東北旅行の最後は会津観光です。
 私は喜多方を訪れました。
 喜多方市内を観光馬車が運行していました。
 馬車は蔵の町喜多方にちなんで蔵の形をしています。
 喜多方の町並みはこのような感じです。
 あちこちに蔵が多く見られました。
 こちらが喜多方ラーメンでは東京でも有名な坂内食堂です。
時間的に込まない時間なのかほかに客はいませんでした。行列を覚悟してきたのですが・・・。
 店内はこのような素朴な感じです。
 厨房は窓が大きく明るいところでした。
 この日は肉そばを注文しました。これは絶品で、ここまで来て食べた甲斐があったという感じでした。
 ラーメンの上をふたでふさぐようにチャーシューが乗せられていますが、これが意外とひつこくなく、あっという間に完食しました。
 ちなみにこれを食べたのが朝8時前でした。喜多方の朝食は喜多方ラーメンでした。
会津若松に移動して飯盛山に登りました。
 このは塔イタリー碑といって、ローマ市から贈られた白虎隊の武士道をたたえるものだそうです。。
白虎隊の19名のお墓が並んでいます。(合掌)
 白虎隊の鎮魂碑日本を訪れたドイツ人医師によるものだそうです。
 飯盛山から鶴ヶ城方面を眺めてみました。お城が炎上していたように見えたのでしょうか、今では周囲にはビルが立ち並んで、お城を探すのに苦労してしまいました。
 山を下ってくる途中に不思議な形の建物がありました。
 建物全体が二重螺旋構造になっています。
 さざえ堂というもので国の重要文化財に指定されているそうです。
 入り口の景観はこのようなものです。
 さざえ堂から下っていくと・・・
 池がありました。崖にある穴から水が流れ出しています。
 鶴ヶ城の様子を確認するため白虎隊がこの穴から飯盛山に引き上げてきたそうです。
 もともとは猪苗代湖の水をかんがい用として引き込むための水路だそうです。
 会津といえば野口英世を思い出します。
 英世の生家は風雪による傷みを防ぐため、このような上屋に覆われていました。
野口英世生家の記念碑です。
 正面玄関はこのように観光客がひっきりなしに出入りしています。
 内部には古い農具が展示してあり、当時の生活のまま残されているようでした
 壁は板壁でした。
 内部を見て回ります。
 雪よけの蓑や菅笠、かんじきが壁に掛けられていました。
臼が3タイプ
 当時の流し台です。
台所用具が並んでいます。
 米櫃や塩や味噌を入れたと思われるかめが並んでいました。
 これが運命の囲炉裏です。
 英世の生家を後にして、隣接する記念館に向かいました。
 なにやら軍医のような立派な服が展示されていました。
 また、このようなどてらも展示されていました。
学校の成績表のようなものがありました。
 その他、多くの展示物が並べられていました。
 英世が帰国したときは大賑わいだったそうです。
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会津観光(喜多方〜飯盛山〜野口英世生家)