1月17日


5時46分。
 
ゴーッという音で目がさめる。また地震だ、とその時思った。
たとえわずかの揺れでも地震はやっぱり緊張する。
普段目覚めの悪い私でも地震の時はいつも飛び起きる。
今何時ぐらいだろうか。夜中?それとも早朝?
 
横に揺れだした。
 
ちょっといつもより大きい!
モノがパラパラと降ってきた。
モノが落ちるなんて!こりゃ大きい!片づけがちょっと面倒だな。
 
その時点ではまだそんなことを考える余裕があったのだ。
そもそも今までの地震でモノが落ちるほどの揺れを体験したことがない。
 
と、思った瞬間大きく横に揺れ出す。
ドドドドドッという音とともに左右から一気にモノがなだれ込み揺れもますます激しさを増す。
本棚、カセットケース、本・・・もうめっちゃくっちゃに倒れ込んできた。
もちろん立って逃げることなどできず、フトンの上に起きあがった状態のまま手で頭をおさえて恐怖におののいているばかりだ。悲鳴をあげたかどうかもはっきりおぼえていない。
こうして書いていてもその時の恐怖がまざまざと思い出されてくる。
揺れの中で電気がフッと消えた瞬間、恐怖も極限に達し、「もう家が倒れる!」と思ったとたん止まった。
 
「哲!大丈夫?!」
隣の部屋の弟に大声で呼びかける。
弟の無事確認半分、自分の気を静める気持ち半分といったところだ。
「大丈夫ー!テ、テレビが間一髪顔の上に落ちてきたあ!」
 
青い顔をした母、ラジオをつけたまま父が二階に上がってきた。
「みんな無事かー!?」
「二階の方が安全だからみんな二階にいなさい!」
私も足の踏み場もない自分の部屋を出て弟の部屋に行こうとした。
「あ、開かない!家傾いてるのかも!戸かな?」
入口の引き戸が開かない。足ががくがく震えてくる。
弟が戸の向こうで何かをどかせた。
戸の後ろに立てかけておいた絨毯が倒れてふさいでいただけだったのだ。
 
皆で弟の部屋に集合してじっとラジオに聞き入る。
「近畿地方で、広い範囲にわたってかなり大きな地震がありました・・・」とか
「落ち着いて行動を」とかいった言葉が断片的に聞こえてくる。
「これはかなりの被害が出るな・・・」父もいつになく深刻な顔をしている。
「わあー。鍵こわれてる!」ガラス戸をあけようとした弟が叫ぶ。
左右に大きく揺れた衝撃で鍵がねじきれたらしい。
 
みしみしと妙な音を響かせながらガラス戸があけられ、雨戸があけられた。
「わっ、か、火事だあ!」
灘区の高台にある我が家の二階からは神戸は灘、東灘から芦屋、西宮と見渡せる。
あちこちから黒煙があがっていて、ざっと数えても7カ所はある。
六甲道駅付近は特にひどく、真っ赤な炎まで見える。
朝日に黒煙がおおいかぶさり、太陽が不気味な色に照っている。
 
悪夢だ。
 
昨日までスキーで北海道に行っていたのだ。
短い休日、目一杯滑らないともったいないとばかり、連日時間いっぱいスキーをやっていたから疲れたのだ。疲れてこんな恐ろしい夢を見ているのに違いない。
それにしてもなんてリアルな夢なんだろう。
 
「懐中電灯ある?」
「電池がないよう!」
「単三?」
「うん」
部屋の中を手探りでカメラバッグの中からストロボを引っぱり出し、電池を取り出す。
「そうだ!この間会社で『健康優良賞』だかなんかでもらった懐中電灯があった!・・・あ、でも電池がないよ。」
もらったばかりの懐中電灯、こんなに早く使う日がくるなんて思わなかった。
「普通そういうのには電池がついてるでしょ。箱、開けてみ。」
電池は入っていなかった。
「もうセットされてるのかもよ、だいたいサイズいくつの電池がいるんだよ。」
あきらめきれずに弟が懐中電灯を開く。
「あっ、なんだこれ?充電式だよ!」
よほど普段から災害対策に備えている人間でない限り、こんなものを充電しておいたりはしないだろう。
「役に立たないなあ。」
 
「震源地は淡路島と見られ、多数の死傷者が出ているもようです。死者は現在確認した段階では17人・・・」
 
次第に明確になってくる情報。
「ね、淡路島だって!近いよ。」
「灘、東灘、芦屋、西宮、宝塚などに被害は多く見られ・・・」
「おじさん!!仁川のおじさん無事かな!!」
突然仁川にいる叔父の安否が気になりはじめる。
「電話だ!」
弟の部屋にある古いダイヤル式の電話をかける。
「・・・・・・」
混線しているのか、つながる素振りも見せない。何度もかけてみるが同じことの繰り返しだ。
 
「でも、みんな無事でよかったよ、生きていられたことだけでも感謝しなきゃ・・・。」
母がポツリとつぶやく。
「おい、塀が倒れてたぞ。それにおまえ、なんか大事にしていた壷割れてたぞ。」
 
いつの間に外の様子を見に行っていたのか、父が家の内外の状況を報告する。
「えっ、あの壷割れたの?!うひゃあ!!」
たった今、生きていたことだけで感謝だと言っていた母が壷を惜しがってうめいた。
壊れたモノはいっぱいある。今さら壷でもあるまい。
 
母が電話をかけようとアドレスブックを片手に電話機の前にすわる。仁川の叔父の所のようだ。
耳になぜか懐中電灯を押し当てている。
「お母さん!しっかりして!それ受話器じゃないよ!」
「あ・・・・・・。」
かなり動揺しているようだ。そいいえば地震の直後気がついたら二階の弟の部屋にいたなどと言っていたし。いや、この状況下に、こんな状態の方が普通なのかもしれない。ラジオまで携えて二階にやってきた父の方が大物なのだ。
 
「5時46分、近畿地方にかなり大きな地震が発生し・・・・・・」
5時46分。既に朝だったのだ。時計を見るともう8時をまわっている。
あの揺れからまだほんの30分ぐらいしか経っていないように感じたのに。
 
会社に電話をかけてみた。当然のようにつながらない。
 
「おれの目、どうかしたんだろか。あの瓦・・・。」
隣家の家の瓦の上辺が何列か印刷がずれたみたいにきれいに横にずれている。
「人の家のこと言って私らの家の瓦なんかもっと崩れているかもよ。」
 
表に出てみた。隣家ほどではないが瓦は少しずれていた。
父の言う通り塀は見事に倒れている。
 
近所の人がそこここで立ち話をしていた。
「関西は地震がないと思っていましたがねえ。」
どこの家も瓦のずれや塀の倒壊などが見られ、中には壁のモルタルがはがれ落ちている家もある。
 
「私、70年生きてきましたがこんな地震初めてですよ!」
斜め向かいのお年寄りが言った。
向かいの家のガレージに一台の車が停まり、髭を生やした男性と中年の女性が降りてきた。
男性の方は時々見かける近所の人だが、ろくに口を聞いたこともない。
だが今日は違う。
ちょうど表に出てきた父と私に向かって気軽に話し出した。
「こいつ、おれんとこの親戚で摩耶小学校(我が家から南300m)の下に住んでるの連れてきたんです。あの辺はもっと被害が大きくて、みんな摩耶小に避難しているんですよ。
で、まあ、そこに避難するよりかはおれんとこの家の方がいいだろうと思って車で連れてきたんです。」
「あの辺はもっと被害が大きいんですよ。この辺はきれいですねえ。」
女性も言った。
 
しかしきれいとは言ってもちょっと妙な人もいる。少々取り乱しているのか気を落ち着かせるためにわざとやっているのか、はたまた習慣だから自然にやっているのか。
角のFさんは犬を散歩させている。三軒向こうの主人は植物に水をやっている。
そして。
「ねえ、この間引っ越してきた家だよね、ピアノなんて弾いてるの。」
「うん、ショックで少し動揺してるのかもよ。」
「いや、助かった嬉しさで『歓喜の歌』かなんかを演奏してるのかもよ。」
壊れていないか試し弾き、という発想はない。
 
そう、水といえば地震発生後1時間は水が出ていたのだ。
「お父さん、水は出るよ!」
「そうか、でもいつ止まるかわからんから少し汲んでおこうかな。」
 
1時間後、水は止まった。
どうやら壊れた水道管に残っていた水が出ていただけらしい。水道管に残っていた水を使いきってしまったら後は出ない。
「しまった。そうとわかってたらもっと汲んでおけばよかった!」
父は悔しがったが、汲んでおこうという発想すらなかった私は彼の機転に感心するばかりだ。
 
近くの八百屋前の公衆電話に向かう。既に5、6人が待っていた。
八百屋の向かいの、大きな石を重ねて造った立派な塀も無惨に崩れ、びっくりするぐらい大きな石がゴロリと道の上に横たわっている。八百屋の主人が黙々と割れた瓶の始末をしている。
辺りにはソースやらしょうゆやらのにおいがたちこめている。
 
会社への電話はつながらない。
8時30分だからまだ誰も出社していないのだろうか。呼び出し音は聞こえるのに。
自分の部署の方にもつながらない。
 
電話の列に近所の顔見知り、Kさんが加わった。彼女は私より1つ年上で、小学生の頃から親しくしてきた。
「家は土壁が全部崩れてしまって・・・。この辺では一番被害が大きいんじゃないかな。」
職場は隣の駅近くの保育所だ。職員の中で一番家が近いから出勤の必要があるだろうと思って職場に電話をするのだと言う。
この状況で自分のことばかり考える私とはかなり人間の出来が違う。
 
足元が揺れ、悲鳴があがる。走っていた車も停まる。
余震だ。震度3ぐらいだろうか。
地震にはみんな敏感になっている。いつ電信柱や瓦が落ちてくるかわからない。
早々に家に戻ることにする。
 
さらに突然どこかで爆発音が聞こえた。どこかでガス爆発でも起きたのだろうか。
この状況では火事が起こってもガス爆発が起きてもおかしくない。
心臓がもたない。冗談ぬきで心臓麻痺で死ぬ人も現れるのではないだろうか。
 
家に入ろうとすると母と弟が隣家の呼び鈴を鳴らしている。
「どうしたの?」
「Tさん、物音がしないのよ。もしや箪笥の下敷きにでもなったかと思って。」
 
ゴゴゴゴッ。
また余震だ。
 
「わっ、来たあ!」
一斉に我が家に逃げ帰る。
家に戻っても家がつぶれてその下敷きになるかもしれないのに、反射的に家に駆け戻るのはなぜだろう。
家の二階から呼びかけてみる。
「Tさん!Tさん!!」
返事はない。
「ど、どうしよう。ドア強行突破して中に入ってみようか?」
「返事がないものね、本当に箪笥の下敷きになってるのかも・・・。」
と、ガラガラと音がして隣家の窓ガラスが開いた。
「あ、Tさん!大丈夫でしたか?!」
「え、あ、はい。大丈夫です。ひどい地震でしたねえ。」
のんびりと返事が返ってくる。
窓を開けたのもこちらの反応に応じるためではなく偶然だったようだ。
「・・・呼び鈴聞こえなかったんかねえ・・・。そういや停電してたもんねえ。」
「いや、呼び鈴のプルルルって音聞こえてたよ。第一外からあんなに大声で呼びかけてるじゃないかよ。」
安堵のせいか悪態をつく余裕すら出たようだ。
 
11時頃会社と連絡が取れる。
弟の部屋の電話は元々隣りに住んでいた祖母の電話だ。
電話番号が少々古いため、我が家の電話よりつながりやすいらしい。
「あー、大丈夫ですか? そちらはひどいらしいですね。」
のんびりした声が返ってくる。
「こっちも半分くらいしか出社してきてません。みんなテレビ見てますよ。会社もね、ロッカーが倒れて壁なくなっちゃったんですよー。」
その程度で済んでよかったねえ。こっちは大惨事だよ。
「とにかく2、3日は会社に行けそうにないみたい。」
「ねえねえ、これって災害休暇ってことになるのかなあ。」
「さあ・・・・・・。」総務は君でしょ。
「ま、でもこれで三宮への移転はちょっと無理になりそうよ。」
会社は2月に三宮へ移転する予定になっていた。
しかしこの非常時に私も案外のんきな事を言っている。
「え、うちが入るビル、倒れちゃったんですか?」
「いや、あれは丈夫だったから大丈夫と思うよ。」
「じゃ、予定どおり移転すると思いますよ。」
「え?無理無理!!」(まだ情報が入ってきてないけれどこれはきっと前代未聞の大惨事になるよ)
「そっかあ、なら移転のお知らせ通知、まだ印刷してないから良かった。」
「・・・・・・。」
連絡もあまり早く取れるのも考えものである。
相手側が状況を把握していないから非常時というのにそれらしい対応がされない。
 
昼過ぎ、友人と連絡が取れる。
彼女は高校、大学、会社までも一緒で10年以上のつきあいになる。住んでいる所も灘区で同じだ。
「こっちは死者が出てるみたい。家も倒壊した所が多いし・・・。
同じ町でも私の家のある4丁目は比較的被害が少なくってうちはその中でもひどい方かな。
2丁目は倒壊した所が多くて死者も何人か・・・。
道一本隔てた所は壊滅とか、明暗を分けてるわ。
うちの状況?
壁が落ちて、門と塀が崩れたよ。門なんてどうしたらこんなにねじれるんだ、ていうほど思いっきりねじれてるし。
弟がね、死体運びの手伝いやらされたって。
あたし、それ聞いて倒れそうになったよ。
お母さん?
薬局開けに行った。ケガ人が出てるからって。
薬局も倒壊しかかってるねん。お姉ちゃんも労災病院の応援に行ったし。
会社への連絡取れたの?私もかけてみる。どっこもかからなかったんだけど、かかるようになったんかな?」
 
外を見る。
何台ものヘリコプターが上空を飛び回っている。報道関係のヘリなのだろう。
相変わらず火事は続いている。
六甲道付近の火事は小さくなるどころかさらに大きくなったようだ。
「燃え広がったみたいだねえ・・・。」
「こっちまで来るかなあ。」
1km以上も向こうなのに。母は心配性だ。
でも、こういう人が一家にひとりでもいるといざという時役立つ。
災害に備えてお風呂の水は使用後すぐに栓を抜かない、日持ちのする食料は日頃から少しでも蓄えておく、とか。
現に取り乱しながらも蓄えの食料や懐中電灯、絆創膏などをかき集めてリュックサックに詰めこんできた。
確かにこの辺りだっていつ火の手があがるかわからない。
余震も怖いが火事も怖い。
 
「ちょっと心臓が苦しい。」
母が顔をしかめる。
続く余震ですっかりまいってしまったらしい。
仁川の叔父とも連絡が取れないから不安のせいもあるのだろう。
食べ物もほとんど「食べられない」と言って口にしない。
 
「なんか一部屋に大勢いるせいか息苦しいような気もするよ。」
最近でも少しお風呂に入っただけでも心臓が苦しいなどと言ったりする。
病院を嫌ってなかなか診察を受けようともしないので難儀だ。
「少し横になってなよ。」
「うん。」
「こんな非常時に診てくれるお医者さんなんていないしねえ。」
「大丈夫。いつものことだから。」
「・・・・・・。」
 
灘区の友人に再び連絡を取る。
「会社つながらないよ。ね、連絡取ってくれる?うちにかけてくれるように伝えてほしいの。」
弟の部屋の黒電話はかけることができるが、なぜか受けることができない。
電話は何回か鳴りかけては止まる。
友人宅の方は受けることはできるがかける方はできないらしい。
しかし、こんな状況だ。我が家もかける方は混線のためか時々発信音すらしなくなることがある。何度も何度もかけ続けてやっとつながる、といった調子だ。
 
会社に連絡。
「Yさんは無事です。」
友人の無事を報告して、電話をかけてくれるよう伝える。
「今、神戸方面の社員のリストをつくって順に安否確認をしていっているところなんです。」
ようやく事態の大変さに気づいたようだ。
しかし相変わらずのんびりとした感じだ。
まあ、被災者側の気持ちになれと言ったところで無理な話なのだが。
被害の大きいと言われている灘区から早々に連絡があったこともあり、ひとまず安心と、のんびりかまえてしまうのだろう。
 
仁川の叔父の所にはつながらない。
「ねえ、ラジオで宝塚方面への電話はまったくつながらないって言ってるよ。」
 
その日は少し蓄えてあったお菓子や残り物のパンなどを食べながら(生の、バターも何もつけない食パンがこんなにもおいしいものだとその時初めて知りました!)皆フトンや毛布を二階の弟の部屋に持ち込んで呆然と過ごした。
情報はラジオだけ。
「テレビでどんな状況か知りたいなあ・・・。」
既に外は暮れかかっている。
「暗くなってきたねえ・・・。」
周囲が暗くなってくると気持ちも滅入ってくる。
 
と、ポッという音がして弟の部屋のビデオデッキに、デジタルの時刻が表示された。
「?」
一瞬何が起きたのかわからなかったが。
 
「電気! 電気が通じたよ!」
「よし!」
 
母以外の3人、父と弟、私は途端に活気づき、蛍光灯やテレビを点けに、せかせかと動き出した。
明かりがこうも精神的な面に影響するとは思わなかった。
地震発生時も、明かりが消えた瞬間が一番怖かった。
「もう、この家はつぶれる!」と、覚悟をした瞬間でもある。
そして明かりがつくと途端に活気づくのだ。
 
「わあ、長田が大火災だって!」
弟の顔の上に落ちてきたテレビが長田区の火災の模様をいきなり映し出した。
「六甲道の火災もすごいみたいだけどこっちの方はもっとすごいみたい。」
「わ、高速道路が横倒しになってる!」
「ビルもメチャクチャ!」
「家が瓦礫の山になってるよ!」
予想以上に神戸市内の被害はすさまじい。
震源地は淡路島。震源は浅く、都市直下型の震災だということが段々とわかってきた。
死者はとどまることを知らず、どうやら1,000人を超えるらしい。
 
「生きていてよかったね・・・。」
母がポツリと言う。
 
自分の部屋の明かりを点けてみた。
本棚からあふれた本の上に本棚が倒れかかったまま停止している。
まんまるだったゴミ箱は押しつぶされて楕円形になっている。
香水の瓶が割れたのか部屋中に香りがたちこめている。
積み上げて捨てるばかりになっていた雑誌が散乱、その上に画材だの化粧品だのカセットテープだのが積み重なり、とどめに西表島で集めた星砂がばらまかれて足の踏み場もない!
いや、部屋へ立ち入ることも難しそうだ。
 
「おい、おまえ、こんな部屋からどうやって脱出したんだ?」
父も驚いたようだ。
「いや、なんかガラガラとかきわけて布団から起きあがったようには記憶しているけど・・・
こんな状態だったなんて。」
 
「いつまた停電になるかわからないからさっきの懐中電灯充電しときなよ。」
「・・・ない。」
充電式で役に立たないことに腹を立て、ついでにどこにやったのかわからなくなってしまった。
「もうー、先のことをもっと考えて行動しなよー。」
母は本気で腹を立てていた。
 
その日余震は何回も起きた。
まず地鳴りが響き、その後で何秒か揺れる。
地鳴りだけで揺れない時もあった。
いずれにしても地鳴りは余震の前奏みたいなものなので、地鳴りが響くたび、文字どおり震撼とさせられた。
 
弟は早々と自分の部屋を片づけ、自分のへやでいつもどおり眠った。
母は崩壊しまくった私の部屋の押入に布団を敷いた。二階の方が安全だし
「押入なら柱が多いので家がつぶれる時も助かる確率が高い」んだそうだ。
 
私と父は父の書斎のコタツにもぐりこんだ。
いつでも逃げられるように普段着を着たままで。
父の書斎は離れにあり、元々は祖母が住んでいた。
祖母が亡くなり、自分の部屋を持っていなかった父がそのままそこを自分の書斎として使いはじめたのだが。
「あんた達そこの場所は危ないのよ。天井に大きな梁があるから崩れたらその下敷きになるんだからね。母(祖母)が死ぬ前によく言ってたよ。
『この家は災害に弱い脆い家だから、私が朝死んだら昼には取り壊しなさい』って。」と、母が言った。
“朝死んだら昼には取り壊せ”なんてなかなかしゃれた表現をする祖母だ。こんな時ながら感心してしまう。
 
枕元には非常食と父から借りた懐中電灯、カイロ、お金に通帳なども詰め込んだリュックとフードのついたジャケットも用意した。
箪笥の倒れる位置、蛍光灯の落ちてくる位置なども計算に入れて横になる。
父はと言えばソファとコタツにベニヤ板とアイロン台を渡してその下に潜りこんで横になった。
普段の生活からしたら滑稽な風景だ。
でも何度となく続く余震の中、こんな光景を笑う人は今はひとりもいないはずだ。
こんな不安な状態がいつまで続くのだろうと思っているうちにウトウトとまどろみはじめる。
今さら火事なんて起きませんように。


 
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