![]() その一階に、小さなコーヒー店が開店しました。 緑色のペンキで塗った鉄枠のガラス扉を開けて中に入ると、5〜6人で満席の白木のカウンターと2人席が2つありました。 店主は定年で会社を勤め終えた初老の静かなおじさんでした。 コーヒーが好きで、会社員時代はあちこちのコーヒー店を飲み歩いていたそうです。 注文してからミルで豆を挽き、一杯一杯、あまりに丁寧にコーヒーを淹れるので、怒って帰る忙しい人もいました。 日曜の朝はいつもここでゆっくり過ごしました。 常連も増えました。 気のせいか気持ちに余裕のある人が集まっていた様に思えます。 音楽好きの人、詩人、絵描き、近所の商店主・・・・。 同人誌に掲載された詩人の詩は、こころに楔を打つ様な戒めの詩でした。 何に影響された訳でもないのですが、ゆっくり流れる時間の印象が心の片隅に残っています。 ![]() いつ行ってもあまりお客がいないので他人事ですが、少し心配でした。 この店も気に入っていました。 店は小さく、メニューも大衆的なのですが、店主の服装、態度は一流料理店のシェフの頑固さでした。 お金のあまり無い時代で、頼むのはエビピラフとコンソメスープの様な物でしたが、ピラフにはプチプチの芝エビが7〜8尾そのまま入っていましたし、コンソメスープも手が掛かっているのが分かりました。 そのうちに、そのビルの2階にピンクサロンができました。 ケバケバしい電飾看板と、呼び込みのお兄さん。夕方の5時頃から近づき難くなりました。 それでもコーヒー店へは、日曜の朝には、大体時間を潰しに行っていました。 しばらくしておじさんは休みがちになり、おじさんの子とは思えない程愛想のいい2人の息子や上品な奥さんが交代でお店に出ていました。 ある時僕は、都合で数キロ離れた所へ引越してしまいました。 時々休みの日には行っていたのですが、半年程間を置いて訪ねた時、奥さんからおじさんが病気で亡くなった事を聞きました。 会社勤めを終えて、念願のお店を出してからわずか2年半位の事でした。 ![]() 短い時間ではあったけれど、ほんとの時を過ごしたのです。 隣りの洋食屋のおじさんも自分の気持ちに素直にやっていました。 その辺が魅かれる所かも知れません。 おじさんになってしまった今頃思い出すのです。⇒NEXT[おだてるか、しごくか] |