在日は、徴用(彼らが言う強制連行)の被害者ではない日本に住む在日は彼等が主張し偏向マスコミが宣伝するように、戦時中に朝鮮(半島)から徴用(強制連行)されて来た被害者やその子孫なの でしょうか?。
[1:私の主張] 東京における戦前の生活体験、及び朝鮮人(半島出身者)に関する人口統計資料の検証結果から、それは事実ではないことを確信しました。即ち徴用(強制連行)により日本に来た者は敗戦直後に99パーセントが帰国してしまい、現在日本に住む在日は徴用(強制連行)とは無縁の者達(以下、その子孫を含む)です。 彼等は太平洋戦争開始のずっと以前から既に日本に移住し、生活基盤を確立していて、敗戦後も帰国せずに日本残留を希望した者達と、戦後の密入国者です。つまり自らの意志で日本に来た者達であるという事実を明確にしておきます。 戦前、戦中、戦後にかけて日本に居住していた朝鮮人の数については、種々の説があるものの、この種の出版物にあり勝ちな偏向性が少ないと思われる、朝鮮史研究会編集による「朝鮮史入門(三省堂)」から、本の191頁にある 数字を引用します。 それ以外の人口統計資料についても統計年度の違いや、数字に多少の違いがあるものの、敗戦後も日本に残留し続けた在日の人口は 、戦前の朝鮮人の人口とほぼ同じでした。なぜそうなのか、その理由を説明します。
[2:昭和十年に62万人も日本にいた朝鮮人]人口統計によれば昭和十年(1935年)当時の日本に、62万人を超える朝鮮半島出身者が居住していたことを皆さんは御存じでしたか?。いわゆる在日が強制連行と呼び、正しくは徴用が行われたよりも遙か以前の話ですが、貧しかった朝鮮半島から多数の朝鮮人が今と同様に豊かな日本にカネや仕事を求めて移住していたのです。今回の立証になぜ昭和十年当時の人口統計を基準にしたのかといえば、昭和六年(1931年)に満州事変が起きたものの、昭和十二年(1937年)の日中戦争開戦前であり、国家総動員法(昭和十三年)による朝鮮人労務者内地移行に関する件を内務省が発令する以前の段階だったからです。つまり当時日本にいた朝鮮人とは、自分の意志により来日した留学生か仕事を求めて来た労働者達だけでした。
その差を見る限り帰国者数が21,328人少なくなっていますが、これを徴用(強制連行)による人口増加分との比率で見ると僅か 1.2パーセントにしか過ぎません。これには例外的に日本に残留した者や死亡者が含まれており、また混乱期における統計誤差 もあると思われます。従って たとえ徴用(強制連行)された者が日本に残留したとしても、その割合は1パーセント以下に過 ぎなかったということです。 悪逆非道(朝日新聞の表現)な官憲により無理矢理日本に連行され、そこで劣悪な条件下で強制労働をさせられたと称する人達が、 敗戦後強制労働から解放されて自由になり、しかも前述の如く帰国の旅費や荷物の送料が数百キロまで無料なのに、地縁、血縁もなく、言葉も通じない日本に留まるでしょうか?。 それは刑務所で服役し刑期を終了した囚人達が、その後も刑務所内に留まるのを希望するかどうかを考えれば、おのずと分かることです。
徴用(強制連行)されて来た人達には敗戦後の日本に留まる理由が全く無く、例外を除き殆ど全員が帰国したと考えるのが最も合理的であり
、説得力がある答えです。「在日は強制連行による被害者である」と主張する者達は、戦前から日本に移住して
いた62万人強もの朝鮮人の存在を全く無視しています。
そして敗戦後も引き続いて日本に残留したこれらの者を、全て徴用(強制連行)で日本に連れて来られた被害者であるとする、
虚偽の主張を繰り返しているのです。
[3:徴用について]![]() 昭和13年(1938年)に国家総動員法が公布され、それに基づく国民徴用令(昭和14年勅令第451号)によって、十六歳以上五十歳未満の男子日本国民で、次に該当する者を除き全て徴用の対象になりました。戦時中の労働力確保のため、不要不急な職業例えばサービス業、商業、一般会社員、学生などは軍需工場などで本人の意志とは無関係に戦争に勝つ為に労働に従事させられました。
写真は学校で勉強する代わりに工場で働く女学生(女子中学、女子高生)ですが、当時国民学校(小学校のこと)五年生で東京から長野県の山中の寺に学童集団疎開した私達でさえも、労働力不足を補う為に出征軍人の家庭や戦死した遺族の家に行き、勤労奉仕と称して勉強もせずに稲刈り、麦刈りなどの農作業を行いました。当時は戦争遂行の為に以下を除く日本人全員が徴用されたのであり、日本の領土であった朝鮮の住民も当然例外ではありませんでした。 在日が強制労働させられたと主張するのであれば、その当時の日本人全員も勝つために同じように強制労働させられたということです。戦争遂行の為に植民地住民を徴用することは、欧米諸国も実施していて、それは国際法違反ではなく、東京裁判でも問題になりませんでした。
[4:在日研究者のずさんな論文]近年ある在日朝鮮人の研究者が徴用(強制連行)について論文を発表し、在日の中で強制連行された者が占める割合は 一割程度であると述べましたが、その数字の根拠は聞き取り調査 によるものでした。私から見れば調査の方法自体が客観性に欠け、しかもデータの検証が無く、学術論文としてはあまりにも幼稚、拙劣で、論文の名に値しないものといわざるを得ません。例えば調査対象となった在日が徴用(強制連行)によって日本に来たと答えた場合に、いつ、どのような方法で日本に連行されて来たのか、などの事実確認の具体的な裏付け調査を全くせず、単に本人の答を うのみ にしただけでした。在日は徴用(強制連行)の被害者であると長年主張 してきた朝鮮総連や、韓国居留民団の加入者やその同調者でなくても、在日にとって有利な答えとは何かを考えれば、偽って答えた人も十分予想されたはずです。 客観性が無く学術的批判に到底耐えられない 「 ずさんな方法 」 で集めたデータを基にして、論文を書いた在日研究者(?)の知能程度が疑われますが、彼が客観的で説得力がある人口統計資料を全く使用しなかった理由は、在日の徴用(強制連行)に関する従来からの虚偽の主張が、それによって暴露されるのを恐れた為だと思います。
[5:敗戦後も日本に残留した理由]では戦前から日本に居住していた在日が、前述の如く敗戦後もなぜ日本に残留したのでしょうか?。その理由は敗戦直後の朝鮮半島では国も未だ独立せず ( 韓国、北朝鮮とも昭和23年、1948年に独立 )、政治的、社会的に大混乱の最中にありました。暮らしが貧しく生活基盤の無い朝鮮半島に帰るよりも、住み慣れて生活基盤もある日本に居住し続けることが生活の安定や、子供達の将来につながると判断した結果です。敗戦直後に朝鮮に帰ってはみたものの、祖国の政治的混乱、放火、略奪、強盗の横行などに絶望し、再び日本に舞い戻った者達が大勢いました。統計資料によれば昭和二十一年 ( 1946年 ) には年間で 17,733人 が密入国の罪で警察に逮捕されましたが、密入国に成功した者はその何倍もいたと推測されます。 その後も昭和二十年代から三十年代にかけて、日本でのより良い暮らしを求めて、あるいは朝鮮戦争の戦火を逃れて、朝鮮半島から密航船で日本へ密入国を図る者が多数いましたが、彼等にとって日本での民族差別など、より良い生活の為には少しも考慮に値しないことでした。その当時日本海側の海岸や鉄道の駅などには、不審な船や人物を見たら警察に通報して下さいという看板やポスターが目立ちました。
[6:帰化の原因、偏向マスコミが決して報じない韓国での 厳しい同胞差別]最近では在日の人口は約60万人前後といわれていますが、毎年約1万人の在日が日本に帰化しています。 その理由は
祖国での冷たい仕打ちを知るにつけ朝鮮半島の国籍は彼等にとって最早心の寄り所ではなく、不自由な思いをしてまでも外国籍を保持す る理由がなくなったからです。
注:1) 植民地時代(1910〜1945年)に日本に来たという人で、むりやり連れてこられたという人を私は知らない。在日は徴用(強制連行)によって日本に来た朝鮮人とその子孫だと書いてある本を読んで驚いた。少なくとも私の周囲には、仕事をしに日本へ渡ってきたか、朝鮮戦争を逃れて来た人しかいない。とありました。
注:2) 明確な説明をお願いします。
注:3)
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