1月20日
- 3日目ぐらいからだろうか、我が家でとっている毎日新聞の中に、毎日希望新聞というコーナーができた。
- 交通・救援などのインフォーメーションが主な内容だがタイトルがいい。
- これが例えば「被災者情報」だったら、後ろ向きな印象がするし、第一地震の生々しさが感じられてイヤだ。「被災者」と位置づけられてしまうのもなんだかひっかかるものがある。
- 復旧でも復興でもない「希望」という言葉は前向きで、不思議と「がんばろう!」という気にさせてくれる、明るい言葉だ。
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- 9:00過ぎに従兄弟から電話があり、自転車を貸してほしいと言ってくる。
- さいわい、弟が2台持っていたので古い方をあげることにした。
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- 10時頃従兄弟Mがやってきた。
- 彼は東灘区の岡本に下宿していたのだが、地震直後住んでいた木造アパートが全壊。4、5時間程生き埋めになっていたと言う。
- 無事救助された後は東灘区の甲南病院にしばらく入院していたが、じきに退院。我が家から歩いて10分程度の所にある、彼の母親の実家に身を寄せている。
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- アパートが全壊した後、そこの住人は次々救助されたのに、彼だけなぜか忘れられていたらしい。
- ところが仁川に住む叔母(彼の母親)が原付で現場に急行。
- 「ここに息子が埋まっているんです!」
- と、言って周りにいた人に探させたらしい。
- うーん、母は強し。
- ついでにみんなが探している間、「M!M!!」と、やたらと絶叫し続け、
- 「すみません、奥さん、ちょっと黙っとってください。」とも、言われたらしい。
- Mは意識がもうろうとしていたのか
- 「4、5時間も埋まっていたとは思わなかった。脱出してから時計見たら10時まわってたもんなあ。」
- と、言った。
- 彼を引っぱり出すのはかなりの労力だったらしく、探し出した人達はくたびれはててその場にのびてしまった、とも話してくれた。
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- その後彼は近くの甲南病院に一時的に入院。
- 軽傷、というよりはどこにも異常がないように見えたため、廊下に寝かせられたと言う。
- 普通の状態なら、「患者を廊下に放り出しておくなんて!」と怒ってもいい状況なのだが、非常事態となった今では、
- 「廊下?ってことは症状が軽いんだね。よかった、よかった。」という風に受け取られる。
- 「もう、野戦病院。『痛い、痛い』ってうめく人、ゲロゲロその場に吐く人。その中で僕だけ横にいるおかん(お母さん)相手にベラベラしゃべってたもんだから『あんたもう退院していいよ。』って。おかんは『腰が痛いって言ってるのにレントゲンも撮らないで返すなんて!』って怒ってたけど、病院側もそんな余裕ないわな。」
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- 「これ、おばあちゃんとこに親戚が加古川から食料持ってきたの。おすそわけします。」
- 彼はかまぼこやらごぼてんのつまった箱を差し出した。
- 加古川の親戚が小型トラックいっぱいに食料を詰め込んで持ってきたのだそうだ。
- 同じように地震にあったとはいえ、我が家は家も家人も被害はほとんどないのに対し、彼はしばらく生き埋めになっていたのだ。それなのにこうして救援物資をわざわざ持ってきてくれるなんて・・・。
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- 「自転車で仁川の実家に戻るの?」
- 「ううん、つぶれた木造アパートから荷物をいくらか引っぱり出そうと思って。
- なんせ着の身着のままなもんで。」
- 「危ないから気をつけてね。」
- 「はい。」
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- 弟はひとりで出かけていって食料と水を確保してきた。
- やはり食料はひとり5点までと制限があり、今回は牛乳と卵を4つ買ってきた。
- もう選択の余地がなく、まだ買えただけましだと言う。
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- 「口コミだけど山口組が水を分けてくれるらしい。あそこの水、井戸水だから水道止まってても関係ないみたい。」
- この場合の「山口組」とは故田岡組長宅裏にある渡辺会長宅のことを指す。
- この辺りで山口組会長のことを知らない者は新参者だ。そのくらい昔から彼らはここに住んでいる。
- 私が小さい頃、散歩でそこを通るたびに母は「ここが山口組田岡組長のお家だよ。」と、教えてくれたものだ。
- 彼の家はごくごくあたりまえの日常の風景のひとつだった。
- たまに特別の行事か何かがある時には機動隊が家の前にズラリと並んだりしていたが、それも「あ、今日山口組で何かあるんだな。」程度で終わっていた。
- 近所づきあいはもちろんない。ごく近所ならいざしらず、我が家からは歩いて10分程度もかかる距離だ。
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- うーん。もし水をもらいに行ったら、彼らに初めて接することになる。
- 私はちょっとワクワクし、明日水汲みに行った時、篠原公園の給水が混んでいたらそっちに行こうと思った。
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- コマーシャルほとんどなしで阪神大震災報道特集を組んでいたテレビも徐々にコマーシャルが復帰しつつある。
- 藤田まことがブラウン管の中でおいしそうなおはぎを見せびらかしながら、うまいから買ってくれ、と言っている。
- 今となっては贅沢な食べ物。買えるもんなら買って食べたい。
- この状況でこんなコマーシャルはちょっと酷だ。
- 藤田まこととおばさん達がうれしそうに踊っているさまを恨めしげに眺めているほかはない。
- この人たちはなんてのんきそうなんだろう。
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- 公共広告機構のコマーシャルが頻繁に流れている。
- 森光子の手元の地球がまわり、今地球上で困っている人たちを助けましょう、と言っている。
- 今、あんたの国の阪神地方の人間が困っとる!
- 同じく公共広告機構では増田あけみと中野浩二が「空き缶ポイ捨て禁止キャンペーン」を展開している。
- 中野浩二の、
- 「ニッポン全国ポイ捨てキンシィー!」
- と、絶叫する部分の
- 「シィー!」
- の高音が妙に気になる。
- このように何もすることがないので日長一日、テレビを見るくせがついてしまった。
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- Yより電話。
- 「Eが今、家に来て救援物資を置いていってくれてん。今からよねちゃんとこに行くはずだから。」
- Eは昨年末退社した会社の後輩だ。
- 交通網が寸断され、道路も大渋滞しているので、かろうじて通っている阪急の西宮まで電車で行って、そこから徒歩で神戸市内に入ってきているらしい、とのこと。
- うーん、なんたる根性。
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- Yから電話があって1時間ほどしてからEが訪れる。
- 「んもう、Yさんの書いた地図、まちがっててさー。迷っちゃった。」
- 西宮から神戸市内までは5時間かかって来たと、疲れの表情も見せずに語った。
- 頼もしいヤツ!
- 物資の援助もありがたいが、わざわざそのために苦労して駆けつけてきてくれたという事自体がうれしい。
- 彼は担いできたリュックサックから、ペットボトルの水やウーロン茶、お菓子やパンなどを次々と引っぱり出した。
- 他にも3、4軒寄ってきたということだからかなりの荷物だっただろう。
- お茶ぐらいは出せるからと、遠慮する彼を無理矢理家にあげる。
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- 「来る途中でデモ隊に会いました。西宮の辺りだったかな?
『政府は何をやってるんだ!』とか言ってね。そんなことやってる暇に自分達でボランティアにでも行った方がよっぽど建設的なのに。なんか急に腹立ってきてね、耳ふさいでそこを走って通り過ぎてきました。」
- これから神戸市役所に行ってボランティアの申し込みに行くのだと言って彼は元気よく出かけていった。
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- 「若いなあ。」
- 「わしら、もうあんな気力も体力もないもんなあ。」
- 父も母も感心している。
- 私も西宮から5時間もかけてはとても歩けないだろうと思った。
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- さらに昼過ぎ、
- 「おや、祐子じゃないの!」
- 危ないから来ないように言ってたのだが、妹が塚口(尼崎)の自分の家から自転車を飛ばしてやってきた。
- 「いやあ、3時間強かかったわあ。
- もう、道中は道といわず家といわずメッチャメチャ。想像以上のすさまじさだわー。」
- 言いながら次々に荷物を差し出す。
- 彼女の勤め先はダイエーだ。
- 「もうねえ、あたしの担当の化粧品売場はめちゃくちゃになっちゃったし、今は化粧品どころじゃないから食料品の方の手伝いよ。交代もへったくれもないから朝から終日働きづめ。
- あ、これその時にちゃっかりとっといた食料ね。ほら、インスタントものに缶詰、水もあるよ。」
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- 最初は妹が来たことを喜んでいた母も時間が経つうちにそわそわしてきた。
- 「ねえ、3時間もかかったんでしょ。今市内は治安も悪いっていうし、暗くならないうちにお帰りよ。ほら、早く。」
- と、せかして明るいうちに帰した。
- 「また食料持ってくるわ!」
- と、妹が言うと
- 「もう、道中が心配だからしばらく来んとき!」
- と、母。
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- 「よねちゃーん、明日もしかしたら物資持ってそっち行くかもー。何か欲しいものなあい?」
- 夕方、同期のTから電話が入る。
- Eと同じく、西宮から歩いてくるつもりだと言う。
- が、しかし明日からは遠回りをすれば電車で市内に入れる。
- 「あのねー、大阪から三田までJRに乗って、そこから神戸電鉄に乗り換えて谷上まで行く。そこから地下鉄に乗り換えて新神戸まで行って、市バス2系統に乗ったらほとんど歩かずに私ん家まで来れるよ。」
- 電話の向こうで彼女は絶句している。
- 「・・・明日は西宮から歩くぞ!って気合い入れてたのに。拍子抜けしちゃった。なあんだ。」
- 会社が被災者にむけてウィークリーマンションを押さえるから入居を希望するなら早い目に申し込んでね、と言って電話は切れた。
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- やはり同期のFから電話が入る。
- 「大丈夫ー? 明日、物資持ってそっちへ行こうと思うんだけれど。」
- 同じように明日からの交通ルートを教えるとこちらもしばし絶句。
- 出鼻をくじかれたような気持ちになるのだろう。
- 「私んとこ、そんなに被害なかったから気を使わないで。」
- と、言ったら
- 「じゃあ、避難所の方に行ってもいい? そっちの方が困っている人多いみたいだから。」
- と、言われ、そっちに行ってもらうことにする。
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- Yから再び電話があり、どうやら明日、会社が救援部隊を結成してバイクで物資を運んできてくれるらしいと言う。
- ありがたいと思う反面、寸断された道路や崩れかかった家をすりぬけて来ることを思うと心配の方も大きい。
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- しばらくして再びYから電話。
- 道中危険なので会社からの救援部隊は来ないかもしれないとのこと。
- 未確認情報なのではっきりしたことはわからないとも言う。
- 親しい友人ならともかく、相手が会社の場合、来るか来ないかはっきりしてもらわないとちょっと困る。
- 変な格好では応対に出られないからだ。
- この非常時にきっちりした格好で出迎えるのも変だが、やはり最低限のラインはキープしておきたい。
- 私はもともと化粧もそんなにしないし、かっちりした服も着ない。
- でも、やはり家の中のこと。
- 少々色あせたトレーナーや袖のすりきれたシャツを着ることはある。
- 髪だってセットしていないからボサボサ。
- 水が出ないから顔も洗ってないし。
- そんな格好で応対に出た日には二度と会社なんて行けない!
- それに会社向けのよそ行きの顔というか緊張感とでもいうのか、そういうものが準備されていないから、いきなり来られるとパニックを起こしてしまいそうだ。
- 私は小心者なのだ。
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- とりあえずウィークリーマンションを押さえてもらうことにする。この調子では当分、まともに通勤なんてできないだろう。
- すぐに会社に電話を入れる。
- 部屋がないのでしばらくはワンルームの部屋にYと住んでもらう、という返事だった。
- 狭いけれど今の状況では充分すぎる環境と言えるだろう。
- 学校の体育館などで狭い想いをしながら過ごしている人が神戸には20万人もいるのだ。
- それを考えれば贅沢すぎるぐらいだ。
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- 従兄弟のMが自転車を返しにやってきた。
- 「無事に荷物は取り出せたの?」
- と、聞いたら
- 「いや、おかんがすんごい勢いで、『危ないからそんなところへ行ってはいけません!』て言ってさあ、結局行ってないんよ。」
- と、言う。
- 私達と彼とは、血のつながりがあると言ってもしょせん親子ではない。
- そんなところへ行くと聞いた時も、「あぶないから行ってはダメ!」と、本気でとめるようなことはない。
- その点、息子の居場所に急行して救出した件といい、彼が現場から持ち物を掘り出そうとするのを必死になってとめたことといい、今回の地震で、私は叔母の意外な行動力にはとても驚かされ、そしてちょっと感動もした。
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- 今夜も服を着たまま床につきながらふと、年末・年始、そして先週の連休に行った北海道でのことを思い出す。
- 年末に泊まった宿では、オーナーが「地震に遭いませんでしたか?」と、聞いてきた。
- 八戸地震のことだと気づくのに時間がかかった。
- 本州から電車で北海道に渡る途中だった宿泊客が3人も出て、キャンセルが相次いだと言う。
- 私は飛行機で来たので地震の影響はまったくなかった。ただ八戸付近でかなり大きな地震があったという情報をかろうじて知っていた程度だった。
- 遠い地方で自分とは無縁のできごとが起きている・・・。
- 正直な感想だった。
- でも北海道の旅行客にもこんなに影響があったのは意外だった。
- その他にも、「地震の影響で宅急便で送ったスキー板が届かなかった」「足止めを食って北海道に1日遅れで着いた」などという人にも出会った。
- 新聞にも、「とまったままの列車の中で空腹のあまり持っていたおみやげを食べて飢えをしのいだ」と、いう記事が載っていて、なんて気の毒なと、思ったものだった。
- 今の状況に比べればまだまだ平和そうだ。列車なんていつ復旧するのかまったくわからない。食べ物なんておみやげがあるだけまし。
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- そして先週の連休、泊まった富良野の宿でオーナーを囲んで他の宿泊客と団らんしている時、地震の話が出た。
- 北海道は留萌という、奥尻島から比較的近いところに位置するところから来た女性は、
- 「ここのところ北海道で多いですよね。次は留萌だとも言われているんですよ。」
- と、不安そうに言った。
- 宿のオーナーは、
- 「僕は地震が嫌いでね、地震が起きたらまずお客さんのこと考えないといけなのにそれができない。この前の八戸のヤツの時もけっこう揺れてね、青くなって食堂に飛び込んだら東京からのお客さんが、『あ、地震だ。』『今揺れたねえ。』って平然とごはん食べ続けてるの。」と、驚いていた。
- 私は、
- 「その点関西は地震が来なくてねえ。ホント全然来ないんですよ。」と、なぜか少しいばって言った。
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- 今頃彼らは私の噂をしていることだろう。
- 「そういえば『関西には地震が来ない』なんて言ってた神戸の人がいたけどあの人どうしただろうね。生死すらわからないよ。」と。
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