Isshiki Hujinaga

藤長の子孫

【一遊齋さまFC】

【一色家系図】

【藤長の家系】

【藤長の先祖】

【藤長の生涯】

【一色義喬】

【ノッてる藤長】

【藤長年表】

【藤長資料集】

藤長には、範勝という息子がいました。おそらく天正8年(1580年)前後に誕生したと思われます。
範勝は、一時期細川家にいたようですが、慶長16年(1611年)駿府の徳川家康に拝謁し、以後徳川幕府に仕えました。
おそらく、家康のブレーンとして活躍していた従弟・崇伝の力添えがあったのでしょう。崇伝の日記には、しばしば又七郎もしくは左兵衛(どちらも範勝のこと)と書状をやりとりしているということが出てきます(^_^)
そして、元和2年(1616年)勅使が駿府に参向したおり、光栄にも配膳を仰せつかったのですが・・・・
なんの恨みか、その役を彼が務めることに反対した御家人が。御父上の没落のとばっちりを受けて、無位無官であった範勝はふさわしくないっというのです。
しかし、この事を聞いた家康が

『一色家が名家だってことはみんな知ってんだから
ぜんぜん問題ないんじゃんっ

ととりなし、範勝は無事この大役を勤めることが出来ました。
(ありがとう。たぬきさん(T_T)。でも、ついでに官位をくれても・・・)

範勝はこの後も秀忠・家光に仕え、晩年は特恩をもって、従五位下式部少輔という先祖代々の官位を頂くこととなります。
藤長も草葉の陰で喜んだことでありましょう。

範勝の息子範親は家光に仕えて二千石を知行しましが、子息が無かったようで、妻の弟であった範供を養子としました。その後は長七郎という者(範永)が1歳で家を継ぎましたが、彼にも子が無く、ここに藤長の子孫は断絶しました。

また、「鹿苑日録」に、足利昌山の葬儀で昌山の位牌を捧持したと記録される宗朴がいます。彼は相国寺長老となりました。ほかにも何人か女子がいるようです。

藤長君、丹後で落ち着いてからお子さんができたんでしょうか・・・(^^ゞ

なお、藤長の息子として藤直という人が記録されている家譜もありますが、こちらは範満の弟(範貞)の子孫です。
おそらくどこかで混乱してしまったのでしょう。