ご質問に答えて |
よく寄せられるご質問に対して、予防訴訟をすすめる会のメンバーがお答えします。
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Q1.日本の国旗国歌が嫌なら代替案を出すか日本から出て行ったらどうですか?世界のどの国を見ても、国旗国歌を敬わない国民なんて見たことがありません |
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A1. 「日の丸・君が代」は、過去に悲惨な戦争を鼓舞し煽動してきたという歴史を引きずり、日本はアジアの国の人々に対して、直接的には、未だ戦後補償を行っていないということなどもあるために、「日の丸・君が代」は許せないと思う人達がいます。だから、変えた方が良いという意見が当然ありますが、どんな国旗・国歌に変えたとしても、その国旗・国歌も敬うことが強制されるべきではないのです。 “世界のどの国を見ても、国旗国歌を敬わない国民なんて見たことがありません” というのは、あなた自身が世界をよく見ていないから言えることではないでしょうか?かつて、アメリカでも、星条旗を燃やした人がいました。そして裁判などで議論される中で、この行為は「表現の自由」として認められたのです。最近、イラクでは新しい国旗を決めたとされましたが、イラクの人々が困惑しているという報道がありました。 国旗・国歌なら、国民みんなが敬うのが当然だという前提は、オリンピックやサッカーなどのスポーツの国際試合だけを見て感じているあなたの思い込みではないで しょうか? オリンピックの旗は、選手団の旗であり、国旗ではありません。だから、韓国と北朝鮮の合同選手団はどちらの国旗も掲げていませんね。韓国や北朝鮮の人達にとって、オリンピックの合同選手団の「統一旗」は、国旗よりもうれしい旗かもしれません。しかし、これも人それぞれで、北朝鮮の旗でなくては嫌だと思っている人も、韓国の旗でなくては嫌だと思っている人もいると思います。 つまり、国旗・国歌についての思いは人それぞれの立場や考え方によって様々なのです。まず、互いにそれを認め合うことから友情も民主主義も始まるのだということを理解して欲しいと思います。 |
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Q2.「国旗・国歌の起立強制の最終目的は生徒の内心の自由を縛ること。だから拒否」とはあなた方が都合良く言ってるだけではないか?教育は多少とも強制の要素がある。「勉強しろ」も「内心の自由」を縛るのでは? |
A2.貴重なご意見、その通りの側面はあると思います。 私は高校時代まで仙台で過ごしましたので、都立高校の教員になったとき、本当にカルチャーショックを受けました。 何で、制服があるんだ? 教員の休んだ時間に、何で拘束する必要があるんだ? 昼休みにさえ、学校の門のところで教員が「門番」をしている! 実を言うと、私はそのカルチャーショックの故に、1回退職しています。2度目に都立高校の教員になった時にはその「管理教育」と闘うつもりで、教員になりました。そして、その管理教育の根源に「日の丸・君が代」の強制があると知り、もう23年も反対の意思を貫いてきました。 おっしゃるように勉強も「強制」されるものでは本来ありません。 私自身高校時代はまともに勉強はしませんでしたから、成績は下から数えて十番目ぐらいを行き来していました。当然、大学には不合格。しかし、一浪して「自分 でやる気になった」ら、高校の三年分ぐらい一年で取り戻せました。 高校はクラブと友達関係でもっていたと思います。気に入らない教員にはクラス全員が後ろ向きに机・椅子を並べ、ボイコットしたことがあります。 正直言って、都立高校の「管理教育」のつけが、教員に今回の「強制」として回っていることは否めません。 「強制」しなくても聞きたくなる授業、受けたくなる授業をできないで、権力(評価権)を使って生徒に授業を強制するなら、都教委が私達に「日の丸・君が代」を 「処分」の脅しで「強制」することと同じです。ですから、ご意見は、その通りだと思います。 ただ、一つ、付け加えさせて下さい。「日の丸・君が代」の強制は今年度は「教職員」限定でしたが、来年からは「間接的に(直接は国旗国歌法制定時の国会答弁 があるからできない)」実質生徒にも、保護者にも「強制」されます。今回、情報開示で得た資料には、不起立の保護者数まで都教委の役人が数えていることが明らかになりましたし、今年度の卒業式には「生徒に国歌斉唱時に起立して斉唱するよう指導せよ」という「職務命令」が私達教職員には出されます。担任するクラスの生徒が不起立なら、担任が「処分」されます。そうなると、「平目教師」は生徒に「立ってちゃんと歌わないと進級させないぞ!」「父ちゃん・母ちゃんにも、立たないと成績悪くなるぞ、と言っておけ!」などと脅すでしょう。 私は次の「処分」を誇りを持って受けたいと思います。今年の卒業式で自分が立たなかったので、「戒告」処分(昇級3ヶ月延伸)、生徒の不起立ではたまたま担任で無かったので「処分」はありませんでしたが、担任全員が「注意処分」を受けました。来年も不起立なら、「減給10分の1」です。次は、、、「クビ」かも。 |
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Q3 .公立学校の教員は公務員だから上司の指示や職務命令には従う義務があるのではないでしょうか。公務員が命令に従わなかったり勝手な解釈をしたら、規律ある社会はなりたたなくなるのでは? |
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A. もし、上司の指示・職務命令が、上司の汚職を隠すために、証拠になる書類を廃棄せよというものであったとしたら、あなたは、この指示・職務命令に従うべきだと思いますか。隠さなければ、この官庁の信用が失墜し、今後この官庁の仕事が進められなくなるから隠すべきだと上司が判断したとしたら、それに従うべきだと思われますか。 公立学校の教員は公務員です。よって、憲法99条の規定により、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負っております。つまり、勝手な解釈ではなく、憲法に基づいて解釈し、これを護る立場でなければならないのです。憲法14条では、すべての国民は、法の下に平等であり、社会的身分、社会的関係において差別されてはならないとしています。規律ある社会とは、この法の下での平等が成り立っている社会であるはずです。 上司が、違憲・違法な職務命令を出した場合には、"それに従わない"という抗命権・抗命義務が一人ひとりの公務員に存在しなければ、民主的な社会の秩序を保つことは出来なくなるのではないでしょうか。 そして、特に教育公務員である教員は、憲法26条に規定されている国民の教育を受ける権利に基づく「子どもの学習権」を充足するために教育活動を行うという権利と義務を負っています。子どもには、憲法13条に基づき、個人の基本的自由を認め、個人の人格の独立を最大限尊重し、子どもが自由かつ独立の人格として成長する教育が保証されなければなりません。教育基本法は、これを示しています。 |
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Q4..学校で国旗・国歌の尊重を教えるのは当然のこと。国際化の時代に他国の国旗・国歌を尊重しなければならないのだから、国際人を作るには自国の国旗国歌の尊重を教える必要があるのでは? |
A4. 国際化の時代に最も大事なことは、自分たちとは異なる文化や習慣を理解しながら、その国の歴史・人々の思いを知り、その国・あるいは民族の人々の人権を尊重することではないでしょうか? 当然のことながら、その国の国旗・国歌を愛している人々の前で、その国の国旗・国歌を侮辱することは、その国民を侮辱することになり、国旗・国歌を愛している人を傷つけることになります。しかし、どんな国に対しても、国旗と国歌を尊重していれば、その国の人々を尊重したことになるのだという思いこみを育てるとしたら、これは危険であり、国際化の時代にふさわしくない人間を育てることになるのではないでしょうか? むしろ今大事なことは、「星条旗」や「日の丸」を焼いて抗議をする人々を見たら、その時にそういう行動をする動機や思いが何なのかを感情的にならずに冷静に見られる目を育てることではないでしょうか? そうでなければ、他国と真に友好関係を築きながら共生していく、国際化に時代にふさわしい国際人を育てることはできないと思います。 自国の「国旗・国歌」をどう受け止め、これらにどう向き合うかは、憲法19条で保障されている通り、一人ひとりの個人が自己の思想・良心にてらして決まるべき事柄です。国を愛する愛し方は、各人各様であり、それは個人の価値観の問題です。それ故、教育の場において生徒に「君が代」を教える場合には、「君が代」の存在、その内容、国歌として法律に定められていること、その歴史、「君が代」をめぐる論議、および、それらは思想・信条の自由により決して強制されないのであって、それが近代憲法の基本原則であること等です。学校では、生徒にそれらの判断材料を提供し、それに基づいて自ら考えさせるべきであり、かつ、それに限られるべきです。 それを超えて、国家が子どもに対して「国歌」を歌うように強制するなどのことがあれば、それは、「一方的な観念を子どもに植え付ける」ものであり、「国歌斉唱」を強制することは、子どもの学習権を侵害し、憲法19条違反であるだけではなく、憲法26条、教育基本法前文、1条及び10条1項に違反します。 特に、憲法を尊重し擁護する義務を負う公務員は、決してこのような違反を行ってはならないことは、当然のことです。10・23通達以降の卒業式・入学式等の状況は、教員に起立斉唱を強制することにより、実質的に生徒に君が代の起立斉唱を強制するものであることが明らかになっており、8月6日の都議会での教育長答弁では、生徒に国歌斉唱するように指導せよという職務命令を出すと、生徒への強制を明らかにしています。この職務命令は、明らかに憲法19条、26条、教育基本法前文、1条及び10条1項に違反しております。 このような事実に基づけば、憲法を尊重し擁護する義務を負う教育公務員である教員は、違憲違法の職務命令には従わないという抗命の権利や義務を担うことになります。この抗命権、抗命義務は、違憲違法の職務命令が出される限り、受命公務員が負うことになります。 |
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Q5.なぜそんなに頑なに反対しているのですか?一般人との温度差があるあなた達はカルト宗教団体の人たちみたいです。何かバックにあるのでは? |
Q.普通の教師がそんなに頑なに反対している理由がわかりません。一般人は別に君が代に対して深い考えはありません。ただの国歌・国旗でしかありません。今更新しい歌や国旗のデザイン作ってもなじみません。 教師がそんなだと生徒は怖くて反論も出来ない。粘着質な教師に恨みを買うと後々が怖いから。 そんな事に力を注ぐ暇があったら、社会保険庁や雇用保険の無駄遣いをしてる奴らをなんとかして! A.私は「予防訴訟をすすめる会」の会員ですが教員ではなく、都内の公立中学へ通う子をもつ保護者です。政治的にはまったくノンポリで特に支持する政党はありません。また宗教的団体や各種の運動とは無縁です。特に誇れるような仕事も趣味もなく、日々自分の欲望を満たすことに最大の関心がある主婦です。 多分投稿された方と同じ一般人でしょう。 何事につけ、アバウトな私ですが、一昨年から始まる都教委による国旗・国歌の強制にだけは、「めんどくさい」とやり過ごす事はできませんでした。 少数の闘う先生方を「クビをかけてまでよくやるね」と見過ごすことはできないのです。それは特に宗教的信条も、政治的信念もない私にさえ素朴に「君が代」が問題を多く含んでいて、それを強制するのはおかしいと感じるからです。 私が「君が代」を国歌として受け入れられない理由は3つあります。 1つは歌詞です。敗戦後、軍国日本は民主主義国家に生まれ変わったはずなのになぜ天皇主権の時代の歌詞が変わらず歌われるのか。 「君が代」の「君」は天皇のことというのは1999年の政府見解です。歌詞に国民はどこにも出てこない。天皇は国民統合の象徴だから、天皇の繁栄を願うことは国民の繁栄を願うことだという説明がありますが、それは詭弁です。その論法でいけば天皇=国民、天皇主権=国民主権ということになってしまい、何も区別がなくなってしまいます。これは現代政治の常識では通りません。 「多くの日本人は深く考えていないよ」とおっしゃいますが、それって自慢できることでしょうか。考えないことで居直っていませんか。 2つ目は音楽としての暗さです。戦時中の「海ゆかば」と通底するものを感じさせる曲調はどこか鎮魂のひびきを持っています。この歌を歌うことで晴れやかな前向きな気持になれる人は珍しい趣味の持ち主です。ふつう国歌は国民に未来へ向かって前進を促す効果をもたせるものと思いますが、音楽的センスの違いでしょうか。とにかく「暗い」のです。 3番目は「君が代」が歴史上に果たした役割です。ご存知のように日本の「負」の軌跡と重なる「君が代」は、アジアの諸外国だけでなく、日本国民をも苦しめた経緯があります。戦後60年もたった現在でさえ、「君が代」に複雑な思いを持つ人は多いのです。私にも「在日」の友達がいます。この歌を聞くことで、過去の苦難や深い恨みを思い起こす人々がいることを知りながら、あっけらかんと歌うことは私にはできません。 誤解しないで頂きたいのは、決して「君が代」を歌うなと言っているわけではないのです。歌いたい人は歌えばよい。しかるべき理由があって歌いたくない人に対して歌うことを強制することに反対をしているのです。 「法律に従うべき公務員なのに、なぜかくも執拗に抵抗するのか」とお思いでしょうが、同じ口調で「なぜ都教委は憲法と国際人権規約に保証された基本的人権をおかすような強制を、かくも執拗に行うのか」と問いたいのです。 自分の信念に忠実に、勇気を持って着席する先生たちにカルト的な狂信はないと思います。支援グループの端くれとして先生たちに接しますが、多くの生徒たちに慕われる、人間的魅力のある先生たちです。支援団体や組織があるわけもない個人個人です。 たまたま教育の場に基本的人権を侵す強制が行われたから、心ある教師たちが抵抗し、保護者や市民が支援に立ちあがりました。 もし他の職場で同様のことがあれば、当事者はやはり何か行動するでしょう。 「社会保険庁や雇用保険の無駄遣いをしてる奴ら」に対してはあなたご自身が立ちあがってはいかがですか。将来、年金受給者になるのはあなたなのですから。 世の中には、目先の有利不利にとらわれず、自分の生き方としてとことん考えて、その自分の出した結論に忠実に生きる人もいるのです。少数であってもそういう人たちが存在することで、この社会が多少ともまともなものになるのではないでしょうか。(マツケンおばさん) |
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