平等と独自性

Pousse Cafe 12

「ペンは剣より強し」で報道は大衆(民)の代表となり、支配者を追放しました。

大衆(民)が自由、平等であり、主(あるじ)である為には、その権利を守り、責任を果たす為の情報取得手段として“報道”が不可欠です。

民主主義遂行の一手段として、マスコミはその働きをしてくれました。

やがてマスコミは、知りたい見たいと大衆が欲する事はほぼ、その要求を叶えてくれるようになりました。

それは報道という観点からより、大衆の欲求に答えることがお金になるしくみができたからです。

大衆の欲求を掘り起こし、それに答える図式で、マスコミは世界を制覇しました。

居ながらにして視たい聴きたい識りたい事が送られてくる様になりました。

報道情報だけでなく、“他地域の文化”、“他人の感覚,欲求,知識レベル”まで知る事ができるようになりました。

意志の疎通がスムーズになり、誤解が生じ難くなりました。

歴史の必然の流れであり、発達した社会が向かう方向でもあります。

しかしながら、なんでも知る事ができるというのは、犠牲も伴います。

地方の独自性がなくなり、みんなが平均化します。

平等は、平均化です。独自性は差別化です。

独自性を犠牲にして、平均化を受け入れました。

日本中、何処へ行っても同じ番組を見て、同じような生活様式で、共通語で会話する様になりました。

勿論、独自性を貫く自由と権利はあるのですから、平均化に抵抗すればよいのです。

これで良いのだと思います。必然の成り行きだと思います。

ただ、犠牲にしたものが惜しいと思う。方言、伝統、文化・・・・・。

血と汗の結晶で作り上げた工芸技術、それを伝え守り培って来た職人の技があっという間にすたれ始めました。

犠牲にしたものは保護する努力をしなければいけません。それも大衆の欲求の一部です。

何をどうすればこの地滑り的な現象を止められるか解かりませんが、大衆個々が、培ってきた独自性を大切にしたいと思う事しか無いのではないでしょうか。

そして今、インターネットという独自性を主張する時代がやってきました。

次の時代はどんな世の中になるのでしょうか。

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