農地改革(農地解放)
[ 1:農地の再配分 ]敗戦直後、連合国軍総司令部 G H Q ( General Head Quarters ) の指令に基づき、農村における封建的社会制度を打破するために、 昭和22年 ( 1947年 )から昭和25年 ( 1950年 )まで 、3年間かけて、 農地改革 が行われました。その要点としては 政府が下記に該当する農地を、地主から 安い価格で強制的に買いあげた後に 、それをこれまで地主から借りて耕作していた小作人に安く売り渡す制度でした。即ち土地を持たなかった小作人に、土地を持たせる自作農家の創設です
これにより昭和26年現在で 198万7千町歩( = ヘクタール 、ha ) の農地を国が地主から買い上げて、土地を耕していた小作人に売り渡しました。その結果何百年も続いてきた農村の地主、小作制度は完全に崩壊し、自作農の数は農地改革以前の 284万戸 から 541万戸 へと飛躍的に増加しました。 この改革は、旧来の農村社会の仕組み、秩序、慣習を根本から変更する 「 土地( 富 )の再配分 」 であり、 農村革命 ともいうべきもので、占領軍の指令という強力な外圧があって初めて可能になりました。
[ 2:日本一の大地主、本間さま ]と江戸時代から歌にまで歌われた山形県酒田の 本間家 は、北前船の船主として寄港地交易で財を成し、後には豪商 ( 多角経営者 ) として鶴岡藩の藩主、酒井家をはるかに凌ぐ経済力と巨万の富を保持するようになりました。 しかし戦後の農地改革により 日本一の大地主 本間家も、所有していた 3千町歩( = ヘクタール )の農地の全てを失いました。 この土地改革は農地に限られていて、山林の土地に関しては手つかずのため、当時東京に住んでいた日本一の山林王 ( 地主 )の土地は依然そのままでした。 地主階級の中には農地改革により地代の現物収入の途を失い、戦後の インフレ経済の中で没落して行った者もかなりいました。しかしその反面、特に都市近郊の旧小作人の中には、タダ同然の安い価格 で地主から購入した土地を、その後の高度経済成長期やバブルの時期に高騰した価格で売却する事により土地成金になり、億万長者となった者もかなりいました。 かつての農村で、地主階級の家かどうかを簡単に見分ける方法は、屋敷内の米倉 ( 土蔵 )の有無 でした。自分で食べてゆくのがやっとの自作農や小作農家にとっては、土蔵は無縁のものでした。
[ 3:その功罪 ]小作人が極めて安い価格で農地を手に入れることができて、その結果自作農が大幅に増えたことは結構なこととされました。これを経済的・経営的な見地からみれば、 大規模農業の細分化 に過ぎず、農業経営が著しく非能率的なものになってしまったことも、また事実でした。その後政府も農民も細分化された農業経営にこだわり続けた為に、 日本の米作農家は国際的競争力を失い 、毎年莫大な税金の投入によって保護せざるを得なくなりました。 その原因は日本の政治が消費者ではなく、農民の方を重視してきたからであり、 農業を 産業にする のではなく、 家業にすること に専念したからでした。
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