの八百長容疑で逮捕される。
4/29 永易投手の口封じのため、金銭の授受があったと報道された西鉄・楠根オーナーが、東京地検特捜部の事情聴取を受ける。
5/6 中日の小川健太郎投手は、オートレースの八百長の容疑で逮捕される。
6/2 コミッショナー委員会は小川健太郎投手を永久失格選手に指名するとの裁決。
6/15 コミッショナー委員会は、八百長試合に関係していた近鉄の山崎晃球団職員に対し永久失格の裁決。
7/30 コミッショナー委員会は、東映の森安敏明投手が敗退行為に参加したとして永久失格に。
12/26 大洋の荒川堯選手のヤクルトへの移籍入団が決まる(翌年、1ヶ月出場停止。 |
1971年
昭和46年 |
5/25 巨人の長嶋茂雄選手は対ヤクルト戦で通算2000安打を記録
7/17 西宮球場で行われたオールスター第1戦でセ・リーグの先発投手・江夏豊投手(阪神)が9連続三振奪取。セはそのあと継投でノーヒットノーラン記録達成。
7/13 西宮球場での阪急−ロッテ戦の7回、ロッテの江藤選手の2−1後のスイングに対する砂川主審の判定に対し、ロッテの濃人監督が執拗に抗議し、試合続行を拒否し、ロッテにフォーフィティッテド・ゲーム(試合放棄)が宣告される。
10/21 ボルチモア・オリオールズが来日。 |
1972年
昭和47年 |
3/11 大浜コミッショナーはプロ野球の公式記録について昭和11年7月1日から19日まで戸塚・甲子園・山本の3球場で行われた連盟結成記念全日本野球選手権試合を起点とすると発表
8/24 中日球場に超満員の観衆を集めた中日−巨人戦の試合中、球場に「三塁側内野スタンドに爆弾を仕掛けた。7時45分に爆発する」という電話がかかる。
9/19 甲子園球場での阪神−巨人戦の試合中に「8時40分にアルプス席で時限爆弾が爆発する」と球場に電話がかかる
9/26 阪急の福本豊選手は対南海戦の3回に三盗、世界最高のシーズン105盗塁を記録。
10/27 西鉄・木本オーナーは同球団を中村長芳氏に譲渡すると発表。
11/9 実行委員会は球団名「太平洋クラブ・ライオンズ」を了承。 |
1973年
昭和48年 |
2/7 実行委員会で「日拓ホーム野球株式会社」(日拓ホーム・フライヤーズ)を承認。
11/19 緊急実行委員会で、日拓ホーム野球株式会社の全株式を日本ハム株式会社に譲渡し、「日本ハム球団株式会社」が代わって加盟することを承認。
11/26 ヤクルトがニックネームを「スワローズ」に変更。
12/17 新しいニックネームを公募していた日本ハム球団は「ファイターズ」に決定と発表。 |
1974年
昭和49年 |
1/10 日本野球規則委員会で、プロ野球は投手の「セーブ記録」の採用を内定。2/18・19セ・パ両理事会でそれぞれ「最高セーブ」の表彰を決定。
5/10 中日球場での中日−巨人戦終了後、巨人選手の乗ったバスが約200人の群衆に取り囲まれ、数10分間立ち往生。投石で窓ガラスが割られる。
5/17 実行委員会で野球協約第142条(契約条件)を削除し、新人選手の契約金・参稼報酬の最高額を制限しないことを決定
5/23 平和台球場の太平洋−ロッテ戦終了後、ロッテ選手が群衆に取り囲まれて動きがとれず、1時間20分後に福岡県警機動隊に守られ、装甲車で宿舎に引き揚げる。
5/29 甲子園球場での阪神−巨人戦で、空きびんなどの投入が続いて試合が中断、阪神の金田監督が場内放送でファンに呼びかけ、10分の中断後に再開する。
5/30 警視庁は、セ・パ両リーグ会長、コミッショナー事務局長に対し最近各地で起こっている騒擾事件について善処方を要望する。
6/1 コミッショナー・両リーグ会長は各球団関係者等に対し、早急に騒擾防止対策を練り、球場内外の警備体制を強化するよう通達する。
9/29 日本ハムの高橋博士選手は対南海戦で球界初の全ポジションを守る。
10/14 後楽園球場の巨人−中日戦終了後、巨人の長嶋茂雄選手の引退セレモニーが行われる。
10/24 ニューヨーク・メッツ一行来日。
11/18 パ・リーグのオーナー懇談会で、指名打者制度を採用することを決定。
11/21 巨人は長嶋茂雄新監督の就任を発表。 |
1975年
昭和50年 |
1/20 パ・リーグは全面的にアメリカン・リーグ方式で氏名打者制を実施することを決定。
9/10 広島球場での広島−中日戦の9回、本塁上でのタッチアッププレーをめぐって両軍選手が一斉に飛び出し、小競り合いをはじめたことから騒然となり、興奮した約200人のファンがグランドに乱入、中日選手を追い回すなど暴れ回って乱闘となる。 |
1976年
昭和51年 |
3/1 後楽園スタジアムの人工芝敷設披露。
4/16 広島球場での広島−巨人戦で、審判の判定に対して巨人が激しく抗議、興奮したファンが試合後も巨人選手と小競り合いし、ファンに負傷者が出る。
4/18 広島西署は巨人・張本勲選手に任意出頭を求め傷害容疑で調べる。
10/12 太平洋クラブはチーム名を「クラウンライター・ライオンズ」に変更すると発表。 |
1977年
昭和52年 |
4/29 川崎球場の大洋−阪神戦の9回裏に打球を追った阪神の佐野仙好左翼手がフェンスに激突して倒れて、倒れているうちに、一塁走者までが得点する事件が発生。阪神の吉田監督は「ボールデットにすべきである」と抗議したが、うけいれられず34分間中断の末、提訴を条件に再開した。
5/12 実行委員会は、選手の安全を守るために全本拠地球場のフェンスにラバーを張ることを提案し、各球団了承。
9/5 巨人の王貞治選手に福田首相から「国民栄誉賞」(第1号)が贈られる。 |
1978年
昭和53年 |
2/16 参議院法務委員会でドラフト制度をとりあげる。
3/17 セ・理事会で、ペナントレース中、外野方面からのテレビ取材を認めることとなる。
3/28 実行委員会でドラフト制度審議委員会の設置を決定。選手福祉委員会も同時に設置。
7/24 日本プロ野球名球会発会(昭和生まれ・投手200勝以上・野手2000本安打以上を資格者とする)。
10/12 緊急実行委員会およびオーナー会議で福岡野球株式会社の経営権を株式会社「西武ライオンズ」に委譲し、保護地域を福岡県から埼玉県に変更することを承認。
11/21 巨人は作新学院職員・江川卓投手と選手契約を21日付で締結したと発表。セ・リーグ鈴木会長は巨人・長谷川代表に対し「巨人と江川卓投手との契約の申請は却下する」といい渡した。
12/22 選択会議に巨人欠席。 |
1979年
昭和54年 |
1/31 セ・リーグ会長は阪神と江川投手との契約を承認し、江川投手を阪神の支配下選手として公示。この日の夜、阪神と巨人との間で、江川卓投手と小林繁投手との譲渡成立の発表。
11/14 日米対抗オールスターゲームが行われる。 |
1980年
昭和55年 |
8/15 文部省は「社団法人日本プロ野球選手会」の設立を許可 |
1982年
昭和57年 |
8/31 横浜スタジアムにおける大洋−阪神戦の7回、阪神・藤田平選手の三塁前小飛球に対する鷲谷塁審のファウルの判定に三塁河野コーチが激しく抗議の際、島野育夫コーチは一塁コーチボックスを飛び出し、鷲谷塁審を襲って退場を命じられるや殴る蹴るの暴力を振るい、同審判に全治1週間の挫傷を負わせた。この島野コーチの暴力から鷲谷塁審を守ろうとして中に入った岡田主審に対し、ダッグアウトから飛び出して来た柴田猛コーチが殴る蹴るの暴行、同球審に全治2週間の傷を負わせた。この間手沢塁審も負傷。
9/1 鈴木セ・リーグ会長は、暴力行為の阪神島野育夫・柴田猛両コーチに対し、無期限公式戦出場停止と制裁金の厳しい処分
10/24 パ・リーグオーナー懇談会において、来季よりのペナントレース実施方法について審議の結果、試合日程は1シーズン方式により編成し、その結果において何らかの方法によりシーズンの選手権チーム決定戦を行うこととなった。 |
1983年
昭和58年 |
1/13 パ・リーグ理事会で今季新方式のプレーオフ付き1シーズン制の実施を決定した。(130試合を行った結果の勝率上位2球団間で5試合制の優勝決定戦を行い、135試合の通算勝率をもって優勝を決定する)。
3/21 甲子園球場での阪神−巨人戦試合前、練習中の巨人選手に観客席のファンが生卵を投げつける(同試合は雨で中止)。
3/24 セ・リーグ会長は審判員に対する暴力行為により、無期限公式戦出場停止処分を受けていた阪神島野育夫・柴田猛両コーチの処分を解除。
7/24 大阪で下田コミッショナーと徐・韓国コミッショナーにより日韓選手契約に関する協定書に調印。 |
1984年
昭和59年 |
4/11 日本ハム−西武戦で西武・黒田捕手の頭に折れたバットが当たって負傷退場。”折れやすいバット”が問題化。
5/23 下田コミッショナーが両リーグに「乱数表の全廃」を勧告。
9/5 後楽園スタジアムが日本初の空気膜構造による屋根付き球場「後楽園エア・ドーム」の建設を発表。
10/5 阪神−中日最終戦で37本の同数でホームラン王を争う掛布・宇野両選手にそれぞれ連続10打席敬遠四球の日本記録。
10/25 オリオールズ一行来日。 |
1985年
昭和60年 |
3/13 実行委員会においてバット折損事故防止のための「バット問題諮問委員会」の設置を決定。
11/14 パ・リーグ理事会で翌シーズンからプレーオフ制の廃止を決定。
12/16 プロ野球とアマチュア野球の首脳が懇談。 |
1986年
昭和61年 |
9/4 全日本軟式野球連盟理事会で62年度からプロ野球退団者の登録を認めることを決定。 |
1987年
昭和62年 |
1/24 選手福祉委員会と日本プロ野球選手会との間で選手会側提案の「オールスター・ゲーム試合数の削減」と「統一契約書の見直し」などについて話し合いが行われた。 |
1988年
昭和63年 |
6/7 近鉄のR・デービス外野手が大麻を隠し持っていたことで逮捕。
7/14 球宴運営要領改正として外人枠2人から3人へ。
9/14 南海が「ダイエー」への球団譲渡を正式に発表。
10/19 阪急ブレーブスが「オリエントリース」に球団譲渡が内定 |