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杉原長盛の自刃

杉原長盛は義昭の近臣で、義昭が一乗院から脱出した直後に、和田に駆けつけた一人である。その義昭の忠臣であるはずの彼が、義昭の将軍就任後の永禄12年(1569)5月4日に切腹、その理由については当時から謎であった。いったい二人の間に何が起こったのか?ここで推理してみたいと思います。

著名な方々のご意見から

小説などではどう書かれているかもまじえて掲載いたします。

奥野 高広:『足利義昭』
「その原因は何もわからない」です(T_T)。

水上 勉:『流れ公方記』
義昭の身辺にいた重臣たちの確執離反が原因の可能性がある。信長と義昭の間にあって、義昭から離れた臣下(細川藤孝とかね)も多く、彼も悩んだ末の切腹かもしれないという推理です。

徳永 真一郎:『明智光秀』
信長に義昭の動静を通報していたため、切腹を申し付かったという筋書きになってました。

戦国群像:三楽堂さま
杉原長盛の自刃は、その年のはじめにあった将軍義昭を三好一族 が襲った事件に関連があるのではないかな?。 たとえば、三好方に通牒していた、という。それにしてもちょっと間隔が 空き過ぎているのが気になりますが・・・。 ありがとうございました!!


rig.lamの意見

この話は無視している小説もおおいです。だいたい本人が自発的に切腹したのか、義昭さまが命令したのかも分かってないようです。信長か三好に通じていたというのが妥当なところだと思いますが、意外と女にフラれたとかして発作的に自殺しちゃったのかも?(・・・なわけないか)

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