渋谷ラママ クレージーパンパース

1995年7月30日
1号機がライブハウスに....自作機材初のステージ

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PHOTO: 石塚 壮
 クレージーパンパースのライブが、7月30日と決まったことで、私にはある考えが浮かんだ。 制作している1号機を、その日までに完成させ、ライブのオープニングで鳴らしてみたい......と。
 私のハードなスケジュールに付き合ってくれた里内伸治氏の協力で無事に完成。ちなみに、この 前後で今日の自作楽器の制作における重要なフォーマットが確立する。
 バンドのメンバーと演出を考え、結果「江戸川インベーダーズ」という架空のバンドが前座を勤めるという設定にし、タイトルはズバリ「電子音楽講座〜テクノでGO!〜」になった。
 ライブ当日、ステージにマスクとサングラスをした3人(写真左から米本、ベースの宮さん、パキスタン・ニードルこと井田雅士氏)が、それぞれ頭に手区野(テクノ)、野胃図(ノイズ)、安美円戸(アンビエント)と書いた扇子をつけて登場。それぞれが1号機0号機 0号機DXの演奏を始める。演奏がノってきたところで女性ボーカリストがハリセンを持って 登場。3人を次々に叩き、従来のクレージーパンパースのライブに突入した。
 短い時間とはいえ、ライブハウスで自作楽器を大音量で鳴らして、音を確かめられたことは貴重な体験だった。


クレージーパンパースとは?


PHOTO: 石塚 壮
 クレージーパンパースは、東京、千葉を活動拠点としてライブ活動をしていたバンドです。 私は当時キーボードと作曲、アレンジで在籍していました。編成は、女性ボーカル、ギター、 ベース、ドラムス、キーボードの5人、それにライブ毎にダンサーや男性ボーカルなどのサポ ートが加わりました。メンバーの方々の理解もあって、コミカルなダンスを組み込んだり(パキ スタン・ニードルによる)、詩の朗読、たて笛と変な打楽器によるインプロ、魔女っ子メグちゃ んのカバーなどなど、私の実験的な?!アイデアも実現させてくれました。活動の中で、私は 「Together」、「Diffuse」、「練馬の女」、「LIFE」、「FUNKでGO!」という曲を書いています。

米本 実 


クレージーパンパースのライブ活動
1995.07.30渋谷 ラママ
1995.02.05目黒 Live-Station
1994.12.23本八幡 the 3rd STAGE
1994.10.30恵比寿 GUILTY
1994.08.28市川 CLUB GIO
1994.08.07神楽坂 Explosion
1994.05.08本八幡 the 3rd STAGE
1994.03.20市川 CLUB GIO

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米本電音研究所
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