電光掲示板の実験ライブ TAKE-1

1993年10月10日
電光掲示板、誕生秘話!

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目次


1.電光掲示板とは?

 電光掲示板はDEAD TECHNOLOGYの活動の前身として、小森一男氏、里内伸治氏、米本の3人でスタート。その後、井田雅士氏、脇本喜紀氏、石塚 壮氏らが参加。コンピューターによる画像と、自作楽器を中心とした電子楽器によるパフォーマンスの実験を行なっていた。


2.BASICによる画像の制御というアイデア

 現在のようにテクノやクラブ・カルチャーが、また新たなブームとなり、その後1つのジャンルとして定着する少し前の90年代初頭、テレビや雑誌で、ビデオ・ドラッグというものを知る。
 単純でサイケデリックな模様、図形の繰返しを見ることで、ドラッグに似たトリップ感を味わうビデオのことである。
 その画面を見たとき、複雑な高性能のコンピューターを使わなくても、BASICの命令だけで表現出来るのではと思った。それに、この頃のコンピューターは、BASICの最大の弱点であった処理速度が格段に向上していたので、早い描画に耐えられるはずだと思ったからだ。

 そのアイデアを当時大学で同じコースだった宮本光太氏に話す。彼の家へ遊びにいったとき、さっそく彼のPC−98上でN−88BASICを用いて、幾つかのグラフィックのプログラムを作って動作させながら、シンセを演奏したりした。

 また当時、多数の自主制作テープのアートディレクションをお願いしていた里内伸治氏の下宿に泊ることが多く、上記の実験について話すと、長年BASICでプログラムを書いてきた彼の創造力を刺激し、彼の部屋にあったSHARPのX1turboでグラフィック・パターンの実験を、テクノを流しながら深夜まで行なった。これが最も初期のパフォーマンスではないかと思う。

 更に実験はエスカレートし、私と里内氏で、学校のコンピューター室に入り込み、部屋の明りを落として、10数台のパソコンにいろいろなグラフィックのパターンを写し出して、その部屋にあったコピー機をフラッシャーにして、そして音楽を流して、怪しいクラブにしてしまった。


3.自作電子楽器との組合せ

 1993年8月29日に、エレクトロニクス全般に詳しい高校時代の友人、小森一男氏と数年振りに再会。これがきっかけとなり、私は単に1号機と2号機のリメイクということだけではなく、本格的に自作楽器の制作を始めた。里内氏、小森氏、山内敏行氏に協力してもらいながら、0号機、0号機’、NAKARZWELLを完成させる。里内氏、小森氏もそれぞれ0号機を制作した。
 その合間に里内氏が、これまでに実験してきたBASICの画像、宮本氏のものから、私や彼自身が制作したものまでを、全て我が家のPC−98に移植、改良を加えて整理した。中でもファンクション・キーにプログラムの呼出しを割当てたのは、パフォーマンス性があって大変便利だった。
 そしてその画像プログラムと、自作楽器とでパフォーマンスの実験を行なった。その中で0号機’の光センサーを画面に向けると、画像の変化をリアル・タイムで音に変換することを発見した。ディスプレイを単なる発光体として使用するということに、改めて気付かせてくれた経験だった。


4.電光掲示板の実験ライブ TAKE-1

 何度かそのような実験を繰返しているうちに、1993年10月10日、関係者が多数集まり、初の大がかりな実験を行なうことになった。参加したのは、私、里内伸治氏、脇本喜紀氏、石塚 壮氏、井田雅士氏の5人。まだ自作楽器も少なかったので、シンセサイザーやドラム・マシン、サンプラーも使い、またボイス・チェンジャーなどの音の出る電子玩具も組合せて使用していた。特に脇本氏が用意したツクダの「ショックレーザーガン」という、引き金を引くと音と光が出て、振動が手に伝わる銃の形をしたおもちゃが印象に残っている。
 そのときの1時間近いインプロヴィゼーションがカセット・テープで残っている。曲名は「インターセプター」「足立56」

インターセプター1min.MP3177KB
足立561min.MP3177KB


 更に翌年の1994年1月3日に里内氏の下宿先で、またおおがかりな実験ライブを行なう。「電光掲示板の実験ライブ TAKE-2」につづく....

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