スピリチュアルに生きる(改訂版)   
                   Ver0.6(暫定公開版)読みやすくすべく徐々に加除訂正します
                       by Yeonso Min-Ung

                                              シリウスのヒーリングワールドに戻る  ヨンソのHP(メールもここから)




 
あなたが今持っている本も家具も地位も家族も、あなたがこれまでに自身の幸福のために獲得してきたものです。
今所有しているものは、全部あなたのものです。それらがあなたを幸福に役立ってくれるのではありませんか?
そしてあなたの所有しているもので最も大切なのは、心です。心だけはあなたが自由に作り替えることができるのです。
今の生活で幸福を見つけることができる心に作り替えることができるのです。

幸福は離れたところにあると思っていればずっとやってきません。しかし、今の生活の中に幸福があると思えば、あなたは今幸福なのです。
今のあなたの生活をつくったのはあなた自身です。ですから、つくりかえるのもあなた自身でできるのです。
今のあなたの心をつくったのもあなた自身です。ですから、つくりかえるのもあなた自身でできるのです。



運転するのに免許証を忘れる方がいらっしゃいます。
−−−−少し困りますね。

買い物するのに財布を持って行くのを忘れることがあります。
−−−−買い物できません。

そういうことを他の方がしたら笑い話ですね。

では次はいかが?

○夢を忘れて生きている方がいらっしゃいます。
○人生の目的がなくて生きている方がいらっしゃいます。

・・・これも、笑ってしまいましょう!?

さて、夢や目的に向かって生きている方はそのまま進み続けてください。
そして、夢や人生の目的をしばらく忘れていた方は思い出してください。
あなたの夢や人生の目的は幸福に生きることではありませんか?(抽象的でやや乱暴な言い方ですが)
そのためのヒントを以下の文章に繰り返し書きました。
参考になれば幸いです。

==================

あなたの本当の姿は何でしょうか?
顔や体つきではありません。
「私は痩せています」「私は美人だと思っています」と思われる方、それが「あなた」の本質ですか?
社会的地位や職業でもありません。
「私は社長です」「私は会社員です」という言葉は本当の「あなた」を表現していますか?では仕事を退いたらあなたが存在しなくなるのでしょうか?
本当の「あなた」は、心(精神)、考えていること、理想、信じていること、などではないでしょうか?
あなたらしく生きる、ということは、あなたがあなたであり続けるということです。仕事の忙しさや、家庭の煩わしさにかまけて、自分を見失っていませんか?
この「本当の自分を生きているかどうか」の一つのヒントは「明日死んでも後悔しませんか」です。いかがでしょう?
本当の姿は肉体のような物質でなく目に見えないもの・・・
私たちが肉眼で見えるのは周波数380nm〜760nm(ナノメートル=ナノは10のマイナス9乗)に過ぎません。
よくたとえに出されるのはTVやラジオの電波です。これらは目には見えませんが、実在します。
放送に限らず、携帯電話・PHS・タクシー・警察・船舶・アマチュア無線・GPSなど本当に様々な周波数の電波が私達の周囲を流れています。
受信する側に必要なのは「ダイヤル・周波数」を合わせることです。そうすれば希望の放送が受信できます。
そして、電波以外にも、実に様々な想念やテレパシーが私達のまわりを取り囲んでいます。
これも原理は電波と同じで、チューナー(チャンネル)を合わせることで受信することができるようです。だから
テレパシーや透視などといったことができる人がいるのです。(これらについては後ほどゆっくり説明します。

以後、あの世にもっていくことのできない物質を求めることが真の幸福でなく、上記のような目に見えない世界を大切に生きることに焦点をあてて話を進めていきたいと思います。
それがここでいうスピリチュアルに生きるということです。
物質的なものはどうにもできないことが多いですが、精神的なものは変えることができることが多いです。それによって今より幸福になる方法を探るのが以下の文章の目的です。

視点は未来に
過ぎたことはもう変えられません。なのに、人は過去を悔やんでばかりいます。どうにもならないことをあれこれ考えるのは時間の浪費そのものです。
現在のあなたをつくったのは過去のあなたですね?だとすれば、未来のあなたをつくるのは現在のあなたではありませんか?
理想的な未来をつくるためには、理想に向かっての努力が「今」必要なのは納得いかれるのではないでしょうか?
今、闇の中にいるとすれば、そのことを嘆き、悲しんでも闇はなくなりません。しかし、光をもってくれば闇はただちに消えます。
あなたにとっての「光」を追い求めて下さい。
どうしても過去を悔やんでいる人は失敗としてでなく、単なる「経験」として考えてみて下さい。ちょうど、数学の問題の間違いを繰り返すことによって、数学の実力がついたのと同様に。

”旅”の例で考えましょう。旅も順調でないことがたくさんあります。でも旅を嫌いになったりしませんよね?
それは、新しい景色を見ることや珍しい生活をかいま見ることや、その土地の食事を食べることが好きだからですよね?人生も同じ。
旅だと思えば「あんな失敗もありましたな」と笑って語れませんか?失敗を笑えればもう「後悔」とはほど遠くなっていませんか?
そしてそれらの経験は「学び」そのものだったのであり、あなたを成長させ、まさに現在のあなたが形成されたのです。
そう考えれば少しは気が楽になりませんか?


「半分残っている」か「半分しかない」か

よくあるポジティブ思考のたとえ話にこうあります。
「コップに飲み物が半分入っている。これを”半分しかない”と考えるか、”まだ半分ある”と考えるか。
同じ状況でも考え方によって良くも悪くも解釈できる。だからポジティブに考えましょう。
(ある本では「自分がこれを溢れるほど満たしてみせる、と解釈するのが最善」というのがありましたが、今はそれは置いておきます)

少し拡大してみましょう。
例えば今日、自由になるお金が¥3000あるとします。
¥3000ある、と考えるのか¥3000じゃ何もできない、と考えるのか。

¥3000あればそこそこ美味しいものが食べられます。
簡単に行きたいところなら交通費を賄えるでしょう。
どこかの博物館や動物園の入場料も残りの¥2000で何とかなるでしょう。
某古本チェーンに行けば¥105円のコーナーなら欲しい本も何冊か買えます。

でもたった¥3000か、何も買えないな、と思ったら楽しみはそれでおしまいです。
※ここでは¥3000という、子どもにとっては一か月分のお小遣いの例を出しました。
 子どもは大喜びなのですが・・・

さて、話をもう少し違った角度からしてみましょう。
あるレストランか宿で晩餐に数種類のメニューが出されました。
半分は「とても美味しいもの」で半分が「とても不味いもの」です。
食べながらあなたは何を思いますか?
美味しいものを食べながら「こっちの半分は不味い」という感想を言い続けるのか、
不味い方を食べて「ここの食事は最悪だ」と言い続けるのか。

もう少し良さそうな感想であれば美味しいものだけ「これは美味しいね」というのか。
おそらく最もポジティブな思考は「美味しいものを沢山食べられてよかったね」です。
不味いものは一口食べたら箸をつけなければ良いのですし、それについて考えたり語ったりするかしないかはあなた次第です。

また違うたとえ話をしてみましょう。
旅行の数日前から前日まで、旅先でどこに行こうか迷いながら旅行先を調べるのが旅行前の楽しみです。
しかし、せっかく日常生活から離れようというのに、家庭や職場のことばかり考える人もいます。
「自分の留守中は大丈夫だろうか」「自分がいないと○○と△△はどうなるか、出かける前に伝えなければ」
そしてそういう人は旅行に行ってからも、旅先からTELしてしまったりします。

さて、そろそろ本題に入りましょう。
幸福になりたいのに不幸を語る方がおられます。

理想的な人間関係を希望しながら、周囲の人の欠点ばかり批判する方。
周囲の人間関係で良いことはないのですか?
悪いことばかり語るのはなぜ?

そこそこの生活をしながら、生活のうまくいかない部分ばかり語る方。
うまくいっている部分を語っても良いのでは?

既に獲得したものは満足しながら、不足しているものばかりカウントして欲しがる方。
既に得られたものは嬉しくありませんか?

ここで冒頭のコップに半分の飲み物を思い出してください。
コップ半分の例は、状況は変わらないのに、あなたのものの見方を変えるだけで
気持ちが異なるということです。
そして周囲の状況はあなたには変えられません。
あなたの幸福が周囲の状況に左右されるならばあなたの幸福は頼りないものであり、
あなた以外の外部のもの次第ということになります。

ですが、あなたが現在おかれている状況にかかわりなく良いところ・恵まれているところに
視点を移せばポジティブになれるということです。

※そして実はそのポジティブ・シンキングこそ「引き寄せの法則」が働きよりよい状態を引き寄せるのですが、
 詳しい話はまた別のときに・・・・

ともあれ、「引き寄せの法則」を信じようが信じまいが、ポジティブな部分に視点を移し、
ポジティブなことを語った方が気持ちよくありませんか?
気持ち良い方を選ぶ、という簡単なことを選ぶのは今からです。

PS
今度の休日、自分自身に¥3000のお小遣いを与えて、どこかへ出かけてみませんか?



本当の自分

話を分かりやすくするために、街でよく見かける酔って道ばたで寝ているホームレスとおぼしき人を例にとります。
彼らは最初からホームレスだった訳ではありません。地方から上京し、仕事がなくなったり、会社が倒産し、と事情は様々でしょうけれど、彼らにも理想の生き方や幸福観があったはずです。
しかしうまくいかなかった。それで家族に送金もできず、家族に逢わせる顔もなく、連絡をできずにずるずると時間が過ぎてしまった。
(こういう時に状況とどう向き合うか、が人生の境目なのですが)チャンスがあれば社会復帰したい、と思っているはずです。
☆ここではホームレスの方をさげすんでいるわけではありません。日本の社会保障・失業対策などはあまりにも遅れており、弱者には厳しいです。
失業した際のその人の働く意欲を生かす有効な制度さえ確立されていればそういう方たちは失業せずに済んだはずです。
機会さえあれば私としてもホームレス支援の仕事をしたいと思っています。☆

さて、ここで自分のことを、振り返ってみましょう。
(理想の生き方を貫いている方はここを読む必要はありませんし、ここまで読んでいないと思いますので、理想どおりに生きていない、ということを前提に話を進めます)
ここであなたの本当の姿は?と質問したいと思います。
それは今の姿ですか?そうではありませんよね?
あなたの本当の姿、と言うときに、あなたの理想や夢が満たされた生き方をしているのが理想のあなたなのではありませんか?
子どもの頃、夢に描いていた「大きくなったら・・・・」というのが本当のあなたではありませんか?
今、不都合や上手くいかないことがあっても、自分の理想の姿は別にあるのでしょう?

以上を踏まえてあなたのご両親(健在か否かを問いません−−育ての親が別にいる場合は育ての親、片親の場合はその方となります)の「本当の姿」を考えてみて下さい。
あなたが批判していた現実の姿でなく、ご両親の持っている(いた)「理想」です。あなたを真剣に叱った時、どんな子に育って欲しいか、としっかり伝わってきた時の理想です。

ここで現実の生活を傍らに置き、ご両親二人の”理想”がかけ合わさった時、どんな理想が作られるか、想像してみて下さい。
ご両親が理想の生活をされて、理想の子どもを育てようとしたとき、その「理想の子ども」の成長した姿はあなた自身の「理想」と重なりませんか?
実はあなたの理想の部分はしっかりご両親から育てられていたのでした。自分の子どもが誰よりも理想の姿に育てたいのですから。
(しかし残念ながら教育法についての知識はなかったかも知れません)
それがあなたの最も大切なものではないでしょうか?
だから、物理的な・現実のあなたが本当の姿なのではなく、目に見えない、崇高なものが本当のあなたの姿であることを納得していただけましたか?
現実を思い煩うのでなく理想に向かって邁進するのです。現実にグチをこぼしていても何も得られません。
あながた好きなのは「現在のあなた」でなくてあなたの理想の姿ですよね?
ならば自らが理想とする「本当の自分」のために生きてみませんか?


幸福感を見直す
家の中にアリが入り込んできたらどうしますか?
追い出すか、殺虫剤を振り掛けるか・・・
それがネズミだったら?泥棒だったら?
口に含んだ瞬間に食べ物がおかしな味がしたらどうしますか?
まして毒物だったら?

さて、家や身体に有害なものが入ってきただけであわてて追い出すのに
あなたの心に有害なものが入り込んでいるのを放っておくのは何故でしょう?
心に巣くう有害なもの・・・
それは嫉妬・怨み・敵意・劣等感・イヤな思い出などです。
これらを抱えていても何の役にも立ちません。
誰かのせいで過去に悲しい思いや不愉快な思いをしたかも知れませんが、
誰かのせいにしているだけではイヤな記憶が蘇るだけで自分の幸福には何の役にも立ちません。
それらは放棄しましょう。

あなたを悲しませた・いじめた人・傷つけた人、
これらの人は覚えていてもこれからも決してあなたを幸せにしてくれません。
あなたの記憶にしまっておけばそれだけ気分が悪くなるだけでしょう。
未だに気にしているということは未だに傷つけられているのと同じです。
ですからあなたの大切な思い出から切り離してしまいましょう。

過去は変えられません。だから過去にこだわっている・現在の自分の境遇を過去のせいにしていると絶対に幸福にはなれません。
ましてグチを言っても何の解決にもなりません。せいぜいあなたの人生を変える力のない誰かが同情してくれるだけです。
それから劣等感・妬み・・・・
これらは持っていてもマイナス思考を助長するだけです。

そもそも劣等感とは何でしょう?
自分の価値観でなく他人の価値観に支配されることです。
たとえば外見を例にとりましょう。
自分は美男・美女でない、スマートでない、背が低い、など
これらは変えようとしてもどうにもなりませんし、変える必要すらないのです。
外見だけでもあなたは世界に一人の個性の持ち主なのです。
好みは人によって異なりますし、例えば最近のダイエットブームは不自然に思えて仕方ありません。標準体重が最も健康のはずなのに、
そういう方もダイエットを叫んでいるのですから。
そういった劣等感を抱いていても幸福にはなれません。

あなたが他の人との比較の中で生きる限り、自分の上が必ず存在しますので満足はありません。
さて、仮にあなたが自身の考える理想の体形・外見だとして、外見で判断してそばによってくる人と付き合いたいですか?
あなたが交際する相手・友人を選ぶ基準は外見ですか?
精神を向上すべく努力している人と、外見をより良くしようと努力している人。どちらと友人になりたいですか?
劣等感といえば経済状況も例にとりましょう。
金持ちを恨んでも絶対に金持ちになりません。
経済状況からいえば、どんなに収入が多くても「まだ足りない」と金儲けに目がくらんでいる人より、今の収入の範囲で満足できる人の方が経済的・精神的に豊かなのです。

昔、お金や自分の持ち物を貸して、そのまま返してもらっていない、ということも心の片隅にあるかも知れません。
それをずっと覚えている、ということは、あなた自身がそのお金や持ち物から解放されていないのと同じです。
ですからこれも切り離しましょう。

かくいう私も、知人にお金を貸したことをこの前まで気にしており、1年に1度ほど「まだ返してもらっていない」と思い出していました。
その知人とはもう何年も会っていないのですが。
お金を貸し、その後数回会っても返すチャンスはいくらでもあるのに返す様子がないし、ひょっとしたら忘れているのでは?と心配になり「貸したの覚えているよね?」と尋ねたら「覚えている」と平然と答えるのでした。
要するに、借りたのを覚えていても返す気がないのでしょう?
それを思い出す度に「もう何年も経つのに返してもらっていない」とイヤな思いをしていたのですが、今ではそれこそ、本当に忘れているのでしょう。
そうして考えてみると、”借金”に繋がれているのは私自身だったのでした。
”知人”と書きましたが友人ではない、という意味です。これからも、一生会うこともないでしょう。
だから、私は彼の借金の記憶を切り離すことにしました。

逆に、友達と一緒に遊んだり、飲んだり、出かけたり、の中には沢山の良い思い出があります。
イヤなことを思い出すよりそちらの方がずっと良いのは明白です。幸福というのは良い思いの積み重ね、イヤな思いの切り離しです。
経済的幸福感は本当にその人の幸福の尺度となりえます。

車はベンツでなければ我慢できない人がいるかと思うと、小さなバイクをやっと手に入れて喜びいっぱいの人がいます。
高給をとっていて安定した生活でもまだ満足できない人がいる一方、やっと就職先が見つかった、と安心する人がいます。
今の現状で満足できればそれが幸福であるし、上をずっと求めていれば不幸・不平不満のままです。
不足しているものを数えるより、今あるものを数えてみませんか?(これについては後に詳しく)

ここで「貧乏」を定義してみましょう。
「貧乏=必要なものが満たされていない」ということにしてみます。
車がなくても家がなくても「いつでもこんな美味しいラーメンが食べられるのは幸せだ」「好きな人と一緒に暮らせるのは最上の幸福」「好きな音楽をいつでも聴ける」「3着の中で好きな物を着られる」と満たされた気持ちが持てる人は貧乏ではありません。
 逆に1億円の貯金があっても「車3台を持っているだけでは、不満足」「もっと大きな家や金を欲しい」「ダイヤモンドの指輪がまだ揃っていない」と思っている人は、いつでも満たされていませんので不幸です。

たとえ、100億円の貯蓄があったとしても、「もったいないから」と使わずに、貧しい食事と節約を続けているのは、100億円がないのと同じです。
反対に、10万円しかなくても、「10万もあるのだから、半分は自分を喜ばせるため・楽しみのために遣い、残りの半分は、第三世界の貧しい子どもたちに、と例えばユニセフに送るという人は最高に豊かなのではないでしょうか?(ユニセフのHPからクレジットカードでも募金ができます。通常の送金もできます)

無料で募金できるサイトも紹介しておきます。
1クリックで1円しか募金できませんが、大勢が簡単なクリック操作をすれば塵ももつもれば・・・・
裕福を定義するとすれば「人に分け与える物を持っている人」ではないでしょうか?そして、上記のワクチンの例は、わずかな行動さえすれば、10人の命を救える、というものです。

ここで「もし世界が100人の村だったら」を復習してみましょう。
全文は日本語版と韓国語(拙訳含)を載せておきましたので、
気が向きましたら参考までにご覧ください。

「世界が100人の村だったら」抜粋=======
75人は 食べものを 備蓄しておき雨と露をしのげる家があります。
しかし 残り 25人は そうはいきません。
17人は きれいで 安全な 水を 飲むことができません。
銀行に 預金が あって 財布に お金が入っていて
家のどこかに小銭がある人は村で最も富裕な8人の中の1人です。
マイカーを 所有している人は100人中7人の中の1人です。
村の人の中の1人は大学教育を受け2人は コンピューターを持っています。
しかし、14人は文字を読むことができません。
===============

そう、これを読んでいるあなたは、コンピュータを持っている村に2人、つまり世界の2%に入る裕福な方です。
「それは世界を見れば確かにそうだが、日本の中で生きていれば・・・」とおっしゃいますか?
では、統計データでなく、私と比較してみていただければよろしいかと思います。
私が今使っているパソコンはWindows98が入っており、ネットオークションで¥5000で譲り受けたものです。ハードディスクも10Gです。

ケータイは高いのでPHSを使っています。メールはPHSからだと高いので
よほど急ぎでない限り家に帰ってきてからパソコンで送信です。
通常の着信があれば、これもそのまま返信するのは高いので公衆電話をみつけてTELします。

職場で食べる昼食は、職員食堂は高いのでおにぎりとカップラーメンです。(最近は78円のカップ麺が見当たらないので98円のものが多いです)
今、雨がしばらく降るだけでキャブレターに水が浸入しエンジンがかからなくなるバイクに乗っており、それもオークションで安く手に入れたものです。
バイクは色々な意味で必需品ですがこれまで動かなくなるまで乗り、また次を中古で買う、という繰り返しです。(自転車も持っていますがもらいものです。)
靴下は1ダース約¥600の軍足です。同じデザインなので片足分が破れても関係ありませんので)
Tシャツは破れるまで来て、買うときは基本的に¥500以下のものを買います。(この前、100円ショップで¥200のものを2着ゲットしたところです)
コートは30年前に買ったものが着られるので買い換えていません。
本を買うのは原則として古本です。(古本で売っていないものでどうしても読みたい本は新本で買うしかありませんが)

でも・・・
読書に関しては、古本でもamazon掲載の一番安いものでも、読みたい本を読めるので幸せです。
いくら古いバイクでも、行きたいところに行けるので満足です。
Tシャツもボロボロですが、人の目を気にしていませんので多少破れていても関係ありません。
パソコンもこのようにネットができれば10年前のものでも問題ありません。

もらいものの自転車はギア付きで、坂道の多いわが町を移動する時はとても楽です。
おにぎりは平日はいつもつれあいが作ってくれて、ありがとう。
以上、少しだけですが、あなたは私より経済的に恵まれていると思いませんか?
(反論がありましたらメールにて受け付けます→hassアットnifty.com←送信の際は「アット」を@に変えてください)
あなたの幸福の基準は何でしょう?
マイナス面でなく、ポジティブに考えませんか?



誰のために生きるのか
「こんな格好をしたら、恥ずかしい」
「こんな発言をしたら、みんなからどう思われるだろう」
「こんな生き方で世間からどう言われるか」
と、自分のやりたいことより、他の人がどう思うか、を優先する人がいます。
あなたの生活の基準は他人の価値観が基準なのですか?それとも自分の好みですか?
それでもしも他の人(という不特定多数の共通意見は存在しないのだけれど)に納得いくように過ごしたとして、あなたは満足ですか?

生きるということは他人の価値観に従うことではありません。
自分自身の価値観で生きることです。
人からどう思われるとか、人からどういわれたとか、そういうことを気にして生きていくのは人生の無駄遣いです。
でなければあなたが生きていることにはなりません。

あなたが(近しい人を除いて)他の人の生活を全く心にとめないように、他の人もあなたの生活には関心はありません。
例えばお金がないのに無理して有名ブランドの高価なものを買う例があります。
それを本当に気に入って、自分のために購入するならそれは構いません。
でもそうでないならその分のお金を他に回した方が良いでしょう。
極端な例では「高価な食材だから」「高級レストランだから」というだけで、本当はあまり美味しく感じないのにその気になったりします。
本当に食べて満足できるのは、他の人の評価ではなく、自分の味覚です。
カップラーメンなんて本当のラーメンではない、レトルトカレーなんて・・・と言う人が多いでしょう。でも自分が本当に好きなら素直にそう思えば良いのです。
あなたが大切にしたい、と思ってあなたらしく生きることを批判する人は、その人自身も他人の価値観で生活している人です。
そして他の人の価値観を変えることはできません。

過ぎ去った時間と共に、変えられないものをあれこれ心配するのは時間の無駄です。
そして変えられるのは自分の未来と心です。
時間は、自分のより幸福な生活に役立てましょう。
本当に成功している人や真に幸福に生きている人は、最初の例で言えばこう反応します。
「多くの人があんな服装を好んでいる。でも自分は自分の好きなものを着るのが一番良い」

他の人の価値観で生きるのでなく、自分のために吸収すべきことを選びます。
「あの意見で学ぶべきことは?自分に参考になることは?」
「あの生き方を示して周囲をどう変えていけるだろう?」
大切にしたい相手との人間関係では
「嫌われないようにするには?」ではなく
「どうすれば相手を喜ばせることができるか」を考え、
落ち込んだ時には「どうしてこうなったのだろう」ではなく
「失敗を繰り返さないために次は何を努力するか」と考えます。


あなたの幸福を数えましょう
あなたはこれまであなたを傷つけた人を未だに恨んでいますか?
おそらく、過去の辛かったことはいつまでも覚えていますよね?
でもそれは今のあなたの幸福にとって何の役にもたちません。

あなたは「今まで幸せでしたか?」と訊かれたら、あなたは上記のようなことを思い出すかも知れません
そして「今、幸せですか?」と訊かれても、「今」でなく「過去」のいやなことを思い出したりしていませんか?
この場合の「過去」というのは10分前までのこととしましょう。たしかに10分前は既に過去となり、二度と戻ってこないのですから。

もう一度、お尋ねします。「今、幸せですか?」
自分の自由意志でパソコンの前でこの文章を読んでいるのですから、誰にも拘束されずに好きなことをしているのですよね?
「今、幸福か?」と訊かれたら、幸福なのではないですか?
過去はすべて記憶の中だけにしか存在しません。そして、「今」と訊かれているのに過去を思い出して、自分を評価してしまうようなら、次の作業が必要です。

次の事項を書き出して下さい。
(どうして書かねばならないのか−−−あなたは宝石や財宝を100持っていたらそのリストを作りませんか?
宝石くらいでは作らない?では不動産を500件持っていたら、その記録をするでしょう?
以下のものはあなたの大切な財産だから記録してみるのです。実際に書くのと頭の中で考えるだけとはこの場合は異なります)

1)あなたの好きな音楽を10曲書いて下さい。
 (もちろん10曲以上なら何曲でも構いません。−−以下同様)
 あなたは今、好きな音楽を聞ける設備を持っています。−−以下同様なので思いを馳せてください。
日々の生活のためだけに、2km離れた水飲み場にカメを頭の上に乗せて汲んでくる第三世界の人々は「ただ生き延びるのがすべて」であり、あなたのような宝物はありません。
2)あなたの好きな料理−−美味しいと思うもの−−を10種類書いて下さい。
3)あなたの好きな映画を10以上書いて下さい。映画をあまりみなければ好きなTV番組でも構いません。
4)あなたの好きな本を10冊以上紹介して下さい。マンガでも構いません。
5)あなたの好きな場所−−旅行先でもどこかのお店でも、公園などでも構いません。

6)あなたの好きな人を10人以上、書いて下さい。恋人でも友人でも家族でも、逢ったことのないスターでも構いません。
7)あなたが持っているものでお気に入りのものを10以上書いて下さい。
8)あなたがやっておもしろかったことを10書いて下さい。
9)あなたが家族や友人や知人からしてもらって「ありがたい」と思ったことを10以上書いて下さい。
10)あなたのやりたいこと、行きたいところ、逢いたい人、など、何でも良いですから10書いて下さい。

さて、それぞれに10以上書いた後、考えてみて下さい。
今のあなたを形成しているのは上記(1)〜(9)の90以上の事柄であり、それらはあなたの大切な財産(記憶・事柄)なのではありませんか?
つまり、あなたはこれまでに90以上の宝を手に(記憶に)入れているのです。
そして最後の10番目はあなたが持っている「希望・夢」という、これも大切な宝物です。
つまり、今のあなたは100個ものすばらしい宝を抱えながら生きているのです。

ではマイナス記憶も数えてみますか?
ざっと思いつくのは100より多いですか?
(100より多い方はコメントください。別の項目を設けてご相談したいと思います)
そうして、過去を振り返り、自分の今の境遇を考慮しながたカウントしてみると
あなたがこれまで生きてきた中でたくさんの宝物があるのではありませんか?

負の記憶や出来事をカウントしても絶対に取り返せませんし、今のあなたの幸福や未来にはほとんど役にたちません。
(ほとんど、というのは教訓くらいには役に立つかも知れないという意味です)
だからこれまでの幸福を数えませんか?
そしてこれから数えるのはこれからの夢・希望です。


自分の喜びのために行動する

好きな人と一緒に暮らせたら幸福です。
では、自分が自分を好きだったら最高に幸福ではないでしょうか?
あなたは自分が世界で一番好きですか?
嫌いだとしたら、その要素は何でしょう?
「どうして自分って失敗ばかりするのだろう」とか
「自分はなんて頭が悪いのだろう」とか・・・
あなたは世界中にたった一人しかない個性の持ち主です。
他人と比較する必要はありません。

Aさんは自分より、○○が優れている、とか、Bさんは△△ができるけれども自分にはできない、などと欠点を数えていて劣等感にひたっていては、幸福な感情は生じません。

ベートーベンは音楽の才能を花開かせましたが、スポーツ選手になれたでしょうか?アインシュタインが「文学大賞」に応募して、入選したと思えるでしょうか?
誰にでもその人の生きる道があります。重要なのは自分らしく生きるということであり、自分であり続けるということです。
他人の価値観で生きていたら自分を生きているとは言えません。
あなたは幸福になるために生きているのではありませんか?
あなたにはあなたなりの幸福・夢・希望があるのではありませんか?
それに向かって邁進すれば、他の人の批判などは気にならないのではありませんか?

あなたが幸福でないとすれば、自分らしく生きているかどうか、自分を大切に生きているかまず疑ってみてください。
次に、自分に優しくしてあげてください。
もし、あなたに好きな人がいれば、その人のために何かをしてあげたり、何かをプレゼントしてあげたりしたいでしょう。
だから自分のために何かをしてあげるのです。
自分の喜びのためならば、毎日何かをすることができます。お金がかかることだとしても、金額の許す範囲で自分にプレゼントすることができます。

最近、自分に何かプレゼントをあげましたか?
「将来のためにムダ遣いをしない」ように努力して、今を犠牲にしていませんか?「将来のために今は我慢する」というのは合理的に聞こえます。
でも不確定な”将来のため”とずっと心配していたら、あなたが幸福になれるのはいつのことでしょう?
”浪費”でない範囲で、自分を幸福にするため、というお金の使い方は、「今」も必要なのではないですか?
今あなた自身が幸福になるべきではありませんか?

そもそもムダ遣いというのは自分の役にたたないもののためにお金を使ってしまうことです。
「将来のことはわからないけど、とりあえず今は幸福」という状態をつくるために、ちょっとだけお金を使って、一つでも自分がほしいものを自分にプレゼントしてみませんか?
実際にあなたの周囲にあるものは、あなたが自分のためにゲットしたものです。
その中で一番すてきなものをゲットした時のことを思い出してください。
あなたはそれを購入した時に「浪費してしまった」と後悔していますか?それとも、喜びいっぱいでしたか?
”お金のかかること”は幸福になるための一つの例にすぎません。
もちろん、本当の幸福はお金では買えないものの方が多いのです。

自分の喜びのために、あなたはピアノが弾けるようになりたいですか?であれば練習しましょう。
外国語が話せるようになりたいですか?
「なりたい」と思っているだけでは話せるようになりません。
簡単な目標をつくりましょう。毎日10個ずつ単語を覚えましょう。1年後には3650の単語を覚えられます。
とりあえず、それだけ覚えていれば、日常会話は概ねできるようになると思いませんか?
温泉に行きたいですか?であれば、行きましょうよ。忙しいのは理由になりません。ネットで検索すれば自宅からわずかの時間で行ける温泉がみつけられます。

”将来”といってしまうとどうなるか不安な要素が多いかも知れません。
でもあなたは「今」のためなら行動をすることができますし、ささやかでも自分の幸福のために明確な行動を起こすことは可能です。
さあ、今日の喜びを一つ増やすために今から何をされますか?


外部に惑わされない

TVを見ているだけで怒る人がいます。
・どうしてこんな事件が起こるんだ。
・こんなにつまらない番組を放映するんだ。
・あんなヤツはTVに出るべきでない。
・あの政治家のせいで世の中は良くならないんだ。

そういったところで、あなたは他の人の行動を変えられません。
それなのにどうして他人を批判してしまいたくなるのでしょう?
社会的なことは、通常はあなたには変えられません。
変えられないことを嘆いたり、批判したり・・・・

あなたは楽しんだり、情報を得たりするためにTVを見ているのでなく、怒るために見るのですか?そしてそれは幸福ですか?
暗いニュースばかりでイヤになったらニュースを見ない、という選択肢はないのでしょうか?
ニュースを見ないと情報に遅れる?それはあなたを幸福にしてくれるための情報でしょうか?
同じ時間ならもっと楽しい番組を見る、とかTV以外に貴重な時間を費やすということはいかがでしょう?
そうして、職場にいても腹が立つことが多いかも知れません。
そういったことは、通常はあなたには変えられません。(変えられるならそうしてください)
これらは実は他で書いている「誰のために生きるのか?」の裏返しにもなっています。

特に好きな格好をしている人をあなたのセンスと異なるという理由で批判したり、贅沢な生活をしている人に腹をたてるのは最悪です。
それはあなた自身がそういう立場に立つことはない、と自らの可能性を否定してしまっているのです。
日常の幸福感はあなたの「思い」から始まります。

見ることを腹をたてる暇があるくらいなら、外界のことを何も考えずに自分のためのことを考えた方がずっと良い気分になれるのではありませんか?
そしてそれが最も手っ取り早く幸福感を味わえるのではありませんか?
自分と価値観が異なることに腹をたてる習慣は放棄しましょう。

上記とは別に「正当な怒り」というものは存在します。
世界の平和を脅かすような発言や存在には怒って当然です。
ただし、建設的な方向から見る方が良いのです。

繰り返しますが、世界の平和を脅かす存在や、弱い人々の幸福を踏みにじる発言は、間違っていますが、それらを批判するだけでは何も生まれません。
あなたが世界の平和や差別撤退のためにどうあるべきか、と意見と行動を伴っている場合です。こられは未来創造のための建設的・積極的なエネルギーを持った怒りだからです。
「世界」という規模で大きすぎるなら、もっと小さくしてみましょう。
あなたを虐げたり、幸福を脅かす存在を許すということは、あなた自身がそれを認めることになります。ですからそれらは受け入れるべきではありません。
ガンジーのように、あるいはM・L・キングのように、「真実は必ず勝利する」という確信を持って抵抗すべきです。
その結果はご存じのとおり、勝利をつかみとりました。
ここで、キング牧師の「I have a dream」を読んでみましょうか。
(英文・日本語文が参照できます)

あなたの”DREAM”は何ですか?
さて、話を戻しましょう。
かつて、あなたを苦しめた人、いじめた人、怒鳴りつけた人、罵声を浴びせた人など、いたかも知れませんが、それらはみな気の毒な人です。
なぜならそういう人たちは、そのような行動をとってあなたより優位な姿勢をみさなければ自分が維持できなかったのです。
幸福でないが故に、人を悲しませたり、おとしめたりして「自分の方がましだ」と思いたかったのです。
本当に強い人は暴力をふるいません。本当に自分の考えに自信がある人は人におしつけたりしません。本当のお金持ちは人を騙して金を巻き上げたりしません。
あなたは幼児が同じことをあなたにしようとしたら本気で怒りますか?

同様に、あなたに上記のような行動をとった人は実際の年齢はどうあれ、精神的にとても幼いのです。
他人に迷惑をかけずに自分の力で幸福になる能力がないのです。だから、本当に気の毒な人たちです。
小さな子どもがおかしな行動をしたり、あなたを批判したりしてもあなたは怒りを維持し続けますか?
そんな甘いものではない、という声もきこえます。ニューヨークの9/11テロ、地下鉄サリン事件などの被害者やその家族。怒ってはなりません、という方が無理な場合もあるでしょう。否定はしません。
でも、怒っているだけでなく「二度とこのような悲劇が起きないためにはどうすれば」と、積極的な考えは持つことができませんか?そうしましょう。
上記のように、日常の周囲に起こりうるあなたの感情の世界から世界の社会問題まで話を広げてしまいました。
これにより、あなたの視点が、日常の腹の立つことからより広い・高い社会レベルになるヒントになれば幸いなのですが。



自分が自分であり続けるために

仮に、あなたの趣味がある物を集めることだとして、それがちょっと集める趣味としては珍しいもので、
他の人から「どうしてそんなもの収集するの?」と言われてもやめてはいけません。
「そんなもの」と思うのは他人の価値観であって、あなたの価値観ではないからです。
あなたは自分のために生きるのであり、あなたはそれを収集するのが好きだから集めているわけです。
それを集めるのが幸福だからそうするのであり、他人から言われてそれを止めるのは幸福の放棄に他なりません。

同様に芸術作品(と、人から言ってもらえないにしても)はあなたがそれを作成したいからしているのであり、他人のために作っているのではないことは確かです。
一般的に”認められている”趣味、例えばスポーツとか鉄道とか囲碁とか手芸でも、多数の人がやっているから”趣味”として認められているのであり、本人にとっては大切でも興味のない人にとっては何の価値もないのです。

さて、趣味の話なら解りやすいのですが、ちょっと変えて服飾にしてみましょう。
あなたが気に入って購入して着ているものを、他の人にセンスが悪いとかデザインがちょっと、といわれても着るのをやめてはいけません。
その前、購入する時に「こんなものを着たら人にどう思われるか」という判断が含まれて購入の基準になってはいけません。
あなたが気に入ったものを買うべきだし着るべきです。服装は誰のためでもない、
自分のためだからです。

以上の話を徐々に物質的でない世界に広げて考えてみましょう。
みんなが好な音楽だ、という理由でCDを買う必要はありません。音楽を聴くのは自分なのですから自分が好き、という基準でCDを買いましょう。
書籍も同様です。自分が読みたい本を読みましょう。

ここまでお読みいただいた方は察してくださったと思いますが、職業も同じです。
人のために生きているのでなく、自分のために生きているのです。
「これから**という仕事をしてみたい」
−−なんでそんな仕事を?
と言われてもあなたはあなたのやりたい仕事をやってください。
もし、あなたが「自分には合わない」という仕事に就いているのなら
収入とか肩書とか、辞めようと思った時には周囲の人はそれらに妥協した自分の人生を肯定したいのでおそらく反対するでしょう。

でも自分らしくないものにしがみついている人のアドバイスを聞けばあなたも自分らしくない生き方をすることになります。
だからそういったアドバイスでなく、自分の魂の内なる声に従ってください。
あなたは”現実的な”生き方をしている人と同一の人生観である必要はありませんし、そうやって”アドバイス”くれた人とは違う生き方をする人です。
あなたはあなた自身の納得いく仕事を目指してください。
そうして話をもっと拡大すると、生き方そのものです。

あなたの生き方についてアドバイスというより「それは無理」「夢だけはあるんだね」「前に同じような人がいたけど・・」なんて雑音があると思います。
それらはその人の結論であって、そういう人は自己の生き方を限定している価値観しか持ち合わせていない人です。
本当に自分を大切に生きている人なら否定しないはずです。
皮肉でなく「頑張ってね、応援するよ」「そうだよね。自分も負けずに頑張ろう」という人の言葉だけを心にとめてください。
そして、「自分は**になろうと、それなりに頑張っているんだけど、(様々な事情・状況で)誰からも応援もらえない。一言くらい応援の言葉が欲しい」という方はメールください。
あなたの夢を応援するメールを返信したいと思います。



ネガティブな感情を捨てる

あなたの心配事は何ですか?
もし、心配しても結果は変わらないのでしたら、心配してもどうにもなりません。
これから起こることの良い結果、悪い結果を考慮し、最善を尽くすのは間違っていません。
しかし、最悪の結果ばかりを考えるのは明らかに間違っています。
中には、もう過ぎてしまったことまで、心配(=後悔)する人がいます。どうして後悔する必要があるでしょう?
そんなことを考える暇があったら、これからの未来を少しでも明るくする努力をした方が良いのではありませんか?
同じ悩むなら、恋人や家族や友人をどうやって喜ばせるか悩んだ方がはるかに良いのではありませんか?

●恨みや悪口、怒りも放棄しましょう。
自分を苦しめた人、傷つけた人にずっと恨みをもっている人がいます。その人の悪口を言い続ける人がいます。
それで状況が良くなったことはあるでしょうか?
ひょっとしたらあなた自身も他の人を傷つけたことがあるかも知れません。
あなたはそれに気づきましたか?鮮明に覚えていますか?
加害者は被害者の1/10さえも覚えていないものです。

同様に、あなたを傷つけた本人は覚えていない、あるいはあなたが辛い思いをしたことに気づいてさえいないことがほとんどです。
そんなことを考えるより、それらをうち消すほどの、これからの良い出会いを作ったり、計画した方が良いのではありませんか?
あなたを苦しめた相手を、あなたの脳裏にずっと置いておきたいですか?ずっと覚えていたいですか?
違いますね。それは忘れて、もっとずっと良いこと、−−−希望や夢や可能性で思考を満たした方が良いではありませんか?
それでも忘れることができなければ、その人を許してしまいましょう。

あんなヤツ、絶対許せない?
ではまず自分を許すことから始めてみましょう?先に書いた「後悔する」ということは、過去の自分を責めることです。
過去の時点では、あなたはそれを最良の選択だと信じて行動したのではありませんか?
それは決して悪いことではありません。

同様にあなたが「許せない」行為をした相手もその時はその相手にとって最善の選択だったのです。
自分を許してやることを試みて下さい。ずっと気が楽になります。
あなたの過去の間違いについては「時効」を設定する必要があります。
刑法の規定では、逮捕されなければおおむね10年で時効、そして服役しても10年で消滅時効(前科が消える)、軽い罪ならもっと少ないです。
もちろんこれは犯罪のことです。

そしてあなたの過去の行為は逮捕されるほど悪いことでしたか?
そして自分を幸福にしないことこそ、あなたにとって最大の犯罪ではありませんか?
自分を幸福にしてあげることを優先して下さい。
これは「自分勝手」とは違います。誰もが実行できる方法で「まず自分が幸福になる」ことを示すことによって、他の人にも幸福になる方法を伝えることができるのです。

●妬みを放棄しましょう。
豪華な邸宅を見て「どうせ悪いことをして稼いだに違いない」と、妬む人がいます。そんな人は心の中で自分が豪邸に住むことを否定しているのです。
そこのまだ見ぬ住人に向かってささやきましょう。「素敵な家を持ててすばらしい。自分もいつかこんな家に住む。」
そのためにはどうしたら良いか、を考える方がずっと楽しくありませんか?


人生を幸福・喜びに導くため

◆目標を設定しなければ目標にたどりつけない。
◆成功者はいずれも途中であきらめなかった人である。
◆今のあなたを創ったのは、過去のあなたであり、未来のあなたを創るのは今のあなたしかありません。
◆人生を変えようと思ったら、これまでどおりの生活を送っていて変わるはずがありません。
◆成功を願いながら、いつも最悪のケースのことばかり考えている人が世の中には大勢います。
そういう人は最悪のケースが起こらない方向で精一杯の努力を注ぎ込んでしまうため、最高の結果を生み出せないことがほとんどです。
最悪の結果ばかりで頭を満たしていて、最善の結果が生じることはないのではありませんか?

◆幸福の3要素は「家庭・仕事(職場)・家(住んでいる環境)」だと言われます。あなたはこれらに満足していますか・
 満足していないとすれば、それを変えるためにはどうすれば良いか、それぞれ10項目ほど書き出してみて下さい。
 さて、あなたはその10項目のうち、これまでいくつを実行に移しましたか?実行せねば変わらないのは当然です。
 ではこれからそのうちいくつを実行するおつもりですか?

◆世界に光をもたらした、電球を発明したエジソンは、当初の電球のフィラメントの寿命がわずかなので、世界中のあらゆる物質を試そうとしました。
そして、やっと日本の京都の竹に行き着いたのは2000回失敗した後です。
◆歴史のパイオニアたちは「前例がない」ということを問題にしませんでした。「前例の最初は誰かが作ったもの。前例がなければ自分が前例となれば済むこと」と考えたのでした。
◆「成功は運」と考えている人には、運が作用します。「成功は努力」と思っている人には努力が作用します。
◆分子の数から、化学構造式をどうしても思いつかなかった化学者は、ある日、夢の中でヘビが丸くトグロを巻いているのを見て、円形を思いつきました。
今では化学常識の構造。環状の構造式を思いついたベンゼンです。

◆今の時代の我々が、後から考えれば何でもないことも、当時は偉大な発想だったのです。たとえば、
ボールペン:汚れた球が道を転がるのをヒントに考案。
クリップ:針金を曲げて遊んでいて考案。
ヤカンの蓋の穴:沸騰するとうるさいので頭にきて穴を開けてみた。

◆成功を夢見ながら、寝ころんで待っているだけでは成功はやってきません。
成功者たちは寝ころんで成功がやってくるのを待っていましたか?必ず目標実現に近づくための行動をしたはずです。
◆成功を望んでいるのに、何故か今の生活にしがみついている人がいます。
今までの生活の仕方で成功しなかったのであれば、生活を変える必要があるのは明白です。

目標に達するためには、スピリチュアルな部分でもそれなりの準備が必要です。
たとえばあなたの目標がヨーロッパ旅行だとしましょう。
私は「空から航空券が落ちてくる」可能性を否定しません。
クイズや福引に当選するかも知れませんし、抽選に当たったけれどもどうしても都合がつかない、もったいないから誰かいかない?という人もいるでしょう。
ただし、実際にそうなった時、あなたはヨーロッパにすぐに旅立ちできますか?

必要なものは、たとえばパスポート・旅行カバン・案内地図・少しばかりの語学力・いつでもとれる10日間の休暇などです。
どんなに夢描いていても、これらの準備がなければ、運良く航空券がゲットできてもヨーロッパに出かけることはできません。
逆に、これらが全部準備されていれば、たまたまあなたの友人が懸賞でツアーにあたって、事情で出かけられないとき、あなたに話が来るのです。
夢を実現するには、常に準備は必要です。

もう一度順番にお尋ねします。
・あなたは既にパスポートをゲットしていますか?
・あなたが行きたい日数の荷物を詰める旅行カバンはありますか?なければ、すぐにレンタルしてくれる業者のメモはありますか?
・実際にどこの国のどこへ行って何と何を見たい、という希望はありますか?
・現地に立った時、行きたい場所の地図などは持っていますか?
・たとえばフランスでは、英語でなく片言でもフランス語が必要です。少しは勉強していますか?
・マドリッドのレストランテで、食べたい物が注文できますか?ロマンチック街道で、道に迷って、地図を指さしながらでも行きたいところまでの道を質問できますか?

・いつでも10日間の休暇がとれるような職場態勢になっていますか?なっていないとすれば、そのための努力は?労働基準法に定める当然の権利の確保なのですが?
三六協定や労働組合はどうなっていますか?もしなければ、あなたが組合をつくる努力をしてみたことは?
あなたが偶然、航空券やツアーパッケージが当選することなくても、上記の条件が満たされていれば、抽選に当たったけれども都合が悪くなった人から、あなたが譲られる可能性がグンとアップすることは納得いただけるのではないでしょうか?職場で誰かにヨーロッパ出張の必要が生じた際に、上記の準備ができていれば、あなたが指名される確率がグンとアップするのは明白です。

あなたの目標を実現するためには、単に「ヨーロッパに旅行したい」という夢だけでは足りないことが納得いただけたことと思います。
身近で、実際に目標達成された方の行動や準備を思い浮かべて下さい。何の準備もせずに目標達成できた知人が存在するでしょうか?
以上は、目標・願望を旅行にたとえたものですが、他の目標もみな同じです。


可能性を制限するもの

可能性を制限する言葉の一つに「〜のくせに」というのがあります。
まずは、他人に対する見方で使用されます。
「男のくせに」「女のくせに」
「若いくせに」「年寄りのくせに」
「金持ちのくせに」「貧乏人のくせに」
「大卒のくせに」「中卒のくせに」
実はこの言葉で可能性を狭めるのは自分自身なのです。

「若いくせに」と人を非難すれば年齢のせいで非難されることを肯定することもさることながら、自分の年齢ゆえの限界を自らつくっていることになるのです。
これからはこの言葉をひっくりかえして使用したらいかがでしょう?
「若いくせに」と人を批判するのでなく、「若いのによく〜」などと肯定するのです。
人の可能性を信じる者は、自らの可能性も広げるのです。
もう一つの可能性を否定する言葉群があります。
「格好悪い」「恥ずかしい」「みっともない」「人からどう思われるか」など。

例えば服装を例にとりましょう。人からどう言われようと好きなものを着たら良いのに、「人にどう思われるか」という基準で服装を選択する人がいます。
例えば夏のスーツ・ネクタイ。あれは湿気の少ないヨーロッパの気候だから発達したのであり、蒸し暑い日本の温帯モンスーン気候には、適しません。
本心から着たい、と感じている人は少ないと思います。ましてネクタイなんて何の役にもたたない飾りです。
それなのに着ていて幸福なのでしょうか?
「そうは言っても会社の決まりで・・・」なるほど、やはり幸福のためでなく、我慢しているのですね?賃金のために着たくないものを着て幸福ですか?
まして、肉体労働者が通勤の場合だけネクタイ姿に着替えるというのはどうしてでしょう?自分の仕事に誇りを持っていれば、わざわざホワイト・カラーの服装をする必要がないのでは?

 実は、ここにも幸福のためのポイントがあります。
 自分の仕事が好きなら、人生の大半を占める仕事の時間が幸福ですし、賃金のために無理に我慢しているのなら、週2日の休みのために生きているのです。
その多くの場合、仕事で疲れた休息のために過ごすのです。つまり、休日さえも仕事のためにあることになります。
(せっかくの休日は自分の好きなことをして2日間だけでも幸福ならまだそれだけ自分のための時間なのですが)
そんなことを言っても他に仕事がない?それはよく理解できます。

では考えてみましょう。世の中の職業の数は3万種類と言われています。
その中であなたがやりたい仕事はどれだけありますか?今の仕事が最高なのですか?
今更、仕事を変えたら賃金が大幅に減ってしまう?
そこです!ずっと我慢しながら今の賃金を維持するのと、賃金は半分でも良いからもっと好きな仕事をするのとどちらが幸福になれますか?
ここで言いたいのは、転職すべきだ、ということではありません。以上を踏まえた上で、今の仕事を続けるなら、今の仕事をもっと好きになるべきだ、ということです。

例えば、事務職と言っても毎日コピーをするだけのつまらない仕事?ではコピー機を組み立てている人はもっとつまらない?
毎日、皿洗いばかり?きれいな皿がなければ最高の料理は盛りつけできません。
例えば前のお客の汚れがわずかに残っている器で出された料理はそれだけでイヤになるでしょう。
お客さんの「美味しいね」という喜びはあなたの功績でもあるのです。
毎日、清掃やゴミ拾い?環境にかかわる大切な仕事です。

そして人がいやがる仕事ほどやる価値があるのです。足の不自由な人が滑って転倒しないように床を磨けるかどうか、あなた次第です。
個人情報が書かれた書類ゴミを、漏洩しないように処理できるのは清掃処理のプロだけです。そんなところから少しは仕事を好きになれませんか?
でもやっぱり好きになれない?
仕事を好きになるか、好きな仕事に転職するか、選択肢はこの2つです。
最悪なのは不平不満のまま今の仕事をずっと続けることですから。


あなたの望みはお金?

お金は誰でも欲しいです。
お金を手に入れることは悪いことではありません。
でもちょっと待ってください。
お金が欲しいというのは、本当はお金で買えるものが欲しいということですよね?
豪華な家、世界一周旅行、贅沢な調度品、高級な服飾、……
お金はそれらを実現するための”手段”に過ぎません。
その目的を忘れてお金のために自分の大切な部分・生きがいを犠牲にしていませんか?
いつの間にかお金そのものが目的になっていませんか?


「あるがまま」を受け入れる

他人の行動を批判したり、腹を立てたりすることがよくある方もいらっしゃるでしょう。
簡単な例を揚げてみましょう。
1)あいつは時間にルーズなヤツだ。
2)彼女は挨拶もまともにできない。
3)彼の服装はだらしない。
ひょっとして他の方に要求水準が高くありませんか?
そして自分にも・・・・

1)約束の時間は守らねばならない。(だから自分は守っている。約束の時間の5分前から相手を待っているのに相手は・・・)
2)挨拶は人間関係に必要だ。(だから自分は努力している。それなのに挨拶をしない彼女はおかしい)
3)外見や第一印象は大切だから服装はきちっとしなければならない。(だから自分は毎日しっかり身だしなみを整えている)
(上記の例は人生において本当に大切かどうかも一考の余地があります)

要するに、自分の価値観として大切なものを守っている。だから他の人も・・・という基準です。
しかし、他の人はその人なりの生き方の基準がある。人生における重要性の優先順位がある。
よく考えてみれば、それは単にあなたと価値観が異なる、というだけのことではありませんか?
その人は(あなたがそうであるように・そうしてきたように)自分で大切だと思うことは優先して守ってきたはずです。
その人の「あるがまま」に批判したり腹を立てるのでなく、「あるがまま」を認めた方があなたも楽ではありませんか?


あなたがあなたにしてあげられること

 あなたはこの宇宙から必要とされたので生まれてきました。
 あなたは、人生を、そしてこの宇宙を楽しみ、幸福になるために生まれてきました。
「生まれてきた目的なんて・・・」とおっしゃる方も、少なくとも今生きているのは、今より幸福になれると思っているから生きているのに違いありませんね。

 「そう思い通りにいかない」と言われるかも知れません。ではその思い通りにならないのは、あなたの人生のどれくらいですか?50%?それとも80%?よろしい。では残りの50%や20%はあなたの思いのままですね?それはあなたの努力次第で自由に変えられるのですね?ではその自由にできる部分で最大限の努力をしていますか?
 たとえばダイエットをしたい、禁煙したい、知識を増やしたい、など、他の人に関わりなく自分だけの努力で自由に変えられるものは、最大限の努力を惜しむことなく100%の努力をして変えましょう。
 意志が弱くて・・・というあきらめはNGです。本当に達成したければ、それはあなた次第なのですから。

 あなたが宇宙から必要とされて生まれてきたのは、宇宙に貢献するためでもあります。まず誰かの役にたつことをしましょう。誰かに喜ばれることをしてみましょう。
 誰を?思いつかなければまずは最も身近な人、つまりあなた自身を幸福にしてあげてください。
過去に、人を喜ばせようと思ってした行為で、相手の反応にガッカリした事はありませんか?あなたと他の人は異なるのですから当然です。
しかし、あなたが一番欲しいもの、望んでいるものはあなた自身が最も知っているはず。あなたを最も幸福にできるのもあなたです。

 そんな身近な存在を幸福にできなければ誰も幸福にすることなどできません。これは自分勝手とは違います。
まず一人を幸福にする練習だと思って下さい。そして実はあなたが幸福になれば他の人にもお裾分けをできるのです。
 たとえばお金持ちになれば、お金に困った人を救うこともできるし、社会に役立つことに寄付することもできます。
パーティを開いて喜ばせることもできます。 知識が増えれば、知識のない人に役立てることができます。健康になれば体を使って他の人のために動き回ることができます。
欲しいものを手にいれれば、他の人はそれを模範とすることができるのです。逆に、あなたが不幸になって、誰かが幸福になる、ということがありません。

「自分には幸福になる価値がない」という場合もあるかも知れません。
それでは過去の自分を許し、自分に幸福の許可を与えることから始めましょう。これも他の人を許す練習だと思って下さい。
過去にあなたを傷つけた人をどう許しますか?どんなにひどいことをしても、通常は本気で謝ってきたら許すのではありませんか?あなたも同様に許されるべきです。
「汝を愛するように隣人を愛せ」ということばが聖書にあります。今はその逆を実行に移すときです。「人を許すように自分を許せ」
 あなたは幸福になる義務があるのです。

あなたは愛する人のためなら何でもできる、と思った経験があるでしょう。愛する人には世界一幸福になって欲しいと思ったことでしょう。
ではあなた自身についてはどうでしょう?世界で最も愛する自分を幸福にしてあげるために全力を尽くしたらどうですか?
例えばたまには、「自分に何かをプレゼントしてみる」というのはいかがでしょう?本当は”たまに”でなくて、”毎日”が良いのですが。
それにはお金がかかりすぎる?プレゼントというのがお金のかかることだけを指しているとすれば、あなたは幸福よりお金に比重を置いています。

海の近くであれば、何の目的もなく、ただ、海をずっと眺めてゆったりした時間を過ごすのも一つのプレゼントですし、景色の良いところへ行って沈む夕日をじっと眺めているのも素敵なことだと思いませんか?
出かけられなければ、例えば、あなたの部屋がずっと散らかしっぱなしだったら、掃除してきれいな部屋をあなた自身にプレゼントすれば良いですし、自分にラブレターを書いてみる、なんていうのも最高のプレゼントだと思いませんか?

そんなことをしたって、一時の気休め、という声が聞こえてきそうです。
「今までだって大して良いことはなかった。Aもないし、Bもない・・・」というあなたには特にお伝えしたいことがあります。
今まで良いことがなかった分、これから幸せになる権利があるのではありませんか?
生まれたときから裕福な家で何不自由なく健康に育ち、大人になってからもそれなりに満足できる生活を送っている、という人も多そうです。
そういう人と比して、あなたはずっと堪え、我慢して生きてきた?
だったら、マイナスの生活は十分に経験したのですから、もう幸せになっても良いのではありませんか?今度はあなたが幸せになる番ではありませんか?

考えてみて下さい。実際にあなたに「世界一幸福になってほしい」と思っている人が存在します。思いつかない?
でも、あなたが生まれた時からあなたを見守っている守護天使(守護霊でも「大いなる存在」でも神でも、呼び方は問わないので何でもあなたが信じるもので構いません)は、本当にそう願っているのです。そのためにあなたはこれまで守護天使から生かされているのですから。
そんなものは信じられない?ではこう言い換えましょう。
ここまで僕の文章を読んで下さった大切な読者のあなたには、「世界で2番目に幸福になる」ことを僕は本当に願っています。(どうして2番目かの説明は要らないと思いますが1番は僕です(笑)でも人口を考えれば、世界で1億番目に幸福になる、というのもすごいことだと思いませんか?
あなたには本当に幸福になって欲しいと思っています。


恋をしている時

人は人生に前向きになります。
自分のことよりも、相手の状態を一喜一憂します。相手にふさわしい人間になろうと、向上する努力も全く惜しみません。
そして自分の行為により相手に喜びを与えることができることに幸福感を感じます。

相手は人間に限りません。
例えば犬を飼っているとしましょう。餌をあげたり散歩に連れていって、犬が嬉しそうにするだけで、あなたも満足できるはずです。
これこそ「無償の行為」が最大の価値あることの一つの証明です。

そして、みんないつでも誰かに・何かに恋をしています。
それは車かも知れません。そんな人は車に乗っているとき何よりも嬉しいでしょう。
TVスターかも知れません。そのスターが出る番組を見るのが何より楽しみでしょう。
具体的なものでなくて、何かに「ハマる」ことかも知れませんが、そのハマることをしている間は満足なはずです。

恋する人と一緒にいるときには「死んでしまいたい」などと夢にも思わないで、「いつまでもこの時間が続くように」と祈っていることでしょう。

そして、もし恋の対象が仕事や職場や自分だったら?
それほど幸福なことはありません。
そして恋の対象が広がっていったら?その分だけあなたの喜びが増えるのです。たくさんの人・ものに恋をしましょう。

そして実はあなたに「恋している存在」が、あなたの生まれた時からあなたを見守り、気遣い、心配しています。
守護天使(守護霊・ハイアーセルフ・見えない存在・神・仏etc)名前はあなたが好きなものに決めて構いませんが、あなたの最上の幸福をずっと願っています。
あなたはその存在にずっと見守られてきました。あなたが事故に遭いそうになったとき、助けてくれた存在。あなたをこれまで生かしてきた存在。
あなたの最高の喜びを願い、ずっとそばにいてくれて、決して裏切らず、そしてこれからもずっとそばにいる存在。あなたが心を開くだけでその存在の声は聞こえます。
あなたは何かのとき、自分と会話したことありませんか?その相手は実は守護天使だったのです。
守護天使はいつもあなたに恋をして、あなたを幸福にしたいと願い、そしてその力を持っています。でもあなたが拒否したら、あなたの意志を最大限に尊重する守護天使は引き下がります。
ウソだと思ったら、あなたの今の悩みを守護天使に訴えてみませんか?答えが脳裏に響きます。

「そんなの空想とか妄想」とか言われますか?
でも、この文章を書かせているのは僕の守護天使です。
「こんなの書いてみない?」と言われて僕は書いています。
少なくともこの文章をここまで読んで下さった方には考えて欲しいです。
これは僕の文章でなくて守護天使に言われて書いた文章です。
(これをチャネリングという??)

守護天使のおかげで、僕はこれまで歯医者を含めて病院に行ったことがありませんし、大きな事故や怪我やトラブルがありません。
そして素敵な本を売っている場所に招いて、良い本に巡り合わせてくれます。
よく脳裏で、良心とそうでないものが争う漫画がありますね。
そんな思いをしたことありませんか?「良心」の方が守護天使です。
そして「良心」でない行動をとっても、愛想をつかさずずっとあなたを見守ってくれるのが守護天使です。守護天使と会話してみませんか?


守護天使と会話するテクニック

なんて書きましたが、実はそんな難しいものはありません。
あなたが思う守護天使を脳裏に描き、「これどう思う?」って聞くだけで良いのです。するとあなたの脳裏に守護天使の答えが帰ってきませんか?
何か困ったことや悩みがある時、静かに「どうすれば良い?」と聞いてみましょう。脳裏に何かがひらめくはずです。それが守護天使の回答。
巷のヒーリング系の書籍や瞑想の書籍がグラウンディング(地球とつながる)やアカシックレコードを読む方法、などいろいろなテクニックを紹介していますが、そんなの要りません。
大切なことがある日、守護天使をイメージして「今日私を守って下さいね」と心の中で言うだけで良いのです。
テクニックとしては、ずっとそばに守護天使がついていてくれている、と思うだけ。だって、本当に誰にでもついているのですし、守護天使はあなたを「守りたい」と願っているのですから。
外へ出かけるとき、いつも「事故からお守り下さい」と頼んでいるおかげで僕は一度も事故に遭ったことありません。そして無事に帰宅したら「ありがとう」と言います。

そんなの偶然・たまたま、と言われますか?
それでも僕は心の中で感謝しました「守護天使ありがとう」
ということで、守ってもらっているのです。
ここが境目です。ラッキーなことがあったときに「自分の努力」とするのか、守護天使のおかげ、とするのか。守護天使を信頼できたり、守護天使の存在を認めたりできると、それだけで人生は違ってきます。

「テクニックなんてない」と言いながら、ここでとっておきのテクニックを紹介しましょう。(ここまで読んで下さった方への本邦初公開)
あなたの守護天使は何でも姿を変えられますから、あなたの理想のイメージを描きましょう。
天使の姿でも、あなたが想像する「神様」の姿でも、あなたの理想の異性のイメージでも構いません。
天使はあなたを愛しています。どんなことがあっても決してあなたを裏切らず、あなたを守ろうとしています。そんな守護天使を想像して下さい。
そんな人が隣にいたら、一緒にいるだけで楽しくありませんか?嬉しくありませんか?それがあなたの理想の異性だとしたら?
ちなみに僕の場合、守護天使はとてもきれいで優しい女性に設定してあります。

そして、守護天使は実際にそうやってあなたの隣でずっとあなたに話しかけているのです。
見えない?聞こえない?3次元的にはそうです。でもあなたの心だって見えません。あなたの心は守護天使の次元に向けることができるのです。
心で見ましょう。心で聞きましょう。そうやってあなたは物質的な世界に生きていると同時に、高次の世界にも浸っているのです。
「見えない」ということは「存在しない」ということを意味するものではありません。この宇宙は90%の「見えないエネルギー」で成り立っていることが、”物理的に”証明されてもいるのです。


守護天使の別の姿

守護天使は上記の例のように見えないことばかりでなく、実在の人物等を通じて現れることがあります。
例えばどうしても調べたいことがあってさんざん検索してみたけれど、分からないまま、ある時に、ふっと立ち寄った書店や図書館で全くジャンルの違う本をたまたま手にしたら、調べたいことが出ていた、という経験はありませんか?(これは図書館の天使と呼ばれています)。同じくずっと買いたかったものが、予想外のところで売っていた、ということはありませんか?
  (これを図書館の天使という場合があります)

もう一つ、例をあげておきましょう。
守護天使は時にはトラブルの姿でも現れます。
渋滞のため、乗ろうとしていた飛行機に乗れなかったとか、急に残業が入り、人に逢えなかったとか。
もう結末は想像できるでしょう。その飛行機は事故に遭遇したり、その逢うはずだった人は災いの元だったりです。

身近な例では、僕の昨日の列車の例をあげておきましょう。
同じ車両にとてもやかましいグループが乗ってきて、車内でずっと大声で話していました。僕は我慢できずに、途中下車しました。
たまたま下車したその駅の近くの古本屋で、ずっと探していた本を見つけた、というわけです。

トラブルも含めてすべての出来事には意味があります。
すぐに良い結果となって反映される訳ではありませんが、その詐欺師に騙されたを経験していなければ、もっと大きな被害に遭った可能性が十分に考えられるところですし、10年前のマイナスの出来事を思い出してみていかがでしょう?大きな時間の流れで見れば、今のあなたの成長に役だっていませんか?
あるいは笑い話の一つになりませんか?今でも悪い記憶として残っているならこの機会にもう一度分析してみましょう。どんな経験も現在のあなたを形作っている一部です。


見えない世界

この世は見える世界と見えない世界で構成されています。
といっても、ここで言うのは、思考や感情といったことではありません。
この世界は3次元である、物理的なものと、4次元以上の高次の世界が重なっています。
そして、あなたも実は3次元と4次元以上が重なった存在なのです。
俗に言えば、肉体と霊体が重なっています(実はそれ以上にアストラル体とかエーテル体・コーザル体なども重なっているのですが)
近年ではルドルフ・シュタイナーなどが説明していますのでそちらの書籍をお読みいただくとして、このことは実験的にも証明されています。

本当の「あなた」は見えない世界にも生きています。
目に見えるのは物理的な世界ですが、あなたは同時に霊的(四次元)な存在でもありますから、霊的にも生きているのです。
見えないと信じられない?
では「心」や「信念」や「夢」や「希望」が目にみえるでしょうか?
そして本当の「あなた」はそういうものではありませんか?

例えばこんな感覚は経験ありませんか?
「言っていることは分かるけど、どこかおかしい気がする」
初めての場所なのに「前に来たような気がする」
この「気がする」という感覚はあなた自身なのではありませんか?
それはあなたを構成する物理的な部分以外が警鐘を鳴らしているような気がしませんか?この「気がする」という感覚はどこから来ているのでしょう?
あなたの本質から来ているのです。

あなたはもちろん、この物理的な地球という一人の人間としての存在です。
でも、同時に見えない部分としての存在を持ち合わせているような気がしませんか?
そして本当のあなたは見えない部分なのです。

「オーラ測定器」という機械があります。その人のオーラの微妙なエネルギーを測定するものですが、それによってオーラの形などが分かり、その人の性格がある程度分かります。
私もその測定器を試したことがあります。体調不良だったせいか、オーラの形が健康の時と異なることを当てられてしまいました。
ロングシートの電車が空いているとき、シートに一番端に座りませんか?これは他の人とオーラが重なってしまいますと、非常に居心地が悪いからです。
そして、本当のあなたは、見えない世界からこの物理的な次元に投影している存在そのものなのです。

古くから、神社などの入り口に狛犬がいます。
片方が口を開いて「ア」と言っており、反対は「ウン」と口を閉じています。(あうん(=阿吽)の呼吸の語源です。)
さて、この「ア」と「ウン」の間に「トウ」というのが実はあります。
「ア」存在しない状態
「ウン」物理的に存在する状態
この間の「トウ」は存在するけれどもまだ物質化していない状態、です。
狛犬の間を通りぬける時、あなたは”トウ”の場を通過し、神社に願いをかけるのです。
これは物理的に存在する仕組みを最も簡単に例えた一例ですが、この物質界3次元のすべては、4次元からの投影なのです。
以上のように、高次元の自分からの視点から行動してみてください。
きっと新しい視界が広まります。



波動を感じましょう

物理学ではこの世界は波からなっていると証明されています。
光は粒子の性質を持った波です。原子を構成する素粒子は、常に振動しているエネルギーです。
しかし、この先は実は物理的でない、見えない世界の話ですから、物理学では証明できないのです。

さて、波(=波動)から見えない世界がなりたっている、と仮定するといろいろなことが非常にうまく説明できます。

例えば、特に理由がないのに「どうもこの人とはウマが合う(or合わない)」とか「この雰囲気が好き(or嫌い)」ということがありませんか?
それが理屈で説明できないのは、あなたと「波動」が合っている(or合わない)からです。

昔、どこかの店のドアを開けた瞬間に、「この店はいやだ」と思ったことはありませんか?
反対に、とても気に入ったお店もありませんか。もちろん、感じ悪くないのだけれど、それだけで説明できないのは、店や客の波動の影響があるからです。
経営者の波動が高ければ客も波動の高い人が集まる。
つまり、同じ波動同士は引き寄せ合う性質があるのです。

ネットの某サイトは、非常に悪い波動を発していました。そのサイトを調べてみますと、第一に管理者の波動が低いので、参加者もまた波動の低い人が自然に集まる(呼び寄せる)のでした。だから、なおさら低くなり、たまたま波動が高い人が入っても、汚染されるのでした。

逆に神社などが波動が高いと言われているのは神が祀られているのでなくて、(神・創造主はあまねく宇宙に存在しているので)人々が高い波動でそこに行くことが繰り返されるので、その場所全体の波動が高くなるのです。

すなわち、人間は常に波動を発しており、その波動が高いか低いかは、人格も関係しますが、波動を出す瞬間の思考レベルによるものが大であり、ポジティブに、理想的な思考であれば、自ずと高い波動が発せられるのです。そして、高い波動にはやはり高い波動が引き寄せられます。
だから良い経験をしたり、良い人と出会ったりするには、高い波動(思考)を発しているべきです。

例えばある店が繁盛するかどうかは、波動のレベルと関係ありません。オーナーの波動が低く、そこの地域に低い波動の人がたくさん住んでいれば、集まるのです。
だからそういう店でたまたま波動のレベルを上げてしまったら、客の波動と合わなくなり、非常に居心地が悪く感じるので、客は減るのです。
しかし、良い客を引きつけたければ、その店は、良いものを(=波動の高い商品)売り、経営の仕方も、客の利益を最優先した理想的なものにせねばなりません。

良い波動の図形もあります。 
六角形は宇宙の構造・波動に最も近いのです。蜂の巣、水の分子、雪の結晶、水晶、銀河の構造などが六角形なのはそのためです。
この六芒星には黄金分割比が(1:1.618)隠れていて、それがパワーを持っているとか、ピラミッドの中にパワーがあるというのは、ピラミッドが正確な黄金比で作られているからです。
ちなみに六芒星(正三角形を上下2つ重ねた下記のデザイン)も黄金比です。このデザインだけで波動があがると言われています。試してみてはいかが?
(※宇宙の基本構造は上記のように六角形だとして、周波数は脳波で言えばθ波だと思われます。ですから悟りを開いた時の波動はθ波なのでしょう。)

トルマリンをご存じですか?マイナスイオンを半永久的に発生させ、「電気石」とも呼ばれています。
トルマリンで体に良いと言われる還元水が生成できたり、遠赤外線効果があったり、トルマリンの粉末を入れた風呂に入ると健康に役立ち、うがいをすると口臭がなくなると言われています。
冷蔵庫の脱臭作用があったり、土に混ぜると、植物の成長を促します。

さて、この結晶構造はどうなっているのでしょう?断面は6角形なのですが、三面のみ大きく発達し、第一の薄い層と第二の薄い層は180度回転し、6層で1セットになっています。
つまりまさに六芒星の形をしているのです。

この形に近いのが雪の結晶。どうして雪の結晶は6角形なのでしょう?もちろん、水の分子構造が六角形に成りやすいことはあります。では、なぜ同じ形のものがないのでしょう?
目に見えない何らかの力が働いていると考えた方が合理的なのではないでしょうか?

波動の高い食品
波動の視点から、手元にある「波動の超革命/深野一幸著」という本で分けられている波動の高い・低い食品を、検討してみます。
(波動の高いか低いか、ということ自体は物理装置で調べることができます)
まず、この本では自然食品の波動が高く、農薬・人工着色料などが入っているものは波動が低いという結果が出ています。
自然のものは、宇宙の波動から構成されているのですが、人工のものはそうではないばかりでなく、作った人間の波動が反映されていると思われます。

自然食品が波動が高いのは当然として、牛肉や豚肉の波動が低く、魚介類の波動が比較的高いのは、魚介類が生息していた海(水)の分子構造が六角形だったことや、牛・ブタが飼育され肉にされるために殺された時の波動が残っているのに対し、魚介類はつかまる直前まで自然に生きていたことによると思われます。
納豆の波動の高いのは自然の「納豆菌」によるもの。高麗人参が体に良い、とされているのは、波動が最高レベルである、という測定結果からでしょう。
ミネラルが高いと言われる海草類も非常に高いレベルの波動です。


波動を高める・霊性を高める
昔から「自観法」というものがあります。文字どおり、自己を観察することです。
例えばあなたは感情は何かへの激しい怒りの方向に向けられているとします。その一段上から自分を観察してください。
つまりこうです。「私は怒っている」。そのように客観的に自分を見ることを「自観法」と言われてきました。
さて、「私は怒っている」と観察している”私”は”怒っている私”ではありませんよね?どちらが本当の”私”でしょうか?
感情の”私”と理性の”私”?
どうやら違うようです。

では、怒っているのでなく、道を歩いているとしましょう。「道を歩いている私」を一段上の”私”が「今、歩いているな」と観察することができますね。
さて、本当のあなたはどちら?どちらも真実?
では質問を変えましょう。「魂がより上のレベルのあなたはどちらですか?」
この上のレベルの時間を長くすることが魂のレベルを一段アップさせる有効な方法です。

アダムスキーは彼の著作の中でこれを「想念観察」と呼び、記録のための手帳を携帯することを勧めています。
ポジティブな想念が発せられた時に左側、ネガティブな想念を発したときには右側、というように記録していくことで、魂の向上に効果的である、としています。

このように一段上から自分を観察することが意識できるなら、さらに上の段階へも意識すればあがれます。
あなたを含めた、あなたの職場や家族や周囲の人も含めた全体を、客観的に見る視点に意識を持っていって見て下さい。
あなたの言葉や行動は周囲とどのようにかかわり、影響するか、観察できることでしょう。

さらにレベルをあげてみます。
あなたの本質と周囲の人の本質の側面から全体を展望するのです。
自分の本質と周囲の本質はどこかでつながっているように観察できませんか?また、それらは宇宙の本質とつながっていると感じることはできませんか?

波動は同じレベルの波動を引きつける、と言われています。
確かに想念には一定の力があり、他の波動のレベルを想念に近い波動にしていきます。
でも、もっと分かりやすく説明しますと、TV・ラジオのチューナーだと思って下さい。
すべてのチャンネルの電波がずっと周囲にあるのですが、TVやラジオはAチャンネルを選択すれば他のチャンネルには同調しません。

そして、この地球には目に見えるもの、見えないものを含めて、非常に多くの波動の層があります。
TVやラジオの”電波”の周波数を高くすれば、赤外線、光、紫外線、X線、γ線となりますし、周波数を低くすれば超音波や音になるのと同様、意識の波動も全く同じことです。
あなたの波動を高めるには、あなたは高い波動を選択すれば良いのです。
怒り・憎しみ・妬み・恨みなどは低い波動、真心、優しさ、思いやりなどは高い波動ですが、最高の全体的視点から見て、宇宙の本質は「愛そのもの」です。

低い波動に意識を集中していることは、あなたの波動が低くなっていることであり、同じ波動は共鳴し、力を持ちます。
逆に宇宙、つまり「愛そのもの」になっているときには、宇宙の力があなたを通じて流れ周囲をさらに高めるのです。