先月で190回目になる歴遊会で東京小金井にある「東京江戸たてもの園」にでかけた。
この同好会は平成9年に佐倉市民カレッジを卒業した同級生たちで続けているOB会で、今でも元気な仲間たちは毎月の例会に参加しては脚力を確かめ合っている。
たてもの園は昭和初期時代の建物が30棟近く移築・復元されて並んでいてちょっとしたタイムスリップの世界だったが、そのなかに宮造りお風呂や
さんがあった。

宮崎アニメ映画のヒット作「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルになった「子宝湯」ということなので入ってみた。
番台もなつかしく、広々した湯船の背景には定番の富士山があった。東京千住に昭和4年に建てられ昭和の終わりまで営業していた銭湯だそうである。
お風呂やさんと言えば昭和38年に長女が誕生して母親になりたての頃の日常風景に重なる。
当時のアパートにはお風呂がなかったから、近くの銭湯の前は、毎日昼下がりの3時まえから赤ちゃん集団で賑わったものだった。わが子を一番風呂に入れたいと、ホヤホヤお母さんたちの常連は、銭湯が開くのを待ちながら赤ちゃん談義が尽きなかった。あの頃のお風呂やは母子ともの社交場だったと思う。

親同士は隣あわせたカランでも会話が弾み、赤ちゃんたちはお姐さんに服を着せてもらったりお白湯を飲ませてもらって母親を待ちながら、よその子の泣き声に混じって触れ合いの体験をしていた。
風呂上りの帰り道で立ち寄る八百屋さんや魚屋さんでは「いらっしゃい」の掛け声につられて、娘をあやされながら買い物も済ませる毎日だった。
現在の日常生活は地域とのかかわりあいが薄くなっていて、「向こう三軒両隣」という言葉も死語となっている。買い物も大型スーパーでレジでの会話もいらなくなった。
元気な時はいいけれども、独居老人の孤独死など社会問題も生まれて怖い時代になったと思う。
先日「少年たちとお風呂やさん」という寄稿を読みさしの新聞から見付ける。
息子は「みんなでお風呂やさんへ行く約束をしたから!」と、お風呂代とジュース代を持って意気揚々と出かけて行った。誰が思いついたのか5,6人でらしい。こんな機会でもなければ、都会の核家族の子どもは、高齢者と触れ合うことがない。お風呂やでおじいちゃんやおばあちゃんに「行儀が悪い!」などと叱咤してもらえたらありがたい。
親や学校の先生とは違う目で褒められることもあるかも知れないし(省略)・・・と。
最寄の地区会館で小学生の通学合宿が実施されて、その様子を覗いたことがあるが、子どもたちがもっとも楽しんだのはご近所での「もらい湯」だったらしい。快く迎えた家庭側もよその子どもとの触れ合いで癒されたという話を聞いた。
地域とのかかわりの希薄な社会現象を、唯一の価値が自分という自己愛型社会とも呼ぶそうだが、それでは寂しい。うちのご近所では「向こう三軒」を復活させようと、お互いさまと声を交し合える場が誕生して、此処で子育てを共にした70歳代のシニアグループは若やぎはじめている。