総合音楽家の系譜

総合音楽家の系譜 文化は成熟していくほどに、分業化が進むのは避けられないらしい。音楽においても同様のようだ。作曲家が 指揮者であり演奏家であった時代は、確実に終わりを告げつつある。その最後を飾るのはレナード・バーンス タインであるように私には思われる。作曲家にしてピアニスト、そして著名な指揮者。彼はブルーノ・ワルター、 グスタフ・マーラーの系譜であり、ユダヤ人の系譜でもある。ワルターにもピアノ協奏曲の録音がある。 バーンスタインのほかにはブーレーズであろうか。ゲオルグ・ショルティもピアノを弾いた。 ドミトリー・ショスタコーヴィッチ、セルゲイ・ラフマニノフ、フリッツ・クライスラー、ウラディーミル・ ホロヴィッツ、リヒャルト・シュトラウス、ヨハネス・ブラームス、フランツ・リスト、フレデリック・ショパン、 彼らはピアニストにして作曲家である。 なぜこうした系譜が途絶えてしまったのか。 こう書いていて、思いついたことがある。コンチェルトでカデンツァを自作で披露しなくなって久しいということを。 上記のメンバーはクライスラーを除いてはすべてピアニストである。それは何故なのだろうか。クライスラーの カデンツァはとりわけ有名であり、ベートーベンやブラームスのカデンツァはいまや定番となっていて、それを 使わない人を探すのが難しいくらいである。ところが、昔は各自が自身のカデンツァを用意するのが普通であった。 つまり奏者に作曲の才能があったということであろうが、彼らにそうした営みが奪われたのはいつからだろうか。 総合音楽家にヴァイオリニストが少ないことと、自前カデンツァがなくなったこととの間に因果関係があるように 思う。 本業がピアニストで、指揮者にも手を出す人は多い。ダニエル・バレンボイム、ウラディーミル・アシュケナージが 代表例だ。彼らはもしかすると総合音楽家の系譜に属するのかも知れない。考えてみれば、彼らが特殊なのではなく、 上記音楽家も似たような系譜をたどってきているのかもしれない。 事情はいろいろあるにせよ、音楽家が確実に分業化の道をたどっているのは明らかであろう。これが意味するところは なんだろうか。文化の成熟が専門分化を必然とするのだろうか。音楽において「何でも屋」は決してネガティブな 意味ではなく、むしろ誇るべき特質であるように思われる。


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