<はじめに。。。>
私は今、とっても幸せだ。。。
モスラが生まれてからと言うもの、特に強くそう思うようになった。
少し前から、私は自分の人生について、一度じっくりと考えてみたいと思い始めるようになった。
でも、いざ考えようとすると、頭の中は今までの出来事がわんさかわんさか、出るわ、出るわ。。。(^-^;
とっても頭の中だけでは整理しようもなく、そして、このコーナーを思い付いた。。。
私のゴチャゴチャの頭の中を整理するために。。。
だから、ここを訪れてくれた方々は、順序が逆になってる内容や矛盾した事など、いろいろ
出てくるかも知れない事をあらかじめ念頭に入れて読んで頂きたいのです。
ここは自分自身のために作ったコーナーです。
「だったら、わざわざHPにUPしなくても。。。」と思うかも知れません。
私がここを皆さんに公開する理由は、これから書き綴る「私の背負うやっかいなモノ」を、公表する事によって、自分がどう変わるのか試してみたくなったのです。そして、今よりももっと強い人間になりたい!そう言う願いを込めているのです。。。
どうか、私のこの我儘なコーナーにちょっとだけお付き合い下さいませ。(*^▽^*)
<その1.私はやっかいなモノを背負ってこの世に生まれた>
私が背負うやっかいなモノ。。。それを一般には「障害あるいはハンディキャップ」と呼ぶ。
「先天性両側性合指症」。。。そしてそれは、手と足の両方に見られた。。。
足は幸いにも皮膚のみがくっついているだけだったので、高校生の時に分離手術をして、ちょっと傷が残っている程度だ。。。
でも、指は。。。右も左も中指と薬指の途中から、骨ごと一本になってしまっている。。。
見た目には指が一本足りないように見える。。。多少の変形は、ある程度手術で何とかなるようだったが、機能的に障害が残るのを恐れ、私は手術をしない事を決めた。。。
この時、私は高校生だった。。。
父は福祉施設をやっていた。母もそこで働いていた。。。
私が生まれた時、当たり前の事だが、父も母もショックを受けたらしい。。。
兄二人にはハンディキャップはない。。。家族では私だけで、遺伝性のものではなかった。
私は天性の楽天家だったようだ。
私の周りには、知的障害や体にもハンディを持った人たちがたくさんいた。家族と離れて施設の中で暮らしている。
私のこのやっかいなモノは、見た目はちょっとブ格好だが、日常生活にはほとんど支障をきたさない、ごくごく軽度のモノらしかった。。。
それはまだ小さい私でも理解できた。。。私と遊んでくれるお兄さんお姉さんたちの方が、歩くのも、ご飯を食べるのも、はるかに大変そうだったからだ。。。
私は家族とも一緒だ。。。私は恵まれている。。。そういつも思っていた。。。
父や母は私を特別扱いなどせず、ごくごく普通に育ててくれたと思う。。。
おてんばだった私は、結構怒られた記憶がある。。。(笑)
兄達ともよく遊んだし、よくけんかもした。。。
本当にどこにでもある賑やかな家庭だった。
今思うと、そのごくごく普通な事が、私にとってとっても幸せなことだった。。。(*^-^*)
そして、私がいつも幸せだと感じていられたのは、私の周りにいた、私をいつもかわいがってくれたたくさんの人たちの思いがあったからだとも思っている。
「やっかいなモノ」を持つ私を、みんなかわいそうに思って、やさしくしてくれた。
そう、まさに「同情」してくれていたのだと思う。。。
私は、この「同情」という代物が、結構好きだったりする。(笑)
それは、「私の事を自分の事のように思い、心配してくれる事。そして、愛情をかけてくれる事」だと思っているから。。。
「同情」は「憐れみ」ではないと。。。
そして、たくさんの人から受けた愛情は、この「やっかいなモノ」のおかげだとも思っているのだ。(^^)
ダーリンも私にこう話してくれた。。。
「僕と出会うまで、結婚せず独りだったのは、この手のお陰かも知れない。だから、僕はこの手に感謝している。」と。。。(*^^*)テレテレ
ダーリンのお父さんとお母さんも私やモスラをとてもかわいがってくれる。。。(^^)
初めて挨拶に行った時もやさしく接してくれ,、結婚にも大賛成してくれた。。。
里帰り出産し、実家には一ヶ月ちょっと帰っていたが、その後、更に3週間程、ダーリンの実家に(ダーリン抜きで)お世話になった程だ。。。
だから私はこの「やっかいなモノ」は、「憎むべきモノ」でも何でもなく、むしろ、「愛すべきやっかいなモノ」と言ってもいいと思っているくらいだ。。。(笑)
もちろん、子供の頃にはイジメにもあった。。。
でも、私は、いじめられても、自分でいじめっ子に「へらず口」を叩くやんちゃ娘だったのだ。
友達もたくさんいた。いじめっ子の数よりも友達の数の方がずっと多かった。(^-^)
2つ上と3つ上の兄も友達も私を助けてくれた。。。
だから、多分、学校でも私の事は「イジメ問題」として、取り上げられてはいなかったと思う。。。
(゚o゚)ハッ 自分たちで戦えたんだから、イジメとは言わないのかも。。。(笑)
こんなに問題なしに生きて来たのに、なんで「やっかいなモノ」と呼ぶのか?と疑問に思うかもしれない。。。
なぜ「やっかいなモノ」なのか。。。
それは。。。たまーに、私の思考回路をやっかいにするから。。。
幸せに暮らして来たからと言って、コンプレックスがなかった訳ではない。
ごくごくたまには、私だって、悩んだり、傷付いたり、ストレスを感じたりすることもある。
初めて会う人には人見知りしがちだし、ネットで知り合い、仲良くなっても、いざオフ会ってなると、出るのに尻込みしてしまう。。。
(仲良くなってしまえば、別人のようにうるさくなるらしいが。。。(^-^;アハハ)
写真を取るとありのままの姿が写る。。。どうしても多少の緊張感は否めない。。。
心からの笑顔で写っている写真は数えるほどだろう。。。
みんながするVサインも多分一度もした事がないと思う。。。
だけど、幸せだと言う事も痛感している。。。
だから、私の頭の中で、幸せな自分とそうでないとちょっと思ってしまう自分がごちゃまぜになり、思考回路が「やっかいな事」になってしまうのだった。。。(^-^;
そして、今、丁度、その「やっかいな思考回路」の状態の真っ只中なのだ。。。
ただ、今回はいつもとはちょっと違う。「幸せ過ぎて、困っているのだ」(笑)
この幸せは、やはりこの「やっかいなモノ」のお陰なのだと。。。
そして、この「やっかいなモノ」が自分の人生にどう関って来ているのか、どうしても、じっくり考えてみたくなったのだ。。。
つづく。。。
言いたい事がうまく表現できない。。。(T-T)ウルウル
文才があるわけではないからしょうがないか。。。(笑)
とりあえず、また少し手直しをしてみたが。。。
あとは追い追い徒然なるままに。。。
<その2.ボクチンを産むに当たって思ったこと。。。>
今回は2回目の出産になる。モスラの時は北海道の実家に帰ったけど、今回は東京のダーリンの実家にお世話になり、ダーリンの生まれた病院に罹る事にした。
1月の北海道は寒さも厳しいし風邪も引きやすい、そして何より、モスラとパパが1〜2ヶ月に1回程度しか会えなくなってしまうのがかわいそうだったからだ。ダーリンの実家なら、車で2時間前後
だから、週末に仕事さえなければ、ダーリンとは週に一度会う事ができるしね。
私は今回も多分切腹になるんだろうなとは思ったものの、念のために先生に「今回も帝王切開になるんですよね?」と聞いてみた。先生は自然分娩の希望があって、状況によりそれが可能ならば自然分娩でもよいし、最初から切腹の予定にしててもよいしと言ってくれた。
ただ、最初が切腹だった場合は、子宮口が硬くなりやすく、自然分娩で産めるのは1/3の確率らしかった。そして、子供がモスラのように小さめじゃないと、難しいとも言っていた。
とりあえず35週頃までに決めてくれればよいとの事で、私はいろいろと考えを巡らす日々が続いたのだった。
そして、結局は、切腹を希望する事にした。
その理由は。。。
ボクチンがモスラの時よりもずっと大きい事(8ヶ月半の時点で既に2000gあった)、オペ日が決まってる方がダーリンやお姑さんの仕事の休みが取りやすい事(お姑さんに関しては3週間もの有休を取ってくれた)、自然分娩だと子宮破裂したらどうしようとか考えてしまい、お産に集中できないかも。。。などなど
って言うのは建前で、本当は陣痛が恐かったのかも知れないけどね。(笑)
そんな訳で、切腹する事に決めた。そして、今度はオペの日にちだ。。。
今回は割と順調な妊娠経過ではあったが、私としては、できるだけ早く産んでしまいたかった。
それは、今回は恥骨がすごく痛くて、立ったり座ったりするたびに痛みが走り、5分位の道のりを歩くのもヒーヒーだった事や、肺が圧迫されて呼吸が苦しかったりしたからだった。
先生は37〜39週の間位で私達家族の都合のいい日にしましょう。まぁ、できれば38週が1番いいんだけどね。でも、赤ちゃんの体重も2700gあるし、37週でも大丈夫だと思うよ。と言ってくれたので、ダーリンやお姑さんたちとも相談して、37週半にお願いする事にした。
この時点では、帝王切開を選んだ事も、この日程にした事もそう悩んではいなかった。後はもう先生にお任せするしかないと言う気持ちになっていた。。。
<その3.ボクチンを産んで思ったこと。。。>
私は予定通り37週半に切腹でボクチンを産んだ。。。そして、切腹した事、この時期に決めた事など、今回の出産に関して、大いに悩み、後悔する事となった。(^-^;
ボクチンもモスラもどっちも37週で生まれた。。。
モスラは生まれたての時から、とってもきれいな顔だちをしていた。これは親バカってだけではなく、他のたくさんの人達にも言われた事なので、ほんとにその通りなのだと思う。そしてみんな「帝王切開だからきれいな顔してるんだよね」と言っていた。
でも、ボクチンは、ものすごく真っ赤っかで、まぶたはむくんで腫れあがり、顔には産毛もいっぱいで、髪の毛もわんさかと多く、「赤ちゃん」と言うよりも「胎児」って感じだったのだ。背中にもびっちり毛が生えていたし、足も
肉がまだ付いていなくて、皮がたるんでシワだらけだった。(^-^;
私は「うわぁぁ。。。早く産み過ぎたぁ。。。」と思った。この子はまだ生まれて来る時期ではなかったのに、私のエゴで無理やり医療の力を借りて、この世に引っ張り出しちゃったんじゃないかと後悔した。
モスラの時は臨月までもたないかもと言われていて、35週目には子宮口が開き始めたと言う事で即入院。
37週まで何とか持たせての出産だった。だが、小さい割には顔も体もプクプクしていて、早すぎる出産って印象は全くなかったのだ。。。
ボクチンは子宮から取り上げる時、なかなか上手く出て来なかったように思う。スタッフがもう少しで生まれますよと言ってはくれていたものの、私のお腹を押したり引っぱたりしていた。きっとまだお腹の中にいたくて抵抗していたに違いないと私には思えてならなかった。
そして、やっと生まれて来たボクチンの顔は、まるで難産の末に生まれて来た子のように、真っ赤でむくんでいた。そのせいで、生まれてからの2日間は、家族の誰もが「赤ちゃんかわいいねぇ」とは言わなかったような気がする。。。(^-^;
もちろん愛情が湧かなくてと言う訳ではない。それよりも、異常に真っ赤な顔やむくんだ顔、細い足を心配していたのだった。
ボクチンは日にちが経つにつれ、むくみも取れて来て、どんどんかわいい顔になっていったが、それでも私は、自分のエゴで安易に「37週での切腹」を選んでしまったんじゃないかと悩む日が続いた。
って言っても、もともと楽天家なので、それほど深刻に思い悩んだわけではないが。。。(笑)
結果的には無事に元気に生まれて来たんだから、こんな悩みは贅沢な悩みだと。。。
<その4.もう2人で打ち止めにしたいな。。。(^-^;>
切腹は、今回も前回も腰椎麻酔と硬膜外麻酔の両方をした。。。
そして、今回は、前回のような麻酔のかかり始めの何とも言えない変なピリピリした感じや、逃げ出したくなるような衝動はなかったが、呼吸が苦しくて苦しくて、このまま死んじゃうんじゃないかと思った程苦しいものとなった。(^-^;
あまりの苦しさにずっと「苦しい、息ができない!!!」と顔を左右に振りながら、もがき苦しんでいたので、麻酔科の先生は麻酔のかかり具合をチェックするために、胸の辺りを刺激して確認していた。
「大丈夫、普通に呼吸できるはずだから、ゆっくり深呼吸して」と言われたが、どうにもこうにも酸素が体内に入って来ない。。。
「全身麻酔に切り替えたら呼吸も楽になるけどどうする?」と言う麻酔科医の問いかけに、(。。)(゜゜)ウンウンと大きくうなずいた。
と言う訳で、ボクチンとのご対面が済んだら即、全身麻酔へと切り替わったのだった。(^-^;
多分、下半身麻酔なのに上の方まで麻酔が効き過ぎたせいで、呼吸が苦しくなったのだろう。。。
もう二度と下半身麻酔は受けたくない!
もし、盲腸など下半身麻酔しなくてはいけない病気にかかったとしても、全身麻酔でしてって懇願する事だろうな。。。(^-^;
先生は帝王切開での出産も5人位まで大丈夫だよと言っていたが、もうコリゴリと思ってしまった。(^-^;
それには、オペが大変だった事に加えて、まだ他にも理由があるのだが。。。
それは、後陣痛が凄まじく痛かった事。。。今まで経験した痛みの中でもダントツの痛さだった。
しかも、前回もすごい痛みで痛み止めの座薬とかも全然効かなかった程だったため、先生が普通の2倍の筋肉注射の痛み止めを打ってくれたにも関らず、全く効き目がなく、1時間半もの間、ベッドの上で七転八倒するハメになったからだ。。。(>_<)
次の日、先生にその事を言ったら、「あれでも効かなかったの?」と驚いていた。
麻酔は効き過ぎるのにねぇ。。。(^-^;
痛み止めだって、普通のときはよく効く方だと思う。
なのに、後陣痛の時に限って薬が効かないのだ。。。
そんな訳でもうこれで子供は打ち止め!(笑)
本当はもっともっとほしいんだけど、毎回つわりはひどいし、結局最初から最後まで結構大変な思いをする妊婦生活になってしまうし、体が言う事を聞かないって事もある。(^-^;
うまい具合に一姫二太郎になったし、もうこれで打ち止め〜!!!(笑)
![]()