大麻について
[1:大麻取締法違反]新聞報道によれば( その1 )ここで注意すべきことは大麻と麻薬の関係についてですが、大麻の麻 ( あさ )の文字は、麻薬の麻 ( ま )と同じなので一見関係がありそうに見えますが、実は全く関係がなく、 大麻は 麻薬 の部類には含まれません。参考までに[大麻取締法]の条文によれば、
第一条 この法律で 「 大麻 」とは、大麻草 ( カンナビス・サティバ・エル ) 及びその製品をいう。ただし、大麻草の成熟した茎及びその製品 ( 樹脂を除く。 )並びに大麻草の種子及びその製品を除く。とありますが、大麻とは 「 アサ科 」の 「 カンナビス属・サティバ種、( Cannabis sativa L ) 」という意味です。エルとあるのは近代植物学の学名の基礎を作った、 カルロス・リンネ ( 1707〜1078年 ) という植物学者の名前の頭文字で、彼が命名した大麻の植物分類学上の名前に付けたものです。 比較のために [ 麻薬 取締法 ] の条文を示します。
( 目的 )とあります。 同じような二つの法律の第1条を比べると違いが分かりますが、 大麻取締法には法の「 目的 」が書いてなく、具体的には麻薬取締法のように「 保健衛生上の危害を防止し、もって公共の福祉の増進を図る 」などとは条文のどこにも書いてないのです。 なぜでしょうか?。
[ 2:敗戦までは農家が、大麻を自由に栽培していた ]![]() 私の故郷である栃木県 ( 古代の名は下毛野国、「 しもつけのくに 」、そこから下野、「 しもつけ 」になる )の、下都賀 ( しもつが ) 地方は平安時代から麻の栽培がおこなわれていて、律令制の租税の一つで地方の特産物を中央に納めさせた調 ( ちょう ) に、麻 ( あさ ) 布を納めた記録がありました。明治時代から栃木県の麻は 「 野州麻 」 という名称で出荷され、麻の生産量では 昔も今も ( 後述 )日本一なのだそうです。麻 ( あさ ) は大麻 ( たいま )ともいいます が成長が早い一年草で、英語では Hemp、中央アジアの原産といわれています。日本では縄文時代から麻の繊維を衣服、縄、紐、などに利用してきましたが、麻には種類によって繊維用、薬用、油脂用の三種類があるそうですが、私が子供の頃から知っていた麻とは父の実家の周囲の広い麻畑で栽培していたもので、繊維を採るためのものでした。
[ 3:麻の栽培と繊維の採り方 ]![]() 春に畑に種をまけば、ろくに手入れをしなくても成長が早い麻はどんどん成長して行き、大人の背丈以上にも成長し 120日前後には収穫できました。一説によれば忍者の訓練には麻を使い、成長が早い麻の上を毎日飛び越えさせて ジャンプ力を養っていたそうですが、二メートル以上にも伸びる麻を 「 走り高飛び 」 で越えるのは大変だったことでしょう。七月〜八月の酷暑の最中に麻の収穫をしますが、その際には 「 麻切り包丁 」 と呼ばれる刃物で麻を切り取りました。収穫した麻の葉や根に近い部分を切り落として束にします。 農家の庭先で 「 舟 」 と呼ばれる鉄製で長さ 2〜2.5メートルの半筒形をした湯槽に水を張り下で火を焚き沸騰させ、収穫した麻の束を短時間熱湯に漬けますが、暑い季節に火のそばでの仕事は農民にとって重労働でした。熱湯に漬けることで麻の茎から皮がむけ易くなり、繊維が丈夫になります。それを天日に数日間干してから皮を剥ぎ、表皮の余分な物を落しながら薄く伸ばし、家の中で乾燥させます。更に ゴミなどを取り除き繊維の形を整えてから麻問屋に出荷しました。私が子供の頃はその地方の物産の集散地でした栃木市の通りには、麻問屋が何軒も店を構えていました。
麻栽培の大敵は雹 ( ひょう、Hail stone )です。北関東の山岳地帯 ( 日光連山 に近い栃木県の下都賀 ( しもつが ) 郡、上都賀郡地方は、五月から八月にかけて、寒冷前線に伴う界雷や夏季に多発する熱雷により時には雹 ( ひょう )の被害を受けますが、俗に「 夕立は馬の背を分ける 」という諺があるように、僅かな場所の違いで雹 ( ひょ う) の被害を受ける所と受けない所ができます。雹 ( ひょう ) に見舞われた所では畑の麻が全滅しても、道を隔てた隣の畑の麻は全く被害を受けないという場合もありました。 地元の農民たちは雹 ( ひょう ) をもたらす雷に敬意を払い、雷様 ( らいさま )と呼び恐れていました。右側の写真は市街地に降った雹 ( ひょう ) の様子ですが、これが麻畑であれば葉が落とされ、茎が叩かれて麻は全滅したことでしょう。
[ 4:灰式カイロ( 懐炉 )]懐炉 ( カイロ ) といえば最近は「 使い捨てカイロ 」のことですが、私が子供の頃は 「 カイロ灰 」を燃料とする 灰式( はいしき ) カイロ を使いました。商品にする麻の皮 ( 繊維部分 )を剥ぎ取った残りの茎の部分を 「 おがら、苧穀 」と呼びますが、「 おがら 」 の最大の用途は、 「 カイロ灰 」 の原料でした。最も安価で、しかも大量供給が可能な大麻の茎である 「 おがら 」 が古くから利用されましたが、柔らかく燃え易い 「 おがら 」 を蒸し焼きにして木炭にし、その粉末に 「 わら灰 」 などを少量 加えると共に燃焼を助ける為に微量 の硝石を加え、紙袋詰めや練り固めて棒状にして使いました。燃料となる カイロ灰 一本の重さは約 5 グラムで総発熱量 は 三十キロ カロリー 程度ですが、熱を逃がさぬように利用するため、この熱量で五〜七時間熱を保ちました。
高校生の頃には通学路に 「 おがら 」を焼いて 「 カイロ灰 」を作る工場があり、そこでは製品の 「 カイロ灰 」を漏斗 ( じょうご ) で写真の袋に詰める作業を人手でおこなっていました。紙袋に詰めた燃料の 「 カイロ灰 」 を更に丸い棒で突き固めますがその際に出る「 トントンという音 」 から、地元ではこの仕事を 「 トン突き 」 と呼んでいました。一本いくらの出来高払いの低賃金と、劣悪な労働環境で働く 「 トン突き 」をする女性たちの顔は、「 カイロ灰 」 で常に真っ黒でした。写真の左端に点火すると、じわじわ燃えて熱を供給します。
懐炉の容器は金属製の長楕円形の平型で、懐中に入れ易く、蓋をすると燃料の カイロ灰を動かぬように固定する支えがあり、空気の流通するように全表面 に多数の通気孔があり、これに体裁よく布を張って外形を整えています。懐炉灰は軽くもみほぐしたり、縫針でところどころ刺したりすると空気の流通 がよくなり、燃えやすくなります。
栃木県にある高校に私が入学したのは昭和24年 ( 1949年 )でしたが、冬の北関東の朝は常に零度以下まで気温が下がり、敗戦後のために隙間風が入る ボロ校舎でしたので暖房が無い教室で ノートを取るには学校に懐炉を持参し、手を温めながら ノートを取ったのを覚えています。昭和23年の大麻取締法成立により燃料となる「 おがら 」 の供給が絶たれた為に、灰式 カイロは絶滅に近い状態となりましたが、代わりに燃料として揮発油 ( アルコールや、ベンジン ) を使う白金 ( ハッキン )カイロが使われるようになりました。着火方法が マッチから乾電池使用となり便利になりましたが、白金 カイロとは火口 ( ほくち )にある白金の触媒により、本来高温になるべき酸化熱反応が低温に抑えられ、さらに長時間にわたり反応を持続させることが可能になりました。 その後昭和54年 (1979年 )から 「 ホカロン 」などの 「 使い捨てカイロ が発売されるようになりましたが、参考までに鉄の酸化還元熱を利用した 「 使い捨てカイロ 」 の成分例を挙げますと、 鉄粉 ( 63% )の他に触媒として、水分 ( 15% )、食塩 ( 3% )、木炭 ( 炭素 )( 9% )、ヒル石 ( 8% )、その他 ( 2% )で、発生する温度は五十度前後になります。なお使い捨て カイロの最大のお得意さまは各地の商店会で、特に年末大売り出しの際の 「 福引き 」では、 最下等の景品 に最も手頃なのだそうです。
[ 5:懐炉の始まり ]懐炉の由来には 二説ありますが、
[ その一、忍者説 ]
[ その二、温石説 ]
[6:文学作品に書かれたカイロ]![]() 江戸時代初期の浮世草子 ( 小説 ) 作家で好色一代男、世間胸算用、好色五人女などを書いた井原西鶴 ( 1642〜1693年 ) の遺稿集のひとつが、死後の元禄七年(1694年)に刊行されましたが、二十三の短編を収録したものです。「 西鶴織留 ( おりどめ )」の名前で全六巻からなっていますが、その第一巻の二、には 「 灰式カイロ 」 についての記述が既にありました。それによると ( 挿絵は井原西鶴の姿 )、
大阪の藁草履 ( わらぞうり )屋が金貸しに金を借りにいったら断られ、土産物を付けたり 「 おべっか 」 を使ったりしてやっと借りられたが、土産物の代が高くつき過ぎてばかばかしくなり、店は売り払って細々と寺子屋などをしてとりあえず暮らせるだけの金を稼いでいた。やがてそれも上手くいかなくなり、困り果てていたある日、鍋の下の熾 ( お )き火が翌日まで残っていたので不思議に思ったところ、茄子 ( なす ) の茎と犬蓼 ( いぬたで ) の茎を燃やした灰なので火の消えないことが分かった。そこで無一文で江戸に下り、銅細工の職人と相談して 懐炉と懐炉灰を作って 売り出したら大もうけした。という記述ですが、これを見ても江戸時代初期には、すでに カイロが使われていたことが分かります。
[7:大麻取締法の法益とは]前述の如く大昔から日本では大麻を栽培してきましたが、敗戦まで大麻を乾燥させて吸引する習慣が日本人の間ではありませんでした。昭和20年 ( 1945年 ) の敗戦により日本に進駐したアメリカ占領軍から、大麻の栽培を禁止するように勧告されましたが、日本の大麻事情を説明し理解を求めたものの、結局占領軍の納得が得られずに昭和23年 ( 1948年 )7月10日に、法律第124号として大麻取締法が制定されました。つまりこの法律は、大麻による健康被害が当時の日本には存在せず、従って法律制定の必要性が無かった にもかかわらず、日本の大麻事情に無知な占領軍の一方的な指示により、米国の大麻取締の状況を模倣して大麻取締法を制定したのでした。それ故に [1:大麻取締法違反 ] で述べたように、 法律の目的 を条文に記載しなかったのではなく、実際はできなかったのです。 大麻取締法の全文は ここをクリックすれば 読むことができますが、この条文を読んでみても この法律によって保護されるべき社会生活上の利益(法益)、換言すれば保健衛生上の如何なる危害から人々を護るのかが不明なのです。したがって大麻取締法を素直に読めば大麻栽培、大麻取扱の免許制度を維持することが主眼とさえ思われ、換言すれば無免許で大麻を栽培したり、所持したり、譲渡してはいけないという制度なのです。 法益 らしきもの が記載されているのは下記の条文ですが、これも大麻に関する免許、許可に条件を付して変更する場合には必要な最小限度のものに限ることを指示しているに過ぎません。 第二十二条の二 この法律に規定する免許又は許可には、条件を付し、及びこれを変更することができる。という内容です。前述の如く大麻取締法によって大麻の栽培が免許制となっていますが、国内では栃木県の私の故郷の近くで 神事用 に限って僅かな量を栽培しています。神道では大麻は罪・けがれを祓う神聖な植物であるとされていて、大麻の繊維でできたお札 ( ふだ )を神棚にお供えしています。 [ 8:大麻の毒性、T H C ]大麻が持つ欠点は若い葉と花に含まれる THC という物質が毒性の原因ですが、従来日本で栽培されていた繊維用大麻についてはこの毒性を僅かしか含んでいなったので、悪影響を及ぼす可能性は小さいと考えられていました。しかし最近になって大麻の品種を改悪して毒性の強い大麻に作られた 吸引用大麻 が存在することで、これを マリファナ( Marijuana )や樹脂加工したものを ハッシシ( Hashish )と呼び、乾燥させて煙草のように吸引すると幻覚症状が出るといわれています。しかしながら他の麻薬のように
1:身体的依存症にならないので、従って禁断症状が起きない。とされていて身体的依存症や禁断症状、胎児への奇形誘発性が起こらないことは国連の世界保健機関( W H O )も認めていて、思考能力、記憶力の低下、注意力の散漫などが確認されています。さらに マリファナを吸いたいという精神依存が起きますが、前述の如く禁断症状は起きず、タバコを吸いたい、酒を飲みたいのと同じ程度なのだそうです。
注:)T H C
[ 9:外国の状況 ]しかし外国ではドイツやスイス、オランダなどのように個人の使用を法律で認めている国もありますし、アジア・アフリカ諸国では現在も大麻を大量に栽培しています。また大麻を喫煙したり、食用にする習慣は現在まで続いています。さらに大麻を護麻(ごま)として火にくべ、それを吸いながら礼拝をする宗教の拝火教 ( ゾロアスター教 )もあります。ヒンズー教や イスラム教においても アルコールは禁止ですが、大麻の使用は認められているそうです。アメリカにおいて1998年に実施した麻薬類の乱用に関する国の調査 NHSDA ( National Household Survey on Drug Abuse ) によれば、十二才以上のアメリカ人のうち七千二百万人( 三十三パーセント )がマリファナを一回以上使用したことがあり、十二年生 ( 高校三年生 )の約五十パーセントは マリファナを使用したことがあるといわれています。そのせいでしょうかカルフォルニア州で行われた選挙で 「 マリファナの薬用使用を認める 」 という法案に対し、五十五パーセントの人が賛成票を投じました。アリゾナ州でもこのような法案が承認され、アメリカでは、賛否両サイドの人々による論議が巻き起こり始めています。
Mandatory death penalty for Drug trafficking警告文の意味は「 麻薬の密輸売買をした者は、必然的に死刑に処す 」の意味ですが、 アヘン の原料となる 「 ケシ栽培 」が盛んな ゴールデン・トライアングル ( 黄金の三角地帯 )と呼ばれる タイ北部、ラオス、ミャンマーの国境地帯で作られたドラグが、東南アジアでは容易にしかも安い価格で入手できることから、シンガポールはドラグ密輸の中継基地に利用され、過去に多くの運び屋、密売人、ドラグ使用者が通過乗り継ぎ( Transit 、トランジット)の途中で摘発逮捕され処刑されました。その中には英国人も含まれていて、旧宗主国の エリザベス女王からの助命を求める嘆願 ( Petition )にもかかわらず、死刑が執行された例もありました。
ごく最近の例では ヘロイン 396 グラムをトランクに入れ、カンボジアから シンガポール経由の飛行機で オーストラリアに密輸を図った ベトナム系 オーストラリア人が、シンガポールでの通過乗り継ぎ( トランジット ) 時に逮捕され死刑を宣告されました。しかしオーストラリアの ハワード首相などの助命嘆願も空しく、平成17年12月2日に空港近くにある チャンギー( Changi )刑務所で絞首刑を執行されました。写真はチャンギー刑務所のゲートです。 一説によれば摘発された薬物の量がコカインの場合 80 グラム以上、 大麻の若い葉や花(マリファナ)では500グラム、乾燥大麻(マリファナ)は200グラム 、ヘロイン 5 グラム以上の場合には、自動的に死刑が宣告され恩赦が無く必ず処刑されるのだそうです。自動的に死刑になる点については犯罪目的の銃の発射も同じで、たとえ弾が相手に命中しなくても発砲した罪により必ず死刑になります。 死刑は週末の金曜日に執行される場合が多く、当日の新聞の朝刊には 午前六時に処刑される者 の顔写真や姓名、国籍、年齢、罪名と判決確定日が掲載されます。これは死刑の威嚇によりドラグ密輸犯罪や薬物の使用を防ぐ為と、死刑の 透明性を高める 為の措置といわれています。写真は前述したヘロイン396グラム所持により処刑された、ベトナム系オーストラリア人のチュオン・グエン・バン。 シンガポールの英字紙サンデー・タイムズによると、同紙が実施した 「 死刑に関する世論調査 」で、同国民が死刑制度を圧倒的に支持していることが分かりました。外国人が死刑に相当する重罪を犯した場合、国内法に準じて死刑を適用すべきだとの考えも九割近くが支持しました。この世論調査は前述した昨年 ( 平成17年 )12月下旬、麻薬密輸の罪で死刑判決を受けたベトナム系 オーストラリア人男性の刑執行三週間後に、20歳以上のシンガポール国民425人を対象に実施されました。死刑制度のない豪州側は再三にわたり執行中止を求めましたが、麻薬犯罪に厳刑で臨む シンガポール政府が拒否した形となりました。 平成16年 ( 2004年 )二月の シンガポール政府の発表によれば、過去五年間に シンガポール( 国土面積632平方キロメートル ) で 処刑された死刑囚は 138人 であり、その大半は麻薬犯だそうですが、淡路島 ( 592平方キロメートル )や東京二十三区 ( 621平方キロメートル ) とほぼ同じ広さで、人口僅か418万人 ( 2003年度統計 ) の国家での 死刑執行数が、年間で27.6人、毎月2.3人にのぼります 。シンガポールに比べ約30倍の人口を持つ日本における死刑執行数は年間に1名有るか無しかですが、シンガポールの対人口死刑比率を日本に当てはめるとするならば、処刑される者が年間で 828人 、毎月 69人 という驚くべき数字になり、 人口比率に対する処刑数では シンガポールは死刑大国として世界最高のレベルにあります。
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