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学童集団疎開当時、昭和19年 (1944年)秋![]()
58年後の風景 (平成14年春、撮影)![]()
歳月人を待たずという諺がありますが、その当時11才 ( 小学五年 )でした私達も平成14年には数え年の 70才となり、昔でいえば古希を迎える年齢となりました。
先生もすでに亡くなられ、画面中央にいた先生の子供 ( 当時五才 )も、その後静岡県内で中学校長を勤め、数年まえに退職しました。 下の写真は当時と同じ室賀峠への分岐点で撮影したものですが、その頃は無かった電柱が立ち並んでいました。 疎開当時には、ここから先の部落には未だ電気が来てなくて、 灯油ランプの生活 をしていましたが、電気が来たのは昭和30年 ( 1955年 ) 頃のことでした。この部落に限らず その当時の日本には、電気のない不便な生活を送る人達が全国に大勢いました。 かつては背丈を超える 「 カヤ 」が一面に生い茂っていた場所には家が建ち、野菜の配給などを受け取りに荷車を押しながら通った道、冬の教室で使用する薪ストーブの燃料用に、山から切り出された原木を、縄で曳きずりながら皆で学校に運んだ道は、拡幅され、舗装されて自動車が通れるように変わっていました。 山の樹木も過ぎ去った歳月を示して、遠くの峰を隠すまでに伸びていました。
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