赤絵雑感 11号  3ページ

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中 高 年 の 華・T さ ん

Tさんは、かって私が在籍していた業界の仲間で、出身は九州柳川、私より2歳年上の兄さん、丈は6尺あって映画俳優にしたくなるようなイケメンのがっしりした偉丈夫。チビな私は彼のそばでは一層めだってしまう。かれは、シャイな人で、自分のことをなかなか語りたがらないが、かって若かりしとき、三池炭鉱争議で組合側として闘いかく首(夫婦とも) 法廷闘争を長年闘い勝訴するというつわものだつたらしい。闘士らしからぬこころやさしい彼からは、片鱗もそれらしさ を感じさせるものがなかった。

気性はいたっておおらか、細事に拘泥しない大陸風大人の風格があった。なんでも見てやろうためしてやろうで、健啖家、美味しいときけば、われわれが辟易するところでも開拓、連れていく。お陰で随分珍しい食道楽もさせてもらった。 業界で気の合うTさんを中心とする3人組みで、東南アジア旅行をしたことがある。まだ中国との国交が回復されてない時代、最終地は台北を中心とする台湾だった。                                               
これがきっかけで、Tさんは中国に関心をもつようになり、帰国そうそう中国語を学習しだした。当時われわれは働きざかりの四十代、企業(3人とも教育事業)の中堅で多忙を極め、Tさんの学習もいつまでもつかと、悪いが冷やかし半分で眺めていたが、彼の学習意欲は中途半端なものでなく、3年間学校に通ったと思ったら、次は中国に留学するといいだした。それが定年前のことで、まだ体力、気力ともに余力があるときだからこそそうするのだと、いいのけていた。   

さて、留学先をどこにするかで、Tさんが狙いを定めたのが、北京市内にある「中央戯劇学院」当時大学はみな郊外に移転してしまい、この学校なら北京の市井にふれることができることと、それになによりも(以下は私の類推)この学校には中国中の美男美女が集まってくる魅力がある、との二つの理由で選んだ。

この学校には、映画・TV関係の人がよく訪れる。そこで、映画の関係者から目をつけられたのが
日本人離れをした 風格の彼、彼は、「北京電映」からスカウトされ、川島芳子を主人公とする「風流女諜者」という映画中、芳子の養父役(この男は大陸浪人の日本人)に扮した。 
 左は「風流女諜者」(北京電影)のVDT

この映画は完成したが、折からの「天安門事件」で封切りにまったがかかってしまった。「事件」で外務省の方針により在留日本人はほとんど本国に引き揚げてしまったが、「なんでも見てやろう」精神の彼は、そのまま踏みとどまり、「事件の推移をつぶさに観察したとのこと。まさにTさんの真骨頂のあらわれといえよう。諸外人が怖気づいて国外に脱出したのに踏みとどまってくれたことに、中国政府が感謝し、Tさんは行きたいところの国内旅行を官費でさせてもらったとのこと。

さて「事件」のほとぼりが冷めていよいよ封切りとなったなったとき、一時帰国していたTさんは呼び戻され、各地の封切館の舞台上から、監督、主演女優らとともに挨拶してまわり、それがでかでかと写真入で新聞に掲載され、一躍全国区の人気者となってしまった。

それが一段落した夏休みだったか、Tさんの帰省と映画完成を祝って、われわれ同業の仲間十数人が、新宿の行きつけのさるバーで歓迎会を催した。その折、Tさんの解説つきで、映画が上映された。Tさんの川島芳子の義父ぶりはなかなか堂にいったもので、チョビ髭を助平そうにつけ、みるからに大陸浪人風のぎらぎらした個性と好色な風貌をだしていたのには、たまげた。この養父が、こともあろうに芳子を犯すシーンがあり、なまなましい演技をTさんは好演(?)していた。酒精の下地もあって、合いのてで冷やかしの野次が乱れ飛んだことはいうまでもない。 

Tさんは、とてもシャイな方で、さしづめ日本なら映画出演なんて想像もできないお人柄だった。それが先ほど触れたように「なんでも見てやろう、ためしてやろう」のフロンティアスピリットに内奥が溢れていたので、如上の稀有の体験ができたのである。それも若くない60年代に実行したのだから、私は、当時この快挙を「中高年の華」として称揚したのである。Tさんの中国における愉快な冒険はまだまだつづく。(この項次号につづく) 


続・「高等数学をPoemにするとも」ーの意外な一面

前回、語り足りなかったことがあるので、ひとつだけエピソードを付け足す。
伊藤聖君の詩集の題名は前号に掲げた「数学科学生」とか「パスカル頌」はたまた「不完全性定理」とあるごとく、数学それも高等数学を、テーマといおうか題材にした頭が痛くなる難解な作品ばかりで、とてもじゃないが私の手におえるシロモノでない。この詩作から推し量りまた面と向かえば一見(?)端正かつ謹厳実直の風貌で、どんなにお堅い人物かと思うのだが、さにあらず、こんな一面があったことに、私は微笑ましくも頼もしく思ったことがある。


私がかって、某古書店のPR誌に「私小説風読書ノート」なるものを連載していたとき、第一回で、読者をひきつけようとの魂胆から、「ここまできた女性の性」と題して、女性が書いた某ポルノものをとりあげ、「真面目な」書評をこころみたことがある。いまから考えると、大西巨人ではないが「俗情と結託」しすぎたきらいがあるのをいささか反省するが、ふたりから反響があった。

ひとりは、いわずと知れた伊藤君、彼は、私の軟派路線文章を精読(?)したらしく感想と質問を寄せてきた。私の文中でポルノ作家の「「ディルド」とか「やおい」というその道の専門用語を解説なしで引用したが、彼の質問はそれについての解説を求めるものだった。私にはこれに応えるウンチクがなかったので、少しのちの号で経緯を紹介し「知っている人教えて」とsOsを発信したところ、山梨の女性読者からお便りがあり、それへの学術的な解説と、その種の本が置いてある本屋の紹介までしてくださったのには感謝感激、早速足を運ぶということをした。                     私は、伊藤君がつまらない私の文章を精読してくれたことに、いまさらのように彼の友情に感謝し、「堅物」の彼に、私同様の「スキモノ」のケを感じとり感銘、彼への畏怖がますます強くなった。ちなみに彼の詩は、高名な加藤周一氏から高い評価を得ていることを付け加えたい。(完) 

        
4ページ:21世紀は江戸時代