初出:「EPHEMERE」第2号,1994
(原題「ウクレレはなぜ流行る」)
©ならぢゆん 1994
一九九四年一月八日、正月ぼけの頭に衝撃が走った。震源は朝日新聞の一面 トップ記事。最上段に掲げられた巨大なウクレレの文字。あのウクレレが、あ の朝日に、しかも夕刊とはいえ一面トップ記事だ。なんとも間の抜けたインパ クトがある。頭がぼっとして、七草粥でも払拭しきれなかった正月気分が益々 勢いを増してくる。
確かにウクレレブームである。もちろん読者諸氏にとっては今さら言われる までもないことだろう。朝日の記事によれば、昨夏、五年前の十倍ほどの数の ウクレレが売れたそうだ。楽器店に足を運んでも、最近は比較的目につきやす い所に何種類ものウクレレが飾ってある。数年前迄は、戦後のハワイアンブー ム以来、誰からも忘れられ埃も払われぬままうずくまっているといった態のも のが一台、店の片隅に静かに置かれているだけだったのに。
何故、いま、ウクレレなのか。いわく小型軽量、携帯便利で収納も省スペー ス。手頃な価格でイメージ的にもなんとなく親しみやすい。そうしたとっつき やすさに加えて、電子音に慣れた若者の耳にはポロンポロンという頼りなげな 音が新鮮なのではないかという指摘や、バブル崩壊後の内向きの世相にはウク レレの五感に寄り添うような心和ませる温味が馴染むのだろうという意見も例 の記事には紹介されていた。
九〇年代に突如、復活を遂げたウクレレ。この謎を私なりに解くならば、文 化的、経済社会的、社会心理的の三つの要因が複合してささやかな流行を招い たと考える。
まず文化的要因として挙げるべきは世界的潮流としてのエスノロジズムの影 響であろう。身近な所では料理やファッションのエスニック・ブーム、音楽の 世界ではワールドミュージック、また映画ではダンス・ウィズ・ウルヴズのヒ ットなどが記憶に新しい。先住民自身も自らの民族性、民族文化に眼を向け直 しており、例えばハワイアンについてもロックとの融合を更に深めつつも独自 性を追求したニューウエーブが生まれ、七〇年代のリバイバル以来、久しぶり の活況を呈しているとのことだ。
この流れは政治ないし政治思想の領域をも巻込んだもので、国連の世界先住 民年(一九三三)始め昨今の先住民の権利擁護に関する様々な動向に顕現する一 方、各地に頻発する激しい民族紛争やドイツのネオナチ等、暴力的な民族主義 運動の隆盛といった不幸な形でも姿を現している。九一年のソ連邦崩壊により イデオロギー対立は終焉し、代ってエスニシテイが国際政治の焦点となったと も言われる。イデオロギー対立の終焉云々には賛成できない部分もあるが、い ずれにせよ民族というものに人々の目が注がれていることは確かだ。民族楽器 ウクレレにあてられた光の光源の一つがこうした流れの中にあったことは間違 いない。
もう一つの大きな文化的要因はポピュラー音楽界のアコースティック・ブー ムである。大物ゲストが電気楽器を使用せずにスタジオ・ライヴを繰広げるア ンプラグドがMTVの看板番組となり、この番組からエリック・クラップトン らによるヒットソングが続々と生まれたことはご承知のことだろう。またピア ニカ等を使用した斬新な音で知られるフーターズや日本でもイカ天から登場し た「たま」他、新しい感覚のアコースティック・サウンドが生まれ、ウクレレ も彼らによって新しい魅力を付与されつつある。ゴンチチが音楽を担当した映 画「無能の人」のサウンド・トラックや英国の十二人編成のウクレレバンド、 ウクレレ・オーケストラ・オブ・グレートブリテン等に新機軸のウクレレを聞 くことができる。
この二つの文化的潮流がいつのまにかにウクレレをちょっとしたものにして しまったようなのだ。そのことに気付いたミュージシャンを始めとする目先の きくポップ文化人や芸能人が、テレビや著作、演奏の中でウクレレを紹介し、 ブームは次第に若者達に、更にもう少し年長の者達に広がっていったようだ。 しかしウクレレが大衆化するにはそれなりの素地があったはずだ。バブル崩壊 とその後の長引く不況という社会状況にその素地を求めるのは妥当な論行と言 ってよかろう。
ではポストバブルの何がウクレレに幸いしたのか。暗い話で恐縮だが、結局、 不況で仕事がない、金がないということだろう。学生ならばアルバイトが見つ からない。就職さえできない。勤め人なら残業がない。さらには一時帰休さえ 起こる。まさか倒産による失業までが追い風になるとは思わないが、不況によ る意図せざる時短と収入の不調という経済社会的要因はウクレレ演奏のような 手軽なレジャーにとって有利に働くだろう。
特にバブル時代に会社人間ぶりを発揮した団塊世代諸氏、ヤンエグ諸氏にと っては無聊を慰める術が欠かせない。家庭に帰っても家族からは相手にされず 或は家庭さえ既に存在せず、さりとて外に遊びに行く元気も資金もない。エイ ズも恐いしカラオケも近頃は高校生に占領された感がある。そんな彼らの孤独 を癒す友として楽器やペットが売れているらしい。またアウトドアグッズと共 に家族との絆を回復する為のツールとしても。
どうやら、ちょっとしたことになっていたウクレレをちょっとしたこと(大 変なこと?)になってしまった社会が受入れたということのようだが、人々の 心もちょっとしたことになっているのではないか。僕が最も興味を持っている のは、この社会心理的要因である。
ペット、楽器、家庭回帰、アウトドア、新興宗教等々。ここ数年の流行には 共通した気分が見受けられるような気がしてならない。その気分をキーワード で言い表すならば「癒し」である。
どうも八〇年代のバブルとその崩壊は人々に深い疲労と傷を残したらしく、 私の眼には癒しを希求する心性が蔓延しているように見えるのだ。文化的潮流 としてのエスノロジズムも拡大家族としての民族に癒しを求めるもののように も見えなくはない。ましてアコースティックと言えば正に癒しを与える音では ないか。
近頃の流行現象のうち最もこの傾向を顕著に現しているのは七〇年代志向だ と思われる。六〇年代の高度成長と激しい異議申立運動に疲弊した人々の心が 産み出したあの独特な七〇年代の風俗、八〇年代に私達があれほどまでに嫌悪 した数々の奇妙な事物が続々と復活してゆく様を見ていると、九〇年代も七〇 年代と同様に癒しの時代なのだという感が強くなる。
ウクレレの音色、そして、そのささやかな存在の有り様が癒しを求める人々 の眼に輝いて見える。私達はそんな時代を生きているらしいのだ。
もし私の仮説が正しければウクレレは人の心を癒す働きを持つはずだが、自 分の経験に照し合わせても確かにウクレレにはそんな効果があるように思える。 音楽プロデュ−サ−浦上宗治氏はウクレレが人の心に与える影響についてこの ように語っている。「楽器の特性によって、人の心のいろんな部分が強調され 表現される。ウクレレは心の中にある一番豊かな部分、人間の根本にある平和 な部分を浮きあがらせてくれる楽器だと思う。」
又、あるラジオ番組の中で全日本ウクレレ普及協会を設立、二〇〇名もの会 員を集めたミュージシャン山口岩男氏も「会の目的は世界平和」と述べており、 ウクレレに特殊な効果を認めている者は少なくないようだ。
では、このささやかな楽器のどこにそんな効果が秘められているのか。先ず はハワイという風土・文化に着目し度い。
常夏の国ハワイ。奇蹟の楽園と呼ばれるこの地の美しく豊かな自然は誰もが 知るところだ。こうした自然環境に恵まれた先住民(ポリネシア人)は穏やかな 暮しを楽しんでいたに違いない。自然と戦う必要のない風土。その文化は自然 との調和性の高いものであっただろう。
しかも彼らは、一七七八年のキャプテン・クック上陸から一九〇〇年の米国 による統治まで一世紀以上も独立を保ち、この間、スペイン、ポルトガル、米 国等から続々と入植してきた白人達と基本的には平和に共存してきた。恐ろし い程の対他(人)調和性である。ハワイは米領となってからも日本を含め多くの 国々からの移民を受入れてきたが、この調和性に支えられてのことと言えよう。
ウクレレは一九世紀の末このハワイで生まれた。ポルトガル移民のヌナスが 故郷の民族楽器である四弦の小型ギター、ブラギーニアをハワイに原生する樹 木コアで作ったのがその原形と言われる。白人文化を旺盛に取入れ利用してき た先住民は当然のようにこの楽器も受入れたが、その素材がコアであったこと はウクレレの普及に幸いしたように思われる。先住民にとってコアはカヌーの 材料であり、彼らはその加工技術に熟達していたのだ。
ウクレレはありあわせの材料を使い手近な技術で作られ、調和的な文化の中 で育まれた。そのささやかな姿態にはそういった技術の有り様が体現されてい る。科学的知見を大胆に取込み常に画期性を追い続けてきた近代の大きく複雑 な技術、私達はそういったハードな技術とその上に成立つハードな社会システ ムに追いまくられるように生きているが、対照的なスモール・テクノロジー、 ソフト・テクノロジーとしてのウクレレの姿が浮かび上がってくる。
このようなウクレレの特徴はギターと対比すると判りやすい。例えば両者の ヴァリエーションの豊富さを比べてみよう。ウクレレにはソプラノとも呼ばれ るスタンダードタイプを始め、ひとまわり大きなコンサートタイプ、胴のくび れの無いパイナップル型、音域の低いテノール、バリトン、又、複弦や低音弦 を加えた六弦タイプ、八弦タイプなどがあるが、ギターの種類の豊富さとは比 べようもない。しかも六・八弦タイプのウクレレも追加の弦が複弦でコードフ ォームや運指は通常の四弦タイプと変らず、ウクレレは既存の技術を応用でき る範囲でのみヴァリエーションが生み出されきたのだ。
一方、ギターは何故か常に無理難題を押付けられ、それを解決する為にハー ド面でも奏法というソフト面でも技術革新が続けられてきた。ウクレレでは想 像もできないエレキギターやシンセギターも今やアマチュアにとってさえ日常 的なものになっている。独断であるかもしれないが、どうやらギターはハード ・テクノロジー的であるようだ。
このことはギターの出自と普及過程に関係がありそうだ。ギターの歴史は古 く、約四五〇〇年前、シュメール文明にまで遡れるが、今日のギターの原形は 一六世紀頃に確立した。このころギターは既に欧州全域に広まっていたが、大 航海時代の波に乗ってポルトガルやスペインを始めとする各国の船舶によりア ジア、アフリカ、オセアニア、アメリカに持出された。日本にも安土桃山時代 に渡来した記録があるそうだ。
以降、重商主義時代、植民地時代、帝国主義時代を経て第二次大戦に至るま で、ギターは欧州の世界的な侵略行為と共に各国に広まっていった。他方、ギ ター自体も一八世紀の末には単弦六本のタイプが標準となり近代ギターの完成 を見た。
戦後、世界的なアメリカナイゼーション、或は米国の文化帝国主義の拡大の 中、ギターは益々、普及の度を強める。ブルース、ジャズ、カントリー・アン ド・ウエスタン、ロカビリー、ロックンロール、フォーク、リズム・アンド・ ブルース、ソウル、ロック、フュージョン等々、米国から発信されたポピュラ ー音楽の数々の流行が、世界中の若者達の手にギターを握らせた。
ギターは侵略者、支配者の文化を、その征服的な技術を体現しているようだ。 そもそも右も左も五本づつしかない指で六本の弦を操ることは不自然と言わざ るを得まい。環境を征服し革新によって無理を可能にするハードな技術として のギター、環境に調和し無理せず手近な技術で済ますソフト・テクノロジーと してのウクレレ。私にはそう思えてならないのだ。
ギター愛好者には御叱りを受けそうだが、私はギターを批判している訳では なく、むしろギターを愛するものの一人である。私が言いたいのはウクレレと 比較した場合、ギターにはファンダメンタルな部分でそういった性格を持つと いうことだけである。まして、その根源的な性格が演奏する者、聞く者の心を 征服的にするなどとは全く思っていない。
むしろギターは大衆に愛されてきた歴史を持つ。ジプシーが生み出したフラ メンコ、黒人の生み出したブルース、カントリー・アンド・ウエスタンやフォ ークソングもそもそもは米国の白人下級労働者が愛したものだ。ギターは異議 申立の表現の重要なツールとしても利用されてきている。ギターは様々な光と 陰とを帯び、ウクレレよりもはるかに彫りの深い楽器となっている。
核兵器や原子力発電に象徴されるようにハード・テクノロジーは既に十分に はコントロールしきれない水準に達し、数々の社会問題を生じさせるに至って いる。スモール・テクノロジー、ソフト・テクノロジーを核に社会システムを 組替えるべきだとの声さえ聞かれるようになった。ウクレレの癒し効果の背景 にはこうした社会状況があるのではないか。私が言いたいのはこのことなのだ。
ウクレレは流行している。しかし、この流行が一過性のものに終わるか、或 いはギターのように大衆的な楽器として定着するのかは全く分からない。社会 状況や人々の心的状態が急には変らなければ定着の素地はあるだろうが、私達 は相当に気まぐれで来年にはウクレレなんてダサダサなどと思いかねない。
私自身について言えば、十五年間手元に置きながらも遂に違和感を拭い去る ことのできなかったギターに替って、ウクレレは生涯の伴侶となりそうな予感 がある。
今こうしてキーボードを叩いている膝の上にも半年ほど前に購入したウクレ
レが載っていて、この拙い文章が書き終るのを静かに待っている。そんなつつ
ましい存在の有り様を見ていると、このささやかな楽器が普及すれば世界はも
う少し平和になるのではないかなどと本気で思わされてしまうのだ。
Y氏よりの年賀状に一言、「雑誌を創刊した。書いてみないか。締切は一月 末。」とあった。
一ヵ月、これじゃあ何も書けないよう。
ウクレレがあると、すぐさま怒鳴りつけられた。勿論、父にではない。誰と も知れぬが、内なる何者かが叱声を掛ける以上は書かざるを得まい。そんな訳 でこの極めて稚拙な一文がなった。私のウクレレへの愛情が伝わりさえすれば 十分に幸である。
この駄文が成るにあたって参考とした著書を紹介しておこう。この本さえ読 んでおけばすんなりとウクレレに入門できる、本書はその様なものだ。尚、拙 文中に引用した浦上宗治・山口岩男両氏の発言の出典もこの文献である。
関口和之責任編集「ウクレレ快楽主義」(TOKYO FM出版、一九九二)
関口氏は言わずと知れたサザンオールスターズのメンバー。ウクレレ歴も相当 なもののようだ。
同氏を始めウクレレから音楽の世界にはいったミュージシャンは意外に多い。 「笑っていいとも」にウクレレを持って登場した渡辺香津美、また自身のバン ドでの来日を果した元クィーンのブライアン・メイもその一人だ。氏はインタ ビューに答えてギターの高い方の四本の弦の使い方は叔父から教えられたウク レレで学んだと言っていた。そのせいか彼はギターを弾く時も親指を指板の裏 側に置くそうだ。
ウクレレは五千円位から手に入る。併せて「ウクレレ快楽主義」を買ったと しても七千円でおつりがくる。これであなたの人生にまた一つ楽しみが加わる としたらそれほど高い投資ではあるまい。
ところでライスチョコレートって今でも売っているんですか。
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