寛政重修家譜
七郎 式部少輔 號一遊齋。
天文六年式部少輔に任ず。光源院義輝はじめ義藤と稱せしとき、諱の字をあたへらるゝの旨書をたまひ、これより藤長と名のる。十三年義輝より領地を賜ひ、其後も凡三度加恩の地をあたへられ、其度々奉書をくださる。靈陽院義昭よりもしば/\書を贈り、織田右府、豊臣太閤、東照宮にいたりても書札數通を賜ふ。慶長元年四月九日死す。
系圖纂要
天文廿一年四ノ十三從五下式部少輔 天正九年三ノ○棄田邊城浪牢 文祿五年 卒
一遊齋
寛永諸家系図
七郎
天文六年、式部少輔に任ず。
剃髪して一遊齋と号す。
光源院義輝公はじめの諱ハ義藤なり。その時諱の字を給はる。御書これあり。
同十三年、義輝公領地をたまふ。後に加増をたまふ。四度の奉書これあり。
靈陽院義昭公より御書數通たまハる。今にいたりこれあり。
織田信長・豊臣秀吉書札をたまふ。
東照大權現御書をたまふ。いまに是を所持す。
文祿五年四月九日、死す。
岫雲院と号す。
斷家譜
式部少輔 号一遊齋
天文廿一年四月十三日従五位下、義藤卿賜一字、文祿五年丙申没、
*文祿5年=慶長元年