“存在”の意識

Pousse Cafe 2

もしも、この宇宙空間に生命体が全くいなかったら、その“存在”を誰が意識するのでしょうね。

全くの偶然から生まれた生命体が、気の遠くなる様な時間を経て、“その事”を意識する人間が生まれなかったら、宇宙空間そのものの存在理由はなんなのでしょうね。

想像を超える時間と空間の中で、想像を超える質量の物質が、収縮したり、爆発膨張したりを繰り返しているといいます。

そんな無機質の世界に意識等と言う形のないものが入り込む余地はないのかもしれません。

それにしても“意識されない存在”というものがあってもよいものでしょうか。

存在する以上、例え何兆年掛かろうと意識されなければ存在意味がないじゃないですか。

やはり、創造主がいて、“存在を意識できる生命体を作ってやろう”という意志が働いたと思います。

なんだか創造主に対して「下衆の勘繰り」をやってるみたいですね。

創造主は、“存在”を意識し得る生命体の元になる物質を宇宙空間に流し込んだのではないでしょうか。



人間は未知なるものに、飽くなき探求心で挑んできました。

不可思議なるものが究明される程、畏れの感覚も薄れてきました。

全てを科学的根拠で説明付けてしまえば、今現在の科学では、死んでしまえばただの物体です。

存在の意識もできなくなります。

でもそれではあまりに寂しい。

僕は銀河の先を、宇宙の先を、そして創造主の目的を知りたい。

死を迎えて、黄泉の国へ向かうと、それが叶うのでしょうか。

般若心経の世界では、全ての感覚は無といいます。

つまり受ける事、想う事、行う事、識る事、そして全ての感覚は無といいます。

知りたいと想う事も無。

“存在の意識”を超えた所にもっと別の大きな意図があるのでしょうか。

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