土器においても全盛期の縄文中期にこの様な様々な紋様が残されております。上はサンショウ魚、下はイモリの文様の土器と専門家は見ていますが、象形文字と見えないこともありません。
縄文後期,晩期(2300年〜3000年前)から弥生時代に入ると土器などに家、舟、狩り、動物等の素朴な線画が見られる様になりますが、専門家はそれまでの縄文人は絵心が無かったからとしております。しかしこの様な紋様を描いていた縄文人が2000年経過した後に線画表現に移行したのでしょうか。
現代においても100年を経過すると話し言葉も、習慣も大きく様変わりしています。縄文時代は10、000年も続いたことを考えると、象形文字の紋様が衰退し縄文後期には単に紋様としての意味しか持たなくなったことも考慮に入れるべきと思います。
とくに縄文中期以降の寒冷化により集落が大きく分散、移動を繰り返したことも要因と思われます。
最近インドのドーラビーラ遺跡で見つかったインダス文字の解読が始まっております。縄文古代文字も専門家による解明がなされることを期待しております。
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下の原遺跡 縄文中期土器/ 紋様展開図
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山口中ツ原遺跡 縄文中期土器/紋様の図
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(尖石考古館案内リーフレット掲載写真引用)
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