多神教の勧め
[ 1:軍隊における信仰 ]今から丁度 50年前の昭和 32年 ( 1957年 ) 当時、アメリカの海軍飛行学校で士官候補生( Naval Aviation Cadet )として学んでいた時のこと、毎週日曜日になると朝食後に アメリカ人学生は、プロテスタント、カトリック、モルモン、ユダヤ、その他のキリスト教系宗派 ( Other Faith Groups )に分かれて、基地内にある各教会へ4列縦隊を組んで日曜礼拝に行きました。我々日本人学生5名は入学時の提出書類の宗教欄に仏教徒と記入していたので、教会行進 ( Church Formation )は免除されました。
つまり海軍飛行学校では宗教行事である礼拝への参加が、学生に義務付けられていました。写真はアメリカの軍隊には必ず配属されている チャプレン ( Chaplain 、従軍牧師 ) の一人ですが、彼は海軍大佐の階級を持つていましたが宗教行事を司るだけでなく、人生の悩みなどの相談にも応じていました。
[ 2:信仰は、しつけから ]ワスプ ( W A S P、White ・ Anglo-Saxon ・ Protestant、白人種の英国系でしかも新教徒 ) が社会の主流である アメリカで、ユダヤ教徒ほどではありませんが、やや特異な眼で見られる カトリック教徒の、しかも アングロ・サクソン系ではない アイルランド人は、 白人種でありながら人種差別を受け続けてきた唯一の民族 であるといわれました。例の100万人が餓死した アイルランドの ジャガイモ飢饉 ( ききん、1840年代後半より、主食の ジャガイモ畑に疫病がまん延して不作が長年続き、大飢饉をもたらした ) の際に、 アメリカに 100万人ともいわれる移民が大量に移住してきましたが、彼等は貧しさゆえに馬鹿にされ、カトリック信仰のせいで嫌われ、不潔な アイルランド人として W S P からは無視されました。 禁酒法の時代に先祖が不正な手段で財産を作り上げたと ウワサ される ケネディー家の子孫から、 J. F. ケネディーが初めて大統領になりましたが、イギリスでは 「( 被支配民族である ) アイルランド人でも、アメリカに行けば大統領になれたと、アイルランド人と アメリカの両方を嘲笑しました 」。しかし ケネディー以後も現在に至るまで カトリック教徒の大統領は選出されていませんが、彼が テキサス州の ダラスで暗殺された理由の一つに、宗教を挙げる人もいました。 ある時一人の カトリックの学生に なぜ カトリックの宗派を選んだのか質問してみました。 その答は、自分の意志ではなく、「 親が カトリック教徒なので、赤ん坊の時に カトリック教会で洗礼を受けたからだ 」 ということでした。ちなみに彼は アイルランド出身者に多い 「マック、 M c 」 で始まる姓でしたが、 ハンバーガー・チェーンの マクドナルド ( Mc Donald 、英語の発音は 「 ダ 」 にアクセントを置いて マ ク ダ ノ ォ とすれば意味が通じ易い ) の先祖も、姓から判断すると アイルランドの出身者ではないかと想像します。 カトリック教会では伝統的に 幼児洗礼 がおこなわれていて、16世紀に宗教改革を行った 有名なドイツの宗教改革者の ルター(1483〜1546年 ) や、フランス人の カルビン ( Calvin、1509〜1564年 ) もこの伝統を受け継ぎました。つまり親が子供の宗教・宗派を決め、子供の頃から地域の教会に通う習慣でした。日本でも子供が産まれると初めて神社にお参りする 宮参りの習慣 がありますが、本来の意味はその土地の守り神である産土神 ( うぶすながみ )に赤ちゃんの誕生を報告し、氏子になったしるしに 神へのご挨拶をする意味でした。しかし現在では、子供の健やかな成長を願う行事に変化しています。
敗戦までの日本ではどんな山奥の村にも神社や鎮守の社 ( やしろ ) があり、前述の宮参りを初め、秋の収穫を祝う村祭り、七・五・三の祝い、入学、結婚、徴兵、兵士の出征などの人生の節目にはお参りして 「 しあわせ 」 や 「 武運長久 」 を祈願をしました。古来からの民族信仰を基に形成された神道は 「 氏神や、祖先神 」 などを祀る祭祀 ( さいし ) が重要視され、子供の頃から神に対する尊敬崇拝の気持ちが自然に日本人の心に植え付けられてきました。ところで日本の民族宗教である神道 ( しんとう ) には、 他の宗教とは大きく異なる点があります。
何事のおわしますかは知らねども、忝( かたじけな )さに涙こぼるるがありますが、日本人の神道に対する気持ちを見事に表現しています。
[ 3:我が家の場合 ]貴方は何の宗教を信じていますか? と聞かれたら、大部分の日本人は 「 仏教 」 と答えるはずです。しかし私自身の体験をいえば結婚式は神前結婚をして神主から御祓いを受け、巫女 ( みこ ) さんから三・三・九度の杯にお酒を注いでもらい、神主から渡された「 結婚の誓 」 を神前で読みました。
しかし両親の葬式は仏式でおこない 墓は故郷の栃木県にはなく、亡くなった父親が東京に住んでいた 昭和6年 ( 1931年 )当時に東京都府中市の都営多磨霊園に墓地を購入していたので、そこにあります。従っていわゆる旦那寺と檀家との関係が我が家には存在せず、両親の葬式の際には葬儀屋が手配してくれた禅宗の僧侶が読経に来ましたし、納骨、年回忌の際には墓地の清掃管理を委託している業者に依頼すると卒塔婆を用意してくれましたし、寺持たずの禅宗の フリーター僧侶が墓前に来てお経をあげてくれました。つまり 二度の葬式をしても、お寺に行く必要が全くありませんでした。ちなみに亡くなった母親は新潟県五泉市にある寺の娘で、それなりに信心深い人でしたが、その息子の私は親不孝なことに信仰心などはさっぱり持ち合わせていません。 二人の子供が小さい頃は毎年クリスマス・イブになると世間並みに メリー・クリスマスの丸い ケーキを買って帰宅し、寝る前には サンタクロースの代わりをして、眠っている子供の枕元に プレゼントの入った包みを置いたものでした。正月になると毎年 神社に初詣に行きますし、お寺に行くのは法隆寺、東大寺などの有名寺院を観光した時や、紅葉の季節には紅葉で有名な寺院に見物に訪れる時だけでした。 定年退職後には四国の霊場八十八箇所の札所巡りをしましたが、四国遍路は俗に 三こう と言われます。すなわち8割が観 「 光 」、2割が信 「 仰 」、1分 ( 1パーセント ) が健 「 康 」、つまり歩くのが目的です。四国遍路をする人は毎年 15万人いる と言われていますが、殆どの人は観光 バスや車で札所をまわり、1,200 キロの道のりを歩いて遍路をする人はその内の僅か、1 パーセント ( 1,500人 ) に過ぎません。
さらに 八十八番札所の大窪寺まで全 コースを歩き通す人は、そのうちの 1割〜3割 ( 300〜500人 ) といわれていますが、さいわいにも私はその内の 一人になりました。写真の遍路は歩き遍路ではなく、明らかに車遍路です。歩き遍路であれば必ず荷物を背負っていて、しかも毎日30キロ〜40キロの距離を歩くので、体はくたくた服装はよれよれ、 心はいつ遍路を止めて帰ろうかとの葛藤になりますが、そのうちに歩く事以外は考えなくなり無心の境地に近づきます。 私が1,200 キロを歩き通したのは信仰心があったからではなく、歩き遍路という目的に向けて鍛えた足と集中力 ( こだわり ) のお陰でした。男性の平均寿命まで残り4年 ですが、今後も生きている間は 仏教を含めて宗教のお世話になることは 無いと思います。
[ 4:日本に宗教同士の抗争は無かった ]日本人の国民性のひとつには、前述した民族宗教である神道のせいで宗教的寛容性がありますが、538年に百済から仏教が日本にもたらされてから、仏教受容派の蘇我氏と排仏派の物部 ( もののべ ) 氏の間で抗争がおきました。しかしその本質は仏教導入の是非を絡めた 豪族同士の政治的主導権争い であり、第31代 用明天皇 ( 在位585〜587年 ) の後継者争いにまで発展しました。室町〜戦国時代(1336〜1603年)に起きて各地で 90年以上も長く続いた、真宗本願寺派の 一向宗の僧侶や信徒対、守護大名、戦国大名との抗争である 一向一揆 ( いっこういっき ) は、時の 支配勢力対、信徒集団との抗争 でした。
さらに1637年に起きた島原の乱 ( 天草一揆 ) などは、禁制の キリスト教徒に対する支配者側の宗教弾圧であって、現代に至るまで世界中でみられるような異教徒同士による宗教抗争は、日本には存在しませんでした。右の絵は天草の乱の指導者、天草四郎 ( 1621〜1638年 ) で本名は益田時貞といい、16才で首領に擁立され幕府軍を相手に戦い、島原の原城に90日間籠城の末に死亡ました。 ところで江戸幕府支配下の日本については、強いていえば仏教が国教でしたが、明治元年 ( 1868年 ) に政府が神仏判然令を公布して神道の国教化を図り、祭政一致を目指して神道と仏教とを分離し、神宮寺などの神社から仏教色を一掃しました。 政府による神仏分離政策遂行の際に庶民をそそのかしたことから、彼等の間に 廃仏毀釈 ( はいぶつきしゃく )運動が起こり、各地で寺院、仏像、仏具の破壊や、経文、仏典の破棄がおこなわれましたが、その理由は江戸時代に寺院が封建支配体制の末端を担って キリシタン禁教に協力し、宗門改めなどにより民衆を抑圧したことに対する反動とする説もあります。しかし廃仏毀釈 ( はいぶつきしゃく )の騒動も明治四〜五年には終わりとなり、仏教信仰は依然として民衆の間に存続しましたが、国教の地位に復帰した多神教である神道の、宗教的寛容性によるものでした。 下表のデータは平成17年12月31日現在で、各都道府県知事に届け出のあった宗教法人の信者数。( 文部科学省 平成18年度 宗教調査統計 から )
敗戦までの日本の家庭では仏壇には ご先祖さまの位牌を供えて拝み、神棚には天照大御神 ( あまてらすおおかみ ) などの神様を祀り、台所には水神様や、かまど の近くには 「 火除け 」、「 火伏せ 」の神社の御札などを貼る家もありました。つまり仏様と神様とが一軒の家に同居することに国民は何の疑問も矛盾も感じませんでしたが、このことを日本人以外のキリスト教、ユダヤ教などの一神教徒、特にイスラム教徒が聞いたならば、非常に驚くに違いありません。なぜならイスラム教徒にとって宗教的義務の一つである一日五回の礼拝に際しては、「アッラー・アクバル ( 神は偉大なり )、アツラーの他に神なし 」 と一心に祈るからです。 したがって宗教的寛容性の有無を端的に言えば 「 複数の神 」 の存在を認める多神教を信じるのか、唯一絶対の神である 「 一神教 」 を信じるのか、という点にあります。自分達の信じる神以外の存在を決して認めない一神教では、必然的に 排他的になります。そしてこのような信仰を持つ者が世界では、キリスト教徒が19億人、イスラム教徒が10億人、ユダヤ教には1,300万人もいるのです。それ故に異なる宗教を持つ国同士が隣接するところでは、インド ( ヒンヅー教 ) と パキスタン ( イスラム教 ) のように、宗教的原因による対立や衝突が起き易いのです。 キリスト教の聖地 エルサレムを イスラムの異教徒から奪回する為と称して、11世紀から13世紀の200年間に前後7回にわたり遠征した十字軍 ( 第1回は、1096年 ) の昔から、現代の ユダヤ教徒と イスラム教徒による パレスチナ紛争に至るまで、異教徒同士の争いが絶え間なく続いています。 しかしすべての自然 に神が宿るとする アニミズム ( Animism 、精霊信仰 ) や、神霊、精霊、死霊などと直接交流して、占い・予言・病気治療に当たる シャーマニズム ( Shamanism 、呪術信仰 ) から発達し、次第に祖先神、氏神、国祖神を崇拝するようになった日本民族固有の宗教である神道 ( しんとう ) では、初めから複数の神々の存在から成り立っているので、たとえば朝鮮から渡来した仏教や、16世紀にフランシスコ・ザビエル(1506〜1552年 ) によりもたらされた キリスト教という外国の神といえども、排除せずに共存してきました。
最初に示した文部科学省の データ表によれば 1億7百24万人 であり、その違いの大きさに驚きますが、東京の明治神宮だけでも正月 三ヶ日間に初詣に訪れる人は、毎年300万人にも及びます。しかも彼等は神道の神主に勧誘されて来たわけでは決してなく、問題は何を以て神道の信者とするかの定義にあります。初詣に訪れた 300万人の大部分は、前述のごとく仏教との複数の信仰 ( ? ) を持つものであり、日本人の本質は古来から 宗教的寛容性 、あいまいさ を好むのです。写真は明治神宮の初詣。
[ 5:一神教の代表格、イスラム教西暦 610年ごろ 教祖 マホメットにより始められた イスラム教は、後に スンナ ( スンニ ) 派 ( 正統派 ) と シーア派 ( 少数派 ) の二大宗派に分裂しましたが、その聖典である コーラン ( Quraan ) とは 読み、誦 ( となえる ) もの の意味であり、キリスト教の聖書とは性格が異なります。その内容は マホメット ( アラビア語ではムハンマド ) が一神教の アツラーから受けた啓示を集録したもので、百十四章からなり、イスラム教の信仰に関することだけでなく、日常生活の規範をも示しています。イスラム教について私が初めて関心を持ったのは、昭和43年 ( 1968年 ) のことでした。当時 全日空では機長 パイロットの不足のために 30人ほどの外人機長を採用しましたが、ニュージーランド、アメリカ、イギリス、スイス、オランダ、ドイツ人に混じって、5〜6人の イラン、パキスタン、 アラブ人がいました。彼等は イスラム教徒でしたので、当然のことながら信者に課せられた 信仰告白、1日5回の メッカ礼拝、ラマダーン月の断食、喜捨、メッカ巡礼などの、5つの義務がありました。 当時私は パイロットの技量を審査する査察操縦士 ( Check Pilot ) として外人 パイロットの指導と審査に当たり、彼等と一緒に飛び機長として日本の空を安全に飛べるように指導したり、操縦技量の安全性について審査を担当しました。ところが イスラム教徒の パイロットは飛行機が地上にいる際に時間があると、飛行 カバンの中から礼拝時に床に敷く敷物を取り出して、 イスラム教の神と向き合う為に メッカの方向 ( キブラ ) に向かい、敬虔な イスラム教徒としてのお祈りを狭い機内でしていました。 最初は私も スチュワーデスもびっくりしましたが、彼等にしてみれば至極当然の行為だったに違いありません。 [ イスラム教の礼拝について ]
コーランによれば1日に5回の礼拝をすることが義務とされますが、日の出前の 「 暁の礼拝 」、正中 ( 太陽が真上に来る時刻 ) から始まる 「 正午の礼拝 」、午後の後半に当たる 「 夕刻の礼拝 」、日没後に行われる 「 日没の礼拝 」、そして 「 夜の礼拝 」 です。しかし実際は 「 正午丁度の礼拝 」 と 「 日出時、日没時 」における礼拝は、古代からの太陽神信仰と決別するために禁止されていました。時計がなかった時代には礼拝の時刻を個人が判断するのは難しかったので、モスクから礼拝の時刻を知らせることにしました。 一神教の ユダヤ教ではその当時 角笛を合図に使い、キリスト教は 拍子木を使用していましたが、その後は ユダヤ教では ラッパを、キリスト教では教会の付属施設に 鐘を設備し合図に使うようになりました。しかし後発した宗教の イスラム教では独自性を出す為に、肉声で 礼拝への呼びかけ を行うことにしましたが、これを アザーン ( Adhaan ) といいます。 イスラム教で アザーンをする係りとして最初に任命されたのは ビラールという解放奴隷でしたが、彼は美声でしかも大音声の持ち主でしたので アザーン係りに選ばれました。今では街の各所に設置された拡声器から、決められた時刻ごとに アザーンが流され礼拝 ( サラート ) への呼びかけがおこなわれますが、街なかでそれを聞くと イスラムの国に来たことを実感させられます。アツラーフ・アクバル ( アツラーは偉大なり ) という 四度の繰り返しで アザーンは始まり、「 礼拝に来たれ 」、「 人生とあの世での成功 ( または勝利の意味 ) に来たれ 」 と呼びかけ、最後には アツラーのほかに神なし で終わりますが、イスラム圏で本場の アザーンを聞いたことがない人は、アザーン の呼びかけ ( 3分間録音 )の再生を最初の部分と後は早送りにして 後半にある 北海道の江差追分 ( えさしおいわけ ) にも似た節回しの利いた アザーン を、お聞き下さい。
ところで人々に集会を知らせ時刻を知らせる教会の鐘に関して、以下のような話が最近ありました。
オランダの ティルブルフ 当局は、カトリック教会の神父に対して町の規則に違反したのを理由に、罰金 5千 ユーロ ( およそ 75万8千円 ) を課すことを決めました。問題の神父は半年前に町の カトリック教会にやってきて以来、毎朝 七時過ぎから大音量で鐘を鳴らし続けていましたが、地元住民は激怒し、苦情が当局に殺到しました。そこで町議会が協議した結果、神父に罰金を課すことに決めました。議会側の コメントによれば、
神父は好きなときに教会の鐘を鳴らしてもよい。しかし、 騒音規制法が許す範囲内 でなければならない。事実それは人々にとって、歓迎される行為ではなかったから。とありました。すると イスラム諸国の街で早朝より大音量で拡声器から流される、アザーン の音声はどうなるのでしょうか−−−?。騒音規制法の適用除外かも−−−−?。 その答は、 インシャアッラー 、 神の御心 ( みこころ ) のままに −−−−。
イスラム暦 ( ヒジュラ暦 ) では 第 九の月は ラマダ−ン ( Ramadan ) と呼ばれますが、イスラムの教典 コーランによれば、
信仰する者たちよ、汝 ( なんじ ) ら以前の者たちに定められたように、汝らに断食が定められた。とあります。断食の修行は イスラム教だけに限らず他の宗教にもあり、身近な仏教にも断食の行 ( ぎょう )があります。断食は神のために飲食を断ち、赦し( ゆるし ) を乞うものとされますが、同時に、貧しくて食べ物が無い同胞の為に、飢えの苦しみを理解することが目的とされます。ラマダーン月の断食に関しては日の出から日没までの間、食事どころか厳密には ツバ さえも飲み込んではいけないのだそうですが、イスラム世界で使用されている イスラム暦 ( ヒジュラ暦 )では太陰暦を使用するため、1年が太陽暦より約11日短いために、ラマダーンの季節は毎年繰り上がり移動します。 純粋な太陰暦なので月が満ち欠けをする朔望月 ( さくぼうづき ) を1ヶ月として、12朔望月を以て1年とします。したがって、1月1日は季節に対して毎年約11日ほど早まり、季節とは一致せず、そのずれは32年半ほどで一巡して、初めの季節に戻ります。イスラム暦は前述の ヒジュラ といわれる西暦 622年 の7月15日 ( ユリウス暦 、注参照 ) に、その年初である 紀元1年1月1日が始まりました。
注:) 前述の如く イスラム教徒が使用する ヒジュラ暦では ラマダーン月が移動するために真夏に ラマダーン月を迎えた場合には、砂漠の暑い地方では脱水状態になり大変な苦行になります。日本では当時の旧運輸省航空局の担当者が 1ヶ月も続く ラマダーンの絶飲食期間中に、イスラム教徒の機長が空腹、脱水状態で飛行機を操縦するのでは、飛行の安全性に重大な影響を及ぼすとして、その期間中の乗務停止案を検討するなど かなり心配していました。しかし、コーランにも、 ただし汝らのうちで、病気の者、また 旅行中の者は、いつか他のときに同じ数だけの日 ( を断食すればよい )、また、断食をすることが出来るのに ( しなかった ) 場合は、貧者に食物を施して償いをすること。( 第2章185節 )とあります。さらに10才以下の幼い子供、妊産婦、老人には適用除外があり、現代の解釈によれば、 乗り物などの運行に従事する者は 、ラマダーン期間中でも絶飲食しなくても良いのだそうで、この問題は解決しました。
[ 6:1夫4妻制度と、ジハード ( 聖戦 ) ]コーランによれば、
汝らのうち独身の者、そして汝らの奴隷のうち良き者は結婚しなさい。もし彼等が ( 結婚できないほど ) 貧しければ、アツラーが彼等を恵みによって豊かにするであろう。( 光章32節 )イスラム教の攻撃性を示すのによく用いられる言葉に 「 コーランか剣か 」 あるいは、「 右手にコーラン、左手に剣 」 がありますが、その意味は イスラム教に 改宗するか、死ぬかであり、「 信仰か戦争か 」 と解釈されることもあります。イスラム教の勢力拡大には武力が使われ、アラビア半島を統一したこともあり、異教徒との戦闘には当然多くの戦死者も出ましたが、その家庭には 未亡人と子供が残されました。 イスラム社会で夫を失った女性、父を失った子供を誰が育てるかという 社会保障的な問題に対する答が、1夫4妻制が制定された本来の理由でした 。 ジハード ( 聖戦 ) とは向こう見ずに命を投げ出すことではなく、イスラム共同体を防衛するための奉仕であり、その結果としての戦死によって残された家族を救うことも、イスラム社会の重要な役割でした。ちなみに パレスチナにおける自爆 テロ実行犯の家族に対しては、某産油国から 1万 ドル ( 110万円 )の賞金が支給されるという ウワサがありますが、これは数年分の年収に相当する額といわれています。
[ 7:イスラムの攻撃性と破壊 ]イギリスの作家 サルマン・ラシュディ が執筆した 「 悪魔の詩 」 を日本語に翻訳した、筑波大学の五十嵐一助教授 ( 当時44才 ) が、平成3年 ( 1991年 ) に 大学構内で、何者かによって刺殺されました。問題の本 「 悪魔の詩 」 は、イスラム教に対する侮辱であるとして イスラムの少数派である イラン・シーア派の最高位の イスラム法学者であった 大 アヤトラの称号を持つ ホメイニ 師から、執筆者の ラシュディや出版関係者に対して 「 死刑宣告 」 の声明が出されていました。死刑宣告された ラシュディは、イギリスの警察当局に24時間身柄を保護され、一方、イタリアでは 「 悪魔の詩 」 の イタリア語翻訳者が、イラン人と名乗る男に襲われ重傷を負いました。そこで日本でも地元警察は、五十嵐助教授に対する保護を申し入れましたが、五十嵐助教授はこれを拒否し、無警戒の生活を送っていました。現在も犯人は逮捕されていませんが、シーア派の イスラム教徒によって処刑されたという見方が一般的です。コーラン ( 5章82節 ) によれば
汝は ( イスラム教の )信者に対してもっとも激しい敵意を抱いているのが ユダヤ教徒と 多神教徒であること に気が付くであろう。とありますが、日本人による N P O 活動などの 独りよがりの善意など 、イラクや アフガニスタンでは通用しないことに注意しなければなりません。コーラン ( 5章51節 )によれば
信ずる友よ、 ユダヤ教徒やキリスト教徒を友としてはならない 。彼等はおたがい同士だけが友である。汝らの中で彼らを友とする者がいれば、そのものは 彼らの同類である 。神が無法の民を導きたもうことはない。つまり異教徒と仲良くすることは、裏切り行為だとしているので、イスラエルとパレスチナ住民が仲直りすることは、コーランの解釈上は あり得ません 。 釈迦により仏教が始められたのは紀元前5世紀の インドでしたが、現在の インドには仏教の建造物はほとんど残っていません。釈迦が最初に説法した サルナート は、仏教徒にとっては一大聖地ですが、そこに残っているのは、イスラム教徒により破壊され尽くした僧院の跡だけです。シルクロード沿いの仏教遺跡についても イスラム教の勢力下にあったところでは、石像の顔は削り取られ、壁画の顔は塗りつぶされてしまいました。 タリバンが アフガニスタンにある バーミヤンの石像 破壊を予告した時も、国連の ユニセフなどが必死に計画中止を訴えたにもかかわらず、彼等は ダイナマイトで完全に破壊しました。 イスラムの支配する土地に異教徒の聖地が存在することを許さなかったからでした。 他宗の石像破壊は キリスト教徒もおこないました。エジプト各地の古代神殿には無傷なものが一つもないのは、紀元2世紀に エジプトで独自に発展した キリスト教の東方諸教会の一派である コプト ( Copts )教徒や 、初期の キリスト教徒が巨大な神像、神殿を破壊したからでした。
[ 8:原理主義 ]ファンダメンタリズム ( Fundamentalism ) といえば現在では多くの場合 イスラム教の原理主義を指し、イスラムの 「 武装過激組織 」、「 テロリスト 」、「 反近代的伝統派 」 などを連想させます。しかしこの言葉が最初に使われたのは、二十世紀初頭の アメリカでした。米国の プロテスタント系信者の一部が、ファンダメンタルズという雑誌を発行して、その中で 聖書の記述にある「 創造主 ( 神 ) が全てを作り賜うた 」 を堅く信じ、進化論や地動説の否定 を主張しました。現在でも原理主義は イスラム教だけに存在するのではなく、これと対立する ユダヤ教や キリスト教にも原理主義的な考えが存在します。たとえば アメリカでは妊娠中絶を認めることは女性の 基本的人権に含まれる選択権の行使だとして中絶容認派もいれば、神が人間を創造したとする宗教的理由から、妊娠中絶の絶対反対を主張する立場の人もいます。両者は議論するだけに留まらず、妊娠中絶を施した産婦人科医を射殺したり、中絶反対派の集会に賛成派が乱入し暴力を振るい乱闘騒ぎも起きました。いずれの グループも、 自己の正当性 だけしか認めない主義だからです。 欧米諸国で最近高まっている捕鯨反対運動も、昭和61年 ( 1986年 ) 以降20年以上も続く モラトリアム ( Moratorium 、捕鯨の一時停止 ) の効果により、IWC ( 国際捕鯨委員会 ) の調査では クジラの資源が確実に増えているにもかかわらず、 知能の低い牛や羊、カンガルーはいくら殺しても良いが、 知能の高い クジラ はかわいそう だとする自分達の独善的価値観、ご都合主義を押し付ける原理主義のひとつです。それは黒人奴隷、有色人種は殺しても良いが、白人は殺してはならない。ユダヤ教徒は殺しても良いがキリスト教徒は殺してはならない、とする 身勝手な 判断基準の設定 と同じでした。 オーストラリア、アメリカは日本を標的にして反捕鯨運動をしていますが、彼等にとって 日本が最大の 牛肉の輸出先 である ことも、考慮する必要があります。
捕鯨反対に急先鋒の オーストラリアにおける過去の歴史をみれば明らかですが、メルボルンの南にある タスマニア島に住んでいた 先住民 4千人を 19世紀に入植した イギリス人が虐殺し、住む土地を奪い全滅させましたが、オーストラリア本土に住む先住民の アボリジニ ( Aborigine ) 30万人についても 、 20世紀初頭まで、 野蛮人は野生動物であるとみなして 、驚くことに銃による 狩猟の対象 にして虐殺し 、絶滅の危機に遭わせました。これこそが彼等の主張する 「 鯨が かわいそう 」 とする原理原則の 本質 なのです。 写真で アボリジニ が左手に槍と一緒に持つ ブーメラン は、彼等が発明した狩猟 と祭祀の道具です。
原理原則については日本の同じ仏教であっても、静岡県富士宮市の大石寺を本山とする日蓮正宗 ( しょうしゅう ) と創価学会のように、どちらも日蓮上人と法華経を教義の中核に置きながら、「 宗教の原理 」 が異なるので組織的に互いに反目しあい、創価学会の 信徒代表であった 池田大作は、日蓮上人の教義・法門を根本的に逸脱し、自らが信仰の対象になろうとしたとして、平成3年に日蓮正宗本山から創価学会と共に破門され、信徒を除名されました。 ところで井上順孝 ( のぶたか ) の著書 「 宗教と民族 」 によれば、原理主義とは、原点主義、原典主義、減点主義という 三つの ゲンテン から成り立つのだそうです。
[ 9:改宗、Conversion ]私は信仰心に欠けていますが、そのことが自分にとって少しも苦にならず、日常生活に何の不便もないし、精神生活の貧しさを感じたことなどありません。まして創価学会が宣伝したように、ご本尊さまを信心すれば病気が治るなどとは決して思いませんし、宗教が勧誘、脅しの道具に使用するところの、あるかどうかも分からぬ死後の世界 ( 天国や地獄 ) への行き先に不安を感じたり、思い悩むことなど全くありません。 私の生活信条は、なるべく 他人に迷惑を掛けないようにすること だけです。
私にとっては理解できないことは、崇高なる神を信じ敬虔な祈りを毎日5回も捧げ、あるいは毎週のように教会に行き聖書の教えにもある 汝の隣人を愛せよ の教えを受け入れる者たちが、宗教によって教唆 ( きょうさ、そそのか ) され、自分と異なる宗教を信じるという理由で異教徒を敵とみなして殺し、あるいは シーヤ派と スンニ派の同じ イスラム教徒同士でも、血で血を洗う残酷な戦いや、自爆 テロを飽きることなく繰り返していることです。
争いの中で愛する者を失った悲しみから何かを学び取るのではなく、むしろ 復讐の炎を燃え立たせ、より以上に争いを拡大して悲しみを何倍にも大きくしています。 さらに言わせてもらえば、一神教を信じることにより、人々がより不幸になる現実が世界各地で起きていることに矛盾を感じています。そこで 名 ( 迷 ) 案を考えました。
そうすれば 八百万 ( やおよろず ) の神々を崇拝する神道の寛容性により、くだらない 宗派間の対立や抗争も消滅し、 ジハード ( 聖戦 ) で殉教すれば、天国で 74人の処女が貰えることが約束されている イスラムの自爆 テロも激減し、世界がより平和になるに違いありませんが、この考え方は どうでっしゃろか−−−?。 それに対する答は、インシャアッラー 、 神の御心 ( みこころ ) のままに−−−−。
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