クライアントとサーバの関係

Pousse Cafe 14

コンピュータネットワークの世界で人が画面に向かってデータ入力したり、結果を表示したりするコンピュータを端末機と言います。

端末機は沢山の人が操作をし、ネットワークを介して高性能なコンピュータで処理をします。

この場合、端末機をクライアントと呼び、処理をしたり、データを貯えたりするコンピュータをサーバ機と呼びます。

つまり、サーバ機はわがままなお客様(クライアント)の要求に答える奉仕者という訳です。

ビジネスの世界では、クライアントはお金を払ってサーバの力を借りますが、世の中にはお金で割切れないクライアントとサーバの関係が沢山あります。

教師と生徒、医者と患者、芸術家と観衆、役人と大衆、親と子…。

親は子に対して損得なしのサーバ(奉仕者)です。

子の成長を願っての家庭料理の食卓にはサーバである母親の大きさを感じます。

技術、お金、度胸、腕力、知識、人間性等の力を持った人たちは、その力の弱い人たちへのサーバ(奉仕者)になれるか、なれないかが何かの境界の様な気がします。

報酬に見合った範囲の一線を超える所で、そのサーバ(奉仕者)は大きな存在になる様な気がします。

私の両親も子に対しては奉仕者でした。

私にとってある人は人としての師でした。

医者の対処一つで生物学的な生死だけでなく精神的な生死が決まる場合も多いでしょう。

ビジネスライクな概念を超えた所で、理想や志や希望を持って行動できる部分があるかどうかが何かを超えた部分なのでしょう。

振り返って自分は親としてサーバになれているだろうか。

他の力の弱い人に対するサーバになれているだろうか。

志を持って社会に接しているだろうか。

残念ながら自分の今の生活に精一杯で他へ目を向ける余裕がない、・・・等と言い訳をしています。

あまり堅苦しく考えず、こだわりを持って生きる事である意味のサーバになれるのではないか、と 思ったりもします。

精神的に発達した社会とはどんな社会なのでしょう。

マハトマ・ガンジーが指摘した七つの社会的大罪というのが朝日新聞に載っていました。

原則なき政治、道徳なき商業、労働なき富、人格なき教育、人間性なき科学、良心なき快楽、犠牲なき信仰。


コンピュータネットワークの世界はサーバが一つでなく分散するようになりました。

つまりネットワーク上に機能や内容の違うサービスのできるサーバ機が複数あって、クライアントは目的に応じてサーバを使い分ければ良いのです。

因みに数年前までのコンピュータネットワークは、大型汎用コンピュータがセンターと呼ばれるクーラー付きの施設で全ての処理を行っていました。

端末機は入力して処理結果を表示するだけの、自処理のできない機械でした。

その頃は大型汎用コンピュータの事をマスター(主人)、端末機の事をスレーブ(奴隷)と呼んでいました。

端末機も自処理が出来るパーソナルコンピュータになり、コンピュータの世界も民主主義になって来ました。

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