特別寄稿 ニカラグア旅日記

岩永高和
leader@ann.hi-ho.ne.jp

本誌初出 / ©Takakazu Iwanaga 1999

はじめに

これまでの旅行はアジア中心であったが、今回は趣を変えてラテンアメリカへチャレンジした。旅を終えての第一の感想は、スペイン語を少しでも勉強していくか、せめて和西・西和辞典を持参すべきであったということ。第二に、ラテンは情熱の国と言うが、その意味するところは旺盛な性行動を指しているのではないかということである。それなりに楽しい思い出はできた。

8月23日(日)

わずか9日間の短い旅行の始まり。常日頃、学生時代に戻りたい、何ヶ月も旅がしたいと思っているが、今回もその夢はかなわない。成田空港から馬券の注文をフリーターのMに頼む。この日の戦績は1勝3敗(5万4千円が3万7千円に)だった。

アメリカン航空で17時に出発。シカゴまでのフライトでは日立の社員と隣り合わせた。同年代だったので退屈しないで過ごせた。私はさらにシカゴからマイアミまで飛ぶ。この日はマイアミ泊。マイアミビーチあたりに泊まろうと思っていたが、マイアミ空港のロビーで出会った怪しげな日本人と空港の隣のホテルをシェアすることにした。税込みで1部屋77ドルもした。初日から何と贅沢な旅行だろう。

彼の名はO島正裕。ボリビアのギャルの家に3ヶ月ホームステイしていたそうだ。大学院で南米の研究をしており、将来南米関連の職業に就きたいらしい。 夜12時過ぎにO島とタクシー飛ばしてマイアミビーチへ。片道25ドル+チップ。街はラテンのムードでいっぱい。ニカラグアからの帰りにもマイアミには1泊するが、ゆっくりと味わってみたい雰囲気を持った街である。

8月24日(月)午前

やべー、朝寝坊してしまった。マナグア行きの飛行機は11時5分。目覚めたのは9時38分。寝たのが4時だから一抹の不安はあったのだが、ほんとに寝坊だ〜。O島は朝7時の便で日本へ旅立ったようで既に部屋にはいない。

去年、ドイツへ出張したときに、パリの乗り換えで乗り遅れてしまった事が脳裏を過ぎる。仕事で乗り遅れるなら諦めもつくが、今回はプライベートだ。少しのミスも許されない。

顔も洗わず荷物をまとめ、チェックアウトを済ませ、空港までの無料送迎バスに飛び乗り、アメリカン航空のカウンターに並び、ゲートまで走った。

やった、10時12分だ。起きてからわずか30分で、全てが驚くほどのスピードで運び、私はもう搭乗口にいる。この旅もついてそう。

20時。ニカラグアの首都マナグアの安宿街にあるLAS Anclasレストランにいる。定食が25〜35コルドバ位。1ドル=約10コルドバ。交差点の角で外気にさらされたこのレストランで、汗だくになっている。暑いよ〜、蒸し暑いよ〜。外にいれば、風が吹く瞬間だけは少しは暑さを凌げるが、スーパーやレストランの中は風が通らずたちまち汗が吹き出す。昼に1時間くらい歩き回った結果、太陽が沈んでから行動しようと決めたくらい暑い。

それにしても、この国は暗闇を手探り状態で歩いているようなものだ。英語が全然通じない。スペイン語を知らない人間はもがくしかない世界だ。マナグア空港から街まで移動しようとタクシーに乗ったのだが、今思えばどのように値段交渉したのかも覚えていない。空港内で待ち構えているタクシーの運ちゃん達はさすがに英語が話せて「20ドル」と吹っかけてきたが、そいつらを避けて空港外の一般道でタクシーを拾ったところから苦労は始まった。なにせ、マナグアに着くまで、スペイン語を全く(1から10までの数字すら)知らなかったから。ちなみにタクシー代は5ドル払ったことだけは確かだ。

そんな中、その日の宿泊先サントス(ホテル名)の隣り部屋のスコットランド人の自転車おばさんには助けてもらった。自転車で中米を旅行しているたくましい人で、スペイン語も結構理解できて、また昔台湾で英語の先生をしていたらしく東洋人の私とも気軽に話をしてくれた。「水」「冷たい」といったサバイバル用語を彼女に教わり、早速活用させてもらった。

8月25日(日)

昨日からクーラーと無縁の世界。少しでも水分を取ると、たちまち汗が吹き出す。『地球の歩き方』によると、今ニカラグアは雨季のはず。なのに、3日前にマナグアに着いてから全然雨が降らない。だから暑いのだ。学生時代、駒場寮に住んでいた頃、大雨が降ると屋外でシャワー代わりにシャンプーしていたように、ここでもスコールがきたら外に飛び出してびしょ濡れになりたい。

午後、カリブ海に浮かぶコーン島に出発する。コーン島はさらに灼熱地獄かもしれない。でも海もあるし、英語も通じると歩き方には書いてある。私には時間がない。マナグアの土地勘は昨日からの1日である程度把握できたし、コーン島の後にはまた戻ってくる。だから、さっそく移動することにした。

往復運賃が92ドル(13000円)。航空使用料が20コルドバ(280円)。14時発の飛行機は横に3人、縦に15人くらいの小ささ。途中、ブルーフィールズというカリブ海に面した町にいったん着陸したが、約2時間くらい(時計を持たない人間なので大体これくらいか)で到着した。コーン島の空港は滑走路1本きりのごく小さい造り。空港のすぐ隣に地元で最も大きな商店街があった。滑走路はタクシー乗り場も、人々の横断歩道も兼ねていて少し驚く。バナナ屋の女性の案内で、歩き方に載っていたBriza del Marという名の安宿に着いた。1日10ドルというので、少しおかしいとは思ったが、目の前が海でしかも2階の見晴らしの良い家だったのでそこに決めた。(しかし、1泊3ドルのもっときれいな本物のBriza del Marがすぐ近くにあったことを、トップレスギャルから3日後に聞いた。)

偽物のBriza del Marに住み込みで働いている青年R(21歳)とすぐ仲良くなった。夕方に海辺沿いのレストランに連れていってもらい、Bisteck(ステーキ)を食べた。Rにはガイド料代わりに飯代を奢った。この親切心があだとなり、結局、島にいる間中ずっと、2人分の飲食費がかかってしまった。ただ、Rはアルコールが飲めなくて助かった。彼はいつもフレスコ(冷たいジュースという意味だと思う)を注文していた。英語は充分通じたが、字は書けなかった。

夕食後、Rから、ギャルと遊びたいので10コルドバ(約1ドル)欲しいと言われた。正直さに好感が持てたので彼の希望に応えた。この日、Rとはその場で別れたが、別れ際にRに挨拶してきた若い男によって30分後に事件に巻き込まれることになる。

安宿の周囲を歩いていた時、その若い男はやってきた。Rの友人だからと安心して浜辺に座って話をした。いきなり、家が遠いから部屋に泊めて欲しいと言ってきた。自分の家ではないからと断ると、どうしてだ、どうしてだとしつこい。そのうち、Rom(アルコール)のビンを見せながら、これはRが奢ってくれたんだと言って私の左側に置いた(彼は右側に座っていた)。Rは金を持ってないはず、さっき手渡した10コルドバは酒代に消えたのだろうか、この国の人間はホントに信用できるのだろうかと思いながらビンのラベルを見ていた。

突然、彼は、帰るといって立ち上がり、浜辺を歩いていった。変な奴だ!と思い、自分の部屋に戻った。

あっ!、ズボンの後ろポケットの財布が消えている!

被害はインドデリーで買った安い財布と現金約100ドル。クレジットカードやパスポート、その他の現金等はしっかり別管理しておいたので大丈夫だったけど、少し痛いなあ。

8月26日(水)

朝飯を食うため、島の北側にある島一番のホテルと歩き方に紹介されているベイサイドというホテルまでRとタクシーに乗って行った。タクシー代は一人10コルドバ(約1ドル)。ところが、ホテルのねえちゃんが食事などないよと言う。歩き方には、海に突き出たレストランとあるが、壊れた桟橋の残骸があるだけだ。きっと、ハリケーンでやられたのだろう。

道を引き返そうにも、その近辺にはタクシーの姿はなく、約4キロはあろうかという道を灼熱地獄の中、歩いて引き返し始めた。何か飲みたくなり、途中出会ったおじさんに尋ねると、少し内陸に入った民家を教えてくれた。

親切なDおばさんがきりもりする、地元民しか来ない感じの食堂があった。

そこでサンドイッチを作ってもらい、7UPを2本飲んだ。それでも喉が渇いていたので、水を頼んだところ、汲み置きしていた水をコップにすくって出してきた。家のすぐ横に井戸があるので、きっとそこから汲み上げたものだろうと思いながらも、こちらからお願いしておいて目の前で捨てるわけにもいかず飲み干した。夜から下痢ピーに苦しむ姿が脳裏に浮かんだ。なぜなら、偽Briza del Marには水道(ついでに電気も)がなく、トイレを流すのもシャワーを浴びるのも全て井戸水を使っていたが、これがかなり不衛生な井戸で単なる水溜まりと表現した方が理解してもらえるくらい(皮膚病にかかりそうなくらい)の水質だったから。

しかし、結局、全くお腹は壊さなくて済んだ。長年の免疫鍛練の賜だ。

昼は偽物のBriza del Marホテルの目の前のビーチで泳いた。日本では体を動かす事なんてないので、すごい充実感だ。

この夜もRはナンパのために10コルドバをねだってきた。彼の話では、街で唯一のディスコ界隈でナンパし、空港(100メートルしか離れていない)の脇のブッシュ(薮)でメイク・ラブするという(これって青姦ってやつか)。しかも、多くの即席カップルが皆そこに殺到し、右にも左にも同様のカップルがいて、連れションのような状態だという。

Rは毎晩違うギャルと「遊んで」いるらしい。ここまで開けっぴろげなお国柄であれば、子供ができた時、誰の子供か識別するのは大変難しいだろうなあ。

そう言えば、西サモアでは男の浮気が多いため、もし自分と似ても似つかない子供が生まれても妻を責められないのだ、という話を思い出した。西サモアで私がホームステイした家には、一人だけ西洋人の顔をした息子がいた。

8月27日(木)

夕方、シャワーを浴びて体を拭いていたら、若い女が部屋に入ってきた。「誰!?」

彼女の名はH。Rの送り込んできた刺客だった。

慌てて服を着て、ちょうど部屋の外にいたRを呼び止め、変な奴が入ってきたぞと聞けば、「あの日本人(私のこと)がおまえ(H)のことを気に入っている。」とけしかけたらしい。困るよ、あほ、全く。

Hがその気マンマンだったのですぐに帰れとも言えず、適当な会話をしながら二人きりという慣れない時間を過ごすうちに、ついに彼女の積極的な求めに応じ、その後、ベッドインとなった・・・・・。

・・・なわけはない。

しかし、都合2時間ほど二人で部屋にいた。その時、私のニカラグア史上、初めてスコールが降ってきた。いいぞ、その調子で降ってくれれば少しは涼しくなる。と喜んだのもつかの間、部屋の天井にいくつも穴が空いていたらしく、次々と雨が漏ってきて、ひどい雨漏りを避けるため、Hとベッドをバタバタと移動させなければならなかった。

帰り際、彼女は10ドルを要求してきた。

ふざけやがって。Rですら、毎晩10コルドバ(約1ドル)でナンパしてがんばっているというのに、話をしただけ?で何が10ドルだ。しかし、チップを払わないといつまでも帰りそうもない。結局、粘り負けて20ドルも払ってしまった。運の悪いことに財布の中で一番小さなお金が20ドル紙幣だったのである。

相場を上げてしまって、次にコーン島に来る日本人に悪い事をしてしまった。

ごめんなさい。

8月28日(金)

偽物のBriza del Mar(安宿)の隣の宿に、5カ月前から宿のおかみのひもをやっているコスタリカ人がいた。

彼の話では、コーン島にはきれいな女性が多いので大変居心地が良く、5カ月間で300人のギャルと寝たらしい(1日2人ペース)。ちなみに、彼が泊まっている宿には、全ての部屋に備品としてコンドームが2個ずつ枕元に置いてあった。

この日、首都マナグアに戻った。初日に泊まった安宿サントス(1泊3ドル)が満員だったため、そのすぐ近くのTHE TRAVELERS HOMEに決めた。すると、隣の部屋に、コーン島の海岸でトップレスでボディをあらわに披露しながら寝転がっていたデンマーク娘と、仁王立ちで海の遠くを見つめていたドイツ娘のペアが、ちょうどチェックインしたところだった。彼女らとは同じ飛行機で座席が前後、そして、この宿でも隣になったので、あらまあ、という感じで打ち解けてくれた。二人は、隣の国コスタリカで知り合い、一緒に旅を続けているという。

いま21時。3日ぶりにまともなシャワーを浴びたので気持ちが良い。

私はLAS Anclasレストランでこの文章を書いている。

このレストランに来るのは2回目である。いかんせん、初日は言葉も全く分からず、メニューも読めなかった。でも、コーン島でPescade(魚)、Camaron(小エビ)、Carne(肉)、Pulpo(たこ)、Pollo(鶏肉)、Langosta(ロブスター)など、必要最小限は覚えてきたので、もう心配ない。

レストランのすぐ前を車椅子の男2人が横切って行った。

ニカラグアといえば、1990年まで共産主義政権(サンディニスタ)とアメリカの後押しを受けた反政府勢力の間で内戦をしていた国である。昨年の9月、カンボジアに行った際、街の中では思っていたより障害者を見かけないなと感じたのだが、ここニカラグアでも、本日まで全くといっていいほど戦争の傷痕を感じなかった。しかし、やはり被害者は数多くいるのだ。ちなみに、サンディニスタ時代は、手紙が出せなかったとコーン島のDおばさんが嘆いていたっけ。

急にどしゃ降りになった。涼しくて気持ち良い。これまで旅行したアジア諸国はどこもそうだったが、この国でも物売りが多い。大雨の中、物売りの少年が近づいてきたので、つい仲良くしてしまった(会話は何も通じないが)。

ガム(5本入り)を買った。多少値切って5コルドバ(70円)。今朝、コーン島で朝食用に買ったデカイ食パンが5コルドバだったので、少年は今日一日は飢えずに済むだろう。しかし、家族までは養えないだろうな。がんばれ。

8月29日(土)

朝、9時20分。メルカド ロベルトウエンベス(メルカドとはマーケットの意味)にいる。セントロ(町の中心部)から、123番のバスに乗ったら、ここが終点だったのだ。会社に行くのとあまり変わらない時間帯だけど、この充実した気分は海外でしか味わえない。

早すぎたのかメシ屋は準備中ばかり。生肉や生魚を買え買えとしきりにすすめられるが、すすめられたってそんなもの買うわけないだろ!

メシまで周辺をぶらつくことにする。メルカドと道を隔てて革命博物館があると「歩き方」に書いてあったが、戦車らしきものも何も発見できない。壁の落書き「アレマン(現大統領)はソモサ(共産主義政権に倒された独裁者)主義」を写真に撮って、メルカドに戻った。

メルカドの屋台で適当に注文して食べていたら、その屋台のおかみの義兄という銀行マンが話し掛けてきた。彼の名はI。英語が通じないこの世界なのに、Iは片言の英語を話せた。さすが銀行マン。彼には食事中の写真も撮ってもらった。

Iのスクーターの後ろに乗っかって、彼の家に行った。

しっかりした造りの家で水洗トイレまであった。雨漏りの心配は全くないが、玄関が吹きさらしなのでハリケーンでも来たら家の奥までびしょ濡れになるだろう。家には5人の子供がいた。19歳の長男Eはサイン・コサイン・タンジェントの勉強をしていた。M(15歳)とK(13歳)の姉妹はそっくりで、まるで双子のよう。

I、E、Kと西英辞典を使いながら会話を試みるが、遅々として進まずって感じ。晩飯を一緒に食べようという約束をして、Iに宿(THE TRAVELERS HOME)までスクーターで送ってもらった。

晩飯は、Iの家の近くのローストチキン屋(きれいなファミレスって感じ)で食べた。I家はEVANGELIST(モルモン教徒?)と昼間聞いていたが、確かに彼らは酒もタバコもやらなかった。私もビールの注文をぐっと我慢。

アメリカに留学していたという親戚も同席し、はじめてコミュニケーションがはずんだ。話題は、長男Eは大学生だがこの国で大学まで進学できる者はごく限られること。子供たちは一度も海外に出たことがないこと。Iですら1回だけ(どこの国か忘れた)であること。Eが一番行きたい国はスペイン(旧宗主国に憧れるとは意外!)。共産主義政権時のオルテガ元大統領は終身国会議員として元気であり、サンディニスタ党は国会議員の一定割合(2割程度)を保証されていること。…等々。

この晩飯、なぜか私が7人分約3千円を一人で払うはめになってしまった。

モルモン教徒が人にたかってもいいのかよ〜。

8月30日(日)

午前11時。マナグア空港へ向かうタクシーの中。

信号待ちしていると、水の入ったビニール袋を持った水売りの少年がやってきた。運転手が買った。「何だ安全だったのか。」

私も買おうとしたら信号が青になった。買ってやりたかった。

サンパウロにも水売りの少年がたくさんいた。ラテンの国ではどこでも、水売りが仕事になるのだろうか。

11時30分。13時出発予定の飛行機が3時間も遅れていて、アメリカン航空の用意した空港内のクーラーの効いたスナックで昼食をとれた。腹ぺこだったのでチョベリラッキー。出国税20ドル。財布には10ドル紙幣1枚のみ。仕方なく最後のTC100ドルを使った。今夜マイアミに泊まるので、ちょっと足りない。

カンボジアでは本当に一文無しになって、大使館でお金を借りようかと考えていたところ、タイミングよくそこで出会った旅人(東大生)から3万円を借りることができて助かった。今回は日本円が少し残っているので心強い。

飛行機が遅れ、マイアミ到着が真夜中になってしまった。夜はたいへん危険だと言われているダウンタウンを探検することを楽しみにしていたが、疲れ切っていたのであきらめた。

マイアミビーチの1泊14ドルのユースホステルにチェックイン。ユース自体は安いが、空港とビーチ間のタクシー代が片道25ドルもする。メトロバス(市バス)なら1.25ドルだが、深夜は走っていない。

明朝のタクシー代がなくなり、ユースの玄関にいた関西人に2000円分のドルを両替してもらった。

寝ようとしたがやっぱりもったいないので、夜の一人歩きに出た。

初めて見る大西洋は、暗くてよく見えない。明日の朝は出発が早いので泳げない。「仕方がない。マイアミにはもう一度来よう。」と思いながら、マイアミビーチ市街と砂浜を散歩した。

砂浜で音楽を聴いているジャマイカ人がいた。声をかけ、暇つぶしに話をした。

こいつがまた面白い奴だった。日本人のギャルが大好きだから、いつか日本に行くのでその時はよろしくという話に始まり、そのうち、彼の初体験の話になった。

彼は5歳の時、9歳の娘と、誰に教わることもなく合体し、ごくナチュラルに腰を動かしていたという。母親に見つかり、むちゃくちゃぶたれたらしい(彼は「マザービートビート」と言っていた)。

ジャマイカ人の初体験の年齢は平均10歳だと言っていたし、彼の話もウソとは思えなかった。

それにしても、コーン島のR、宿屋のおかみの「ひも」をやってたコスタリカ人、そしてこのジャマイカ人・・・。

この3人から、中米の男=セックスアニマルという強烈なイメージが私の頭の中に出来上がってしまった。

8月31日(月)

帰国の朝。

マイアミではどうしてこうも寝坊をするのだろう。2度目だ。

ジャマイカ人と別れ、ビーチから部屋に戻ったのが朝4時。1時間だけ横になろうとしたのがいけなかった。

フライトの1時間少し前に目覚め、あわててチェックアウト。外に飛び出してタクシーを捜して走り回り、タクシーをつかまえて25分で空港につき、降りるなり走り出し、何とかチェックイン。搭乗口へ走ったら、15分も余裕があった。(我ながら、たいへん良くできました。)

シカゴ行きだから搭乗口に日本人はほとんどいなかったが、一人だけすぐ横にいた。その日本人Tと話をした。彼はサーフィンを楽しむ為にマイアミに来たそうだが、サーフィンのシーズンは冬で、夏は波がないと言ってがっかりしていた。親戚が郊外に住んでいてそこにホームステイしていたとのこと。また、冬に来たいと言っていた。

Tとは、シカゴ=成田間のフライトは隣同士座った。Tの知り合いで大場満郎という世界的にも大変著名な冒険家がいるそうだ。北極点に単独で到達したとか、その他様々な冒険に成功しているらしい。

まだまだ私の旅行なんて冒険には程遠いと痛感してしまう。

9月1日(火)

成田に無事到着。

こうして、短い夏は幕を閉じた。

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