山 麓 の ト ピ ッ ク ス

縄 文 期 の 文 字 考 2

土器の変遷と環境変化

野尻湖では古代人がナウマンゾウの狩猟を行っていたことが考古学者の発掘調査で立証されてきております。その地質調査で約1万2年年前から植生がすっかり変わり、寒冷の乾燥した土地が温暖で湿潤なものに大きく転換したことを裏付けております。
8000年前には温暖の気候で、6500年前では現代に比べ3度ぐらい高い気温であった様です。
温暖化とともに人は森での狩猟生活を始め定住する様になったことから土器の制作が始まったのでしょう。
縄文前期(約11000年前〜約5500年前)は4500年かけて土器の誕生から文様を焼き付けたものが出現するようになってきました。
縄文中期(約5500年前〜約3500年前)になると多くの文様が誕生、形状も素晴らしいものが見られる様になってきて、縄文土器の最盛期を迎えます。
縄文後期、晩期(約3500年前〜500年)には文様が消え衰退していることが解ります。
 中期の5000年前頃から今度は寒冷化が始まり2500年前頃から現代と変わらない気温にまで落ち込んできたようです。そのことが狩猟の森の生活から脱却せざるを得ないまで追い詰められ低地への移動を余儀なくされたものと思います。このことは森の狩猟、採撮、の縄文時代から食料を育てる農耕の弥生時代に移行せざるを得ない必然性があったわけです。
固定した家族集落の形態が続いている間は文様に発展が見られたものの食料を求めての脱出、離反をする様になった縄文後期には文様自体が衰退したと考えてもお可笑しくありません。

文様について

多くの考古研究者がこの問題と取り組んでいまして、文様の解釈、意味付け、変遷を地道に探っています。
文字はローマ文字、中国文字等の文字記号にて言語をそのまま伝達の手段として置き換えたものですが、これらはすべて文様といえます。ただ縄文期の家族的集落形態では話し言葉(縄文語)がある限り現在のような文字伝達の必要性は少なかったはずです。そこに或るものは縄文期の生活から「祈り」「願い」を込めた文様であると思います。採取する食料源の栗、胡桃等の豊穰を願い、狩猟の安全、種族保存を願う安産の願いです。一つの文様で多くの事を語り、意味する。そのような文様文字だと想像してよいのではないでしょうか。

土器に刻まれた文様は一つ一つ名称が付されその解釈の研究されておりますが、面白いことにその同じパターンの文様が羅列し刻まれていても夫々異なった箇所が見られることです。
年代が変化すれば文様の変化は当然考えられますが、ひとつの土器においてのそれが見られることは似た様な文様であっても夫々主張することが異なることを意味しているはずです。

尖石考古館の文様説明パネル

  縄文中期土器の文様パターン例

国宝縄文のビーナス

頭部飾りにみられる文様パターン

2000年8月発行第9号縄文のビーナスにみる縄文人」の再掲載

縄文期の文様土器の変遷を追ってゆくと文様が減少していく時代とともに彼らの生活様式、環境が大幅に変わってきたことを先に記しましたが、当然この山麓では家族集落からの離脱が始まり弥生時代に突入していったのではないでしょうか。と同時に首長制社会への移行へと進んだものと思います。この時代になると伝達の手段として話し言葉がそのまま伝えられる文字の必然性が生じてくることは容易に想像がつきます。縄文語(古代語)を骨格として稲作の到来とともにもたらされた漢字(漢語)が結びついたと考えるのが自然です。

地球上には多くの種族がおりますが、文字を持たない或いは持っていても他の種族の使用文字を借り国の文字として指定しているなど様々です。日本語は縄文言語の発音をそのまま漢字に置き換えたため言葉の変遷はあったものの固有名詞などでは縄文語の色彩が色濃く残されていると考えられます。縄文語の痕跡を是非探し出したいものです。