| 最初の職場・三越設計部(当時)時代のデザイン 左)国立劇場ソファー 右)野村證券用チェアー
当時の三越の設計部(設計室)は日本の家具デザインに大きな影響を与えていました。高島屋、大丸等も同様で、売り場の家具だけでなく、官庁や大企業のための特注家具のデザインや製作を行っていました。50人を超す設計陣は当時の日本のインテリアデザイン界でもかなりのレベルだったと思います。
三越の設計室で初めて任された特注の仕事は国立劇場のソファーデザインでした。改築後も一部残っていましたが今はどうか分かりません。デザインの作業そのものは三越の伝統スタイルのコピーで面白くはありませんでしたが、現場での作業が思い出深い仕事でした。次に任された野村證券のカウンターやロビーで使うチェアーのデザインは好評で、新宿や池袋の支店で続けて使われました。オレンジとブルーの2色。当時の特注家具の中では気に入っている作品です。ただしアルミ脚はスガツネの既製品です。
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静岡県工業試験場
次に静岡県の工業試験場へ行きました。静岡は家具の産地の1つとして有名で、メーカーの指導と研究という名目の仕事でしたが、企業の発展と共に、昔の「産工試」的な官製デザインは不要になりつつありました。ただ試験場には優れた職人さんがいて、家具製作を実際に習うことが出来たのはラッキーでした。日比谷や千駄ヶ谷で個展やムサビの仲間とのグループ展を行ったのもこの時期です。
このころから次第にノックダウンの家具に興味を持ち始めていました。
そしてある日海外商品サンプルとして購入されたIKEAの商品を見て、そのドライとも言える合理的な構造とデザインにショックを受けました。
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| ホールミラー(左)とダイニングセット(中央)共にノックダウン構造 |
東海家具のためにデザインしたユニット(右) |
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イケアジャパン
ショックを受けて飛び込んだ(旧)イケアジャパンは、日本側(三井物産・チトセ・湯川美術品他)が51%、IKEA
Swedenが49%出資のフランチャイズ方式で、今のIKEAや新しいイケアジャパンからすると考えられないような小さな会社でした。(30人程度)
この時代は、実に様々な仕事をしました。IKEA商品の国産化ライセンス生産(スチールを使ったイージーチェアー)、キッチンと収納の総合システムPaxとSystem
210の施工システム作り、ほとんど全商品の日本語組立説明図作成、照明器具のTマークや子供用商品の安全規格SDマークの取得、クレーム処理等雑多な仕事でした。中でも面白かったのはパイン材とパーティクルボードの部材を使ったDIY商品のプロジェクト。雑誌ノンノと共同で、スウェーデン本社で家具作りから撮影まで行い、その国内向けカタログも作りました。カタログには私のアイデア商品も混じっています。売り場で製作の実演も船橋や澁谷、名古屋などで行いました。
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表紙
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このステレオラックは好評で何度も実演会場で作りました。今となっては懐かしいLPレコードが写っています。 |
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今、新しいイケアジャパンが活動をはじめています。 フランチャイズ方式によってコスト高だった(旧)イケア日本が、ともするとファッション的に「北欧家具」としてのIKEAを紹介せざるを得なかったのに比べ、今回は完全に欧米並みの本格的参入。価格は本来の低価格となっています。ルーム方式の展示レベルの高さもあり、安い競合品だけではなく、中~高級品までにもかなり影響があるでしょう。それにしてもインテリアのプロと称する人ほど、イケアを軽く見るのは何故でしょう。
現在のIKEA
JAPANについてのHPはここをご覧下さい。 なお、IKEAについて、シニカルで面白いHPがありましたのでご紹介します。 「イケア(IKEA)の不思議な企業構造」 |
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アクタス
デザイン コントラクト 工場
デザイン
(旧)イケア日本と、IKEA本社との関係がさまざまな理由で次第に悪化し、筆頭株主の交代と契約更新時期が来たのをきっかけに契約は解消、(旧)イケア日本は(株)アクタスとしてスタートしました。
技術関連の責任者だった私は即、企画開発兼デザインの責任者となり、売り上げ維持の必要性からIKEAから見たら問題にならない少量生産であまり変わらない価格の商品開発を短期間で求められ苦労しました。北欧と東欧のメーカー相手に商品開発を行い、年間150日程度出張していました。
東欧圏へは西ベルリンのパートナーSILVA社の人達と車で旧東ドイツ"DDR"経由で入る事が多く、西ベルリンの"チェックポイントチャーリー"等の検問所から東ベルリンへ入るときの緊張感を今でも思い出します。
チェルノブイリ原発事故のすぐ後には、そのすぐ近く(ポーランドと旧ソ連国境近く)に出張を命ぜられ、かなり悲壮な覚悟でのぞみ、事故を何も知らされていない現地の人たちと汚染されているに違いない食事を共にした事もありました。 アクタス西ドイツ事務所(当時)のドイツ人スタッフは政府から供給されたヨード剤を呑んでいました。
2007年、久しぶりに、SILVA社の旧副社長にベルリンを案内してもらいました。壁のあとの壁ミュージアムや破壊/復興された教会も胸を打たれましたが、一番印象的だったのは東ベルリンへ行く度に立ち寄っていた各コンビナートの監視・監督を行う役所
"Holz
und Papier" (「木材と紙」)の建物でした。一部壊されていたものの、建物は残され内部は工事中でした。冷たく重い空気、それは先日見たドイツ映画「善き人のためのソナタ」(原題:DAS
LEBEN DER ANDEREN)を彷彿とさせる世界でした。 |
80年代後半は徐々にアジアに拠点が移り、開発担当やデザイナーも増えはじめました。生産拠点はシンガポールやタイを中心とする東南アジア(そのころ中国での仕事はまだ難しかったので。)に移りました。そして私の担当していたヨーロッパに対する社内の考え方も大きく変わり、仕事の目的もイケアから学んだ生産と小売の直結と言う方向から、株主(当時ミネベア)の上場を目的とする卸・多角的販売へと、私の理想と大きく変わりました。1989年、私の独立とほとんど同時に思いがけずベルリンの壁が崩壊、1つの時代の終わりを感じました。
写真は1987年出版されたアクタスの「世界のインテリア」誌(六耀社)でのプロモーションページです。メインページに載せた作品も一部載っています。デンマーク、フィンランド、東ドイツ(DDR)、スペイン、シンガポール、日本等のメーカー用デザインの数々です。このころは現在の新宿ではなく、渋谷の青学横に本社がありました。

後記:
なおアクタスには私がやめた後、デンマークのSoftline社で私がデザインしたAlexソファーベッド(ソファーベッドのページ参照。)や同社の数モデルを買ってもらった事がありました。
コントラクト
工場
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当時イケア~アクタスの一番の売れ筋はベッドでした。大手の国産ベッドメーカーと異なり、床板の代わりにスノコ式のいわゆる「ウッドスプリング」に近い方式をとっており、かなりの本数を必要としていました。そこで栃木県矢板市に地元の間伐材や根曲がり材を利用したスノコとその端切れを利用した木製品の専門工場を地元有力者のご協力を得て作りました。 工場の設計は初めてだったため、いろいろな木工所を見学して勉強しました。
工場の特徴は丸太から製品までの製材と乾燥、木工の一環設備でした。特に乾燥設備はイタリア製の「除湿乾燥」と言う当時新しい電気による特殊な方法で、知識の無い素人でも扱えるよう工夫しました。ただその乾燥室のキャパシティが実際の作業スケジュールになかなか追いつかず、外部に乾燥を依頼したり、始めのうちはかなり苦労しました。端材で木製の小物(家具や玩具等)も作りました。
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その後:デンマーク Softline
A/S 社の仕事
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Alex

Boss

Cos
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独立し、ypm design impex
をスタートして、一番楽しい仕事をしたのが、デンマークのソファーメーカーSoftline
A/S社でした。デンマークのLolland島のMariboと言う静かな町(村?)にある工場です。コペンハーゲンからは車で1時間半程度。
デザイナーとして、そしてレップ(エージェント)としての両方の仕事でした。新作を作る際、国内メーカーに比べ、外部デザイナーに対して社長から社内デザイナーや職人、セールスマンが、かなりオープンに意見を言い合うのが新鮮でした。その場で結論を出さなければならない苦労はありましたが。
このSoftline社、もともとはウレタンメーカーK.BE社の家具部門でSoftlineの名はその商品ブランドでした。同社との付き合いはアクタス時代、1985年ごろ同社の商品を仕入れる際、担当者となったのがきっかけです。そのころはSoftlineと言うブランドではなく、Blue
Skyと言うブランドでした。現在の社長がセールススタッフとして入ったばかりでした。
残念ながら、2003年以降、介護の関係で、試作チェックやフェアーの手伝いのための海外出張や、国内でのレップとしてのセールス活動が次第に難しくなり、2007年に契約を返上しました。(現在、他の海外での仕事は、セールス活動の義務の無い仕事だけ継続しています。)
デザインは本ページの商品紹介ページ、Sofa
Chair
Sofabed のページにそれぞれ作品が載っています。品名の後に"Softline
(Denmark)と書かれているモデルです。 "Alex sofabed"はフランス、"Boss
sofabed"はオランダ、"Cos sofabed"はオランダとフランスで主に売られました。いずれも通販が主体でした。日本ではAlexがアクタス、Cosがハウススタイリング(ディノス)で販売されました。
チェアのページに載っている"Peanut
chair"(右)はもともと無印良品の子供用としてデザインしたのですが、無印では採用されず、大人用に変更され一般商品として生産されました。Softline社のデザイナー Ms.
S. Engelbrechtsen との共作で、これはヨーロッパ中で売れました。
そのほか、かなり多くのデザインをしましたが、OEM商品が主体でした。 |
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1クリックあたり1円を企業がクリックする人に代
わって「熱帯雨林保全」や「難病のこども支援」
などを行うNPO団体に募金してくれるサイト。
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