1月18日


眠りは浅かった。
朝まで余震は何度かあり、その度に目が覚めた。
本格的に目が覚めたのは早朝未明、比較的大きくて時間も長い余震が起こったのと・・・・・・
「ねえ!お父さん、今のバイクの音とポストの音、新聞屋さんじゃない?」
「ほんとだ。この状態でどうやって新聞持ってきたんだろ。」
「でもさ、さすがに昨日は来なかったでしょ?」
「いや、昨日は地震前に来たから。」
「おおーっ、それじゃこの状態で新聞は欠かさず来てるのね。」
 
6:00頃、電話が鳴る。
「誰じゃあ、今頃。」
再びウトウトしかけていた父が頭の上に渡したベニヤ板をどけながら言う。
この非常時に“今頃”もないもんだ。
 
「もしもし。・・・・・・ああ、心配しとったんですよ!」
やっと仁川の叔父の所と電話が通じたのだ。
母には二人の兄がいて、仁川にはその兄の家族が軒を連ねてそれぞれ一戸建ての家に住んでいる。
母の長兄にあたる叔父は既に10年以上も前に亡くなっていて、その子供、つまり私の従兄弟にあたる兄妹は大学に進学してそれぞれ下宿しているので現在は叔母が一人で住んでいる。
母の次兄にあたる叔父は子供がいないので叔母と二人きりの生活だ。
 
「両方無事。家も少しヒビいったけど大丈夫だって!」
電話を代わり話し終えた母が興奮気味に叫ぶ。
 
昨日までの仁川の情報はといえば夜9時頃見たテレビだったように思う。
近くの学校の体育館に避難している中年の男性が、
「近所の人がたくさん死んだ。」
と、泣きながら言っている映像だった。
この人は家族も亡くなったと言ってたように思うが、その辺は記憶がはっきりしていない。
いずれにせよ唯一入った仁川の情報は不安を増幅させただけだった。
それだけに喜びも大きい。
「ところでM君は無事だったんかなあ。」
従兄弟のMは昨年、大学進学と同時に仁川の実家を出て東灘区で一人暮らしをしている。
彼の妹はやはり大学進学と同時に下宿をしているが、こちらは九州なので問題ない。
「まだわからないって。Kおばさんが今さがしに行ってるみたい。」
 
朝はオーブントースターで餅を焼いて食べる。
「海苔あったっけ?磯部巻きにしようっと。」
磯部巻きにするとちょっと豪華そうに見える。それを2つ3つ食べておしまい。
 
「あんたたち、よくこんな状況でモノが食べられるわねえ。」
母は昨日から水しか飲んでいないと言う。
食べ物がのどを通らないのだそうだ。
「そりゃ、この次来るかもしれない大きな余震に備えてエネルギーを補給してるに決まってるでしょ。」
我ながら名答だと思う。
 
父は自分から会社に電話をかけて仕事をしに行くと言いだした。
父の仕事は水先案内人。
貨物船や客船などを港や湾外に誘導する仕事だ。
「わざわざこんな危険な時に自分から仕事買ってでるなんて。」
「第一、港までの足がないだろうに。」
「港壊れちゃってるのに仕事あんの?」
家族は口々に言ったが
「垂水の同僚は港まで歩いていった。」
「こういう時だから湾外へ出ていく船多いし。」
と、考えを改める様子はさらさらない。
母が無理矢理持たせたヘルメットや懐中電灯などを携えて出かけていった。
 
尼崎に住む妹から電話がかかってくる。
妹の方は被害というほどの被害はなく、
「夕べ作ったシチューがひっくりかえった」程度だったと昨日電話があったばかりだ。
「ダイエーでいっぱい食料確保しといたからね、来れるようになったらおいで。それとも私自転車あるし、そっち行こうか?」
「絶対に来ちゃダメッ!!」
すっかり神経質になっている母は大声でどなった。
「とにかく危ないんだからこの辺は。途中で建物が倒れたり余震が来たらどうすんの。いい?絶対来ちゃダメよ。」
妹はダイエーの店員だ。担当している職場は化粧品コーナーだが化粧品は床に落ちてほとんどメチャクチャになってしまい、今日からしばらくは食料品コーナーの手伝いにまわされ、こんな状況だから残業もありそうだなどと話して電話を切った。
 
「あ、そうだ。自動販売機!」
二階で親子3人集まってテレビをボーッと見ている最中に突然弟が素っ頓狂な声を出す。
「は?」
「水出ないだろ?今のうち、缶ジュースやペットボトル買い集めとこ!」
「なるほど!」
弟はすぐに走り出し、まもなく両腕にいっぱいに抱えて戻ってきた。
「ふふーん、もうじき売れ切れるよ。俺と同じこと考えだすヤツが買いにくるからね。」
 
「ねえ、食料も買いに行った方がいいと思うな。いつまでこんな状態が続くかわかんないし。」
「ダメ!こんな状態で表を歩くのは危ない!」
母は思いっきり反対した。
「いざとなったら氷砂糖をなめてでも一週間持ちこたえられます!」
サーカスの熊じゃあるまいし本気で言ってるのだろうか。
しかしまあ、私だってまだ外をうかつに歩くのは正直こわい気もするし、ここはもう少し様子を見るとしよう。母の気も立っているようだ。
 
弟と私は次々に友人達に電話をかけては安否を確認していった。
「もしもし、M子?よかったあ、無事なのねー。」
高校時代の友人M子は東灘区に住む。
被害が大きかった地域だが幸いにも家も家人も無事だという。
「電気そっち通ったの?いいな・・・・・・。こっちはろうそく暮らしよ。
電話も受ける方しかできないの。もう余震がこわくてこわくて地鳴りがするたびに『それっ』って家族全員フトン被ってるのよー。」
私はこんな時ながら、M子の家族が「それっ」というかけ声とともに全員一斉にフトンを被る姿を想像して笑ってしまった。
そういえば母は一階にいる時に余震が起こると「来たっ」と言うなり二階に駆け上がる。
この地震で各自それぞれの条件反射が身についたらしい。
 
「もしもし、Kさん、無事だったー?」
「なんとか。でも一階は風呂場がやられてるし、建物も亀裂が入ってしまって。もう一回大きいの来たら崩れるわ。こわいから全員二階で寝起きしてるの。弟は車の中で寝てるし。避難所?ダメダメ、いっぱいでもう入れないよ。」
 
母はあまり社交的ではないのでそれほど友人は多くないが、一人だけとても仲の良い友人がいる。
「ねえ、Hさん、六甲の辺じゃなかった?あの辺もけっこう被害大きそうよ。」
「・・・・・・うん、さっき電話したけど、出なかった。」
「もっと何回も電話かけなきゃあ。」
「うん、そうなんだけどね、あの家すごく古かったからたぶんかなりの損傷受けていると思うんだわ。そんな時に電話に出てもなんて言ってあげたらいいかわからないよ。」
 
そうなのだ。私の友人は今のところ全員無事なのだが、無事じゃなかった場合なんと言ったらいいのだろう?
「大丈夫ー?」だの「がんばってね」だのはこの状況においてマヌケすぎる。
でも他に言いようがないのでつい、言ってしまうだろうな。
「あのさ、先方が電話を取るってことは少なくともその人は家にいるってことなんだから家が無事ってことだろ?ついで、取った人も無事ってことだからあとは家人のケガの状況とか家の損傷度とかを聞きゃあいいんだよ。」
弟が言う。
なるほど。
 
と、そんな弟の所に高校時代の友人から電話がかかってきた。
時折「ええーっ!」とか「げっ。」とか聞こえる電話の内容からして先方はかなりのダメージを受けているらしい。
「O、家全壊だって!」
電話を切った弟が興奮気味にわめく。
「えっ、それでO君とご家族は?」
「無事らしいけどOはなんだか体のあちこちが痛いって言ってる。今の状況じゃその程度では医者に見てもらえないだろうなあ。とりあえず親戚の所に避難してるって。」
 
心配されていた従兄弟は無事だった。
従兄弟の母方の実家から電話が入ったのだ。
その家は母の兄嫁の実家だからかなり遠い親類になるのだが、偶然我が家から近い所にあるため以前から親しくしていた。
従兄弟は東灘区の木造住宅に住んでいたが地震で全壊。
しばらく生き埋めになっていたらしい。腰を少しやられたとかでどこかに収容されたようなのだがどこに収容されたかわからない。いっしょにいるはずの叔母からの連絡もなく、叔母の妹にあたるという人が現在着替えなどを持ってあちこちの避難所をさがしているとのことだった。
 
「腰やられてるんだったら避難所じゃあなくて病院だよねえ。」
「うん、そっちの方が確率高いと思うよ。」
などと冷静に考えられる状態ではないのだろう。
ケガの状態はまだわからないけれど、ひとまず助かってよかったよかった。
 
会社の自分の部署にもやっと電話が繋がった。
部署は新大阪にあり、大阪市内では被害が比較的大きい方だったのではないかと唯一出勤していた先輩が言った。
「ビルの7階にあるので特に揺れが大きかったらしくて、コンピューターのモニターが全部机の上から落っこちて書類は辺りに散乱。ロッカー、書架も倒れて使いものにならなくなってる。隣のスタジオはドアが開かないんで、怖くて開けるのやめた。」
2、3日出社は無理なので多分仕事を引き継いでもらうことになると思います、と言って電話を切った。
 
午後になった。
テレビはどの放送局もコマーシャルなしで地震の特別番組を放映している。
何気なく目で追っていた死亡者名簿の中に、高校時代の先輩と同姓同名の人を見つけた。
住んでいる区も一緒だ。年齢も一緒。
しかし彼女のフルネームはどこにでもあるような名前だ。
それになんだか名前の字が違うような気がする。
先輩の名前は利子ではなく淑子か俊子だったと思うけど。
古い名簿を調べればわかる。
でも調べなかった。
本人だとわかるのがこわかったのだ、と思う。
 
お昼も磯部巻きだった。
でも、テレビに映し出された避難所の家族は
「昨日からおにぎり1個を家族3人でわけあって食べたんです。」
と、言っていた。
それに比べたらすごい贅沢だ。
お餅に海苔まで巻いて、しかもそれを一人あたり2、3個食べているのだから。
父が断水になるまでのわずかな時間に汲んでおいた水をポットで沸かしてお茶まで飲んだ。
 
ヘリコプターの音がひっきりなしに頭上で響く。
急遽近くの陸上競技場が自衛隊の基地になったとかでマスコミのヘリ、自衛隊のヘリの両方の音が入り乱れているのだ。
このヘリの爆音がけっこうすごい。なんとか建っている家も倒れてしまうのではないかと思うほどの振動だ。
 
今日はどのテレビをつけてもほとんどコマーシャルなしで大震災の模様を伝えている。
しかし、今さら火事になるのはどういうわけだろう。
住吉駅付近で火事が発生しているらしい。
灘区もひっきりなしに消防車の音が聞こえている。
地震では無事だった我が家だって、原因不明の出火でいつやられるかわからない。
 
ずっと遠くで響いていた一台の消防車のサイレンが近づいてきた。
ぐんぐん近づいてくる!
この辺りだ。
かなり近い!
「ちょっと! いよいよこの辺も火事よ!」
母は青くなって叫んだ。
私は外に飛び出した。
火事の場所によっては家族に急いで逃げるように言わなければ。
近所の人も真っ青になって飛び出してきている。
その中を一台の消防車が通り、猛スピードで過ぎていった!
消防車は岐阜ナンバーだった。
他府県の応援で、単に道をまちがえただけだったらしい。
「んもう人騒がせな。」
みんなブツブツ言いながら引っ込んでいった。
「でも岐阜県からわざわざ応援に来てくれたのよね。」
「ありがたいことだよ。」
 
連絡のできる友人達に電話をしているうちに夜になった。
餅だのパンだのを細々と食べながら弟が、
「Oのヤツさあ、やっぱ体おかしいみたい。モノ食ったらそれがてきめんにわかるっつってた。」
と、言った。
「なんで?」
「モノ食ったら食い物が通ってる所がわかるからだって。つまり口、食道、胃と通ってく順番に痛むんだって。」
気の毒ながらその克明な描写に思わず笑ってしまった。
「それ、やっぱ診てもらった方がいいって言っときなよー!」
 
当然お風呂なんてまだ入れない。
服も着たまま、またこたつに潜り込む。
もちろん家具やテレビの倒れる位置を計算して体を横たえる。
非常用リュック、フードのついたジャケットも忘れずに。
「まーた、そこの離れは危ないって言ってるでしょうが!」
母は言いながらまた、ドラえもんよろしく押入に布団を敷いた。
「柱も多いし、ここが一番安全なのよ!」


 
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