Isshiki Hujinaga

藤長の生涯

【一遊齋さまFC】

【一色家系図】

【藤長の家系】

【藤長の先祖】

【藤長の子孫】

【一色義喬】

【ノッてる藤長】

【藤長年表】

【藤長資料集】

一色藤長は、幕府御供衆である一色式部少輔晴具の長男として生まれました。
藤長の生年は不明です。また式部少輔になった年代も文献によってずれがあるので、断定は出来ませんが、だいたい足利義昭や細川藤孝などと同年代であったと思われます。
ちなみに、藤長の妹桔梗ちゃん(仮名)は義輝の側室になって、お嬢さんを生んでいらっしゃいます('-'*)フフ♪

藤長は一色家の通例にしたがって、従五位下式部少輔に任じられ、13代将軍足利義輝の御供衆になりました。永録8年に義輝が暗殺されると、藤孝と共に、当時出家していた義輝の弟、覚慶を救い出し還俗させます。覚慶は名も義秋とあらため、征夷大将軍になるため各地を放浪。もちろん藤長も近江・若狭・越前とそれにしたがいます。義秋は越前で元服して再び義昭と名を改めた後、永録11年、美濃の織田信長のと共に上洛、15代将軍となることが出来、藤長も幕府御供衆に返り咲きました。

しかし、義昭が将軍として政治を差配することを喜ばない信長によって、元亀4年義昭は都を追われてしまいます。藤長はそれに従い再び流浪の生活へ。義昭・信長間の外交に尽力する藤長の努力は実らず(だって公方様ったらわがままばっか言うんだもん(T_T))、紀伊由良の興国寺で亡命生活を送ることとなります。

天正4年、毛利氏を頼って備後の鞆へうつった義昭一行ですが、何故か藤長は行動を共にせず、遅れて参上したため、義昭に怒られています。(なんで遅れたのかとっても気になる・・・・)
天正5年に、義昭の命を受け近畿地方に派遣されてますが、その後天正11年以降は細川忠興の興行する能会に必ずというほど出席していることから見て、細川家に身を寄せたようです。
もしかして・・・逃げた?

くわしくは藤長年表をご覧くださいねん♪